志望動機は何ですか?
「……で、何が不満なんだよ?」
スベイレンに帰還したライゼを待っていたのは、やはり総督の呼び出しであった。
面接をほっぽり出して出てきたことは、既に総督の耳に入っているらしい。明らかに苛立った様子でライゼを睨みつける。
「せっかく紹介してやったのに、その場で断るなんてどういうことだ? 失礼にも程があるだろうに。一体、何が不満なんだ!」
「……いや、何がって。おかしいでしょう、色々と!」
職場は何にもない雑居ビルの一室。構成員は引退間際の爺さんが一人だけ。仕事は意味のない事務仕事――怪しすぎる。
「何なんですか、一体? 到底、まともな活動をしている騎士団とは思えないのですが?」
「そりゃそうだろう。あの騎士団は元々、定年間際の騎士たちの天下り先として作られた騎士団なんだから」
騎士制度改革以降、騎士団の仕事は激減している。
しかし仕事が無いからと言って騎士を簡単にリストラすることはできない。そこで、仕事にあぶれた騎士たちに名目だけの閑職を用意する必要となる。ライゼが紹介された騎士団も、天下り先の一つなのだろう。
「本来ならば強力なコネでもなければ入団できない所を、特別に頼み込んで採用してもらったんだぞ。こんないい条件な話、滅多にある物では無いぞ」
「新卒採用なのに、なんでいきなり窓際部署に左遷されなきゃならんのですか!?」
「楽な仕事がしたいって言ったのはお前だろ? いいじゃねぇか、仕事が無いのに給料だけはきっちり貰えるんだから」
「嫌ですよ! あんな陸の孤島で一生を終えるなんて! もうちょっと、ちゃんとした仕事をさせてくださいよ!」
「わかった、わかったよ! わかったからそう怒鳴るな。おまえが気に入らないんならしょうがない。また別の所を紹介してやるよ」
「今度はちゃんとした仕事が出来る所をお願いします」
「はいはい、つまり鈍らないように適度に体を使った仕事をしたい、と。……ったく、注文が多いな」
「確かにそうなんですけど。……何かひっかかる言い方なんだよなぁ」
ぶちぶちと言いながらも、総督は次の仕官先を紹介してくれた。
前回同様、メモ用紙に走り書きをすると、ライゼに向かって突き出す。
「ほら、ここに行け。今度は文句を言わせんぞ。何しろ、騎士団の代表、直々の面談だからな」
「代表と、直接ですか?」
通常、面接は人事担当の面接官が行うものである。
騎士団の代表を務めるのは、その大半が身分ある貴族である。就職活動中の学生騎士がおいそれと会える相手では無い。
今回はかなり、期待できそうだ。
「相手は帝国直参貴族だ。くれぐれも粗相のないようにな」
◇◆◇
獺騎士団を率いるクレメンス子爵の屋敷は帝都の一角、貴族屋敷の立ち並ぶ高級住宅街の中にあった。
帝都に屋敷を構えることが出来るのはごく限られた貴族のみである。クレメンス子爵家は、それだけ皇室に近い位置に居ると言う事を示していた。
「ようこそいらっしゃいました。ライゼ様」
屋敷でライゼを出迎えたのは、騎士団の代表を務めるクレメンス子爵夫人であった。
聞くところによると、クレメンス子爵の当主は二年前にはやり病で急逝したそうだ。
クレメンス子爵に子供は無く、後継者になれるような係累も居なかった。以後は未亡人となったこのクレメンス子爵夫人が当主を務めているのだそうだ。
「いきなり屋敷までお呼び立てしてしまって申し訳ございません。御気分を害されていなければよろしいのですけれど」
「いいえ、そんなことは……」
クレメンス子爵夫人は気品に満ちた美しい容貌の持ち主であった。
ランドルフ総督とは同世代と言う話だからまだ三十代半ば。未亡人と呼ぶにはまだ若すぎる年齢であった。
