15 ジョーカー(1922)
ア式蹴球全国優勝競技会を皇太子殿下が台覧、イギリスのエドワード王太子も臨席。サッカーの普及を願う俺、中浦秀人にとって願ってもない一大イベントは成功裏に終わった。
二十一世紀の技や練習法を取り入れて日本サッカーは大きく技術向上し、王太子を始め各国の来賓からも手放しの賞賛をいただいた。それに皇太子殿下からも、お褒めの言葉を賜った。
しかし新たな難題が俺に降りかかる。それはエドワード王太子の『お忍びで平和記念東京博覧会を訪問したい』という願いだ。
何しろ王太子の東京滞在は明後日まで、しかも都合が付くのは明日の4月24日のみだという。とはいえ皇太子殿下も後押しされた件を、まさか断るわけにもいかない。
「何とかなったか……」
翌日の朝、俺は自動車の後席で安堵の溜め息を吐いていた。
隣席には婚約者の智子さん、前はセバスチャンと彼の部下。これから王太子を迎えに行くところだ。
近日中に行くつもりだったから下調べ済みだが、王太子の身を守りつつ楽しんでもらえるようにと巡る場所や経路を全面的に見直した。同時に閑院宮載仁親王から博覧会側に話を通してもらい、怪しまれない範囲で警備を厳しくするように要請した。
ただし一番忙しかったのは、セバスチャンこと隠密の瀬場須知雄だろう。警護担当の手配を始め、実務面の大半は彼および配下が担ったからだ。
「各方面に無理をさせませしたが、両殿下たっての願いですから」
ハンドルを握るセバスチャンは、疲れを感じさせない楽しげな声で応じる。
今はエドワード王太子を迎えに行く途中、セバスチャンは閑院宮家の『デイムラー タイプ45』を運転しているのだ。お忍びに使うには上等すぎるが、これには理由がある。
日本車は1904年の『山羽式蒸気自動車』、ガソリン車が1907年の『タクリー号』から始まる。ただし海外製の部品を使っており純国産車と呼べるのは1911年、量産化は1919年の『三菱A型』を待たねばならない。
この三菱A型は俺が知った時点で20台程度しか作られておらず、しかも生産終了と自動車事業撤退を検討していた。これを俺は先々絶対に儲かると翻意させ、しかも宮家が後押ししようと一台購入してくれた。
そんな愛着のある三菱A型だが残念ながらタイプ45と比べたら加速や静粛性で見劣りし、車体も二十一世紀の小型車と最高級車並みに違う。そこで今回は無難に、イギリス車かつ宮家で最も良い車としたわけだ。
「……しかしヘーグ殿には申し訳ないことになりました」
「そちらはお任せください」
セバスチャンが意地悪そうな声で呟くと、助手席の男が静かに応じた。彼はセバスチャンの部下で、変装術の達人だという。
イギリス大使付き補佐官のウィリアム・ヘーグさん、俺の恩人で現在は日英のパイプ役を務めている人物がエドワード王太子の代役を務める。セバスチャンの部下が変装させ、見た目もそっくりになって不在を誤魔化すのだ。
ただし今日の王太子は、英国大使館で大半を過ごす予定だ。日英同盟が日英米仏の四国同盟となって発展的継続をしたから、出港前の計画より東京滞在を延ばして今後の相談に当てたそうだ。
したがってヘーグさんが王太子を演じるのは往復のみだが、王太子用に日本が用意した車は『ロールスロイス シルヴァーゴースト』のオープンツアラーで屋根など存在しない。つまりヘーグさんは王太子らしく手を振ることになるだろう。
「痩せなければ代役に選ばれなかっただろうに」
「まあ……」
俺の軽口に、智子さんが微笑みを漏らす。
ヘーグさんはワシントン会議から戻る船で少々太ったが、日本で奥さんと再会したとき怒られてダイエットした。そのためスマートになったが、お陰で王太子の代わりに選ばれてしまったのだ。
「内緒ですよ……しかし随分と道が広くなりましたね」
「は、はい……これなら来年の9月に間に合うと思います」
露骨に話を逸らした俺に、智子さんは笑いつつも付き合ってくれる。
去年の頭から東京や横浜の本格的な都市改造が始まった。道路の拡幅、火除地の確保、消火用ポンプの設置などだ。
拡幅や空き地確保は立ち退きを伴うから反対も大きかったが、東京では市長の後藤新平が精力的に取り組んだ。本来の歴史でも彼は関東大震災後に大規模な区画整理や道路拡張を進めようとしたから、元々都市計画への理解があったのだろう。
その例に横浜も倣い、こちらも急ピッチで工事を進めている。
