第5話 Anotherソルト 塩見 凛(シオミ リン)と魔法の粉
古庄が不思議な部屋から姿を消した時よりも。
カケルとヤスが通報を受け、行動を開始した時よりも。
時はいくらか巻き戻る。
――◇――◇――◇――◇――◇――
繁華街の中心にある中央公園で、怪しげな団体が騒音を上げていた。足を止めて話を聞く人はいるものの、数はそう多くない。
行き交う人たちのほとんどは『いつもの事だ』と聞き流し、各々《おのおの》街を歩き流れていく。
「…………魔法を発現していない子どもたちだって、可能性を秘めているのです!」
「いつ開花するか分からないだけの可能性を秘めた児童。そう、可能性児なのです……」
「……魔法発現児だけでなく、可能性児にも同等の待遇を…………」
公園を囲む、舗装されたフリースペースの一角にて、1人の少女が困っていた。
身長は150前後だろうか。お世辞にも背が高いとは言えない。
細身で小柄な体格には不釣り合いなほど大きい荷物を、少女は軽々と背負っていた。
「……うむむむむ」
少女の名前は塩見凛。解決屋佐藤翔の助手をしている。
リンは茶色がかった長い後ろ髪を雑に束ね、肩から前に流している。おそらく背負っているリュックに髪を巻きこまないためだろう。
「……あれぇ?」
背負ったリュックいっぱいに詰め込まれている、大きな四角い箱状のナニか。リンが首をひねり体重を左右に傾けるたび、背中の大荷物も音を立てて揺れ動く。
「余震反応があったのは……」
リンのいる遮へい物のないフリースペースは多くの人が行き交い、時折車も通り過ぎていく。
そんな場所でリンは何もない空間を見つめ、何度も首をひねっていた。
リンは手に持ったナニかと、目の前の何もない空間との交互に見つめる。眉を寄せ、現状を理解しきれていない様子だ。
「ここで間違いないはずなんだけどなぁ……」
リンが手に持つナニかは、リュックに背負っている四角い箱と黒い導線で繋がれている。
背負った大きな四角い箱と、手に持てる大きさの四角い箱。合わせて一式の機器らしい。
「うーん? 『ゴマシオ』の故障なのかな?」
この持ち運びに苦労しそうな機器の名はゴマシオ。リンが仲間である胡麻と共に開発した、時空震動検知器だ。
転移魔法はその性質上、使用された空間に一定期間歪みが生じる。この歪みが時間をかけて元に戻っていく際、転移魔法が使用された空間には『余震』が発生する。
「……やっぱりゴマシオの余震検知機能に問題はなし。ってことはこの場所で転移魔法が使われたのはほぼ間違いない……ハズなんだけどなぁ~~」
転移魔法発動後、使用された空間に生じる余震。この余震を検知できるゴマシオを使って、リンは転移魔法が発動した場所を探していた……のだが。
転移魔法が発動した場所を特定したはずなのだが、特定した場所にはなにもなかった。
「考えられるのは……誰かが転移魔法を使ったってだけで、例の転移部屋とは関係ない、かな?」
リンは今、街で噂の『入った人を強制的に転移させる部屋』について独断で調べている。
以前調査しようした時はカケルに猛反対され、しぶしぶ諦めた。
だがそんなカケルは現在突発性魔法発現者を捕まえている真っ最中。今ならカケルに怒られることもない。
「先生は『あの噂には関わるな』って言ってたけど、大事件になる前に調査して解決させることだって、解決屋の仕事のうちだよねっ! ……ってああっ」
リンはグッと拳を握り、危うく手に持ったゴマシオを落としそうになる。なんとも頼りない。
「危ない危ない……ん?」
風の流れが変わったのか。リンの耳に学生たちの話し声が届いた。
リンはすかさず近くにあった生け垣に近寄った。生け垣の向こう側にあるベンチへ並んで座っている、男子学生たちの会話を盗み聞きするためだ。
(今魔法がなんとかって聞こえたような……?)
