村の食卓
村はずれの小高い丘で、領主の葬儀はしめやかに行われた。
列席者は村長と墓堀に集められた村の若い衆が数名だけ。どうやら領主は村民にさほど慕われてはいなかったようだ。
さみしい葬式だったが、手早く終わらせることが出来たのでリドレックとしてはありがたい。
手際よく葬儀を進めたおかげで、リドレックは村長の信頼を得ることが出来た。
葬儀を終えると村長は、リドレックにしばらくの間村に逗留するよう勧めて来た。
目論見通り、リドレックは一夜の宿と食事を手に入れることができた。
ミハイロフ老が村長を務める村は、人口百人足らずの小さな開拓村であった。
土地と資材が有り余っている地上では、家屋は全て天然木と石でできた平屋建てであった。
旧世界の暮らしを再現したこの建物は、合成素材で作られた天空島の建築物より余程文化的に見える。
気密性が低いのは不安だが、実際に住んでみると中々快適である。
夏は涼しく冬は暖かい。空調など無くとも十分に過ごしやすいように出来ている。
埋葬を終え、村に帰ったリドレックを待ち受けていたのはささやかにして豪勢な歓待であった。
中央にある広場には宴席が設けられていた。村人全員が集まっているらしく、精進落としの割には随分とにぎやかであった。
広場に置かれた大きなテーブルの上には、村の女性達の手による郷土料理が並べられていた。
ざっかけない開拓民の食卓では、ちまちまと小出しに料理を持ってきたりはしない。前菜からデザートに至るまで一度に出してくる。
田舎料理と侮っていたがなかなかどうして。テーブルに並べられた多種多様な料理に、リドレックはどれから手を付けたものかと目移りする。
オードブルは生野菜のサラダ。
採れたての新鮮な生野菜はそれだけで完成された料理として成立する。照り付ける太陽の下、収穫したばかりの生野菜をその場で頂く――まさしく最高の贅沢だ。
食卓にはちゃんとスープまで並べられている。季節の野菜を使った色彩豊かなスープは舌のみならず目まで楽しませてくれる。
メインディッシュは勿論、リドレックが仕留めた猪だ。
一晩かけて担いできた大猪は、村人たちの手によりきれいに解体されていた。
内蔵を選り分け、骨から肉をきれいに取り外す。あますことなく有効に活用される。
天空島に住む美食家に珍重される脳や目玉といった希少な部位は、市場に持って行って売りに出すのだろう。
リドレックに出されたのは腰肉の一番上等な肉だ。
脂身の少ない腰肉は非常に柔らかく、肉汁を使ったソースと非常によく合う。芳ばしい肉の香りは黒焦げになった領主の姿を思い浮かばせたが――リドレックは一向に気にしない。
この地方の主食はスパゲッティーニと呼ばれる麺料理である。
パスタならば天空島でも多く食べられているが、地上では乾麺を戻すという横着はしない。
丹念に練られた平打ちの生麺は、小麦粉の風味を存分に味わうことが出来る。トマトソースに地元でとれたキノコを和えた郷土色豊かな麺料理は、異邦人であるリドレックの旅情を掻き立てる。
魚料理は近くにある養殖池から捕って来たものだ。
この村のはずれには鱒の養殖池があり、不意の来客に備えいつでも新鮮な魚料理を提供できるようになっている――実によい心がけだ。
丸々と太った鱒を三枚におろし、野菜と一緒に蒸し焼きにする。頃合いを見計らって自家製酢を振りかける。爽やかな香りの柑橘酢は、脂ののった鱒によく合う。
そして、これらの素晴らしい料理をさらに完璧なものに近づけているのが、ワインだ。
まさしくこれこそが、ワインだ。
パニラントのワインセラーにおさめられている値段だけが高級な腐った葡萄汁とは物が違う。
丘陵地帯で作られる地酒は決して万人向けとは言えないが、リドレックのような筋金入りの酒飲みたちを惹きつけてやまない力強い魅力にあふれていた。
太陽の光を煮詰めたような濃厚な赤。
男性的な強い香りと、舌先に触れる野性的な雑味。
焼き尽くす様に通り過ぎる喉越しは、鋭い切れ味の名刀を彷彿とさせる。
神よ許したまえ――昼間から飲む酒は最高です!
