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29 教授③(回想2017)&女スパイ(1924)

 これは俺、中浦(なかうら)秀人(しゅうと)が大正時代にタイムスリップする少し前……二十一世紀の出来事だ。


「近代ヨーロッパの主役の一つはフランス……これを否定する者はいないだろう。何しろ近代の始まりを市民革命、特にフランス革命とするくらいだからね」


 教授の専門は近代英国史だが、当然ながら関係の深い国々の歴史にも精通している。そして教授は、この日の講義を近代フランスに関する話題から始めた。


「この近代フランスだが、第三共和政以前と以後に分けて考えるべきだ。前半は君主制への揺り戻しもある過渡期……しかも共和制の年数は圧倒的に少ない。それに対し後半は全て共和制、現代に入って今に至るまでも同じだ。もちろん君達は知っていると思うが」


 教授の示した前半、革命開始の1789年から第二帝政が終わる1870年まで足掛け八十二年だが、このうち六十五年間は帝政や王制だった。

 フランス革命以後の前半を順に並べると、第一共和政、第一帝政、復古王政、七月王政、第二共和政、第二帝政だ。つまり共和政体は二つだけ、残る四つはナポレオンや三世の帝政、ブルボン家やオルレアン家による立憲王政だ。


 それに近代後半を第二次世界大戦終結までとした場合、年数も半々に近く扱いやすい。

 戦中のヴィシー政権を経て第四共和政が誕生したのは1946年、ここまでだと後半は足掛け七十七年。第四共和政を入れても八十九年である。


「第三共和政は1870年から1940年。明治時代が1868年に始まるから、ほぼ明治維新から第二次世界大戦前に相当する。もっとも第三共和政の終わりはドイツに負けたからで、最後の瞬間は戦中なわけだが……」


 教授の顔には苦さが滲んでいた。

 ドイツのポーランド侵攻開始は1939年9月1日、翌年6月14日にドイツ軍はパリ入城を果たし同月22日にフランス軍は降伏文書に調印した。フランスが中部都市のヴィシーに政府を移したのが7月1日、そこまで加えても僅か十ヶ月での敗戦だ。

 これは雪辱を誓ったドイツの意気込み……執念とでも呼ぶべきものが大きいだろう。


「ドイツは先の大戦で負け、アルザス=ロレーヌを失い、莫大な賠償金を背負った。何しろドイツが第一次世界大戦の賠償金を完済したのは2010年……。途中ヒトラーが政権を取って支払い放棄したのもあるが、終戦から九十年以上経って全てが終わったのだ。それに対し……」


 フランスは宿敵ドイツを倒して浮かれ、研鑽を怠ったのだろう。そのように教授は続ける。

 勝ったといっても第一次世界大戦でのフランスの被害は大きく、人口四千万人弱に対して戦没者は百七十万人に近かった。つまり総人口の4%以上が直接および間接的に戦争の犠牲になったのだ。

 対するドイツは人口六千五百万人ほど、戦没者が二百五十万人弱、割合は4%を幾らか下回っていた。このように被害では互角か、僅かだがフランスの方が大きいといえる。

 それに連合国の勝利はアメリカの参戦が大きく、フランスのみで勝ったのではない。第一次世界大戦では多くのフランス軍人がドイツの捕虜となったくらいで、二国間に限ればドイツの勝利と表現しても良いくらいである。


 ちなみにアルザス=ロレーヌや賠償金だが、これらはドイツへの報復でもある。

 第三共和政が生まれたのは普仏戦争が敗色濃厚となったからだが、敗戦したときにアルザス=ロレーヌを割譲し賠償金として50億フランを支払った。要するにフランスは、失ったものを第一次世界大戦で取り返したわけだ。

