捨て身神官の恋愛事情 2
翌朝、何十冊とテーブルに積まれたスケッチブックを見比べて俺は自室で真剣に頭を悩ませていた。
スケッチブックには様々な角度から描かれた天使。ええ、魔王討伐の旅の最中に描いたアンジェラたんですとも。
俺が天使の成長記録に穴を開けるわけがない。
さて、どれを色塗りしようかと仕事の時以上に頭を使っていると、鈴の音よりも澄んだ可愛いらしい声が俺の名を呼んだ。
「マリオン兄様」
「てんしっ…………じゃなかった、アンジェラ。おはようございます。もう大丈夫なのですか?」
いつもの癖が出た危ねぇとか思いながら、ここずっと自室に篭りきりだった彼女を見る。
あぁ、自分から部屋から出てきてくれたのは嬉しい。
この際いつから俺の部屋にいたのとかいう些細な疑問は置いておく。
このままあのヤリ◯ン野郎から負わされた傷が癒えてくれるといいんだけれど。
俺に彼女は笑顔で頷いて、トコトコと俺に近寄る。
そして、俺の机に積まれたスケッチブックの山から1冊手にとって中身を開いた。
「あ……」
思わず取り戻そうと浮かしかけた手は間に合わなくて、そのままの状態で固まる。無言でパラパラ捲られていくスケッチブックの中身を見て、アンジェラたんのアンバーの大きな目が心なしか半眼になった。
「わぁ……。マリオン兄様、これいつの間に描いてたの?」
「え、えーっと、おれ……じゃなかった私が描きたい時にですねっ」
やや上擦った声を出した俺に、天使はいつもの事ねと小さく呟き、溜め息をはいた。
そして、切り替えるようにパァッと顔を明るくして天使のような……いや、天使以上の神々しい微笑みを浮かべた。
「マリオン兄様、私決めたの!この聖女たる私を捨てやがったあの歩く下半身野郎に一矢報いてやるわ!マリオン兄様手伝って欲しいの!」
「アンジェラた……、アンジェラ。私も全力で協力しますよ。あの歩く下半身野郎に一矢報いてやりましょう。………………歩く下半身野郎?」
やべ。勇者に対する恨みのせいで、俺の耳がとうとうやられてしまったのかもしれない。
こめかみをグリグリ押していると、不意に俺の部屋の空気が揺らいだ。
彼女も気付いたようで、大きな瞳をパチクリとさせる。うん、めっちゃ可愛い。
じゃなくて。
「チェスター、カメーリア、神殿の結界をすり抜けて来ないで下さいと何度も申し上げているでしょう」
部屋の空気が揺らいで、何もない空間から線の細い男と幼女が出てくる。
呆れ交じりに言った俺に、線の細い男ーーチェスターは困ったように頬を掻きながらチラリと幼女を見た。
「カメーリアがどうしてもアンジェラちゃんに会いたいと言ったから……」
「チェスター目を覚ませ。その幼女は偽物だ。幼女の皮を被ったばばぁだ」
おっと、思わず素がでてしまったぜ。
パッと口に手を当てて、失礼、少し動揺したようですと何食わぬ顔でなかった事にしようとした。
「誰がばばぁだ。この猫被りの変態め!」
「ぶへっ」
後頭部を幼女に叩かれ、俺は思わず床に蹲る。
多分本気で叩いたに違いない。涙目になりながら俺は叫んだ。
「ちょ、俺の頭が悪くなったらどーしてくれんの?!」
「大丈夫。これ以上悪くはならないと思うよ」
「ちょっとチェスター表に出ろ?」
俺の肩に手を置いて穏やかに微笑んだチェスターに、俺も穏やかに微笑み返して親指で外を指した。
その間に似非幼女は天使に詰め寄る。
「かなり今更だが、話は聞いたぞ。一体どういう事だ?デズモンドが他国の王女に一目惚れしたとは」
「カメーリア……。その通りなの……。私より、あの女の人がいいって。……きっと私の魅力が足りなかったせいだわ」
アンジェラたんがそっと目元に浮かんだ涙を、白くて華奢な自身の指先で拭う。
勇者が他国の王女に一目惚れしたの、2週間前なんだけどな。本当今更傷をえぐりに来ないでほしい。
俺は耐えきれなくなって口を開いた。
「ちょ、似非ようじょもがががが」
「ちょっと、マリオンは黙っててね」
全く肉弾戦は得意じゃない上に聖魔法しか使いこなせない俺は、チェスターに呆気なく動きを封じられた。
くそ……、運動音痴じゃなければ……っ。
イケメンなのに強いってどういう事だよ。チェスターだけじゃなくて、勇者もだけど。
べ、別に俺がイケメンじゃなくて、運動出来なくて、モテないからって僻んでるわけじゃないんだからねっ。
野性味溢れるイケメンの第2王子に、有名な傭兵団団長の優男に、100年に1人しか現れない聖女に、人智を超えた力を持つ大魔女という称号を持つ似非幼女の中にいたら、俺の存在空気になるのは仕方ないと思うの……。
似非ようじょ……カメーリアは、天使の言葉に不思議そうに眉を顰めた。
「いや、デズモンドはお前に心底惚れていた筈だけどな。行く先々で女を作っていたどうしようもない奴だったが……、意外にも一途だった。なのに何故だ?」
そうなんだ。
女取っ替え引っ替えしていたあの下半身勇者ーーデズモンドは、意外にもアンジェラと付き合っている時はすごく一途で紳士的だった。
だからこそ俺は血の涙を流しながら、勇者との仲を認めたのだ。
アンジェラたんは分からない、と悲しそうに目を伏せる。
「ふむ……。マリオンとアンジェラの仲にまで嫉妬していたデズモンドがあっさりアンジェラを捨てるとは思えん。何か事情があるのかもしれんな……」
顎に手を当てて、そう推測を立てるカメーリア。
事情があろうと、なかろうと、俺の中でデズモンドをシメる事は決定済みだけどな。
「それはそうと、カメーリアはどうしてここへ?普段は山奥に引き篭もっているのに」
「そうですよ。引き篭もりの似非幼女が一体何の用でここへ?」
「マリオンは少し黙っておれ。アンジェラ、私とチェスターに王城から呼び出しが掛かった。何故呼び出しにマリオンとアンジェラの名はないのかチェスターに問い詰めた所、事の経緯を聞いてな。居ても立っても居られなくなったんだ」
カメーリアは天使を心配そうに見る。そして、思い出したように付け加えた。
「ああ。チェスターに何故黙っていたか問い詰めたら、マリオンの暴走を止めるので精一杯だったらしいんだ。チェスターを責めないでやってくれ」
あっ、俺のせいだったんですね。傷をえぐりに来ないでほしいとか言ってごめん。