最高の料理に、うまい酒――これらをさらに引立てるのは食卓を共にする人々との語らいである。
娯楽に飢えた田舎者たちは、来客者であるリドレックから少しでも話を聞き出そうと、食事の合間合間を狙ってしきりに話しかけてくるのであった。
「お坊さんは修道士なんで?」
酒を進めながらそんなことを聞いてきたのは、地元猟師のベッポであった。
テーブルジョークとしては上等な部類だ。無学な開拓民の的外れな質問に、おもわず吹き出す。
「いいえ、違いますよ」
笑いをこらえ、穏やかに答える。
肉食に飲酒――こんな生臭坊主が修道士な訳がない。
「だどもお坊さん! 大ぇした腕前じゃねぇですか。あんないっけぇ大猪を仕留めるなんてよぉ、ええ!?」
地元猟師はテーブルの上にある猪肉を指さし、大袈裟に驚いて見せる。
「ほとんど怪我もさせずに仕留めとる。さぞや名のある武芸者なんでしょうなぁ。でなければこうはいかねぇや」
「いや、何。多少の心得がある程度で、大したものでは無いですよ」
事実、それ程大した腕前ではない。
スベイレンの闘技大会ではもっと危険な獣と対戦している。直進するしか能のない猪を仕留めるくらい造作もない事であった。
「んだども、坊さんが一体どこでそんな技を覚えたんで?」
「以前ちょっと、騎士修行をしていたことがありまして……」
「騎士様だったんか!? 道理で強ぇえはずだ! 騎士になるには、何たら言う学校に行かにゃならんのですよな? 確か……」
「……スベイレン帝国国立騎士学校」
帝国内にあって最大にして唯一の騎士学校。
かつて在籍していた母校の名を口にするのは随分と久しぶりに思えた。
「そう! いやぁ、やっぱり学校出ている人はすげぇなぁ!」
実際にはリドレックはスベイレンを卒業していない。
今頃、スベイレンでは寮長たちが集まってドラフト会議が行われているはずだ。前年度の成績と照らし合わせ、来季における生徒達の所属寮が決定する。
ドラフト会議で所属先が決定しなかった場合、その生徒は自動的に退学になる。二年連続最下位の成績では、引き取ってくれる騎士団寮は無いはずだ。
騎士学校に未練はないが、それでも落伍者の烙印を押されるのは気分が良くない。今後の人生を考えると不安になってしまう。
「このへんじゃあ学校なんかねぇもんな。領主様に……」
「ベッポ、そろそろお茶の準備をしておくれ」
物思いにふけるリドレックを見て、村長は気分を害したと思ったらしい。
気を回した村長は、デリカシーにかける猟師に向かって用を申しつけて追い払おうとしてくれた。
「御坊もお飲みになられますよな? ベッポの淹れるカプチーノは最高なのですよ」
「……ああ、ええ」
そのカプチーノというものが何なのかは知らないが、馴れ馴れしい猟師を追い払えるのならばかまわない。
「さあ、ベッポ。自慢のカプチーノを持ってきておくれ」
「へえ! ただいま!!」
体よく追い払われた事にも気が付かず、ベッポは張り切って立ち上がる。
かまどに向かって一直線に駆け出すベッポを見送ると、村長はリドレックに頭を下げた。
「申し訳ない。何分、田舎者でして礼儀と言うものを知らんのです」
「いいえ、そんなことは……」
実際、それほど気分を害しているわけでは無い。
天空島からやって来たリドレックにとって、裏表のないあけすけな開拓民たちの性質は好感の持てるものだった。
「不作法ついでに今一つ。御坊の腕を見込んでお願いがあるのです」
「何でしょう?」
「話と言うのは昨晩、領主様を襲撃したランディアンの事なのです」
ランディアン――村長が蛮人の名を口にした瞬間、リドレックは身を強張らせた。
死滅した世界で滅亡の危機に瀕していた人類は、神々の奇跡の力である錬光の輝きによって救われた。
錬光の力を手にした人類は、神を崇め、敬い、その恩恵に感謝した。
しかし、その信仰の在り方を巡り、人類は二つの派閥に分かれることになる。
一つは、崩壊した大地を捨て、人として生きる道を選んだ天上人。
もう一つは、人であることを辞め、大地と共に生きることを選んだ地上人。
ハイランダーにとってランディアンは獣へと身を落とした野蛮人であり、ランディアンにとってハイランダーは大地を脅かす侵略者である。
両者の対立は解決の兆しを見せることなく、今日に至るまで続いている。
巡礼者であるリドレックにとって、地上に寄生する異教徒は不倶戴天の敵であった。信仰を抜きにしても、領主一家を惨殺した彼らを許すことはできない。
「その、ランディアンがどうしましたか?」
「ベッポはああ見えて、腕の良い猟師でしてな。今朝も仕掛けた罠を見に森の中に入って行ったのですが、そこでランディアンの一団を見かけたそうです」
「本当ですか?」
「間違いありません。慌てて逃げ帰って来たので人数とか詳しいことまではわからんのですが、ベッポの話によるとリーダーは女だそうです」
「女? では戦巫女ですか?」
戦巫女が相手となると、話はさらに厄介になる。
詳しい習性は明らかになっていないが、ランディアンは女系社会であると言われている。
戦場という危険な場所に女が立つことは滅多にない事である。戦巫女が率いる部隊ならば、士気も高いだろう。
「おそらく、次の襲撃先はこの村なのでしょう。今晩にも襲い掛かってくるに違いありません」
「十字軍に報告しましたか? 教会に加盟していないとは言え、領主が殺されたのです。助けに来てくれるはずです」
しかし、村長は悲しそうな顔をして頭を振った。
「来てはくれんでしょう。ここは貴重な遺跡も、目立った産業もない辺鄙な村です。呼んだ所でいつになる事やら……」
神の名のもとに編成された十字軍だったが、その実態は帝国国内の諸侯たちが派遣する軍隊の寄せ集めに過ぎない。
彼らの行動は派遣元の国益に大きく左右されることになる。
飯と酒が旨いだけが取り柄の村に、わざわざ軍を派遣する国などありはしない。
「領主エルロイ卿無き今、村民の手で村を守る他手段はありません。先程の話では御坊は武芸の心得もおありだと言う事。是非ともこの村の為、御助勢いただけませんでしょうか?」
村長の老獪な手管にしてやられた。
純朴な村人だと思ってすっかり甘く見ていた。
タダ飯、タダ酒をさんざん喰らっておいて今更、嫌と言えるわけが無い。
かくして、リドレックは危険極まりないランディアン討伐に駆り出されることとなった。




