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02 横浜領事館(1920)

 俺……中浦(なかうら)秀人(しゅうと)は、なんとか横浜の中心部に辿(たど)り着いた。

 道中、あまり苦労はなかった。大正九年、つまり1920年は殆どの人が着物だから、英国紳士風のスリーピースを着た俺は凄く目立つ。しかし紳士らしくと心がけたのが良かったのか、俺は不審者扱いされずに済んでいた。

 俺の身長が比較的高かったのも幸いしたようだ。俺の背は175センチだから現代日本人としては珍しくもないんだが、大正時代の人からすると十何センチか大柄だ。

 そのため俺は外人そのものと思われたのかもしれない。ごく普通の日本人顔なんだけどな。


 場所が横浜というのも良かったのだろう。中心部まで来ると役人や貿易関係らしき人も多く、彼らは洋装だ。それに領事館や外資系企業も多数あるから、外国人もかなり見かける。

 このころの横浜は全国の輸出入の三割や四割を担う巨大貿易港で、当然ながら各業種の外資系企業は多かった。確か銀行だけでも香港上海銀行や露亜銀行、米国系のインターナショナル銀行など多数あったはずだ。

 そんなわけで気取った格好の人も中にはおり、俺のスリーピースも誤魔化しが利く範囲だったらしい。


 横浜の中心部……今でいう横浜市中区は、まさに大正浪漫そのものな街だった。

 俺は本町通(ほんちょうどお)りから日本大通(にほんおおどおり)へと歩んだが、両脇に並ぶ石造りやレンガ造りの建物も実にらしい雰囲気だ。英語の看板が結構あったり、たまにレトロな自動車が通るのも面白い。やたら長い横木が沢山ある電柱は、確か電話線を沢山かけるためだったかな?

 スマホを取り出して写真を撮りたいくらいの貴重な風景だが、流石に我慢した。でも、極めてレアな風景なのは間違いないんだ。三年後の関東大震災で、殆どが倒壊や焼失をしてしまうから。

 通った道筋だと開港記念横浜会館……現在の横浜市開港記念会館のように修復して後世に残せた建築物も幾つかある。しかし神奈川県庁舎や横浜郵便局などの殆どは、大地震とその後の激烈な火災には勝てなかった。そして俺の目的地である英国横浜領事館も……。


 今、俺は横浜領事館の一室で副領事のウィリアム・ヘーグさんと密談をしている。多少の面倒はあったが、俺はヘーグさんとの面会にこぎつけたんだ。

 ちなみに俺は多少だが英会話もできるし、ヘーグさんは元々通訳研修生として来日したくらいだから日本語も堪能だ。そのため話自体は順調に進んでいったんだ。俺が彼の死を(ほの)めかすまでは。


「……私は、妻や娘達を残して……死ぬ」


 日が落ちて暗さを増した部屋の中で、ヘーグさんは大柄な体に似合わぬ(かす)れ声を搾り出した。

 俺の言葉に途轍もない衝撃を受けたのだろう、ヘーグさんの顔は紙のように白かった。そして蒼白な(おもて)に浮かぶのは先ほどまでの穏やかな笑みではなく、呆然というべき表情だ。

 しかし愕然とするのも無理はない。何しろ俺は、このままではヘーグさんが数年以内に命を落とすと告げたのだから。


 もちろんヘーグさんも、いきなり領事館に現れた得体の知れない男……つまり俺を最初から信用したわけじゃない。しかし俺は持っていたスマホや腕時計を少しだけ見せたから、彼も俺が普通の日本人と違うことだけは理解してくれたようだ。

 この時代にもストップウオッチ機能付き、つまりクロノグラフと呼べる腕時計はあるそうだが、ヘーグさんは文字盤の精密さや先進的なデザインに驚いてくれた。そしてスマホの時計、小さな板の上で数字が変わる光景だ。1920年代では想像すらできないのだろう、しばらく彼はスマホの画面に見入っていた。


