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天宮の煌騎士:短編集  作者: 真先
Episode 3: リドレックは二度死ぬ
9/18

月曜日

 寮別対抗リーグ後期第四戦。対碧鯆騎士団戦の試合中に黒鴉騎士団寮所属、リドレック・クロストは死亡した。


 碧鯆騎士団のグッス・ペペが放った一撃が左脇腹を貫通。駆けつけた衛生班の手当ても間に合わず失血死した。

 心停止確認の後、リドレックはスベイレン騎士学校附属総合病院に運び込まれた。

 救急救命室内のスタッフはすみやかに蘇生治療を開始。

 担当医であるカミラ・マラボワ医師の手当てによりリドレックが息を吹き返したのは、心停止状態に入ってから約一時間後の事であった。


 ◇◆◇

 

 月曜日。


 闘技大会の翌日。リドレックは総合病院の診察室に居た。

 昨晩は集中治療室で一泊、今日は朝から精密検査を受けていた。

 一通りの検査が終わっても、すぐに家に帰ることはできない。検査結果の如何によって、退院が長引くかもしれないのだ。

 これ以上、この辛気臭い病院に止まるのは耐えられない。味気ない病院食もうんざりだ。今すぐ病院から飛び出し、近くの居酒屋に飛び込んで一杯ひっかけたい気分だった。


「……まったく、呆れるね」


 初老の女性医師は、その言葉通り呆れたように呟いた。

 リドレックの担当医であるカミラ・マラボワ教授は、スベイレン騎士学校附属総合病院の重鎮である。研究畑の彼女は本来ならば学生騎士を診察するようなことは無い。 こうしてリドレックの診察を行っているのは、毎週のように怪我をしては運び込まれるお得意様に対する病院側の特別な計らいであった。

 病因に担ぎ込まれる度に小言を言って来るこの女医をリドレックは苦手としていた。今回も何だかんだと難癖をつけて退院を引き延ばそうとしている。

 

「脳波に異常なし。傷口も完全に塞がっている。肝臓がちょいとくたびれている事を除けば、まったくの健康体だ」


 彼女が眺めているカルテには、半日かけて調べ上げた精密検査の結果が書かれている。

 カルテを見つめ分かり切ったことを言うマラボワを、検査台に腰掛けたリドレックは苛立った様子で見守る。

 

 リドレックは自分の事を自己管理が出来る人間だ――他の連中の意見はともかく、自分ではそう思っている。

 健康的な食事に十分な睡眠と、毎日、規則正しい生活を送っている。酒だって、体を壊すほどには飲み過ぎ無い。

 自分の体の事は自分が良く分かっている。婆さんに煩く言われる必要などないのだ。

 

「大した回復力だよ。とてもあの世から帰って来たばかりのようには思えない」

「それで、どうなの? 婆さん」

「……退院だ」


 急かせるように訊ねると、マラボワ女史は観念したようにカルテにサインした。


「健康な奴を入院させておくわけにはいかないからね。ここには空いているベッドなんてありゃしないんだから。……それもこれも、あの太鼓持ちのせいだよ」


 マラボワ女史が言う所の『太鼓持ち』とは、スベイレン騎士学校校長イライア・バーンズの事である。

 騎士学校の校長は闘技大会の運営の全てを取り仕切る立場にある。娯楽に飢えた観客達を満足させるのも彼の仕事であった。

 貪欲な観客達は常に新しい刺激を求めている。観客達の期待に応えるべく、校長はバトルロイヤルや闘獣と言った危険な競技を次々と開催していった。


 その割を食っているのがリドレックをはじめとする出場選手達である。

 

「校長が無理な試合を組みやがるせいでここ最近、闘技会で怪我人が続出しているのさ。このままじゃ、そのうち死人が出るだろうね。……怪我が治ったならばとっとと出てっておくれ」

「だったら、検査なんかさせるなよ」


 ぶちぶちと文句を言いながら診査台を降りると、リドレックは着替えを始める。

 病院服を脱ぎ捨てると、リドレックのむき出しの体が露わになる。マラボワの言う通り、脇腹の傷は完治していた。光子武器は切れ味が鋭い分、傷口も綺麗になる。腕の良い錬光術師が治癒すれば跡も残らない。