自分では静かに歩いているつもりなのだろうが、リンが履いている靴は意にそってくれない。
何やら機械が取り付けられた男物のブーツは、リンが足を動かす度がしゃん、がしゃんと騒音と立てる。結果近くにいた人たちから注目を集めるも、リンはまったく気にしない。
生け垣に近付いたリンは男子学生たちを視界に収め、息を潜め聞き耳を立てた。
「……お前何にした? 俺塩」
「俺は砂糖に七味合わせ」
「いや、あの店なら魔法の粉一択だろ……」
(うぅ、よく見えない……そうだ、先生がいないからって持ってきたアレを使えば……)
リンは自らの胸ポケットをまさぐり、あるモノを取り出す。
リンが取り出したあるモノ、それはカケルお手製のからくりメガネ――『ノンシュガー』だった。リンはすかさずノンシュガーを装着し、縁にある小さなボタンを押す。
すると丸いビンの底に酷似した、メガネのレンズがペカーッと光った。どうやらメガネに内蔵されているズーム機能を発動したようだ。
(んー……唐揚げ、かな? しかもあの袋って……たしか宇土精肉店のヤツだよね?)
男子学生たちが手に持っていたのは、見覚えのある紙袋に包まれた唐揚げだった。
あの袋は今いるこの場所からそう遠くない位置にある、宇土精肉店の紙袋に違いない。
リンは解決屋の事務所にも配られていた、地元広告紙の内容を思い返した。
(そういえば『今お肉屋さんが作る唐揚げが学生に大人気』って、タウンペーパーで紹介されてたっけ。塩だけじゃなく砂糖とかコショーとか一味、七味唐辛子とか味付けが選べるって噂の)
これなら男子学生たちの話にも合点がいく。
(なーんだ。魔法なんて聞こえたから気になったけど。魔法の粉ね。宇土精肉店一番人気はコレ! って紹介されてたヤツだ)
男子学生たちが話している魔法の粉とは、宇土精肉店自家製のオリジナル調味料のことだろう。現に男子学生の1人が持っている唐揚げにもふりかけられている。
「ま、そうそうお目当ての情報なんて手に入らないよね」
「――ちょっと君、いいかな」
リンが内心がっかりしていると、背後から話しかけられた。
人違いかと思い聞き流そうと思ったが、肩に手を置かれては無視できない。リンはおっくうそうに背後を向くと――警官が複数人立っていた。
「ええ!?」
「そこの奥様方から『公園の茂みに隠れながら男子学生を監視してる怪しいヤツがいる』って連絡があってね。ちょっと来てもらえるかな」
「あ、え、あ……」
驚くリンは警官が指差す方を見た。すると『非魔法発現児にも魔法発現児と同じ待遇を~』というスローガンを掲げている連中が、こっちを見ているではないか。
あの連中が公園を巡回している警官に連絡したのか。リンの身体中から汗が吹き出す。
(マズイです……これはマズイです……)
言われてみればそうだった。
魔法発現者が珍しくないこの街においても、リンの行動は奇妙に分類される。
さらに非魔法発現者の人たちから見てみれば、リンは立派な変人であった。
別に悪いことはしていない。警官に同行し、すこし事情を説明するだけで済むだろう。
(今捕まったら絶対先生に怒られます……!)
だがそうしてしまうと、自分の先生である佐藤翔に迷惑がかかってしまう。
カケルから大人しくしていろと言われた上で、自分は『人を強制的に転移させる部屋』について調べている。いわば独断専行だ。こんな状況でカケルの立場を悪くするようなことをすれば、カケルに怒られるのは目に見えている。
なんとしても怒られるのは避けたい。
「あ、あの。えっと……」
「一応通報があったからには、形だけでも……ね? 時間取らせないからさ」
あわあわしても一切事態は好転しない。リンは手に持ったゴマシオを背中のリュックに装着し、かけていたノンシュガーも胸ポケットへ収納する。
そして一度下を向いた後――叫んだ。
「あー! あんなところに、人を強制的に転移させる部屋が!」
リンは叫びながら、とある方向を指差した。
リンの伸ばす指に釣られ、警官たちは背後へ振り向く。しかし背後には何もない。
「……君、一体なにを……ってあっコラ待て!」
リンは逃走した。デタラメを述べながら何もない空間を指差し、警官たちの注意を自分以外に向けさせる。そして自分から警官たちの視線が外れた瞬間、リンは生け垣を飛び越え走り出したのだ。
「都合の悪い言葉は聞こえません!」
「いや聞こえてるだろ!」
警官たちも続々と生け垣を飛び越え、リンに向かって迫りくる。
不釣り合いなほど大きな荷物を背負い、やかましい音を立てながら逃げ行くリンと。