来年、1923年9月1日の震災で最も酷かったのは火災による被害だ。折からの強風で飛び火が多く、十万を超える死者行方不明者のうち九万以上が火災によるものだ。
俺達は当日ガスを止めるが、それでも出火はあるだろう。そのため後藤市長が震災後に計画したような大都市らしく拡幅した道路へと作り変えている。
対象の場所では大規模なセットバック……敷地を削っての後退が発生するが、土地収用法を適用した。このとき反対の声を抑えるべく補償金に加え家屋税を一定期間免除したから、どうにか予定通りに進んでいるという。
ただし今通っているのは青山通り、しかも赤坂見附あたりだ。
閑院宮邸の向かいは北白川宮邸……少し後に李氏朝鮮末裔の李王家邸となる屋敷、車が向かっている西には赤坂離宮の塀も見える。大半が公用か類する扱いで民家が極めて少ないから、早々に工事が終わった。
俺達が目にしているのは幅50メートルもの大通り、二十一世紀の東京だと国会議事堂の前など極めて一部にしかないだろう。ただしパリのシャンゼリゼ通りは幅70メートルもあるし、日本の道路が首都としては狭すぎるのだ。
まだ自動車は少ないし、今は片側三車線で残りの半分近くを歩道にしている。車道のうち一本は路面電車を通すためにレールを引いており、少し遠くには渋谷方面に向かう電車が見えた。
ちなみに本来は1960年代初頭まで通りに公称を与える制度はなかったが、防災上の観点から名前を付けて標識も立てた。この多くは俺が示した未来の名称だから、個人的には非常に分かりやすい。
「もう離宮か」
「500メートルかそこらですもの」
俺と智子さんが笑みを交わした直後、セバスチャンはハンドルを右に切る。
赤坂離宮の本館、つまり後の迎賓館にエドワード王太子は逗留している。ちなみに常用の迎賓館となるのは第二次世界大戦後で、現在は全てが離宮だ。
大正天皇が即位する前は東宮御所とされたが、今の皇太子裕仁親王は芝区……後の港区の高輪御殿を使っている。なお殿下は結婚後に赤坂離宮に移るから、1924年からは再び東宮御所になるはずだ。
◆ ◆ ◆ ◆
エドワード王太子の供で主な者は日本側が俺、智子さん、セバスチャンだ。そして英国側がマウントバッテン卿である。
もちろん多くの隠密が変装して随伴するが、こちらは一般客を装うから入れ替わり立ち替わりだ。したがって常時側にいるのは僅か四人だけである。
これは王太子が自然な散策を希望したからだ。
「気にしすぎだ。ニッコウでは土産物屋を覗きながら歩いたじゃないか」
博覧会会場の上野公園に向かう車中、後席中央でエドワード王太子は肩を竦める。
四日前に王太子達は日光に行き、東照宮などを巡った。そのときは散策を楽しむだけではなく、沢山の品を買い求めたという。
この日光での体験が、お忍びを望んだ理由らしい。
王太子は東京到着以来、どこに行っても大勢の人に囲まれた。それに皇室主催の園遊会を始め公式行事ばかり、町の者と触れ合う機会はない。
東京駅には無数の群集が詰め掛けて迎え、そこから先も道の両脇は日英の旗を振る歓迎団で埋まった。熱烈大歓迎だが小旗を振り万歳を叫ぶ人など見飽きただろう。
「ですが殿下……」
大柄な体に似合わぬ情けない声と共に、マウントバッテン卿が振り向く。彼は助手席に座っているのだ。
マウントバッテン卿は二十一歳と若く、自由奔放なエドワード王太子を扱いかねているらしい。
元ドイツ貴族という家系だが今は父が英国侯爵、母方の曾祖母はヴィクトリア女王だから王太子と又従兄弟でもある。しかし王太子は六歳も上、上手くあしらわれてしまうようだ。
親友と言ってよい関係で、ハワイ訪問では一緒にサーフィンを楽しんだという逸話もある。おそらく今も、我がままに困りつつも望むようにしてやりたいと思っているのだろう。
「変装したから大丈夫さ。それにお前はルイスじゃなくてディッキー、俺はデイヴだろ?」
エドワード王太子は付け髭を引っ張ってみせる。
鬚は鼻の下と顎の大半を覆っており、口元は下唇と周囲が覗く程度だ。それに黒髪と日焼けした肌に変えたから、第一印象は大きく違う。
これはマウントバッテン卿も同じで、服も俺達が用意した普通のスーツに着替えてもらった。どちらも肉襦袢で太めになったから、気付くとしたら声や言葉くらいだろう。
そこで王太子はコックニー訛り、ロンドンの労働者風の言葉に変えていた。