「今更、心停止ぐらいで大騒ぎすることじゃないだろう? 今回で四回目だよ、四回目。いいかげん慣れてくれよ」


 リドレックがこの病院に心停止状態で担ぎ込まれるのは今回が初めてでは無かった。

 去年だけで二回。今年に入ってからは二回目。

 いずれもマラボワの手により蘇生している。


「僕は昨日の内に退院したかったんだ。それなのに無理やり入院させたのはマラボワ婆さんじゃないか」

「当たり前だろ。あんた、ここに担ぎ込まれた時には心臓止まっていたんだよ。検査なしで退院させるなんてできるもんか」

「心臓が『止まった』んじゃない。『止めた』んだ」


 錬光技《疑死》(タナトシス)。

 失血を抑える為に一時的に心臓を停止。組織閉鎖を行うと同時に仮死状態になる。

 言うまでも無く非常に高度な錬光技であると同時に、一歩間違えれば本当に死にかねない危険な錬光技である。


「こんな危険な技を使わなくっちゃならなかったのも、衛生班が駆けつけるのが遅かったからだ。どうなってんのさ? この病院は!」


 衛生班の手際の悪さについては以前から問題になっていた。闘技会で戦う者にとっては死活問題であった。

 リドレックも再三、警告しているのだが一向に改善される気配が無い。

 ぶちぶちと文句を言うリドレックを無視して、マラボワは退院の手続きに取り掛かった。携帯端末に目を落としながら話を続ける。


「しょうがないだろう。人手が足りないんだ。あたしらに文句を言う前に、まず怪我しないように心掛けな。……退院を許可してやるけど、今日一日は安静にしているんだよ。いいね?」

「わかってるよ」

「酒も飲むんじゃないよ。検査したら肝臓が随分くたびれていたからね」

「…………」


 リドレックの目論見を見透かしたかのように、すかさず釘をさす。

 ようやく退院手続きが終わったらしい。顔を上げるとリドレックに向き合った。


「それで、あんた。これからどうするんだい?」

「まっすぐ寮に帰るよ。言われなくても、飲みに出かけたりなんかしないよ」

「そうじゃなくて、この学校を卒業したらどうするのかって聞いているのさ」


 おせっかいな女医は、リドレックの体だけに飽き足らず、とうとう卒業後の進路についてまで口出しし始めた。


「いつまでもこんな生活続けられるもんじゃない。あんたもそろそろ身の振り方を考えなくっちゃいけない時期だろう? ……って言っても、あんたの成績じゃ騎士になる事は無理だ。あんたもそのつもりはないんだろう? 騎士にならないんだったら、別の仕事を探さなくっちゃならない。将来どうするつもりなんだい?」

「昨日、死にかけた人間に将来の事なんて聞かないで欲しいね」


 リドレックは肩をすくめる。


「僕にとって将来なんてのは、せいぜい一週間先ぐらいの物さ。この学校じゃ、それ以上先の事なんて意味ないだろう? 将来の事を考えている余裕なんて僕には無いんだ。僕が考えるべきことは唯一つ――闘技大会のことだけだ」


 この学校は闘技大会を中心に動いている。

 闘技大会で戦うために鍛錬し、闘技大会で戦うために学ぶ。

 闘技大会をいかにして戦い、そして生き延びるか。

今週は生き延びた。

 そして次に考えるべきことは、来週の闘技大会をいかにして生き延びるかだ。


 次の闘技大会は一週間後。

 それまでは、未来の事など考えずに短い人生を謳歌するつもりだった。

 水曜日には友人たちと旅行に出かける予定もある。

 古都フレストリンネで花見――リドレックは古都に咲く桜よりも、そこでふるまわれる酒のほうが楽しみでしょうがなかった。


「何だよ今更、進路指導なんてさ?」

「別に、今更ってわけじゃないさ。前から言おうと思っていた事さ。あんたを見ていると、若さを浪費しているだけのように思えてならないのさ。年寄りとしては説教の一つもしたくなるんだよ――行くあてが無いなら、ここで働かないか?」

「ここ?」

「この病院だよ」


 そう言うとマラボワは足元を指した。


「さっきも言ったけど、衛生班は人手が足りないのさ。あんたの医療技術には、あたしも一目置いているのさ。《疑死》をはじめとする医療系の錬光術や、薬学についても明るい。学生騎士として闘技場にたっていたお前さんならば即戦力として通用するよ」

「……僕に医者になれって言うの?」


 突拍子もない申し出にリドレックは吹き出した。


「ハハッ! 面白い冗談だよ、婆さん。……この僕が、医者だって? こいつは傑作だ!!」

「冗談で言ったつもりは無いよ。あたしは本気さ」


 茶化すように笑うと、マラボワは真剣な表情で話を続ける。


「無論、すぐにってわけにはいかないよ。学校に通って、資格取って、それからさ。なんならここで働きながら学校通ってくれてもいい。現場で研修もできるし、うちも大助かりさ」

