husband(旦那様)
「おや、エミリアじゃないか」
薄日の差す寝室。
大きなベッド以外は特に目ぼしいものは無く、館の主が休むには些か質素だ。
「ブラムはどうしたんだい?まさか、体調を崩してしまったのか?」
笑うわけでもなく、茶化すわけでもなく、心底心配している館の主、エドガーは今にもベッドから飛び出しそうな勢いだ。
「旦那様、落ち着いてください。訳あって、今日のモーニングティーは私がご用意させていただきました」
ぴっしりと角をアイロンで伸ばした新聞と、藍色の花が描かれている美しいカップを差し出した。
落ち着かない様子で、差し出された新聞とカップを受け取り、渋々腰を落とすエドガー。
「これは・・・ラベンダーか。モーニングティーには珍しいチョイスだね。しかも、紅茶自体の香りが若干だが押さえられている」
「おきに召さなかったでしょうか・・・旦那様」
いや、と短く答えたエドガーが続ける。
「ラベンダーがかなり鮮烈に薫ってくる。紅茶を濃くしてしまうと、味同士が喧嘩してしまう。だが、紅茶の香りを消さないこの甘味は」
すっかり落ち着いた様子のエドガーは、口元に手をおき首を横にしながら唸っている。新聞には目もくれずに、ただただカップの中身とにらめっこをしていた。
「蜂蜜です、旦那様」
はっとした様子でエドガーは、屈託のない笑顔をエミリアに向ける。
エミリアは、その凛々しいながらも、少年のような無垢な笑顔をみて思わず視線をそらしてしまう。
再びエドガーはカップに目を向ける。
「そうか、蜂蜜か。新鮮で鮮烈だが、一切素材の邪魔をしていない自然な甘味。素晴らしいよ、エミリア」
「身に余る言葉、いち従者には勿体ないお言葉。ですが、このモーニングティーは、キッチンメイドのお力添えがあったからこそ。おほめの言葉はぜひ、ミリツァに差し上げてください」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
一段落ついたところで、これまでの経緯をエミリアはエドガーに話した。
「なるほど、ブラムが来ずにエミリア自ら来たのにはそんな理由があったのか」
茶葉の品質が明確になった以上、代わりのものを用意するのには味覚の専門家を頼る必要があった。
朝食の打ち合わせも兼ね、キッチンへ赴き調理長に案をもらいに言ったのだが「俺は、根っからの珈琲派だから紅茶はわからんし、力になれん」と言い残し、調理を始めていた。
そんな話を聴いていたキッチンメイドのミリツァが、おずおずとこの紅茶の案を出してくれたのだ。
ミリツァは趣味でハーブや様々な花を栽培しており、そのなかのラベンダーを使ってはどうかという経緯で、このフレーバーティーが出来た。
その紅茶を余程気に入ったのか、あっという間に飲み干してしまう。
余韻に浸るエドガーは、先程とはうってかわって澄んだ笑顔でソーサーにカップを置く。その所作は、男性らしからぬ優雅さ、気品さを含み、そのなかにも男性らしい隆々とした風貌。凛々しく整った黒髪。寝起きとは思えないほどの美しさだった。
エミリアは、ついつい見とれてしまう。
「ごちそう様、エミリア贅沢な時間を有難う」
「えっ、あっ・・・いえ、私は何も」
急な発言に、どもるエミリアの頬は微かに赤らんでいる。
「それと」
「何でしょうか、旦那様」
どうにか持ち直したエミリアは、エドガーから少し目をはずしながら返事をする。
「妻は居なくなってしまったんだ、旦那様はやめてくれ。もう君とは長い付き合いだ。二人の時はエドガーと呼んでくれ」
先程とは違い、どこか陰りのある笑顔で、エミリアを見つめている。
「滅相もありません」
今日のスケジュールを矢継ぎ早に言い伝え、早足で部屋をあとにする。
赤らめた顔のまま、エミリアは廊下を歩く。
この顔を見られたくないという気持ちと、色々ともやもやした気持ちに苛まれながら、最終的には顔もまともに見れなかった。
「今までは、こんなこと無かったのに」
胸に手を当てて、風に混じって消えてしまいそうな声でポツリと呟く。
「エドガー・・・」
案の定、風に混じって消えていった。
けれども確かに、風と共に消え去った言葉には熱が込められていた。