 ただし今度は犠牲者が桁違い、しかも普仏戦争と違って各国への賠償だ。賠償金は1320億金マルク……純金4万7千トンに相当する額になった。

 これは今の金相場に当てはめると二百兆円以上、とても払えないし急激なインフレを招いてドイツは混乱の極みに陥る。


 そして歴史は繰り返す。ドイツは事態打開と失地回復を目指して第二次世界大戦へと動き、フランスを侵略した後は倍返しと言わんばかりに苛烈な報復をしたのだ。

 それが第三共和政に続く、ヴィシー政権時のフランスである。


「ヴィシー政権はドイツに屈服していた。何しろ官報にすらドイツの検閲が入ったくらいだからね」


 教授の言葉通り、ヴィシー政権はGHQ占領下の日本政府のようなものだった。

 ヴィシー政権を個別に扱わず、第三共和政の残滓(ざんし)としても良いだろう。元首となったフィリップ・ペタンは第三共和政最後の首相で、彼がドイツと休戦してヴィシーに退()いたのだから。

 この見方に立つなら、第三共和政がフランスの戦前および戦中という表現も可能ではある。もっとも伝統的なフランス人からするとヴィシー政権は大いなる屈辱だから、普通は輝かしきフランスの歴史から切り離されている。


「このように第三共和政は対独問題に大きな比重を割き、更に周囲の国々をも巻き込んでいく。イギリスやアメリカは第一次世界大戦を共に戦った仲として、もっと正確に表現するならドイツに苦しめられた者達として。ベルギーやオランダなどドイツとの間に位置する国々は、同じ脅威に晒された者達として……」


 このフランスとドイツの対立が二つの世界大戦の発端となった……少なくとも主要な一つになったと教授は指摘する。

 そして技術革新が火に油を注ぐ。戦車に飛行機、毒ガスなど様々な新兵器が犠牲を段違いに増やし、憎しみや恐怖も従来と比べ物にならないくらい撒き散らした。

 これに民族問題まで絡み、歴史の汚点というべき悲劇が幾つも生み出されていく。


「ドレフュス事件を知っているね?」


「はい、1894年にアルフレド・ドレフュス大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪事件です」


「ユダヤ人というだけで憎悪の対象になった……(ひど)いことです!」


 教授の問いかけに、俺を含めた学生達が答えていく。

 普仏戦争に敗れ、資源のあるアルザス=ロレーヌを奪われ、しかも多額の賠償金まで課せられた。その結果フランス国内経済は冷え込み、金融機関は海外へと投資する。

 これを行ったのがロートシルト……つまりロスチャイルドなどのユダヤ系で、しかも投資先が東欧だから国民の不満が爆発する。金融恐慌で投資銀行が破産し、多くの人が蓄えを失っていたのだ。

 フランスに反ユダヤと反ドイツの叫びが広がっていく中、陸軍情報部が参謀本部付きのドレフュス大尉を捕縛する。容疑はドイツへの情報漏洩(ろうえい)、そして彼はユダヤ人だった。

 このころ反ユダヤ派によるユダヤ人将校の裏切り告発……事実か否か定かでないものも含む糾弾が執拗に繰り返され、ドレフュス大尉も槍玉に挙げられたのだ。


 状況証拠すらなかったが、反ユダヤ系新聞が大々的に報じたため軍は対応を急ぐ。その結果ドレフュス大尉は非公開の軍事裁判で有罪とされ、終身城塞禁錮となる。

 しかも後に真犯人が明らかになるが軍上層部は無罪とし、ドレフュス大尉に濡れ衣を着せたまま揉み消そうとする。


「この醜態に作家のエミール・ゾラが立ち上がって大統領を弾劾し、世間が冤罪だと騒ぎ出す。しかし一方でユダヤ人迫害が激化し、ゾラも一時はイギリスに亡命する。このときナショナリストの一人デルレードは『ドレフュスはおそらく無罪だろう。しかしフランスに罪はない』と言い放ち、仲間達も支持する有様だ。