「……考えておくよ」


 曖昧な返事を残してリドレックは診察室を出て行った。


 受付で退院の手続きを済ませると、ようやく自由の身になれた。

時刻は既に昼を過ぎている。

 午後の陽ざしの中、病院の前でリドレックを待ち構えていたのは、カメラを構えたジャーナリスト達だった。


「リドレックさん! 退院おめでとうございます!」

「今年で二度目の心停止ですね? 去年の記録を更新するつもりはありますか?」

「あなたを串刺しにした、グッス・ペペに何か言う事は!?」

 

 スベイレンの学生騎士達は、天空島の人々から芸能人のような扱いをうけている。

 闘技場で鮮やかな戦いを披露する学生騎士の姿は、市民たちにとって羨望の的である。彼らの雄々しい姿に、帝国臣民は自分たちの生活が安泰であることを確信するのだ。

 

 成績最下位の《白羽》と呼ばれるリドレックであるが、知名度だけはスター選手並みに高かった。毎週のように無様な負けっぷりを披露するリドレックは、マスコミの注目を集める存在である。お高く留まった騎士様が泥まみれ、血まみれになってのたうち回る様を見て、帝国臣民は日頃の鬱憤をはらしているのだ。

 芸能記者に、スポーツ記者。今日は国営放送のリポーターまで来ている。

 その中の一人、民放で人気のスポーツキャスターがマイクを突き出しリドレックに訊ねる。


「まずは、今の心境を一言!」

「生き返ったような気分だよ」


 リドレックの皮肉の利いた冗談に、記者たちは一斉に噴き出した。


 ◇◆◇


 ジャーナリストたちを軽くあしらい、リドレックは下層階へと向かった。

 学生寮に直帰するとマラボワには言ったが、その言葉通りにするつもりは毛頭なかった。病院を出てしまえばこっちのもの。退院祝いに思い切り羽を伸ばすつもりだった。

 交易港を有する下層階は商業区画であり、娯楽施設も充実している。ここスベイレンでは酒以外にも楽しい事はたくさんあるのだ。


 取り敢えずリドレックは公衆浴場へと向かった。

 病院で一泊したため、リドレックはシャワーも浴びていない。騎士たる者、身だしなみには気を使わねばならない。


 人工の大地である天空島では水は貴重品である。

 大量の水を消費する入浴は、ハイランダーにとってささやかな贅沢である。肉体を清める事は衛生面においても効果がある。

 住民たちの健康を維持するため、どこの天空島でも公衆浴場は設備されているものである。下層階の入り口にある公衆浴場もその一つであった。温水、冷水、蒸し風呂の三つの形態の浴室を備えた風呂屋は、帝国国内ではごく平均的なの公衆浴場である。


 なみなみとお湯が湛えられた風呂にその身を横たえるのは実に気持ち良いものだ。

 一通り身を清めると、リドレックは蒸し風呂へと向かった。

 汗と共に老廃物を吐きだす。

 全身にまとわりつく熱気を限界まで耐え抜いた後、サウナから飛び出したリドレックは併設された水風呂に飛び込んだ。冷水に飛び込と、生きている喜びを改めて実感できる。

 風呂上がりには冷たいビールを一杯、と行きたい所だが、生憎と飲酒は固く禁じられている。

 しかたがないので今日の所は牛乳で我慢する。湯上りに呑む瓶詰の白牛乳は、ビールほどではないにせよ格別な味わいであった。

 牛乳瓶片手にマッサージチェアに身を横たえていると、猛烈な空腹感に襲われる。リドレックは昨日から何も口にしていないことを思い出した。


 時刻は夕方。ちょっと早いが晩飯に向かうことにした。

 風呂屋を出たリドレックは市場通りへと向かった。

 港に隣接するこの通りには、交易船が運んできた品々を売買する市場がある。

 地上から運び込まれる交易品が並んだ市場は、交易商人だけでなく一般人も気軽に利用することが出来る。

 食料品を扱う店には大抵の場合、その場で食べれる軽食を出す屋台が併設されているものだ。

 肉屋の前には鳥の串焼きが、魚屋の横には白身魚のフライが――他にもジェラートや、マフィン、揚げた芋など、様々な屋台が立ち並んでいる。

 それらの軽食も全て、市場価格で提供されている。炭火焼の匂いに誘われて、リドレックは焼き鳥を一本買い求める。広々とした大地で放し飼いによって育てられた鶏肉は、弾力があり野性的な味わいであった。天空島で流通している合成肉とは物が違う。