「ヘーグを身代わりにしたから『王子と乞食』だな」
王太子は1881年にマーク・トウェインが発表した児童文学作品を持ち出した。
ちなみに既に邦訳版があり、1899年に『乞食王子』の題で出版された。それくらい有名な作品だから、題材となったイギリスの王子なら当然知っているわけだ。
「あの王子もエドワード、後の六世ですね。将来の八世陛下は東京で庶民に混じりますか」
上機嫌な王太子に、俺も軽い口調で応じてみる。これから二人は庶民に化けるのだから、相応の言葉遣いに慣れた方が良いと思ったのだ。
「秀人様……」
「いや、問題ない! やはり君は面白い男だ!」
これは砕けすぎと思ったのか、智子さんが心配げな顔を俺に向けた。しかしエドワード王太子は破顔一笑し、俺の肩を叩く。後席は左から智子さん、王太子、俺という並びなのだ。
どうもエドワード王太子は、俺の身分に構わないところが気に入ったらしい。
もちろん俺は身分制度に合わせている。しかし自由と平等を謳う二十一世紀から来ただけに、表面を繕っても鋭い人は違和感を覚えるのかもしれない。
面識のない人にバレるとは思わないが、正体を知っている相手がジックリ観察すれば見抜ける程度のようだ。おそらく王太子が相撲観覧の際に俺をまじまじと見つめたのも、横綱が幼いころ体重超過で軍を諦めたとか人足上がりとか平気で口にしたからだろう。
エドワード王太子は、後に王位を捨てて愛する女性を選ぶくらいだ。それに大学時代に学内でバンジョーを掻き鳴らし『赤旗の歌』を歌ったというから、若いころから王となる運命に反発していたのかもしれない。
「……デイヴは勝手気ままだから。それとも女好きの猪野郎かな?」
マウントバッテン卿も下町言葉に切り替える。二人は船員上がりで横浜の英国系企業に務める労働者という設定だから、到着までに慣れておこうと思ったのだろう。
それはともかく、確かにエドワード王太子は多くの女性と浮名を流した。智子さんも知っているから少々顔を赤くし、更に僅かだが窓側に寄る。
「俺は女好きだが、子供に手を出すほど落ちぶれちゃいないぜ?」
「失礼しました!」
おどけた調子だから、王太子は機嫌を悪くしていないだろう。しかし智子さんは、次期国王相手に無礼千万と感じたようで深く頭を下げた。
智子さんは満年齢で十六歳、王太子は十一歳も年上だ。それに彼の好みは大人の女性で、退位後に結婚するウォリス・シンプソンも落ち着いた包容力に魅力を感じたからのようだ。
これはエドワード王太子が上流階級の例に漏れず、乳母によって育てられたのが原因らしい。幼少期、父は王太子として忙しく母も子供の相手をする暇はない。それに乳母の一人には泣くほどつねるなど、虐待する者までいたという。
十三歳で入学した海軍兵学校は当然ながら寮生活、更にいじめもあったらしい。これらの経験が家庭的なものへの憧れに繋がったのだろうか。
そして抱き続けた反抗心がウォリスへの熱愛を後押しし、王位を捨ててもと思わせた。
そもそもイングランド国教会が結婚歴のあるウォリスを認めないと分かっていたはずだ。つまり敢えて即位してから彼女との結婚を選んだ……教会と王室を激怒させて絶縁するため、という見方も出来る。
実際に退位後のエドワードは三年近くも国に戻れなかった。出奔の三ヶ月後にはウィンザー公とされたが名目のみ、帰還も度々逗留したドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まったからだ。しかも彼はイギリス本土に留まらず、第二次世界大戦後もパリで長く過ごしブローニュで没した。
◆ ◆ ◆ ◆
「どうした? 予言者様は瞑想の時間かい?」
「いえ……」
まさか『貴方の未来を憂えていました』とは言えない。そこで俺は王太子の問いに答えず、曖昧な笑みを返す。
エドワード王太子の将来は、今後の日本外交に大きく差し障るかもしれない。即位から退位までの英国政治の混乱、そして続くドイツへの度重なる訪問だ。
特に後者は深刻だ。アドルフ・ヒトラーが第二次世界大戦の直前にイギリス前国王を幾度も招いた背景には、仮想敵国の情報を盗む意図があったからだろう。
ヒトラーはウィンザー公エドワードとウォリスを大歓迎し、エドワードも親ドイツに傾いた。そもそも彼の先祖はドイツ系、ヴィクトリア女王までのハノーヴァー朝はドイツ北部の領邦君主から招いた王家だ。それにハノーヴァー朝の君主は全てドイツから妃や王配を迎えている。