最終的にドレフュス大尉は無罪を勝ち取るが、それは捕縛から十二年後……なんと1906年まで待たされた。この露骨な迫害がイスラエル建国へと繋がっていく……」


 教授の言葉を聞きながら、俺は現代への流れを思い浮かべた。

 ドイツだけの迫害なら、ユダヤ人は他国に移るのみで済んだかもしれない。しかし現実は違い、他でも貧困や騒動の原因として意図的に叩いた者達がいる。

 そのため一部のユダヤ人は故郷を目指し、パレスチナ人を追い出しにかかる。迫害された者が新たな迫害を生み出す矛盾に目を(つぶ)りつつ、自分達の居場所を築こうとしたのだ。


「……だが、ドレフュスは命があっただけでも幸せだ。中には冤罪や量刑不当で死刑となり、現在に至るまで謝罪すらされない者もいるのだから……あのマタ・ハリのように」


 最後の部分、幾らか間を置いて教授が口にした言葉。()()()()()()()()()()()人物の名は、俺の胸に重々しく響いた。

 周囲も同じだったらしく、誰もが表情を変えた。ある者は鋭さを増し、ある者は深い憂いを示し、ある者は(いきどお)りを滲ませる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 『東洋のマタ・ハリ』こと川島(かわしま)芳子(よしこ)が示すように、マタ・ハリは日本でも早くから知られていた。

 昭和初期までにマタ・ハリを主役とする映画が幾つか作られ、いずれも諜報の場での華々しい活躍を描写した。したがって戦前や戦後の早い時期だと、彼女は稀代の女スパイというのが通説だった。

 しかしオランダ人のサム・ワーヘナーは1964年にマタ・ハリの伝記を発表し、彼女は自身の体と得た情報で世を渡ったのみと主張した。しかも諜報者として特筆すべき活躍はなく、死刑は不当だという。


 マタ・ハリが二重スパイだったのは事実、様々に虚言を(ろう)したのも確かだ。しかし諜報活動とされるものは、彼女が軍人達の気を惹く話題を集め、虚構を駆使して相手を魅了した結果に過ぎない。

 あくまでマタ・ハリは自分自身のために動き、それに男達が群がったのみ。彼女は寝物語に得た多少の情報を思わせぶりに語り、関心を集めようとしただけ。スパイだが国家を左右する秘事に関わるはずもない、とワーヘナーは示した。

 ワーヘナーは多くの関係者に取材し、更にマタ・ハリ自身が作ったスクラップブックまで入手した。そのため彼の研究は高く評価され、こちらが主流となっていく。

 そして2001年にはマタ・ハリの出生地であるオランダのレーワルデン市が『彼女の得た情報は重要なものではなかった』としてフランス法務局に再審を請求する。フランスは請求を退(しりぞ)けたが、理由は有罪を覆す新証拠はないという歯切れの悪いものだった。


 これらは二十一世紀だと広く知られた事実である。皆も顔色を変えたところからすると、大筋は把握しているのだろう。


「本当に(ひど)い話です! きっと外国人だから槍玉に挙げられたのでしょう!」


「彼女もユダヤ人の家系だと迫害されたそうです! 事実無根なのに!」


「マタ・ハリを処刑するなら、彼女に情報を渡した男達も罰するべきです!」


 次々と上がる声は女子学生が多かった。

 今より遥かに厳しい男社会を、マタ・ハリは身一つで生き抜こうとした。手段はともかく、その心の強さは評価されるべきだろう。

 彼女達がマタ・ハリに肩入れするのも理解できる。


 それにマタ・ハリの人生は劇的だ。

 裕福な家庭に生まれたが没落し、二十歳も年長の男に嫁ぐが苦労の末に別れ、単身異国に渡って成り上がる。まるでドラマのような前半生と、そこから急転直下の失脚と刑死である。