 串焼きを頬張りながら次の獲物を物色していると、酒屋の前でワインの試飲会をやっているのを見つけた。

 どうやら最近できたばかりの醸造所のワインをふるまっているらしい。エプロン姿の可愛らしい売り子達が道行く人にカップを手渡していた。

 タダ酒を飲む機会を逃すわけにはいかない。マラボワに飲酒を禁じられている事などすっかり忘れて、ワインに手を伸ばそうとした時、懐の携帯端末が鳴った。

 鶏肉を口にくわえ携帯電話を取り出すと、端末からラルク・イシューの悲鳴が聞こえてきた。


『リドレック! すぐに来てくれ!!』


 ◇◆◇


 友人、ラルクによびだされたリドレックは、上層階へと向かった。

 パニラント・ホテルは帝国国内でも屈指のホテルチェーンである。

 学園都市であり、観光都市であり、交易都市であるスベイレンでは、多くの人々が訪れる。その中でも貴族や豪商たちが頻繁に利用するのが、この格式高いホテルであった。

 リドレックもこのホテルには何度か来たことがある。学生騎士であっても。社交の場に顔を出さなければならない機会は、

 ロビーを抜け、エレベーターに乗り込み、最短距離で目的地であるパーティールームへと向かう。

 

 このホテルのパーティールームでは、連日のように宴会が開かれる。

 パーティーの主催者は、交易で儲けた成金と暇を持て余した貴族たちだ。 馬鹿騒ぎをして派手に金をばらまく事は、金持ちの特権であり義務でもあった。

 今日のパーティーは一際馬鹿げている。

 恐らくは地上から持ち込んだのだろう。毒々しい色の花や、巨大な葉を茂らせる植物が会場のそこかしこに飾られている。

 部屋一杯に熱帯植物を敷き詰めた内装は、さながらジャングルのようであった。室温も植生に合わせているらしく、酷く蒸し暑い。


 植物園と化した会場を行き交うのは、原色で彩られた熱帯植物に負けないくらいに派手に着飾ったパーティー客であった。

 鳥の羽や毛皮を身に纏った彼らの姿は、さながら未開の蛮族のようであった。

 一通りの挨拶は終わり、食事を平らげ、酒を飲んで、出来上がっていた。

 随分早いうちから始めていたらしく、まだ日が落ちていないにもかかわらずパーティー客たちはすっかり出来上がっていた。


 この馬鹿げた酒宴に呼びつけた友人の姿を探して、リドレックは会場内を見渡した。落ち着かない様子で頭を巡らせると、早速一人の酔っ払いにからまれた。


「リドレック殿? リドレック・クロスト殿ではございませんか?」


 リドレックの姿を見つけるなり、馴れ馴れしく話しかけて来たのは交易商人風の男だった。

 恐らくはどこかの商会の代表なのだろう。体中に巻き付けた貴金属類や毛皮のストールは、いかにも成功した交易成金に見えた。


「やぁやぁやぁ! これは驚いた。先日の試合、拝見しましたぞ。怪我の具合はもうよろしいので?」

「……ええ、まあ」

「いや、さすがは騎士様だ! 私共、平民とは体のつくりからして違うようだ。……おやおや、グラスをお持ちじゃないようですな? おい誰か、リドレック殿にお飲み物を!」

「ああ、いえ。お酒は……」


 遠慮するリドレックに構わず、商人は近くに居たボーイを呼び寄せた。


「いけません、いけませんよ。宴席に手ぶらなんて、興ざめです。ささ、どうぞお取りになって。回帰祝いに一つ、乾杯と行こうじゃ行きませんか」


 ここまで勧められては断ることもできない。

 ボーイの差し出した飲み物に手を伸ばそうとした時、


「リド! 待ちかねたぞ、リド!?」


 探していた人物――ラルク・イシューがこちらに向かってやってきた。

 パーティー会場で出会ったラルクは、いつもと違う出で立ちであった。

 礼服に身を包み、整髪料で髪を固めた彼の姿は、リドレックの知っている悪友では無く、イシュー子爵の令息であることを示していた。


「何をやっていたんだ? 遅かったじゃないか」

「おお、これはイシュー殿! そうですか、イシュー殿のご招待でしたか」

「エミエール殿、ごきげんよう。御歓談の所、申し訳ない。リドレックをお借りしますよ」


 しつこい交易商人からリドレックを引きはがすと、宴席から連れ出した。

 廊下に出て、あたりに人がいないことを確認すると、ラルクは安堵したように微笑んだ。


「良く来てくれたな、リド!」

「構わんさ。で、用件はなんだ」

「お前に診て欲しい人がいるんだ」


 そう言うと、ラルクは早足で駆けだした。リドレックも遅れず後に続く。


 ラルク・イシューにこういった形で呼び出されるのは、今回が初めてでは無い。

 パーティーというものは社交の場であると同時に、トラブルが頻繁に起きる場所でもある。酔っ払って喧嘩して怪我をする者も居れば、無茶な飲み方をして急性アルコール中毒になる人間が毎度のことのように続出する。

 そういったトラブルに見舞われたとしても、貴族たちは迂闊に医者の世話になるわけには行かない。社交界では些細なスキャンダルでも命取りになるからだ。

 そこでリドレックの出番と言うわけだ。

 ラルクの用意するささやかな報酬と引き換えに、マラボワですら一目置く医療技術を駆使して手当てをしてやるのである。

 ラルクの慌てぶりを見るに、今回の患者はかなりの重体のようであった。


「で、今回の患者は誰だ?

「患者の名前はジョアンナ・フェズリー。今年、元老院に入ったばかりの新人議員だ」

「で、容体は?」

「それは、実際にお前の目で見て判断してくれ。……俺の口からは何とも言えん」


 話しながらも二人は目的地に向けて着実に進んでゆく。

 向かう先は上層階にあるスイートルーム。

 

「ああ、ラルク様!」


 リドレックたちを出迎えたのは、このホテルの支配人だった。

 一流ホテルの支配人は、その立場も忘れて酷く取り乱していた。スイートルーム到着した二人に、支配人は縋り付くように駆け寄る。

 