特に怪しいとは思っていないながらも、逃げるからには追わねばならぬ警官たち。
人で賑わう繁華街で発生した、不思議な追いかけっこ。降って湧いた異変に、行き交う人たちは注意を向けた。
「なんだなんだ?」
「誰か追いかけられてる?」
「いや警官から逃げてるヤツがいるっぽい?」
騒ぎに釣られた人たちがぞろぞろ集まってきた。
不思議なもので、野次馬になりたがる人たちは自然と横に並びたがる。
結果、意図せず人の壁が生まれてしまった。リンは進路を変えざるを得なくなる。
(どうしようどうしようどうしよう)
パニックになりかけながらも足は止めない。がしゃんがしゃんと音を立てながら、リンは進路を右へ変えた。公園周辺のフリースペースを避け、網の目のように広がる路地裏を目指す。
「待てー!」
「私、そう言われると余計逃げたくなります!」
警官たちを引き連れながら、リンは人波をくぐり抜けていく。裏路地を右に左に曲がり続け、警官たちをまこうとする。
だが上手くいかない。むしろ警官たちに距離を詰められている。
スタミナにはそれなりに自信があるが、さすがにゴマシオを背負ったままでは警官たちから逃げ切れない。このまま走り続けても、いずれは捕まってしまうだろう。
だからと言って試作品であるゴマシオを捨てて行く選択肢はない。ならばどうする。
(こうなったら――)
リンは覚悟を決めた。
スタミナ温存を止め、全速力で走り始める。おかげで人ごみに注意しつつ追ってきていた警官たちと、少しながら距離が空いた。
リンは路地をまっすぐ進んだ後急に進路を右へ、細い路地から見通しの良い大通りへと変える。ほんの数秒ではあるが、警官たちからの視線を完全に断つことに成功する。
「曲がったぞ! 右だ!」
「見えてる! ったくいい加減に……」
リンを追い、警官たちも道路を右に曲がった。
「……なん……だと……?」
一体何が起こったのか。たしかに警官たちは、リンを追いかけてこの大通りまで来た。大通りは見通しもよく、あんな大荷物を背負った少女を見落とす余地はない。
なのに、なぜか大通りのどこにもリンの姿が見当たらない。今まで自分たちが追っていた少女の影も形も、この大通りからなくなっていた。
「消えた、だと……?」
「まさか……転移魔法……?」
――◇――◇――◇――◇――◇――
「…………フハハハハ。これが私の逃走経路よ! フハハハハ…………」
リンは誰に聞かせるわけでもないのに、誰とも分からぬ声真似をした。ずいぶんとご機嫌だ。
彼女は今、空にいた。空中を自由落下しながら、変な声を上げている。
「我ながら完璧ですね! フハハハハ……」
リンが取った行動はこうだ。
まずは警官たちと距離を空け、数秒でいいから目視されないようにする。
そして視界から抜け出たならすかさず立ち止まり、機械仕掛けの靴――『ホップコーン』に手を伸ばしスイッチを入れた。
「いやーさすが先生お気に入りの靴! こんなに飛べるなんて」
ホップコーンは履いた者のジャンプ力を飛躍的に高めてくれる。咄嗟の事態故メモリをマックスにして利用した結果、路地にそびえる建物たちよりも高く飛び上がることができた。
何かの役に立つのではないかと、カケルの目を盗み履いてきたかいがあった。
「えへへ。まさか大通りに出た後、建物を飛び越えて裏路地に戻るとは思わないよね」
完全に警官たちをまき、リンは思わず笑みをこぼす。
ホップコーンの効果により、ゆるやかに落下していきながら。リンは束の間の空中遊泳を楽しんだ。裏路地を俯瞰し、これから着地する場所へ視線を巡らせる。
「……さて、後は降りるだけ……だけ……あれ?」
地頭は悪くないのだが、リンは興奮すると後先考えなくなる性格をしている。
そんな彼女は今になって、自らが置かれた状況に気付いた。
「……コレ、どうやって降りるんだろう……」
ホップコーンはあくまでカケルの所有物。ジャンプの仕方だって、カケルが使用しているのを横から見ていただけ。あくまでカケルの真似をしただけだった。
だからなのか。
リンはジャンプした後の着地方法を知らなかった。
「……先生ーー! コレどうやって着地するんですかぁーー!?」
勝手に盗んできたのはリンである。この場にいないカケルに、彼女の叫びが届くハズもない。
「あーっ! あーっ! あーーーーっ!?」
落下が始まってしまえば、リンにはもうどうすることもできない。
口から声にならない叫び声を上げながら。
リンは裏路地へと落下した。