 しかも関係ない罪を背負わされての最期だから、数々の映画でも彼女を悲劇の主人公に仕立てている。


「反ドレフュス派には、SFの父ジュール・ヴェルヌやノーベル文学賞のフレデリック・ミストラルもいたそうだ」


「画家のドガやルノワールも……『自由、平等、友愛』が聞いて(あき)れる」


 女子ほどではないが、男子も眉を(ひそ)めている。

 過激なナショナリストや彼らの支持者には、後世でも有名な知識人も含まれる。アカデミー・フランセーズにも賛同者が多数いたというから、極右ではなく保守派の主流と呼んでも差し支えないだろう。

 そういった者達が冤罪だと感じつつも国の姿勢を支持したのだから、事態は余計に深刻だ。


「ふむ……。まず『自由、平等、友愛』だが、これは()()()()()()の権利と義務でオランダ人のマタ・ハリに関係ない。そして彼女が外国人であった……しかも少し前にフランス帝国の支配下に置かれた地域の……というのは興味深くもある」


 教授は皮肉げな口調で、旧征服地への蔑視めいた感情があったのでは、と続ける。

 あいつは外国人だという言葉は、強い訴求力を持つ……少なくとも愛国者と称する人々に対しては。どこにでもある……もちろん、この日本でも目にする光景だ。


「それにマタ・ハリは高級娼婦でもあった。職業の貴賎を問うつもりはないが、かといって一般に賞賛される仕事でもない……フランスがスケープゴートを求めていたか定かではないが、そうだとしたら絶好の対象だろう。あの『オキシシアン化水銀を秘密のインクに使った』など、典型的な言いがかりだよ」


 強い(あき)れを示すように教授は肩を(すく)めたが、説明が足りないと思ったのか更に言葉を続けていく。

 オキシシアン化水銀とは消毒作用のある薬品で、当時は避妊薬としても使われていた。これをマタ・ハリは溶液の形で持っており、殺精子剤として使用したそうだ。

 この溶液は熱で色が変化するから、あぶり出しに使用できる。もっとも同様な効果は牛乳など多くにあるし、証言からするとスパイの小道具としての所持ではないだろう。

 しかしフランス当局は重要な証拠とし、死刑に追い込む理由の一つにした。


「オキシシアン化水銀の所持で逮捕されるなら、パリから女性が激減しただろう。かといって所持を禁じたら、軍人達は欲望の処理に苦労するか望まぬ子の養育に励む羽目になったはずだ」


「教授は軍隊の維持に売春婦が必要というお考えでしょうか?」


 軍人という言葉が引っかかったらしく、女子の一人が少し険のある声で質問した。すると教授は僅かに笑みを浮かべつつ、彼女に顔を向ける。


「必要悪ではあるが、私は利用したくない。……特に、この当時であればね。以前の講義でも触れたように抗生物質がないから性病に(かか)っている者は多いし、感染したら治療は難しい。何しろ大正時代の新聞には、性病治療を(うた)う広告が毎日のように載っていたくらいだ」


 よほど需要があったのか病院は『梅毒科』『花柳病科』など専門に扱っていると大きく示し、性病治療薬の広告も頻繁に掲載された。そのように教授は返す。


 嘘か真か、江戸時代は都市住人の半数が梅毒感染者という研究もある。どのように確認したか疑問だから一概に信じるわけにいかないが、遊郭で梅毒罹患者が多かったのは事実らしい。

 これは明治維新後も大差なかったようだ。抗生物質の登場は昭和に入ってから、しかも日本で普及するのは戦後のこと。二十世紀初頭にはスピロヘータが発見されて梅毒が細菌による感染病と判明したが、ペニシリン投与が有効と確認されたのは1943年である。


「もし当時の男と話す機会があったら、こう忠告するよ。『君達は一時の快楽のために、一生の健康を損なおうとしている』と! 共感してもらえるか別として……ね」


 冗談めかした教授の言葉に、多くの者が笑い声を上げた。質問した女子も、苦さ混じりだが一応は笑みを浮かべている。

 マタ・ハリが処刑されたのは百年も前だから、様々な点で常識が違って当然だ。政治や軍事、社会的な通念、医療を含む科学技術、どれも単純に良し悪しを量るべきではない。

 そう分かっていても、平成生まれの俺に馴染めない点があるのも事実ではあるが。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 欧州行きの船に乗った俺は、ただちに英米仏の外交官を呼び集めた。もちろんマタ・ハリに似た女性を目にしたと伝えるためだ。