「良かった。どうしたものかと……」

「容体に変化は?」


 狼狽した様子の支配人に向けて、ラルクが訊ねる。


「御座いません。取り敢えず今は眠っています」

「よし、リド。こっちだ」


 そう言うとラルクは、リドレックを寝室へと招き入れた。


 スイートルームの寝室にはキングサイズのベッドがあった。天蓋からぶら下がる薄いシェードの向こう側に、ベッドに横たわる人影が見える。

 ベッドの傍らには、小型冷蔵庫ぐらいの大きさのメディカル・アナライザーが置いてあった。

 家庭用医療機器であるメディカル・アナライザーを使えば、体温、心拍数、血圧をはじめ、大抵の病気を測定できる。

 そのなかでもパニラント・ホテル備え付けのメディカル・アナライザーは、採血や生体組織をその場で判別できる本格派である。


 ベッドに近寄り、リドレックはベッドに横たわる患者に向かって声をかける。


「……失礼します」


 シェードをめくり上げ患者の姿を見るなり、リドレックはうめき声をあげた。


「……うわ」


 ジョアンナ・フェズリーの容体は、本職の医者でもないリドレックが見ても明らかに重体であった。

 年の頃は四十代の前半。気を失っているらしく、その眼は固く閉じられている。

 気品のある中年女性の寝顔には、一面に赤い斑点が浮かんでいた。その薄気味悪い斑点は首筋にまで達している。


 意識を失っているとは言え、この様な姿を他人に見られるのは女性として屈辱だろう。

 患者から目を背けると、後ろに居るラルクを振り返る。


「メディカル・アナライザーの診断はどうなっているんだ?」

「解析不能だとさ」


 メディカル・アナライザーでも診断できない病状となると、いよいよ深刻な事態であった。

 ここから先はリドレック自ら病因を特定し、治療しなければならない。


「一体、何があったんだ?」

「何もどうも、いきなり倒れたんだ」


 リドレックが訊ねると、ラルクは倒れた時の状況の説明を始めた。


「食事が終って皆で酒を飲んでいたんだ。程よく酔いが回ったところで、ランディアンごっこを始めようって事になって……」

「ランディアンごっこ?」

「ガキの遊びであるだろ? 騎士とランディアンに分かれてさ、アワアワ言いながら逃げ回るランディアン役を騎士役が追い駆ける……」

「ああ、あれな。……いい大人が何やってんだ、お前ら?」

「酔っ払っていたんだよ。議員がランディアンの武器を見つけてさ。……ホラ、これだよ」


 言うと、ラルクは一振りの光子剣を取り出した。


「パーティー会場に飾ってあったんだ。その剣を持ったまま倒れたんだ」


 差し出された剣を受け取る。

 光子剣の柄全体に施された精緻な彫刻は、一目見て地上人――ランディアンの手による物だと解った。


「この剣はどういった謂われの物なんだ?」

「《蛭の剣》と言うそうです」


 ラルクに代わって支配人が説明を始める。


「十字軍の兵士が地上から持ち帰った戦利品です。大層な名品だそうで、当ホテルが古美術商から買い求めた品です」


 ランディアン達の作り出す強力無比な武器は、工芸品としての価値も高い。

 蛮人たち奪い取った武器をインテリアとして飾ることは、上流階級の人々にとってある種のステータスであった。


「鑑定士の話によれば《蛭の剣》の名が示す通り、その剣で切られたものは血を吸い取られるとのことです」

「血を?」

「ええ。この剣は多くの十字軍兵士たちの生血を啜っているそうです。……もしや、フェズリー様はランディアンの呪いでこのような姿になってしまったのでしょうか?」


