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27 仮装舞踏会(1924)

 御成婚祝賀の仮装舞踏会が行われるのは、帝国ホテルの新館……通称ライト館の『孔雀の間』だ。

 名前は設計者のフランク・ロイド・ライトから、彼が心血を注いだ代表作だから当然ではある。しかし熱意がありすぎたのか、ライト館は予算が当初の六倍にも膨れ上がった問題作でもあった。

 そのためライトは完成前に離日するが、約一年後の関東大震災で大いに溜飲を下げる。元の歴史だと多くの建物が倒壊や焼失した中、ライト館は殆ど無傷で残っていたのだ。


 もっとも新たな歴史だと事前対策や消火作業で多くが無事だったから、ライトが狂喜するほどではなかったかもしれない。元の設計のまま乗り切れた点が評価され、流石は帝国ホテルと話題になった程度なのだ。

 つまりライトは歴史改変で僅かながら損した側だ。そのため俺……中浦(なかうら)秀人(しゅうと)は少々済まなく感じており、ライト館で催しがある際は出来るだけ行くし人にも利用や宿泊を勧めている。


 ただし呼べる相手は富裕層に限られた。

 たとえば食事だけにしても定食で2円ほど、宴会でもすれば一人あたり5円や6円は必要だ。この仮装舞踏会もチケットは5円と2円である。

 このころだと大卒初任給も少し上がって45円を超えるし、米10キロだと3円少々だ。つまり普通の稼ぎがあれば食事できるが、毎日のように入り浸るには敷居が高い。

 しかも舞踏会ともなれば帝国ホテルで恥ずかしくない衣装が必要だ。男性なら燕尾服かタキシード、専用のダンスシューズに履き替える。

 そもそも踊れなければ恥を掻くから、結局は学ぶ余裕のある者だけが客となる。そのため孔雀の間の常連といえば宿泊する外人や各国の外交官など、国内も華族や財を成した者達が中心だった。


「いつ来ても圧倒されるなぁ……」


「本当ですね……」


 孔雀の間に入った俺と智子(ともこ)さんは、密かな(ささや)きを交わした。

 広間の有効面積は約560平米、もし正方形なら一辺24メートル弱。しかし孔雀の間は長辺33メートル短辺10メートルの長方形を十字に組み合わせた形だから、更に奥行きがあるように感じられる。

 ちなみに名の由来は二つ。中央の交差している部分の四隅にある巨大な大谷石(おおやいし)の孔雀像と、天井の同じく孔雀を描いた彩色画だ。

 幾何学的な模様を施された、地肌も顕わな石材とスクラッチ煉瓦。迷路のような空間と階段、太い柱に囲まれた吹き抜け。外の威容と合わせ、この構成から古代の巨石建造物を連想するようで『エジプトの巨大神殿を思わせる』といった声が多い。


 この荘厳な造りに加え、とある事柄が非現実感を増す。俺が想像するダンスパーティーと、大正時代の日本で行われる舞踏会は少々違うのだ。


「相変わらず和装が多いですね」


 俺は伝統的な絵柄が多い広間から、自分達へと視線を戻す。

 智子さんは真紅のドレスで俺は燕尾服。どちらも渡欧に備えて用意した服の一つで、パリの最新流行と並べても見劣りはしないだろう。

 しかし広間で踊る女性達は、半数以上が独自路線を貫いていた。


「はい……ドレスだと目立ってしまいます」


 智子さんは戸惑いを顕わにしている。

 男性は洋装ばかりだが、実は日本人女性の多くが和服だった。智子さんのようなローブ・デコルテ姿は稀で、着慣れた訪問着に舞踏草履という人が殆どだ。

 広間で目を惹くのは流行し始めた耳隠し……長い髪を短髪風に上で(まと)めたものに振り袖など。最先端を行く女性は本当に短くしてモガ風のボブスタイル、こちらはドレス姿だけど絶対数が少ない。


