第6話 Anotherソルト 塩見 凛(シオミ リン)と宇土精肉店 前編
リンがあわてる間にも、地面はどんどん迫ってくる。あわてて手足を大きく動かすも、落下する勢いは変わらない。
裏路地に向けて落下するリンが、道路に触れるまで後すこし。
「ぶッ!?」
というところで、リンの身体をナニかが包んだ。突然リンの視界は白一色に染まる。
視界が白に染まると同時に、身体中にナニかがまとわりつく感触を覚えた。身体全体を覆うように巻きつかれ、リンは身動きができなくなる。
(なに!? なにナニなに!?)
「……なにかと思えば」
混乱するリンの近くで誰かがつぶやいた。近くに誰かいるのか。
声が聞こえてからさして間を置かず、リンに巻きついているナニかに変化が生じた。
「うぐぇっ」
巻きついていたナニかがリンを捕らえたまま動き出したのだ。落ち着かない浮遊感に加えて、縦回転も加わってきた。もうどちらが天でどちらが地なのか。リンには判別がつかない。
「えっうえkっrrtyぷ。ま、待って酔う、酔いますこれ!」
されるがままグルグル回転していたリンの声を聞き届けてくれたのか。リンの靴底に固いナニかが当たると同時に、謎の縦回転はピタリと止んだ。
「おうわ! って……地面?」
おそるおそる踏み直すと、しっかりとした反動がある。この感触には覚えがある。今自分が踏みしめているのは、もしや地面ではなかろうか。
足元に起きた変化とほぼ同時に、白一色に染まっていた視界にも変化があった。
「いやー空から女の子が降ってくるとは。今日は面白い日だ」
誰かの声を受けながら、身体中を覆っていたナニかがリンの身体から離れていく。
「わっ」
離れていく最中になってやっと気付けた。自分は白く大きな布に巻きつかれていたようだ。
「……あなたは……」
リンの身体から離れていく大布は、1人の男性の手目がけて移動していく。
どういうことか、男性が右手に灯した光も、宙をひとりでに動き回る大布も。どちらも同じ、砂糖のように真っ白な光を放っている。
宙に浮かび男性の右手目がけて移動する大布と、目の前に立つ男性の後ろ姿を見比べて。リンは考えついた答えを出した。
「えーと、その布を操って、私を助けてくれたんです、か?」
「おや、カケルから聞いていないのか」
「え? カケルって、佐藤翔先生のことですか!? なにをですか?」
「んー申し訳ないが用事まで時間が無くてね。また後日、改めてということで」
男性はリンに背を向けたまま歩きだしてしまった。1度もリンと顔を合わせようしない。去り行く背中は『もう用は済んだ』と言わんばかりだ。
リンを助けた大布は宙を移動し男性の右手にたどり着くや、ひときわ大きな白色光を発した。その後、一瞬のうちに消えてなくなってしまった。
「えっあっ、ちょーっ!?」
リンはあわてて走り出そうとするが、先ほどまで白い大布にシェイクされていたからか、視界が回りうまく走れない。どうにも足元がふらついてしまう。
男性の砂糖のように真っ白な後ろ髪に、リンは見覚えがあった。
面識のある誰かなのは間違いないが、誰なのか思い出せない。
「すみませーん! あの大きな白い布は、アナタの固有魔法と見て間違いないでしょうかーー!? 一体どんな能力か、私知りたいです!」
リンはふらつきながらも走り始め、去り行く男性に大声で話しかけた。1度でいいから男性に振り向いて欲しかったからだ。
しかし男性からの返答はない。迷いのない足取りで、人混みの中をスイスイかき分け進んでいく。
つい先ほどまで逃げる側だったリンが、今は追いかける側になっている。自分を助けてくれた誰かは、1度もこちらを振り向いてくれない。
リンは男性を追い、路地裏の人混みを突っ切った。人に何度もぶつかりながら、去り行く男性の背中を追う。
裏路地から商店街へ場所が移った頃――急に男性が進路を左へ変えた。
「ぬっ逃しません……よっ!」
道路の左脇に止まったトラックの向こう側で、男性が左に曲がったのをリンは見逃さなかった。
リンは男性を追ってトラックの脇を通り、トラックに沿って左折する。
「ちょっと、ちょっとだけでいいんです。せめてお礼だけで……もっフ!?」