「助かる方法はあります。今お伝えすることはできませんが……」


 俺は関東大震災について打ち明けていなかった。災難が地震であることや時期などを全て伏せ、単に避けえぬ運命があると言ったのみだ。

 このときヘーグさんは三十前だから、妻子を残しては死ぬに死ねないだろう。俺も早く教えてあげたいが、そうはいかない事情がある。


「貴方の切り札ですからね。しかし『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』もどきを見ることになるとは……」


 俺が気まずそうな顔をしたせいか、ヘーグさんは冗談まじりの言葉で応じた。このころ既にタイムトラベル物の小説はあったんだ。

 ヘーグさんが挙げたのは、マーク・トウェインが1889年に発表した作品だ。当時のアメリカ人が過去のイングランドに行き、アーサー王と会って歴史を変える。確かに今の俺みたいな感じだな。

 それにイギリスでも1895年にH・G・ウェルズが、その名もズバリ『タイム・マシン』を発表している。だからタイムトラベルという概念は、空想としてなら一般的になりつつあるんだろう。


 そして知識人である外交官なら当然それらを知っており、未来人だという俺の主張も話自体は理解できた。更にヘーグさんは傍証となる現代日本の品々を見たから、どこから来たかはともかくオーバー・テクノロジーの持ち主であるのは認めてくれたんだ。


「……貴方は私に何を望んでいるのですか? それ次第では助けてもらわなくて結構です。私も誇り高き大英帝国の外交官、脅されて国を売るようなことはできません」


 それまでとは違い、ヘーグさんは凄みのある表情となっていた。大柄といえ柔和な顔のせいか好人物にしか見えなかった彼が、まるで戦争に赴く軍人のような迫力を漂わせる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……いえ、これは日本とイギリスの双方にとって利益があることです。私は自身を保護していただく代わりに貴方を助け、そして両国が繁栄する……」


 しばしの沈黙の後、俺は笑顔を作って語り始める。何しろ、これから話すことで俺の……そして日本の運命が変わるんだ。


 日本の運命は、既に大きく動き出している気もする。しかし今なら打つ手はある。今日は1920年4月15日だから。

 俺は意外に思ったんだが、タイムスリップした先は29日じゃなかった。小机駅(こづくええき)で大正九年四月と聞いたから、てっきり同じ日付だと早合点していたんだ。

 しかし歴史改変をするなら一日でも前の方がやりやすい。俺が考えている計画では四月何日かで大違いだ。正直29日なら、ギリギリか無理ってところだよ。

 それらの思いを顔に出さないようにしつつ、俺は言葉を続けていく。


「……その上、アソシエーション・フットボールで栄えある地位を獲得できるのです」


「フットボールですか?」


 俺の言葉を、ヘーグさんは途中まで表情を動かさずに聞いていた。

 保護を求め、その見返りとしてヘーグさんを助け、しかも日本とイギリスの双方に不利益が生じない。ヘーグさんも自分に取り入るつもりなら、これくらいは言うと思っていたんだろう。

 しかし最後のアソシエーション・フットボール、つまりサッカーに関しては、完全に彼の想定外だったようだ。


 ちなみに、このころ日本ではサッカーのことを『ア式蹴球』、ラグビーのことを『ラ式蹴球』と呼んでいた。どちらも同じ起源で、そこから基本的に手を使わないようにしたのがサッカー、そして従来に近いままを保ったのがラグビーだ。

 だから双方とも『フットボール』には違いなく、そこで俺も念のため『アソシエーション』と言い添えたわけだ。


「ええ、まず政治ですが、私は日英同盟をこのまま堅持すべきだと考えています。ロシアに対抗し、更に将来生まれる超大国を抑えるためにも。

そしてフットボールですが、これは私の趣味であり夢ですね。日本が世界有数のフットボール大国になる……そして将来開かれるだろう世界大会で優勝する。いつかは、ですが。

それとイギリスのフットボールの過ちもなんとかしたい……ヘーグさん、このままだと両国のフットボールは迷走するのです!」


 最後の部分は、少し大袈裟だと自分でも思う。しかし本心からの言葉でもある。俺は頭の中で1920年以降のサッカー史に思いを馳せる。


 まもなく、イギリスはFIFAを脱退する。そしてFIFAの会長にはフランス人がなり、イギリスは独自の道を歩み続ける。なんとイギリスがFIFAに復帰したのは第二次世界大戦後なんだ。