 ともかく和服でダンスなど、それ自体が仮装としか思えない。しかし彼女達は真面目だし、パートナーの男性も和装女性に合わせたリードを編み出したくらいだ。

 そのためダンスの名人にも日本固有の芸術と称える者がいるそうだが、俺は何回見ても違和感を覚える。


「大丈夫ですよ。とても似合っていますから……ほら、皆が注目していますよ」


「当然です。お嬢様の着こなしは非の打ち所がありませんし、ダンスも大層上達なさいました。あのような有象無象とは格が違います」


 俺は穏やかに褒めたのみだが、従者姿のセバスチャンこと瀬場せば須知雄(すちお)が不敵な言葉を放つ。

 帝国ホテルの舞踏会は上流階級中心だが、パートナーとして映画の女優や三越の店員などを連れてくる者もいた。実際セバスチャンが視線を向けた先にも、先ごろキネマで見た顔がいる。


「その……」


 困惑だろうか、智子さんは顔を赤くしていた。

 仮装舞踏会というものの殆どが顔を顕わにしているし、俺達も(なら)った。明治時代の鹿鳴館には山縣(やまがた)有朋(ありとも)が甲冑姿で登場したというが、今は少々派手な衣装を着けるくらいで普通の社交ダンスと大差ない……着物姿を除けばだが。

 もっとも鹿鳴館時代と違い、大正末期になると社交ダンス自体は随分と広まっている。


 一例を挙げると、俺が大正時代に来たころは既に鶴見花月園のダンスホールがオープンしていた。

 この花月園は東洋一と(うた)われたほどで最盛時は七万坪ほどもあり、単なる地方の名所ではない。それに少女歌劇団は宝塚との交流もあり『西の宝塚・東の花月園』と称されている。

 ダンスホールも欧米から一流どころを招いて盛り上げたし、谷崎(たにざき)潤一郎(じゅんいちろう)も『痴人の愛』で帝国ホテルと並べるほどで名士も多く訪れた。しかし連載が始まるのは今年三月からだし、そもそも智子さんにはエキセントリックすぎる作品だ。

 そこで俺は別の人物を挙げる。


「智子さんならアンナ・パヴロワの隣でも見劣りしないでしょう」


「まあ……それは言いすぎです」


 俺の賞賛に、智子さんは照れつつも笑みを浮かべる。

 アンナ・パヴロワとはロシア出身のバレリーナ、二年前には来日公演もしている。そして俺達は、この世界的な舞踏家のバレエを帝劇で観ていた。

 このように大正時代の日本でも欧米文化に触れられるが、まだ浸透の度合いは微妙だった。何しろ谷崎潤一郎が描いたカフェでの初ダンスも、ナオミが着物姿だったくらいである。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 このころの流行はフォックストロットと呼ばれるダンスだが、これはアメリカ発祥で音楽もジャズ風なものが多かった。

 帝国ホテルが抱える楽団は波多野(はたの)鑅次郎(えいじろう)のハタノ・オーケストラで、彼らは東洋汽船などで北米航路を中心に修行した。そのためアメリカ風の演奏やダンスが主流になったのは、極めて自然な流れだ。

 ただし着物姿の女性に配慮した緩やかな演奏で、渡欧に備えて本格的にダンスを学んだ俺や智子さんからすると難しくない。


 片手を智子さんと組み合わせ、残る片手をローブ・デコルテの背に添えて。向かい合う彼女は俺の肩に手を乗せて。そして寄り添ったまま軽やかに足を動かし、滑るようにホールを行き来する。

