寄り道
授業が終わると急いで行かなけらばならない所がある。帰り道のスーパーで夕飯の食材を買わなくちゃいけないんだ。
高杉は早々にバスケ部に入部したから助かった。放課後は捕まらないですむからね。
昼休みには、今朝言っていた三年の可愛い女子を見に行こうとしつこく誘われたけど、自分で作った電子レンジで温めただけの弁当をつつきながらのらりくらりと断ったので、痺れを切らして一人で見にいったらしい。
高杉は興奮して戻ってきた。
「すっげー美人だった可愛かったぞ、いいー、いいぞ」
唾を飛ばしながら、香織さーんなんて叫んでいた。
スーパーはちょうど俺の家と高校の中程にある。自転車通学もいいんだけど、徒歩でも二十分で歩ける距離なので気分や天候で使い分けている。
今日はちょっとスーパーの他に寄り道したいところがあるので徒歩で通学したのだった。
急いでオムライスに使う卵とケチャップを買ってスパーを出て右に曲がる。そして五百メートル先の花屋のところを左の路地に入る。
その狭く長い路地を抜ければ目的地はすぐのはずだ。
花屋の店先には大型の真白なユリが飾ってあった。これを買って帰れば父さんは元気が出るだろうか。少し考えたが手持ちの小遣いが残り少ない事に気づき諦めた。
角を曲がって路地に入って歩き出してすぐに、スーパーの買い物袋から百円玉が転がりだして塀に当たりチャリーンと音を出して止まった。
お釣りを商品と一緒に入れる癖があるので、ビニール袋の底を見てみると、卵のパックで切れたのであろう小さな裂け目があった。
「あぁ……ここから落ちたのか」
膝を折って百円玉を指でつまんだ時だった。腰あたりに強い衝撃が走ってそのまま前のめりに道路に手をついた。
痛む膝を我慢して起き上がる途中で自転車の車輪が目に入る。
「狭い路地なのに、自転車から降りないで進入してくるなんてどうかしてる……」
「ごめんなさい、大丈夫? こんな道を通る人はいないと思ったの」
自転車の主は言い、俺の目の前をのぞき込んだ黒髪がサラサラと揺れ、通りすぎた。その瞬間ふわりと花の香りがした。
「ユリの……香り……」
「はい? なぜ私の名前を知ってるの?」
「え、名前?」
「香織って言ったでしょ」
「……あ、そこの花屋の香りがこっちまで匂ったんだ」
君からユリの香りがしたんだよとは言わずに、なんとなく花屋のせいにした。
制服についた埃を払いながら立ち上がり、俺を自転車で轢いた犯人をマジマジと見る。
その容姿とさっきの会話から、タイミング良く自転車で突っ込んで来たのは
深井香織だと確信した。
高杉の評価は大げさではなかった。陶器のような白い肌に大きな瞳、鼻は小さめで口は小さくてもぽってりと愛らしかった。
小さな顔に黒髪がかかり更に顔を小さく見せていた。人形みたいだなと思った。
無言で見とれていると香織が言った。
「卵割れちゃったね……ごめんなさい怪我してない?」
大丈夫だと言ったんだけど、ごめんなさいと何度も頭を下げ俺に謝った。そのたびにサラサラと黒髪が揺れ、ほのかなユリの香りがするのだ。
「あぁ、卵は半分無事みたいだから大丈夫だよ」
香織は自転車のカゴに、やはりあのスーパーで買った来たのであろう商品をザラザラとあけると、これ使ってとビニール袋を差し出した。
俺が手に持っているビニール袋からは卵の汁が糸を引いて道路にシミを作っている。
「おつかいかな、それとも夕飯作るの?」
香織と俺はゆっくりと歩きながら話を始めた。
「オムライスを作るんだ、父さんの分もね」
「お母さんは? ……あ、ごめんね」
「いいよ、一年前に死んだよ。ガンだったんだ」
「君は?」
俺は自転車のカゴを指さして聞いた。
「私も、夕ご飯を作るのよ今日はビーフシチューよ。お爺様の分もね、年寄だからって毎日和食じゃこっちが飽きちゃうわ」
拗ねたように頬を膨らませたあと、プッっと吹き出して笑う表情が可愛かった。
「お母さんと、お父さんは? ……あ、ごめん」
「いいのよ、お母さんは私が二歳の時に亡くなりました。お父さんは最初からいないの、お母さんは未婚の母だったの」
返事を返せなくて黙っていると、キラキラした瞳で家がこっちなのかと聞いてきた。
「違うんだけどさ、気になる場所があってちょっと寄り道しようかと思ったんだ」
ぼそっと話す俺に香織は、悪戯っ子みたいに笑いながら人差し指を一本立てた。
「じゃぁ、寄り道に付き合っていい? 卵のお詫びね」
香織は返事も待たずに自転車を押して先導するかのように歩き出した。