 おそらく、これがワールドカップでイングランドが一回しか優勝できなかった理由の一つだろう。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと四つの協会に分かれているせいもあるが、それも長く孤立した影響かもしれない。


 一方の日本だが、1929年にFIFAに加入はしている。だが、それまで関東大震災、昭和金融恐慌、山東出兵など激動の時代だ。そしてFIFA加入のころには満州情勢が緊迫化して本格的に戦争を避けえぬ状態になった。

 しかも戦後FIFAに復帰できたのは1950年だ。そのため日本サッカーは二十年近くも苦難の時代だったことになる。これで1936年のベルリンオリンピックで一回戦を勝てたのは、文字通り『ベルリンの奇跡』だよな……。

 いや、今はそれどころじゃない。まずヘーグさんを動かさないと、俺の計画は机上の空論のままで終わってしまう。


「そのあたりも今は明かせませんが。とりあえず、ご存知の蹴球好きな日本人を紹介していただけませんか? 私も日本人ですので、国を売るようなことはできません。できれば……」


 俺は先ほどのヘーグさんのセリフを真似してみる。そして少しばかりの笑いが起きたところで、幾人かの名前を口にした。

 するとヘーグさんは、再び真顔となった。といっても今度は緊迫ではなく、俺の言葉に引き込まれたらしい。彼も俺の挙げた名で、こっちの手札がオーバー・テクノロジーだけではないと悟ったようだ。

 これなら上手く行きそうだ。そんな予感を(いだ)きつつ、大至急してほしいことをヘーグさんに伝えていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 それから数日間、俺は英国横浜領事館に居候をした。

 ヘーグさんは、外出は控えてほしいが敷地内では好きにして良いと言ってくれた。そこで俺は、中庭でサッカーボールを蹴らせてもらう。


「しかし、重たいなあ……」


 俺は茶色い革のボールを蹴りながら、愚痴を(こぼ)す。

 知ってはいたけど、この当時のサッカーボールは俺達が使っていたものと全然違う。歴史と共に改善されてきたんだから、当然だけど。

 表面の革がバレーボールのような組み合わさり方っていうのも違和感があるけど、太い革ひもで閉じ合わせているのもね……。それに硬いから下手に扱うと捻挫するかもしれない。

 そういえば、このころのサッカーって硬いボールで頭を強打しないように帽子というか防具をつけていたとか。まるでラグビーみたいだな。

 今はリフティングに挑戦しているんだけど、予想通り重くて硬い。まるで多少小さくしたバスケットボールを蹴っているような感覚だ。


「大変お上手だと思いますが。やはり、小さいときから練習されたので?」


 やたら丁寧な口調で話しかけてきたのは、俺の世話役……のような位置付けになった、丸山さんだ。

 丸山さんは領事館で書記として働いている中年の男性だ。イギリスの領事館だけど結構日本人が雇われているんだよ。そういえば震災のときも、領事館に務めていた日本人で亡くなった方もいるんだよな……。


 ヘーグさんは丸山さんを随分と信用しているらしい。しばらくの間、この中浦(なかうら)秀人(しゅうと)という青年が滞在するから世話を任せる、ただし他言は無用って。それだけ。

 やはり領事館で働くだけあって、守秘義務の教育とかシッカリしている……と思うことにしている。その方が精神衛生上も良いし。


「一応、尋常小学校に入る前からやっています。ですが、しばらく離れていたから少し下手になったみたいですね」


 俺はリフティングを終わりにし、丸山さんへと振り向いた。

 無理して痛めてもと思ったのもある。しかしサッカーばかりに興じているわけにもいかないのだ。


 領事館で暮らすようになってから、俺は様々なことを学んでいた。

 まずは普通に生活できるように常識面を。そして、この時点までの歴史や各国の事情を。更に英会話も大正時代のキングス・イングリッシュとして自然に感じるように。他にもやるべきことは無数にある。


 同じ日本といっても、平成と大正では違いすぎる。特に困るのが、まだ存在しないものについてだ。たとえば家電、扇風機に冷蔵庫に洗濯機。この中で、どれが1920年の日本にあると思う?