 智子さんはクルリと回って赤いドレスをひらめかせ、ハイヒールを高らかに鳴らす。俺は時折リフトめいた動きを入れる程度で、引き立て役に徹するのみだ。


「トレビアン! これほど洗練されたダンスはパリでも滅多に見ませんよ!」


 壁際に引き上げてきた俺達を拍手で迎えたのは、五十がらみの押し出しの良いフランス人男性だ。名はポール・デジャルダン、つい先日まで横浜領事だった人物である。

 それに激賞はデジャルダン氏のみならず、夫人や周囲の人々も盛大に手を叩いて称えてくれる。


「本当に素晴らしいですよ! 私も若いころはダンスに高じたものですが……」


「貴方は太りすぎでしょう」


 一際大きな声を響かせたのはイギリス外交官のヘーグさんで、(あき)れたような声を漏らしたのは彼の奥さんだ。

 元々ヘーグさんは横浜副領事だったが、俺とのパイプ役を務めるべく東京の大使付きになった。彼は今回の渡欧も同行してくれるが、急なことだから準備で忙しかったようだ。

 この多忙による不摂生が響いたらしく、今のヘーグさんはデジャルダン氏に勝るとも劣らぬ恰幅の良さだ。しかし彼は三十二歳、まだ若いのにと奥さんが嘆くのも当然だろう。


「まるでカッスル夫妻のようだ!」


「ええ。舞台映画のように機敏な動きでしたわ!」


 張りのある声はスラリとした容姿のアメリカ人男女、元横浜領事のマックス・デビッド・キリヤソフと夫人の賞賛だ。

 カッスル夫妻とは実在の舞台役者にして舞踏家だが、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースによるミュージカル映画のタイトルでもある。もっとも映画化されたのは1939年だから、キリヤソフ氏が思い浮かべたのは故国で見た舞台か記録映像だろう。


「過分な御言葉、ありがとうございます」


「皆様の御眼鏡に(かな)い、安堵いたしました」


 俺が一礼すると、智子さんも顔を綻ばせつつ続いた。

 二年前のエドワード王太子訪日以来、ダンスの機会も随分と増えた。彼が王位継承権を返上して日本で暮らすようになってからは尚更だし、エドワード王子も少年時代からジャズに傾倒したくらいで流行には敏感だった。

 そのため俺達もワルツやカドリーユなどオーソドックスな踊りに加え、アメリカ流の開放的かつ最先端のダンスに親しんでいた。


 したがって正直なところ多少の自信もあるが、俺には喜んでばかりもいられない事情があった。それは目の前の外交官達、特に米仏の動きを気にしていたからだ。

 デジャルダン氏やキリヤソフ氏も、ヘーグさんと同様にパリに行く仲間なのだ。


「短期間とはいえ、パリに戻れるのは嬉しいですよ」


「私は初めてです。最初の任地が横浜ですから」


 デジャルダン氏が和やかに切り出すと、これまた朗らかにキリヤソフ氏が応じる。

 実は二人もヘーグさんと同じく関東大震災で命を落とすはずだった。しかし俺達の事前対策が功を奏し、彼らも地震の瞬間を外に避難して乗り切る。

 そこで米仏は二人が感謝しているとして、俺の担当に回したのだ。


 もちろん二人や米仏は誰が死ぬ運命だったか知らないが、四国同盟なのにイギリスだけを優遇してと言われると弱い。それに実際のところ、彼らが命を拾ったのも事実ではある。

 まずデジャルダン氏だが、二十一世紀で読んだ駐日フランス大使ポール・クローデル氏の書簡でも死亡に触れているから間違いない。そして俺の記憶が正しければ、キリヤソフ夫妻は副領事などと共に根岸外人墓地に葬られたはずだ。


 デジャルダン氏はパリで案内してくれるから断る理由もないし、もし反対したら日本蹴球団が向こうで練習試合をするのも難しくなるだろう。

 それにフランスはドイツに何か仕掛けているらしく、探る相手が欲しかったところだ。ミュンヘン一揆で裁判中のアドルフ・ヒトラーを厳刑にという動きがあるようだが、どうもフランスの差し金らしいのだ。

 こうなるとアメリカだけ仲間外れとはいかない。せっかくサハリン島や満州の開発で歩み寄ったばかり、それに日米の火種も残っていたからだ。

 本来の歴史だと今年アメリカは移民の規制強化をするが、日本は同盟国として対象外になる予定だ。しかしアメリカは交換条件として、謎の予言者こと俺との関係強化を持ち出した。