 ランディアンの作り出した武器は想像もつかない恐るべき力を秘めている。一般人が不用意に扱えば、どのような効果が表れるかわかったものでは無い。

 呪いなどあるはずはないが、フェズリー議員が倒れたのは剣の誤作動による影響かもしれない。確認するための手っ取り早い方法は、リドレックの手で実際に起動してみれば良い。

 慎重な手つきで《蛭の剣》を起動させると、


「……起動しないじゃないか?」

「ええ、装飾用に置いてあるだけですので。バッテリーは外してあります」


 パニラント・ホテルもさすがに真剣を飾るほど迂闊では無いようだ。

 ランディアンの名剣も、バッテリーが無ければただの骨董品だ。苦笑しつつラルクに剣を返す。


「この剣は関係ないようだ。議員の病状は他に原因があるはず」

「毒の可能性は無いか?」


 差し出された剣を受け取りながら、ラルクが訊ねる。


「何だ? 毒殺されるような心当たりがあるのか?」

「そりゃあ、あるさ。貴族で、議員で――しかも、女。敵には事欠かないよ。特に彼女は、地上との融和政策を支持している。保守派の議員連中には煙たがれている」


 貴族が倒れた時、真っ先に疑うのが毒である。

 権謀術数の世界に生きる貴族は常に暗殺の危機にさらされている。特に毒による暗殺は、安全かつ確実な手段として頻繁に用いられる。

 出入りが自由な立食形式のパーティーならば食事に毒を混入することも簡単だし、足もつかない。新進気鋭の女性議員が力をつける前に、タカ派議員たちが実力で排除を試みたと言う事は十分にあり得る。


 しかし、リドレックは毒殺の可能性をあっさりと否定した。


「無いな。殺す気ならば、もっと即効性のある毒を使うはずだ。相手は名の通った女性議員。一度ミスったら、二度目は無い。警告を与えるなどと言う悠長な真似はしないだろうよ」

「毒じゃないとしたら、どういうことなんだ?」

「疑うのならば食中毒の可能性を考えるのが先だろう。毒殺なんて物騒な考えよりも、余程現実的だ」

「そんなはずは御座いません!」


 突如、それまで大人しく聞いていた支配人が声を荒らげ反論する。

 このホテルを侮辱されたと思っているのだろう。怒りの形相でリドレックに詰め寄る。


「当ホテルは衛生面に細心の注意を払っております! 仕入れから食材の管理まで、きめ細かにチェックしております。食中毒など起こるはずが御座いません!!」

「パーティーではどんな料理を?」

「ガーメン黒豚のソテーに、ベロニア地鶏の素揚げ。雪大根のサラダ。紫イチゴのソルベと……」


 さすがは一流ホテルの支配人だけあって、パーティーのメニューを全て把握しているらしい。

 リドレックの目の前で耳慣れない料理名を、支配人はすらすらと暗唱して見せた。


「食材は地上産ですか?」

「ええ、パーティーでは地上風料理をお出ししました。全て地上から持ち込んだ食材を使用しております」

「検疫は受けましたか?」

「……え?」

「地上から運び込まれる生物や植物、食料品などには未知の病原体や細菌が付着している可能性がある。それらの物資は、税関の検疫で徹底的にチェックされるはずです」

「い、いえ、受けておりません。そもそも税関を通していないのです……」


 消え入りそうな声で答える支配人を前に、リドレックは深く息を吸い込んだ。


「密輸品だったんですね?」

「今回のパーティーは交易商人との懇親会とのことでしたので、お料理も会場の飾りつけも地上風に統一することにしたのです。食材の手配はエミエール商会に一任していたのです。……いや、でも今時、密輸なんて当たり前じゃありませんか?」