 実は扇風機は明治二十七年、つまり1894年に芝浦製作所が発売している。ゼネラル・エレクトリックから得た技術だそうだ。

 それに対し電気洗濯機や電気冷蔵庫はアメリカで製造しているらしいが、国産機は存在しない。ちなみに電気アイロンなどはあり、これは比較的広く使われているという。

 そんなわけで何があって何が無いというのも把握しておかないと、外の人と会話すらできない。


 歴史も細かく知る必要があるし、この時点で起きていないことも把握しないとダメだ。俺は歴史改変をするつもりなんだから。

 そして先々はイギリスにも渡ってみたいから、英語も怪しまれない程度には上達したい。いくら大学までで学んだといっても時代が違うし、平成よりも更に身分や礼儀にうるさいだろうからな。


「さて、そろそろ中に……」


中浦(なかうら)さん、どうやらお歴々がいらっしゃったようです」


 俺が中に入ろうと呟きかけると、丸山さんが来客らしいと言い出した。

 丸山さんはエンジンの音で自動車の種類が判るという。この裏庭からだと見えないが、彼は耳で領事館のデイムラー以外だと察したわけだ。


 補足しておくとデイムラーはイギリスの自動車メーカーで、車種の名でもある。後にジャガー傘下になったから、平成の世には存在しないメーカーだけど。

 デイムラーっていうのはドイツのダイムラーの英語読みで、ダイムラーが作ったエンジンを大英帝国内で製造販売したのが元なんだ。でも品質が良かったのかデイムラーは1900年に英王室の御料車に採用され、更に日本の皇室も大正天皇の即位に合わせて『デイムラー・ランドレー57.2HP』を御料車とした。

 つまり当時のデイムラーは日英双方でロイヤルカーのメーカーで、高官が使うのに相応しい車なんだ。もしかすると丸山さんが聴き分けできるのも領事館で接する機会が多いだけじゃなく、一種の憧れからかもしれない。

 おっと、それは置いといて……。


「では急ぎましょう!」


 ついに本格的な一歩を踏み出す。これから会う人達は、俺が面会したいとヘーグさんに頼んだ人達だ。そして俺の計画が上手く行くか、それは彼らとの会談次第だった。

 彼らを惹きつける材料は充分にある。だから絶対に説得してみせる。そして震災や戦争など悲惨な出来事を少しでも回避する。

 湧き上がる思いが背を押すのだろう、俺は自然と駆け足になっていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 集まってもらったのは三人。いずれも来年誕生するはずの大日本蹴球協会に深く関わる人達で、内二人はヘーグさんと同様に日本サッカー殿堂に掲額されている。


 まずは協会の初代会長となる今村(いまむら)次吉(じきち)さん。掲額のプロフィールだと1933年まで会長を務めたというから十二年も日本サッカーを率いたことになる。

 今村さんは官僚から実業家と歩んだが、嘉納治五郎が会長の大日本体育協会で理事を務めるなど明治末期から昭和初期のスポーツ界を作った一人でもある。そして官僚時代はロシア駐在財務官だったり事業家としても日露の貿易に関わったり、海外を詳しく知っている人だ。

 ちなみに大正九年時点で三十九歳だから、俺より二十歳近くも年上だな。


 次が十五年後に第二代会長となる深尾(ふかお)隆太郎(りゅうたろう)さん。

 深尾さんが大日本蹴球協会と関わるのは随分後だが、男爵家の嫡男で五年後には襲爵、その三年後には貴族院議員となるだけあって早く巻き込みたい。もっとも未来のことは俺の知識の通りに進めばで、襲爵はともかく議員は時期がずれるかも……できれば計画を成功させて早まる方向に持っていきたいが。