 その結果、来月早々の欧州訪問は日英米仏で仲良くとなったわけだ。


「どうなさいましたかな?」


「いえ……私もパリに思いを馳せていました。我が蹴球団の活躍、それに陸上や水泳にテニスも……日本の競技レベルも随分と上がりましたよ」


 探るようなデジャルダン氏に、俺は屈託のない笑みを返す。俺はサッカー馬鹿を演じて誤魔化そうとしたのだ。

 それにスポーツ好きなら他にもおり、彼の興味を惹けると思ったのもある。


「サッカーやテニスはともかく陸上や水泳では負けませんよ!」


 予想通り意気込みを示したのは、アメリカのキリヤソフ氏だ。

 氏はエール大学に在学中、リレーの選手として活躍したという。既に卒業して十年以上だが、細く締まった体つきからすると今でもトレーニングを続けているようだ。

 ただし外交官になるくらいだから頭も良く、加えて姓が示すようにロシア移民の子として苦労した人物でもある。スポーツ青年風の快活さに釣られぬよう、俺は気を引き締める。


「アントワープ大会でもアメリカが一番でしたからね。確か金が四十一、銀と銅が二十七ずつでしたか?」


 それに対し日本は銀が二個のみ。俺は素直に力の差を認める。

 この差は今回のパリ大会でも埋まらないだろう。俺が知る通りならアメリカの獲得メダルは同じくらいで一位、それに対し日本は銅一個のみだ。

 もし蹴球団が大活躍しても一つ追加されるだけ。そもそも参加選手が元は二十人ほど、新たな歴史でも蹴球団を加えて六十人少々だから仮に全競技でメダルを得ても(かな)わない。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 今回のパリ行きでは、ぜひとも接触したい人物がいた。その名はシャルル・ド・ゴール、後のフランス大統領である。

 ド・ゴールは第一次世界大戦の後、しばらくポーランドの軍事顧問を務めた。しかし1921年には帰国し、サン・シール陸軍士官学校の教官をしたりフランス陸軍大学校で学んだりと国内で過ごす。

 そして現在、サン・シール陸軍士官学校には皇族達がいる。今のド・ゴールは大尉に過ぎないし、留学中の彼らに頼めば容易に会えるだろう。


「サン・シールにも?」


「はい。北白川宮(きたしらかわのみや)成久(なるひさ)王、朝香宮(あさかのみや)鳩彦(やすひこ)王、東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦(なるひこ)王の三殿下に御挨拶するつもりですので」


 デジャルダン氏の確認めいた言葉に、俺は表向きの理由で応じた。

 俺が居候中の閑院宮(かんいんのみや)家の当主、載仁(ことひと)親王もサン・シール陸軍士官学校やフランス陸軍大学校の卒業生だ。したがって訪れて当然、実際に親王からも手紙や贈り物を預かっている。

 そのため返答自体は自然だが、デジャルダン氏の表情は僅かに揺れる。


()()()()の噂は聞いておりますよ。なんでも()()()()()()()()()()()()とか」


 デジャルダン氏の声音(こわね)は穏やかだが、多少の笑いを含んでいた。ちなみにキタ伯爵とは、成久王がフランスで使っている別名である。


 本来の歴史だと成久王は昨年四月に自動車事故で命を落とすが、これを俺は閑院宮(かんいんのみや)邸に移った直後に伝えていた。

 そのため成久王は運転技術向上に励み、周囲も安全運転させるよう注意を払った。何しろ最初は公道に出るのも禁じたというから、フランスの社交界でも結構な話題になったらしい。