 下層階を根城に遊び歩いているリドレックは、交易品の流通状態について詳しかった。

 支配人の言う通り、交易品の密売は半ば公然と行われている。

 地上から運び込まれる交易品は膨大な量に上る。その全てを一々チェックしていては、とてつもない手間と時間がかかってしまう。天空島間の物資流通を円滑に行うために、密輸入は暗黙のうちに認められていた。


「やはり、いけなかったのでしょうか?」

「いけないに決まっているでしょう!!」


 危機感のない支配人に、リドレックは頭を抱える。

 密閉空間である天空島では、瞬く間に病原菌が広がってゆく。

 インフルエンザ程度の病原菌であっても致命である。最悪、都市の住民、全員が死滅することになりかねない。


「すぐに保健所に連絡して防疫部隊を派遣して貰わないと!」

「ちょ、ちょっと! やめてください」


 細菌感染者を発見した場合、保健所に報告する義務がある。

 携帯端末を取り出し保健所に連絡しようとするリドレックを、支配人が慌てて押しとどめる。


「そんな事をしたら大騒ぎになるじゃないですか! 止めてください! ホテルの評判に傷がつきます!」

「そんなこと言っている場合ですか! 取り返しのつかないことになってからじゃ遅いんですよ!?」

「待てよ、リド! 取り敢えず落ち着け!」


 押し問答を続ける二人をラルクが押しとどめる。


「なあ、リド。まだ食事が原因だと決まったわけじゃないんだろう? 病原菌が検出されたわけじゃないんだし、詳しく調べてからでも遅くは無いだろう?」

「感染の疑いがあるだけで十分だ。常に最悪の事態を想定し、早期に手を打つことが感染拡大を防ぐ唯一の手段だ」

「俺だって議員と同じもの喰ったんだぜ? それなのに、ホラ。俺はピンピンしている。細菌感染だったら会場に居る客、全員に同じ症状が出て居なくっちゃおかしいじゃないか?」