 しかし二十一世紀で学んだ知識をそのまま話すわけにはいかない。1924年現在だとマタ・ハリは魔性の女かつ凄腕のスパイという認識が一般的だし、ここには彼女を処刑した国の外交官もいるからだ。

 もっとも俺の意図は警告だから、虚像のマタ・ハリのままで構わない。年齢的に本人と思えないが、彼女が育てた二代目なら油断大敵と脅しておく。


「二代目ですか……」


「血縁者は?」


 驚きを示したのはイギリス外交官のヘーグさん、そして二代目となり得る人物を問うたのはアメリカ外交官のキリヤソフ氏だ。

 部屋には九人。まず日本が俺と婚約者の智子(ともこ)さん、セバスチャンこと隠密の瀬場せば須知雄(すちお)。そして発言した二人にフランス外交官のデジャルダン氏、それぞれの夫人である。

 マタ・ハリ似の女性がハニー・トラップを仕掛けたら男性だけでは心もとないと、俺は奥方達にも声をかけたのだ。


「娘は死亡しました。しかし弟が三人、一番上の弟に娘がいたとか」


 デジャルダン氏はマタ・ハリの血縁者を並べていく。もちろん彼は裁判に関与していないが、外交官として記憶の隅に留めたという。

 息子は夭折、娘は1919年に未婚のまま死亡。上の弟の娘は1906年生まれ。マタ・ハリの縁者がどうなったか、フランスの諜報組織は事後も多少だが観察していた。


「娘が生きていたのでしょうか?」


「復讐するために死を装った……ありそうですね」


「パリに来るまでに産んだ子かもしれませんわ。あるいは姪の可能性も……」


 夫人達三人は興味も顕わに様々な予想を並べ立てる。彼女達からすればマタ・ハリは空前絶後の女スパイだろうし、物語のように突飛な出来事も充分にあると感じたようだ。


 それはともかく仮に娘が生きていれば二十五歳、先ほど甲板で見かけた女性は二十代らしいから条件に合う。姪も化粧次第では何歳か上に見えるかもしれない。

 マタ・ハリが有名になるのは1905年、これ以降は妊娠すれば誰かが気付く。隠し子だとすればダンサーになる前に産んだと考えるのが妥当だ。

 夫人達の空想というか妄想も、年齢的には辻褄が合う。


「ともかく配下の方々に注意を促してください。これは先日の舞踏会で隠し撮りしたものです」


 俺はスマホから撮りなおしたモノクロ写真を示す。

 昨日セバスチャンから聞いた後、問題の女性が映っていた部分を静止画像として撮影しなおした。そのため動画を撮影したフィルムより遥かに鮮明で、整った容貌とパッチリとした瞳の女性だと充分に理解できる。