「成久殿下は陛下の義弟にあらせられますから」


 智子さんの言葉に俺達は頷いた。

 成久王の妃は明治天皇の第七皇女、房子(ふさこ)内親王である。成人して嫁いだ皇女だと二番目だから、実質的には次女のようなものだ。

 なお続く允子(のぶこ)内親王が鳩彦王の妃、その下の聡子(としこ)内親王が稔彦王の妃だ。つまり留学中の三殿下は義兄弟、しかも鳩彦王と稔彦王は実の兄弟でもあった。


「閑院宮殿下も色々と御注意なさったと伺いました。運転もですが、東は戦も終わったばかりだから気をつけるようにと……昨秋も過激派が一揆を起こしたばかりですし」


「当然ですとも! 三殿下に何かあったら我がフランス社交界も嘆き悲しみます。多少の不自由があろうとも、危険を避けていただかねば!」


 俺は曖昧な表現しつつも、ドイツとは距離を置くと伝えた。するとデジャルダン氏は相好を崩しつつ、しきりに危険回避を強調する。


 三殿下は全て1887年の生まれだから交流も盛んらしく、回避した自動車事故でも鳩彦王と允子妃は同乗して大怪我を負ったという。これもあって載仁(ことひと)親王は運転技術向上を厳命したが、このときドイツ関連の事柄……アドルフ・ヒトラー絡みの話が伝わったらしい。

 ヒトラーは1921年に国家社会主義ドイツ労働者党の第一議長となっており、既に知る人ぞ知る存在だった。そのため親王がフランスに送った使者は、近いうちに確認できる事件として挙げたのだろう。


 成久王は秘密を守ったが、一方で『ヒトラーとは何者か?』と周囲に問うたようだ。

 これを何かの折にフランス側が知り、彼らも注目し始めたらしい。ヒトラーはヴェルサイユ条約への不満を強く訴えていたから、フランスは彼を厳罰に処すよう働きかけたのではないか。

 帝政時代ならありえないが、現在のヴァイマル共和政ドイツは敗戦国だ。そのため戦勝国たるフランスから強く要求されたら、それなりの配慮をするだろう。

 要するにフランスがヒトラーへの警戒を強めたのは、俺達が原因だったのだ。多分に想像を含んでいるが、先ほどミュンヘン一揆を(ほの)めかしたときの反応からすると当たらずとも遠からずだと思う。


「……少し踊ってきます。智子さん、行きましょう」


「はい。洋行まで僅かですし」


 腹の探りあいは済ませたし、対独姿勢に変化なく同盟堅持とのメッセージも送った。そこで俺はダンスの輪に戻ることにした。

 今日は仮装舞踏会を記録すべく、映画会社から撮影の一団を招いていた。これは上階からの撮影でカメラも一台きりだが、セバスチャンがスマホで録画してくれる。

 載仁親王が舞踏会の映像を楽しみにしているし、まだスマホの容量には余裕がある。そこで智子さんが踊る姿をなるべく多く残しておこうと思ったのだ。


「……次の曲目はカドリーユですか。私達も行きましょう」


「ええ」


 デジャルダン夫妻が動くと他も続く。

 俺と智子さん、デジャルダン夫妻、ヘーグ夫妻、キリヤソフ夫妻で八人。カドリーユは四組の男女で踊るから、ちょうど良い。


 まずは四組で正方形を作る。そして曲が流れると、跳ねるようなステップで頻繁にパートナーを交代していく。

 クルクルと回りつつ受け渡し、手を組んで横に跳ね。基本的には男女の組で動くが、四人で輪になったり元の二人一組に戻ったりと目まぐるしい。

 伴奏はクラシックだが、運動会のBGMに選ばれるような陽気な曲が多い。ヨハン・シュトラウス二世の『こうもりのカドリーユ』のような定番もあるが、『天国と地獄』のように軽妙なものが中心だ。


 日英米仏、四国のカドリーユ。なるべく長続きするようにと俺は祈る。

 四国同盟は利害関係が一致したから組んだだけ、状況が変われば即座に解消される。しかし第一次世界大戦のような悲劇より、表面だけでも笑みを浮かべて踊る方が遥かに良い。


「……秀人(しゅうと)様?」


「いえ、なんでもありません。さあ、今夜は踊り明かしますよ!」


 智子さんの問いかけに、俺は大袈裟な笑みと動作で応じた。世界情勢を案ずるより、目の前の婚約者を安心させるべきだと思ったのだ。

 偽りの舞踏で終わらせず、真の友情を築けば良いだけ。そのためにパリへと向かう。俺の思いが伝わったのか、智子さんは一際輝く笑顔で頷いた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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