突然の衝撃を受け、リンは道路へ倒れ込んでしまった。あわてて起き上がり、ぶつかってしまった相手を見る。
「うぶえっ……ごっごめんなさい大丈夫ですか?」
「いたたた……っ!」
リンとぶつかった人は、色々とモコモコした少女だった。リンは謝罪し、ぶつかった少女と目線を合わそうとする。
すると少女はあわてて飛び起きるや、自らの背後に立っていた男性の背後に隠れてしまった。
「……すまない。東海は初対面の相手にはいつもこうなるんだ。悪気はない、らしい」
東海、と呼ばれた少女に変わって。リンの目の前まで歩いてきた男性が答えてくれた。
男性は横にも縦にも大きい。小柄なリンと比べて頭1つ分以上は背が高いところを見るに、180以上は間違いなくあるだろう。
「あっいえ、こちらこそぶつかっちゃってごめんなさい。えーと、アナタは?」
「……そうか。すまない、気がきかなかった。オレの名前は宇土だ。すぐそこの――肉屋の店長をやっている」
宇土、と名乗った大柄な男性は、筋肉のついた太い腕を動かし、ある方向を指差す。釣られてリンが宇土の指差す方向を見ると、たしかにそこには肉屋があった。
「あのお店の? あのお店の……あー! 宇土精肉店!」
「わっ」
リンが思わず大声を出すと、宇土の背後からかわいい声が漏れた。気になり視点を宇土へ戻し、注視してみる。
すると宇土の背後から東海が、ちょこんと顔を半分だけ出してリンを見つめていた。
「と、東海って言います。ケガしてないし、大丈夫です。こっちこそ大げさにころんでごめんなさぃ……」
言い終わる前に顔を宇土の背後に引っ込めたせいで、声が尻すぼみになってしまった。ずいぶんと恥ずかしがり屋なようだ。東海のふくらんだピンク色の髪が、東海の頭の動きからすこしだけ遅れて、宇土の背後に隠れていく。
「いえ、こちらこそ」
「あっ」
「前方も確認せず」
「うっ」
「申し訳……せめて顔を……見せてもらえたら!」
「ううっ」
リンは宇土の身体を回り込み、背後にいる東海と対面しようとした。
しかしリンが宇土の背後回り込むと、すかさず東海は宇土の前面へ移動する。
リンが宇土の前面へ。すると東海は宇土の背後へ。
「せめて! 面と向かって! 謝罪をですね!」
「えぅっ!? 結構ですぅ……」
大柄で筋肉もある宇土の身体が間にあると、小柄なリンでは東海の姿が完全に見えなくなってしまう。
宇土はと言えば大木のように直立不動。すこしも動じず2人の奇行を見守っている。
リンと東海が、宇土を中心に奇妙な追いかけっこをしていると
「――お前らあんま店の前で遊ぶなよ」
と誰かに注意されてしまった。
「んむ?」
リンは声の出どころを探し、目線を動かす。どうやら精肉店の店頭に停車している車の運転席から聞こえてきたようだ。
「お客さんに怪しまれてんぞ?」
運転席から1人の男性が顔を出し、リン・東海・宇土が居る方へ向いた。そして小言を追加してくる。
言われてみればここは宇土精肉店のすぐ側だ。自分は業務を妨げてしまったのだろうか。
「ああそれは……って言うかあの男性! あの男性ですよ!」
リンは突然大声を出し、その場で小さくジャンプした。続いて飛び跳ねるようにトラックへ近付き、運転席に座る誰かに向かって話しかけた。
「ちょっと聞きたいことがありまして……あの、すみませんがお名前は?」
「おれか? おれは笹目。見ての通りこの店のトラック運転兼資材調達係ってとこだ」
「なるほど笹目さん。では笹目さん。まずはうるさくしてごめんなさい」
リンは深く腰を折り、思いきりよく頭を下げた。すると背中に背負ったゴマシオが、やかましい音を立てる。
「お、おう。見た目に反して礼儀正しいんだな」
笹目が相当失礼なことを言ってきたが、リンはまったく気にしない。
リンは多少のことなら気にしない。小柄でかわいい見た目に反して、かなり図太い神経の持ち主である。
「ありがとうございます『迷う前に行動』がモットーですので!」
「いや、聞いてねえけど……それで、何が聞きたいんだ? おれの名前が知りたかったわけじゃなさそうだけど?」
「あ、それはですね……」