加えて親友のマウントバッテン卿も元ドイツ貴族、五年前に父がドイツ貴族の称号を捨てるまではバッテンベルクという姓だった。もちろん彼らは後ろ指を差されまいとドイツと決別したわけだが、友人に父祖の地を語るくらいはしただろう。
それらもあってか、ウィンザー公エドワードは様々にドイツのために働いたようだ。
エドワードを英国王に返り咲かせ、親ドイツ国家に作り変えた上でウォリスを王妃にする。そのような密約をドイツと結んだという疑惑すらある。
これは1940年6月に英国のスパイが掴んだが、当然エドワードは否定した。しかしドイツ側の証言によれば、少なくとも彼と密かに接触していたのは事実らしい。
「日本流のアルカイック・スマイルか? 君達が本心を隠すための……そう、ノウメンというヤツだ! イヨ~、ホッ、ホッ! イヨ~!」
俺の思考を遮ったのは、エドワード王太子の声と続く音だった。
王太子は左手を右肩上に掲げると、右手で叩きながら掛け声を発する。彼は和楽器の小鼓を打つ仕草を真似ているのだ。
エドワード王太子は三日前、三井邸に招かれて能を鑑賞した。そのとき彼は見よう見真似で鼓を打ったり演目の追加をねだったりと、かなり能に興味を抱いたらしい。
このように明るい性格で、しかも日本文化に好意を示してくれる人物なのだ。アボリジニを最も醜悪な姿の人種と放言したように人種差別的な一面もあるが、少なくとも日本との関係は極めて良い。
俺としては親日派英国王族としてイギリスで働き続けてほしいが、今後の仮想敵国たるドイツに行くようでは切り捨てるしかない。
日本は四国同盟で英米仏と組んだから、このまま進めば連合国側だ。そしてドイツはイタリアなどと枢軸国陣営を形成するだろう。
第一次世界大戦で負けたドイツは、失ったものを取り返すべく再び戦いを挑むに違いない。つまり今後は対ドイツが大きな課題となる。
元の歴史通りなら第二次世界大戦は十七年後だが、日本が連合国側に回ったことで戦力のバランスが大きく変わった。早期に力を削げば戦いを回避できるかもしれないし、せめて小規模化くらいは実現したい。
そういった意味では将来のスパイかもしれない人物など速やかに対処すべきだが、どのように伝えれば英王室は受け入れるだろうか。九年後に出会う女性が王太子を破滅に導くと言われたら、回避すべく再教育に励むくらいだろう。
しかし、それでは不安要素を取り除けない。
稀なる魅力と、危うい自由奔放。二十一世紀で見た代々の英国王を絵柄に使ったトランプカードでは、エドワード八世をジョーカーとしている。確かに彼は切り札にもなるし、避けるべき災厄にもなるだろう。
排除するなら早めに廃嫡して僻地に送るくらいは当然、暗殺すら選択肢に上がるかもしれない。したがって現在のところ、俺はエドワード王太子に訪れる運命を誰にも語っていない。
「面白くなかったかな? ……そういえば君は、私の未来について助言してくれないね? 何か言えないような運命でも待っているのかな?」
何かを感じたのか、エドワード王太子は本来の口調に戻った。それに表情も僅かに鋭くなる。
車内は異様な冷たさに包まれた。智子さんは案じ顔となり、マウントバッテン卿も緊張を顕わにして振り返る。運転するセバスチャンすら、聞き耳を立てているような気がする。
「殿下は長生きなさいますし、ご健康なまま過ごされますので……」
本来の歴史だと王太子は七十七歳まで生きる。そこで俺は伝えるべきことが無かったと誤魔化した。
既に歴史は大きく変わっているし、こうやって俺達と車に乗るなど変化が生じており同じだけ生きるか分からない。元の歴史だと長生きしたから普通に過ごせば同程度というだけだ。
極端な話、上野公園に着くまでに交通事故で死ぬ可能性だってある。もちろんセバスチャンの運転は確かだし、周囲はさり気なく隠密達の車が固めているから大丈夫だと思うが。
「そうか……なら今訊くのはやめておこう。代わりに東京のことでも……そうだ街の者達は、どうやって博覧会に行くのかな? この立派な道には電車を通しているから、それに乗っていくのだろうか? それに地方から来た者達は?」
王太子は深い笑みを浮かべる。どうも再び問うつもりらしいが、この場では見逃してくれるようだ。
転じた話題も、都市再設計に関わっている俺にとって答えやすいものだ。そのためだろう、王太子の向こうでは智子さんも表情を緩めていた。
