水滴
愛しすぎて欲しくて得られなければ、水に溺れ
欲しくもない愛情を延々と注ぎ続ければ、腐っていく
密閉された狭い空間で、互いの感情は熟れ
そして溢れ出す……。
ねぇ知ってるかい、いい香りもさ
狭い場所で嗅ぎ続ければ、嘔吐するほど
……耐えられないんだよ。
知ってるよ皆もそうだったんだろ……。
「おはようっす、友利 ゆうーとー」
「……あ、おはよ」
朝からテンションが高いのは勘弁してもらいたい。じゃなくても慣れない家事で寝不足なんだから。
「朝から、なにボーッっとしてるんだよ、エロ動画の見過ぎじゃないの?」
校門から教室までこんなデカイ声でしゃべられたのではかなわないし、説明が面倒なので、そうだよ、と答えてやると高杉は更にはしゃぎ出し、どんなの? から始まり、しまいには自分の好みの女子像を熱く語りだした。
高杉が少し声を落として言った。
「あのさあのさ、三年生にさすっげーカワイイっていうか綺麗っていうか、好みの女子がいるんだけど。昼休みに見に行かない? きっとミスコンがあれば絶対優勝しちゃうよ。深井香織っていうんだよ」
「俺、興味ないから一人で見てきなよ」
つれないねー友利ちゃんって妙な声を出して絡んできた。高校に入学してまだ一か月というのに、そんなところにまで意識を向ける余裕がある高杉を少しうらやましく感じた。だけど俺にはそんな遊びに付き合っている心の余裕はないんだ。
母さんが死んだ。中三になって、もうすぐ夏が来るって時だった。
外は梅雨の最後のドシャ降りで救急車に乗せるときに毛布に水滴が付き、担架が揺れるたびに融合して大きくなっていったのを覚えている。
水滴は薄っぺらな毛布の上で母さんの命のようにコロコロと転がり地面に落ちていった。
余命は三年って言われていたんだ。でも飼い猫のチャコが死んでから急激に病状が悪くなった。ご飯を食べなくなり三か月を過ぎる頃には寝たきりになった。
目は虚ろで時々独り言を言う様子はもう人間として終わってるとしか思えなかった。そして救急車で運ばれた日に、医者が決めたタイムリミットより二年も早く逝ってしまったのだった。
今ならわかるよ。
母さんはあの香りを、もう嗅ぎたくなかったんだよね。
父さんも突然のことでショックだったんだろうね、母さんが病院から戻ってきても葬儀の手配も上の空で母さんの手をにぎったまま、居間に飾ってある家族写真をじっと眺めていた。
だから、雨降る中チャリで飛び出した。父さんの好きなユリの花を大急ぎで一輪買ってきて家族写真の隣に置いてあげたんだ。
少しでも父さんの心が癒されるようにって。葬儀屋が来ても放心状態のままの父さんの代わりに、俺が祭壇の選択とか分かることは決めた。しっかりした息子さんですねって言われて父さんは頷くだけだった。
葬儀の当日はユリの花で一杯の真白な綺麗な祭壇になった。
空調が調子悪かったんだんだろうか。
焼香の煙で祭壇の周りが霧みたいに縞模様にたなびき、まるで祭壇が朝霧の中の雪山に見えて、悲しさも忘れて見とれてしまった。
でも、葬儀が済んで数か月経っても父さんは元気になることがなくってさ、
小さい建設会社の係長で仕事もキツイし忙しいだろうし、母さんが死んでもうすぐ一年近く経つっていうのに物思いにふける事が増えてきて、だから俺が家事全般を引き受けたんだ。
慣れない洗濯、ご飯の支度、手抜きではあるけれど掃除とか忙しくって、
高杉の下らない誘いには乗る気になれないんだ。