「ふむ……確かにマタ・ハリに似ておりますな。早速伝えましょう」


「分かりました。我がイギリスは紳士の国、安心してください」


「アメリカも大丈夫ですよ……しかし相当な美人ですね」


 しばらく三人は写真を見つめていたが、こうしてはいられないと辞去を申し出る。まさか出航直後に誘惑されることもないだろうが、善は急げと思ったのだろう。


 こうして俺は関係者に用心するよう呼びかけたが、不用な措置だったらしい。なぜならマタ・ハリ似の女性は、真っ直ぐ俺に向かってきたからだ。


「踊ってくださらないかしら?」


 船上の舞踏会、そこで黒髪と黒い瞳の美女が俺をダンスに誘う。目が覚めるような真紅のドレスを着け、誰もが見惚れるような嫣然(えんぜん)たる笑みと共に。


 どうも向こうは俺のことを知っているようだ。それも表向きの顔……東宮(とうぐう)職の末席という以上に。

 微笑みや声は柔らかで(こび)すら滲むが、大きな瞳は獲物に向けるような鋭さを宿している。


「……貴女は?」


 どうしてこうなるのだ。軽い思考停止状態のまま、俺は応じる。

 パリ行きは国内過激派から距離を置くため、暗殺を避ける方策だ。しかし出航して幾らもしないうちに、海外のスパイと渡り合う羽目になるとは。

 およそ一ヶ月半もの船旅で、俺はパリオリンピックにおける蹴球団への支援策を再点検するつもりだった。もちろん同盟国の外交官と友好を深めつつ、だが。

 それら取り留めもない思いが頭の中を巡っていく。


 隣では智子さんが身を硬くし、無意識だろうが俺の腕を取る。やはり彼女も危険を感じたのか……あるいは俺が色仕掛けに屈するのではと不安になったのか。

 俺は大丈夫と示すべく、智子さんの腕に手を添える。


「エリス・ワイゲルトと申します。ドイツ外交官の娘ですが、大震災で父が亡くなり帰国することにしましたの」


「それは……御愁傷様です」


「お気の毒に……」


 俺と智子さんは絶句しつつも、形式を守って弔意を表す。しかし本当にワイゲルト氏なる人物がいたのか、俺は少々疑問に感じていた。


 ドイツとは第一次世界大戦で断交したが、1920年に再び大使を交換した。そのため1924年現在、ドイツ外交官や家族が日本に来たり戻ったりするのは自然なことだ。

 しかしエリスという名で、父の姓がワイゲルト。これは(もり)鴎外(おうがい)の代表作『舞姫』のヒロインと同じだ。

 智子さんも不審に感じたらしく、俺の腕を(つか)む力が僅かに強まる。


「お名前を伺っても?」


太田(おおた)豊太郎(とよたろう)……というのは冗談です。東宮内舎人(うちとねり)中浦(なかうら)秀人(しゅうと)と申します」


 エリスという女性の問いに、最初俺は舞姫の主人公の名で応じてみせた。向こうが偽名だとしたら、何らかの反応を引き出せると思ったのだ。

 しかし相手もさる者というべきか、魅惑的な微笑は崩れない。そこで俺は宮内省での職と本名を返す。


「それでは中浦様……この()()()()と踊っていただけますでしょうか?」


 エリスと名乗る女性も、森鴎外の舞姫を知っていたらしい。

 もっとも本当に駐日ドイツ外交官の娘であれば、ドイツを題材にした有名作品くらい把握しているだろう。その作品に自身と同姓同名のヒロインがいれば尚更だ。

 しかし『舞姫の娘』という部分だけ、妙に力が篭もっていたように感じた。単に文学作品との一致を示したにしては不自然すぎるほどに。


 もしや舞姫とはマタ・ハリで、その娘だと言いたいのか。

 これだけ似た顔をしているのだから、類似すら何らかの武器として使うつもりかもしれない。マタ・ハリの再誕を演じてフランスとの仲を裂く、あるいは敢えてドイツの影を示して俺達を疑心暗鬼に陥れる……そんな根拠のない想像が俺の頭を駆け巡る。


「ええ、喜んで。……セバスチャン、智子さんを頼む」


「秀人様……」


 俺の言葉に、智子さんは顔を曇らせる。やはり彼女も何らかの罠があると思ったのだろう。


「大丈夫ですよ。それに……」


「は、はい!」


 俺は智子さんの手を取り、軽く口付けした。すると彼女は真っ赤に顔を染める。

 たとえ相手がマタ・ハリ本人だろうと、俺の気持ちは揺るがない。そう彼女に(ささや)いたのだ。

 これで後顧の憂いなし、前哨戦たる舞踏を始めよう。俺は紳士の仮面を被り、外見は淑女としか思えぬ女性の手を取った。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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