捨て身神官の恋愛事情 1
スランプの息抜きに書きました。
短編の予定が思った以上に長くなった。
ーー魔王を討伐した勇者と聖女が結ばれるだなんて、一体誰が初めに言い出したのか。
今は黒い霧となって跡形もなく消え去った魔王がいた場所には、使命を果たして清々しい表情を見せた勇者と、勇者が差し出した手に恥じらいながら自身の手を重ねる聖女がいた。
それを蚊帳の外でぼんやりと見ていた俺は、必死に隠してきた自分の中の想いが叶わないと思い知ったのだった。
聖女だった彼女とは、幼い頃からの仲だ。
多分俺に実の妹がいたら溺愛していただろう。
それ位大事に大事にしてきた女の子が、男を見つけてしまったのだ。
彼女が幸せならばそれでいい。
俺は血の涙を心の中でダラダラと流しながら、顔面に爽やかな笑みを浮かべて兄貴分として快く祝福した筈だった。
だが祖国に帰ってくるなり、あのタラシ勇者は大きな他国の王女に一目惚れをして、俺の大事な大事な天使を簡単に捨ててしまったのだ。
俺の可愛い可愛いアンジェラたんは神殿の自室に閉じこもって嘆く日々。
俺は気が紛れるように色々な所に連れ出してあげているが、身分を隠して出歩けば街の住民は勇者と聖女の破局について噂ばかりしている。
どいつもこいつも天使を傷を抉りやがって……!
と、現在の俺は街の住民片っ端からぶっ飛ばしたい衝動に駆られています。いや、やったら牢屋行きだからやらないけど。やれないけど。
だから、俺のこの行き場のない怒りは酒と一緒に呑み下すしかなくなる訳で。
王都の大通りから外れた路地裏にある、レトロな雰囲気の小洒落た小さなバーのカウンター席で、俺はグラスを片手に盛大にうな垂れた。
「くっそ。俺の知らない所でどこの馬の骨とも分からない野郎に引っかかるとは……。アンジェラたんは男を見る目がなかったんだろう。天使の唯一の欠点だ……」
頭を抱えながら、度数の高い酒を煽る。子供舌の俺にはすっごく苦くて不味いけれど、ザルだから強い酒じゃないと酔えない。
ちなみにこの店、閑古鳥が鳴いているんじゃないかって位人がいないので俺が騒いでもマスターが困惑した顔をするだけだ。
本当すみません。
「まあ、どこの馬の骨じゃなくて一応勇者はこの国の第2王子様なんだけどね」
ニコニコと穏やかに微笑む隣の席の優男は、魔王討伐の時に一緒に旅した戦士だ。
この前30になったばかりだとは思えない位若々しくて、まだ20前半と言われても納得できる。
華奢な見た目に似合わず、大剣を振り回している戦闘狂でもある。
戦闘以外では穏やかな雰囲気を纏うイケメンに、俺はふんっと鼻息を荒くした。
「ポッと出の野郎なんざ、馬の骨でじゅーぶんっ!大体俺は最初っから反対だったんだ!勇者は行く先々の街で女の子惚れさせて、取っ替え引っ替えしてたじゃないか!」
「でも途中で折れたじゃないか。勇者とアンジェラちゃんの仲を認めるって」
戦士の冷静な指摘に、俺はグッと言葉に詰まった。
グラスを握る手に自然と力が篭る。
確かに俺は認めた。
勇者と天使の仲を。
「認めた。でも、折れたわけじゃない」
「どういうこと?」
「認めたのは俺自身の為だった。耐えられなかったんだ。本当に後悔してる。あの時自分の感情を優先させなければって今でも思ってる」
今でも覚えている。
泣き出しそうな、彼女の潤んだアンバーの大きな瞳に見つめられた事を。
「マリオンがアンジェラちゃんの為じゃなくて、自分の事を優先させるとはね……。どうして……と聞いてもいいかい?」
「アンジェラたんにそんな汚い言葉使うマリオン兄様嫌いって言われたんだよおおおおお。俺、天使に嫌われたら生きていげない゛い゛い゛い゛!!だから認めたの!!」
「……は?」
何故だろうか。
呆れたような視線を戦士から向けられている。
俺にとっては死活問題なのに。
「…………取り敢えず、涙拭こうか」
「さりげなく白くて清潔なハンカチ出してくれるチェスターさんマジイケメンっす。惚れる」
顔もイケメンで、俺の愚痴に付き合ってくれている上にハンカチまで差し出してくれるとか中身もイケメンかよ。
俺がハンカチで鼻をかむと、戦士はああ……と情けない声を出していたけど。
「……で、アンジェラちゃんになんて言ったんだい?」
「あんなヤリ◯ン野郎と付き合うなんて俺はぜってー認めねえ。ヤ◯チン野郎絞めてくるって言った」
「ああ……なるほど」
ふっと遠い目をしたチェスターをよそに、俺はバーのマスターに酒のおかわりを頼む。