夫に先立たれて二年もたつのに未だに喪服姿を通している所を見ると、ただ美しいだけでなく貞淑さもかねさなえているようであった。
「あなたの事はランドルフ男爵から聞き及んでおります。……お話に聞いた通りのお方ですね」
面談が行われたのは屋敷内の応接間であった。
広い応接間には、ライゼと夫人の二人きりである。使用人はおろか、家事用の機械人形も居ない。
手ずから淹れてくれたお茶を、テーブルに置くと子爵夫人はライゼの隣に腰掛けた。
仮にもこれは騎士団採用の面接である。いささか馴れ馴れしいと思ったが、子爵夫人は気に留めないようであった。
「立派なお体をしていますのね?」
「ええ。日々、欠かさず鍛錬をしておりますので」
「男爵の話では体力にはかなり自信がお有りとか?」
「それはもう。体力だけが取り柄ですので」
「……素敵」
濡れた瞳でライゼを見つめると、子爵夫人はさらにその身を寄せて来た。
白魚のような五指をライゼの脚に置いて、耳元で囁くようにして話を続ける。
「主人を亡くしてもう二年になりますの。生前は何事においても主人に頼りきりでしたの。これまではどうにか私一人の力でやってこれたのですが――それももう、限界です」
ライゼの逞しい太腿を、子爵夫人の指が撫でまわす。白く細い指はなまめかしく蠢き、ゆっくりと上に――すなわち股間に向けてじりじりと移動する。
下半身に気を取られている隙を狙って、子爵夫人はさらに体を寄せて来た。
女慣れしていないライゼは、未亡人の醸し出す艶やかな魅力にすっかりとあてられてしまった。
「どうかはしたない女だと思わないでくださいまし。この先、女一人で生きていくには人生は長すぎます。ライゼ様のような頼れる殿方におすがりするしか、生きる術がないのです」
「わ、分かりました! 」
しなだれかかるように身を預ける子爵夫人に、貞操の危機を感じたライゼは悲鳴のような声を上げた。
「私の出来る事でしたら、出来うる限り御助勢申し上げます!」
「まあ、嬉しい! それでは、その、早速お願いできるかしら?」
「ええ、何なりとお申し付けください! ……ですから、その、ちょっと離れて頂きませんか!?」
そう言うと子爵夫人は存外、あっさりと身を離してくれた。
取り敢えず落ち着こうと、テーブルの上のお茶に手を伸ばす。一口含んだところで、衣擦れの音が聞こえた。
ティーカップから顔を上げると、そこには喪服を脱ぎ捨てた子爵夫人の姿があった。
「ぶふっ!」
応接間に浮かぶ白い裸身に、ライゼは口に含んだお茶を盛大に噴出した。
「な、な、何をしているんですか!!」
「あら、御免なさい。ご自分の手で脱がしたかったですか?」
「いや、そう言う事を言ってるんじゃなくてっ! 何でいきなり服を脱いでるんですか、あんたは!?」
「それを私に言わせるおつもりですの? 意地悪な方。……いいわ、はっきりと申し上げます」
羞恥に頬を染め、やや躊躇いがちに――しかし、はっきりと子爵夫人は口にする
「……抱いて」
蠱惑的な笑みを浮かべ、半裸で佇む未亡人の姿に、
「うわぁああああああああああああっ!!」
ライゼは絶叫した。
◇◆◇
スベイレンに帰ったライゼはいつもと同様、総督に呼び出され――る前に、総督府に駆け込んだ。
総督に抗議をしようとしたのだが、思うように言葉が出てこない。
「&◎%□£$◆@☆卍〒§¶?!」
「……だ・か・ら」
涙目になって意味不明な言葉を羅列するライゼに向かって、何かをこらえるよう
「何が、不満なんだよ!?」
「不満も何も、何なんですか!? あの色情狂は!」
「若い男を紹介してくれって頼まれてたんだよ。御主人を亡くして以来、体が火照ってしょうがないんだってさ。それなのに、裸の女ほっぽり出して逃げ出すなんてなんてことするんだ!」