 この時点だと深尾さんは大阪商船の専務、やはり掲額の紹介で知ったんだが三年後には副社長になる。つまり華族ってだけじゃなく実業家としても有能だったんだろう。少なくとも蹴球協会では会長として『ベルリンの奇跡』の一団を率いたわけだから、かなりの豪腕だと思う。

 歳は四十三歳、今村さんより更に上だ。おそらく会長就任は、緊迫する情勢下で協会を(まと)める人物を、という感じだろう。


 そして最後は日本人ではない。英国駐日大使のチャールズ・エリオットさんだ。

 ヘーグさんが自国の大使も加えてほしいと言ったのもあるが、俺としては日英の関係強化をしたいから願ったりである。それにエリオットさんも大日本蹴球協会設立時は、公爵で貴族院議長の徳川(とくがわ)家達(いえさと)と並んで名誉会長の一人として名を連ねている。

 だから関係者でもあるし、エリオットさんは日英同盟を維持すべきと主張していたそうだ。しかも後に本国との関係が悪くなって退官するんだが、なんと日本に留まって仏教の研究をしたほどの親日家らしい。

 集まった中ではエリオットさんが最年長で、既に五十八歳だ。香港大学で学長を務めたって聞いたせいか、なんとなくゼミの教授を思い出す。


 これにヘーグさんと俺を加えた五人が、領事館の一室に集まった。ちなみに領事は東京の大使館でお仕事だそうだ。ヘーグさんは俺の願いを聞き入れ、指名した人だけの密談としてくれたんだ。


「……貴方が未来人かどうか分かりません。ですが、恐るべき技術を享受する場所から来たことは認めましょう」


 大使のエリオットさんは、俺の話を聞き終えると抑えたような声で口火を切った。

 俺はヘーグさんに伝えた話をもう一度繰り返し、スマホと腕時計も軽くだが披露した。前者はともかく後者は形ある物だから、その点はエリオットさんも事実として受け取るしかない。

 このあたり、エリオットさんが学者だったのも幸いしたのかもな。


「ごもっとも。その小さな板が写真機であり蓄音機である……実際に目にしなければ笑い飛ばすしかありませんが」


 深尾さんは実業家らしくスマホに興味を惹かれたようだ。

 今回は奮発して、カメラ機能と録音機能も見せた。ここで彼らを説得できないと、俺の計画が大きく狂うからな。

 大震災まで三年あるが、悠長なことは言っていられない。それに国際情勢は大袈裟に言えば一触即発という段階まで来ている。


「しかし中浦(なかうら)殿。その板が未来人の証明だとして、貴殿が教えてくれることは本当に日本の為になるのですかな?

貴殿が(ほの)めかす大災害が事実なら、回避できるのは大変ありがたい。それに私もロシア担当だった身、向こうが一筋ならぬ相手だと理解している。とはいえ大陸政策は、そう簡単に動かせないでしょう」


 今村さんは元ロシア駐在官らしく国外への動きが気になるようだ。

 実は第一次世界大戦こそ終わったが、シベリア出兵は続いている。大戦中にロシア革命がありソビエト政権となったが混乱は収まっていないんだ。

 しかし、この時期になると各国は退()いていき、英仏は昨年1919年、アメリカも今年の1月に撤兵した。

 一方の日本だが、シベリアの至近ということもあり簡単には引き上げできず、撤兵まで更に二年ほどかかる。これがイギリスやアメリカの猜疑心を募らせる理由の一つになるわけだが、この時点でそこまで理解している人は少ないだろう。


「私も理解してはいます。実は、近く大事件があります……正確には現在進行中なのですが……」


 俺の表情から不吉なものを感じたようで、ヘーグさんを含む四人の顔は鋭さを増す。もしかすると、これから俺が語ろうとしていることを彼らは察したのかもしれない。

 そのためだろう、四人は俺の話を今まで以上に真剣に聞いてくれた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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