マウントバッテン卿は振り返ったままだが、これは俺の話への興味からだろう。彼の顔からは先ほどまでの険が失せている。
「東京市内でしたら大半は路面電車を使うでしょう。鉄道とは違い、かなりの場所に通っていますから」
俺は路面電車の状況から説明していく。
このころの路面電車は東京市を殆ど網羅していた。ただし現時点での東京市は山手線より少し内側と東は後の錦糸町駅と亀戸駅の間までだから、1947年以降の東京都二十三区に比べると随分狭い。
ちなみに王太子が触れたように今通っている道、外堀通りにも路面電車が走っている。俺達と同じ時計回りの電車は人で一杯だから、たぶん平和記念東京博覧会を見物しにいく客だろう。
「地方だと、北からは東北本線で上野ですね……」
俺は簡易版の地図を広げてみせる。カーナビなど無い時代だから車に地図は付き物なのだ。セバスチャンに道案内は不要だが、念のため手元に置いていて助かった。
「西と南からは万世橋駅で降りて路面電車に乗り換えるのが良いでしょう」
まだ山手線は環状線ではなく神田と上野の間が未開通だ。
ここが繋がるのは本来の歴史だと三年後、今回の都市改良で早まるかもしれないが現状は用地確保しか終わっていない。関東大震災の後まで火除地として更地にしておくためだ。
そんなわけで東海道本線や中央本線だと路面電車に乗り換えることになる。
万世橋駅は神田駅と御茶ノ水駅の中間にあり、元の歴史だと1943年までは営業されていた。ここから東京市電に乗り換えれば上野公園に行けるが、大正時代の人達なら歩くかもしれない。
二十一世紀と違って健脚な人が多いから、1500メートル程度など徒歩を選びそうな気がする。それに路面電車を待つ行列に並ぶなら、という人も多いだろう。
「東は両国駅までですから、そこから路面電車です」
総武本線からだと3キロメートル以上あるから、こちらは路面電車を使うだろう。
他の三つは遠方が多いから電車賃だけで相当なものだ。たとえば東京から大阪だと三等急行でも往復14円以上、大学初任給が40円程度の時代だから給与換算だと二十一世紀の7万円を超える。それに家計の支出換算は一万八千倍、つまり二十一世紀の25万円以上かもしれない。
それに対し総武本線は距離が大幅に短いから財布に余裕があり、ついでに路面電車にも乗ろうという人が多いと思う。
なお、こちらも先々東京駅などと接続させるための用地は確保している。
俺が知っている歴史通りなら東京駅から錦糸町駅までは地下だが、防火目的で地上に空き地を設けたのだ。そのため総武線の東京駅乗り入れは、大幅に早くなるだろう。
「ありがとう。やはり君は人々を救うために来たのだね。より良い街にしようと語る君の顔は、とても輝いていたよ」
優しい笑みを浮かべる王太子に、俺は返す言葉がなかった。
王太子をどうすべきか迷っている。ウォリスとの出会いは九年も先。理屈はあるが、結局のところ日本が最優先で彼は二の次なのだ。
そのため純粋な賞賛だろう言葉と視線を、俺は重石のように感じていた。
「私も出会いたいものだ……。私の情熱を受け止めてくれる、母のように大きな愛を持つ、私だけの救い手に……」
エドワード王太子は窓の外に顔を向ける。もしかすると彼の瞳には、まだ見ぬ最愛の人が映っているのだろうか。
もちろん口には出せないから、俺は黙り続ける。それに智子さんやマウントバッテン卿も掛ける言葉がないらしく、面を曇らせるのみだ。
「……上野で出会えるかもしれませんよ」
「おお、その通りだ! セバスチャン君だったね、急いでくれたまえ!」
俺の苦し紛れの一言に、王太子は乗ってくれた。気恥ずかしさを覚えたのか、彼は僅かに頬を染めながらセバスチャンを急かす。
「イエス、ユア・ロイヤル・ハイネス!」
セバスチャンは少々おどけた口調で答えると、アクセルを踏み込む。
とはいえ大正時代に自動信号機はなく、警察官が挙手や信号標板で合図しており無茶なことをすると止められてしまう。そのため加速は緩やかで、優しい風が吹き込んでくるのみだ。
爽やかな風の中、俺達は博覧会の見所や巡る場所を語り合う。そして春風が憂いを吹き飛ばしてくれたのか、エドワード王太子も子供のように瞳を輝かせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。