白髪交じりの壮年のマスターは、心配そうな面持ちで俺と空になったグラスを見比べた。
「お客さん、今有名な次期神殿長さんですよね?ちょっと酔っ払い過ぎなのでは……?」
連れの戦士に同意を求めるような眼差しを向けるマスターだったが、チェスターはバッサリ切った。
「ああ、こう見えて素面ですよこの人。基本、酔わないみたいなので」
「てことで、おかわり頼む」
軽く手を挙げた俺に、マスターは困惑した顔をしながら渋々頷いたのだった。
「それで話を戻すと、アンジェラちゃんにそういった言葉遣いはした事なかったの?」
「ない。俺が天使にそんな言葉遣いする訳がねぇだろ。俺達アグネーゼ教の神官が崇拝する女神アグネーゼと同等……いや、それ以上に神聖なアンジェラたんを俺は崇拝してるんだからなっ!」
「え、神官がそんなこと言っていいの……?でも、僕から見た君達2人はとても仲が良いように思えたんだけどね」
「あのなぁ、当たり前だろ?俺と天使の仲だぞ。何年一緒にいると思ってんだ」
「いや、そうじゃなくて……勇者よりも君との方がアンジェラちゃんと仲良しだなって思ってたんだ。勿論、男女の意味でね」
チェスターの言葉に、俺は無意識に息を止めた。
流石女神アグネーゼに選ばれた傭兵団の団長。非力な優男に見えて、たまに鋭い事を言う。
俺の猫被りもすぐにバレたしな。
何も悟られないようにゆっくりと息を吐きながら、俺は軽く笑った。
「俺とアンジェラたんの仲だぞ?!ポッと出の勇者なんか敵いやしねぇんだよ!」
ふはははと勝ち誇った高笑いをして、俺はグラスの中に残っていた酒を一気飲みした。
そうして戦士が何かを言い出す前に懐から財布を出す。
「うっし、俺そろそろ帰るわ。愚痴に付き合ってありがとな」
「え、もう帰るのかい?」
「実は天使の肖像画制作が終わってねぇんだ。旅で中々描けなかったから、今アンジェラたん成長コレクションに穴が開いた状態なんだよ。そんなの俺が許せない」
「ブレないね……」
「当たり前だろ。天使非公認の追っかけなんだから」
「それ世間では犯罪なんだけどね……」
「んまあ、ロリコンチェスターよりはマシって。んじゃ、また誘ってくれ」
これからチェスターが飲むであろう分まで含めて、手早く会計を済ませる。
いつも奢られてばっかなので、たまにはいいだろう。
つか多分チェスターよりも俺の方が金持ちだし。
人が全く入らないバーを出ると、冷たい夜風が火照った俺の頬を撫でていった。
ザルだけど、滅多に酔わないけど、一気飲みとかしてたから少しだけ酒がまわっているのかもしれない。
紺色のローブを羽織り、フードをしっかり被る。
一応有名人だから目立つ事は避けておきたい。
明るい街灯が並ぶ大通りに出ると、人影はもうほとんどなかった。
青銀色の満月の下、ぼんやりと先程の戦士の言葉を思い出す。
勇者よりも、男女の意味で仲良く見えた……か。
ああ、本当に鋭いなぁ。
じんわりと沁みるように広がった胸の痛みには、気付かないふりをした。
俺とアンジェラは出会って10年経つんだぞ?お互いの事、よく知ってるんだぞ?
あんな本当にポッと出の、女の子取っ替え引っ替えしてるような奴にあっさり奪われるような付き合いじゃねぇんだよ。
だって、俺達は魔王討伐の旅が始まる直前まで、内定段階だったけど婚約していたんだ。
旅の直前、いきなり彼女から婚約破棄の申し出があった時は驚いた。
内心の動揺を必死に押し隠し、歳上として彼女に縋ることなく受け入れた事は忘れられそうもない。
彼女が他の男の隣で微笑んでいる姿より、彼女と永遠に縁が切れてしまう方が怖かった。
臆病な俺は、彼女の枷にも重荷にもなりたくなかった。
幼い頃からずっと神殿という閉鎖的な空間で暮らしてきた彼女が、外の世界で自由にのびのびとしている姿が眩しかった。
それなのに、それなのにあの男はそんな彼女をあっさり捨てていった。
ぜってぇ、許さない。
「……そうだ、いっそのこと下半身不能にしてやろうかな」
「ひっ!」
思わずボソリと口から出た言葉に、いつの間にか背後にいた男が情けない悲鳴をあげて俺から逃げて行く。
「え、あ、ちょ……、誤解だってば!」
慌てて引き止めようと手を伸ばしたが、ボロボロの薄汚れたローブを着た、いかにも旅人らしい格好の男はとんでもないスピードでどこかに行ってしまった。
やべ……。神官様すごく乱暴者だと思われたらどうしよ。
いや、顔は隠してるからバレてないよな。
……バレてないよな?