見に行こう!
その日、桃兎騎士団寮の談話室居たのはヤンセン・バーグただ一人であった。
静寂の中、ヤンセンは一人静かにティーカップを傾ける。
談話室に置かれた高級茶葉はヤンセンの好みだった。今日は騒がしい同僚たちがいないお蔭で、落ち着いて味わうことができる。
しかし優雅な一時はそれ程長くは続かなかった。
寮長室の前の廊下を早足で歩き、談話室へとやって来たのはリドレック・クロストであった。
ティーカップを傾けるヤンセンの姿を見つけるなり、リドレックは冷ややかな口調で言い放った。
「暇そうですね?」
その声にはあからさまな皮肉が感じられた。
リドレックのひきつった顔に目もくれず、ヤンセンはカップの中にある琥珀色の液体に集中する。
「……暇そうに見えるか?」
「見えます。だって珍しいじゃないですか、ヤンセンさんが寮に居るなんて。いつもは研究室に泊まり込んでいるのに」
「着替えに戻っただけだ。すぐに研究室に帰らねばならん。仕事が詰まっていてな……」
そこで一区切りすると紅茶を一口すすった。
その優雅なしぐさがリドレックを苛立出せているであろうことは
カップをソーサーの上に置き、話を続ける。
「毎年、今の季節になるときまって忙しくなる。剣術の授業で出される課題をこなすため、新入生たちがこぞって開発部に剣の制作を依頼に来る。今年は特に依頼が多い。それもこれも、どっかのバカが〈茨の剣〉なんてものを見せびらかしてくれたおかげだ」
そこでようやく顔を上げて、ヤンセンは『どっかのバカ』ことリドレック・クロストに視線を向けた。
「強力な剣を持てば強くなれると、新入生どもは勘違いしていやがる。結果として俺達開発部は総出で、ガキどものおもちゃ作りにいそしんでいるわけだ――自分の研究を棚上げして、な! 忙しい中、ようやく暇が出来たので、三日ぶり寮に帰ってきたというわけだ。……ところでリドレック、お前のほうこそ暇そうじゃないか?」
「暇そうに見えますか?」
「見えるな。お前は総督府で総督の手伝いをしているのではなかったか?」
「ええ、例のテロ事件の後始末で大変なんですよ。取り逃がしたテロリストの行方を追って、方々を駆けずり回って寝る暇もありませんよ。それもこれも、間抜けな技術者が追跡をしくじったせいでね!」
そう言うと、リドレックは『間抜けな技術者』ことヤンセン・バーグを睨み付けた。
「忙しい中、ようやく暇が出来たので、五日ぶり寮に帰ってきてみれば、その間抜けはこんな所で優雅にお茶をしているときたもんだ。まったく、やってられませんよ!」
吐き捨てるリドレックに、とうとうヤンセンはソファーから立ち上がった。
「……貴様、言わせておけば!」
「偉そうな口を叩くなら、ちゃんと仕事してから言ってくださいよ!」
掴み合いを始められる距離で二人はにらみ合う。
二人は疲れていた。気が立っていた。喧嘩を始める理由もあった。
一触即発の空気の中、談話室の対面にある寮長室の扉が開いた。
中から出て来たのはエルメラ寮長であった。
やり取りは寮長室の中で聞いていたのだろう。睨み合う二人に、気怠い調子で声をかける。
「……あんた達、暇そうね?」
『そう見えますか!?』
「ええ、見えるわね。少なくとも私よりは暇そうに見えるわ」
殺気だった男二人に睨みつけられても、エルメラは一向に動じない。
気怠い調子に苛立ちを加え、言い放つ。
「ここの所、寮長の仕事が忙しくてね。どっかのバカがしでかした乱闘騒ぎの後始末もしなくちゃならないし、どっかの間抜けが要求する法外な予算を用意するのとで大忙しなのよ。……あんた達、ちょっとは寮長の仕事と、寮長であるこの私に敬意を払ったらどうなの?」
『…………』
敬意の表れかどうかは知らないが、リドレックとヤンセンは一先ず矛を収めた。
いかに疲れていようとも、気が立っていようとも――エルメラ寮長をこれ以上怒らせるべきでないことぐらいは、彼らにもわかる。
「こんな所で喧嘩している暇があるなら、あたしに付き合いなさい」
「どこに行くんだ?」
「学校よ」
ヤンセンの質問に短く答える。
そう言われて、初めて二人は彼女が制服姿であることに気が付いた。
「何かあるんですか?」
今度はリドレックが訊ねる。
制服の襟元を直しながらエルメラは答える。
「剣術の試験があるのよ。新入生が課題で作った剣を使って模擬戦をやるんですって。たまには後輩たちの様子でも見にいかなくちゃ――でないと、何しでかすかわからないからね、あの娘達」