「希望的観測は捨てろ。一パーセントでも感染の可能性があるなら、報告しなければならん」

「議員パーティーで細菌感染したことが公になったら大問題だ。そんなことにでもなればホテルだけでなく、議員の政治生命も危うくなる!」

「お前は政治家の名誉と、住民の命を秤にかけるつもりか!!」

「そんなことできる訳ないだろう! できないから頼んでいるんだ! リドレック・クロスト、お前にだ!」


 リドレックの非難に、負けじとラルクが言い返す。


「住民の命を、議員の名誉を、このホテルの評判も、一切合財ひっくるめて、全員を救う方法を考えるんだ――他の誰でもない、お前が!」


 それは友人としてでは無く、名門一族イシュー家の跡取りとしての悲痛な懇願であった。


「とにかく、診察して原因を特定してくれ。食事が原因ならば、原因菌を検出してくれ――その時は、お前の言う通り、病院に通報する」

「それは……!」

「万が一の場合は私が責任を持って対処致します」


 それでもまだホテルの名誉が大事な支配人を、ラルクは有無を言わせぬ調子で黙らせる。


「どのようなことがあろうとも、このホテルの看板に傷一つつくことが無い事を、イシュー家の名に懸けてお約束します」


 イシュー家の名前を出すと、支配人はゆっくりと首を縦に振った。


「……承知しました。ラルク様にお任せします」


 そして、支配人はすがるような目つきでリドレックを見つめた。

その隣では、同じような目をしたラルクがいる。彼もまた、不安なのだ。


 ここまで話が進んでしまっては、リドレックに否応は無い。

 今や、帝国貴族の名誉と都市住民の命はリドレックの双肩にかかっている。のしかかる重圧に眩暈を覚え、自分が病み上がりだと言う事を今更ながらに思いだした。

 こんなことになるのならば、おとなしく病院で寝ていればよかった。


「……取り敢えず、診察してみよう」


 後悔しても始まらない。

 今は自分の出来る最善を尽くさなければならない。


「メディカル・アナライザーと言っても完璧じゃない。何か見落としている病因があるかもしれない。直接、診察してみよう」

「ああ、お前に任せるよ」


 ラルクの許可を得てからリドレックは診察に取り掛かった。

 病原菌に感染しているかもしれない患者に近づくのは危険だ。しかし二次感染を気にしている余裕はない。

 議員の体に掛けられた毛布に手をかけ引きはがすと同時、足元に花びらが一枚落ちた。

 オレンジ色の毒々しい花びらを見つめ。寝室に花瓶など置かれているはずもない。


「何でこんな所に花びらが?」

「ああ、パーティー会場に飾ってあった花だよ。その花の下で議員は倒れたんだ」


 首をかしげるリドレックに、ラルクが答える。


「この花も地上から?」

「ええそうです」


 床から花びらを拾い上げて見せると、支配人が頷いた。


「ヒューレンドラの高山地帯に咲くオニユリだそうです。大変珍しい品種だそうで……」

「すぐにこの花を持ってきてください!」


 叫ぶように命じると支配人はすぐさまパーティー会場へ向かって駆け出した。

 支配人が持ち帰った地上産のオニユリから花粉を抽出。メディカル・アナライザーに検索をかける。

 程なくして検査結果が出た。

予想通りの答えに、リドレックは歓声を上げる。


「ラルク、原因がわかった。これだよ、この花だよ!」

「花?」

「花粉だよ! 花粉アレルギーだ!」

「……花粉の、アレルギー?」


 聞き覚えのない病名に、ラルクは顔をしかめる。

 完全無菌状態の天空島で生活するハイランダーにとって、アレルギーなどというものは無縁のものだ。

 そもそも天空島では植物自体が珍しい。一粒の花粉が人体におよぼす致命的な影響など、想像もつかないだろう。


「議員はアレルギー体質だったんだ。花粉に含まれているアレルゲンに抗体が過敏に反応した結果、アナフィラキシーショックを引き起こしたのさ。メディカル・アナライザーが検索できなかったのは、データが登録されていなかったからさ。地上産の奇形植物のデータなんて無いからな」

「……それで、彼女は助かるのか?」


 説明を聞いても理解できなかったのだろう。とりあえずラルクは結果だけを聞いてきた。


「ああ、助かるとも。かなりの重症だけど今すぐ病院に担ぎ込めば間に合うはずだ」

「ちょ、ちょっと待て、リド」


 携帯を取り出し救急車を呼ぼうとするリドレックを、ラルクが慌てて引き止める。


「さっきも言ったけれども、議員の病気は公にはしたくないんだ。議員の名誉もあるし、このホテルの事も……」

「大丈夫。病院には顔見知りの医師が居る――ちょっと偏屈だけど、僕の名前を出せば万事、良いように取り計らってくれるはずさ」


 ◇◆◇


 患者の搬送は迅速かつ秘密裏に行われた。

 リドレックの通報から程なくして救急車はやってきた。

 サイレンを鳴らさず、回転灯も回さず。ホテルの地下駐車場に到着した救急車からは。

 救急隊員たちは車内に議員を運び入れると、来た時と同じように静かに地下駐車場を出て行った。


「一件落着、だな」

「……何が、一件落着、だ!」


 走り去る救急車を並んで見送ると、リドレックはラルクに噛みついた。


「今回ばかりはさすがに肝を冷やしたぞ! 無事に済んだから良かったものの、一歩間違えたらスベイレンが全滅するところだったんだぞ。こんな仕事は二度と御免だからな!?」

「がなるなよ、リド。……ほら、今回の報酬だ」


 悪びれた様子も無く、ラルクは手に持ったバッグをリドレックに差し出した。

 中を確認すると、一本のワインが収められていた。


「パーティー会場から失敬してきたんだ。さすがはパニラント、いいワインを揃えている」

「白じゃないか。どうせなら赤を持って来いよ」

「贅沢ぬかすな。シャトー・ブリュレの十二年物だぞ? 診察料だと思えば十分だろうが」

「……違いない」


 ラルクの言う通り、シャトー・ブリュレと言えば名品で知られている。赤ほどではないにが結構な値段だ。自分で飲んでしまうのには勿体ない。売るか、それとも贈答品として使うか、


 ワインを手渡すとラルクは踵を返して再びパーティー会場へと向かった。

 パーティーはまだ終わっていない。中座したフェズリー議員の分まで、ラルクは酔っ払い達の相手をしなければならない。


「じゃあな、リド。また連絡するよ」

「ああラルク。水曜日の約束、忘れるなよ」

「そっちこそ!」


 挨拶を交わすと、リドレックもその場を立ち去った。

 外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。

 夜空を見上げ一日を振り返ると、今日がまだ月曜日だったことを思い出した。

 週の初めから大騒ぎだ。

 明後日には友人達との旅行を控えている。

 それまでにいろいろ雑用を片付けなければならない。明日も慌ただしい一日になりそうだ。


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