「枕営業じゃねぇか! こんなの就職活動じゃねぇよ!?」
「就職活動とかみみっちい事言ってんじゃねぇよ! いいか? あの未亡人をうまく誑し込めば、お前は子爵様だ。帝国直参貴族だぞ? 一生安泰だぞ!?」
「最低だな、最低だなアンタ! どうしてそんなゲスい事が思いつくんだよ!」
「いいじゃねえか、多少年喰ってるけどエロい体してるしまだまだいけるって! 若さ溢れんばかりの肉体でもって、未亡人の熟れた体を慰めて差し上げろよ。体使った仕事がしたいって言ったのはお前だろう?」
「意味が違あああう!」
「あーあ、あーあ!! これだから学校出のゆとり世代は嫌なんだ。あれは嫌だ、これは嫌だと文句ばっかり言って結局、何もしないんだから。お前、本当は働く気無いだろう? ニート志望か?」
「あるわ! 労働意欲は滅茶苦茶あるわ!! 俺は、仕事がしたいんだ! ごく普通の、真っ当な、合法的な、ちゃんとした仕事がしたいんだ!」
延々と続くと思われた絶叫合戦は、二人の体力の限界と共に終息した。
「……まあ、一先ず落ち着こうか」
「……そうですね」
ぜいぜいと肩で息を切らしながら総督は話を続ける。
「私も話を急ぎ過ぎたかもしれん。ここは一から、進路指導からやり直そう」
「……今更そんなことをするんですか?」
「いいから。始めに、希望する職種について聞かせてもらおうか?」
「騎士団に入って騎士になりたいです」
この期に及んで何をと思いながらも、ライゼは答える。
簡潔すぎるその答えはしかし、総督の望んでいたような答えでは無かったようだ。
「……で?」
「……で? って、何ですか?」
「いやだから、騎士になって、何をしたいんだ?」
「帝国の安寧と臣民の命を守るのは、騎士を以て他になく、またその重責を担う事はこの上なき名誉として……」
「いやいや、そういう面接向けのことじゃなくって……」
これもまた総督の希望に沿う答えでは無かったようだ。
答えようにも質問の趣旨がどうにもつかめない。総督自身も、どう説明すればよいのかわからないらしく、額に手を当て考え込むような仕草で固まった。
「……何と言ったらよいのかな? もっと率直な意見を聞きたいのだよ。七年も騎士学校に居たんだ。何かこう、あるだろう? 騎士になってこうしたいとか、こういう騎士になりたい、っていうものがさ。そういう君が理想とする騎士像のようなものを聞きたいんだ」
◇◆◇
総督府を後にしたライゼは騎士団寮に戻った。
夕刻前。学校では丁度、授業が終わる時刻である。静まり返った桃兎騎士団寮のロビーにも、もう少ししたら戻って来た寮生達でにぎわう事だろう。
寮に戻って来たライゼだったが、なんとなく自室に戻る気にはなれなかった。
暇を持て余したライゼは、一先ず談話室に向かうことにした。
談話室には先客がいた。
「リドレック?」
「どうも」
桃兎騎士団寮の後輩、リドレック・クロストは素っ気ない返事を返してよこす。
彼も暇だったのだろう。リドレックはソファーに深々と腰かけ、ティーカップを傾けていた。
リドレックに倣って、ライゼも自分の分の紅茶を淹れソファーに腰掛ける。
こうして談話室でくつろいだのは随分と久しぶりであった。ここの所、就職活動で忙しかったので、落ち着いてお茶を飲む時間すらなかった。
落ち着いて――奇妙な事に気が付いた。
傍らに居るリドレックを見る。
「……暇そうだな?」
「ええ、おかげさまで」
リドレックは総督の補佐として総督府で働いている。こうして騎士団寮に居ることは非常に珍しいことであった。
「最近、総督は新しい遊びに夢中なんですよ」
「新しい遊び?」
「学生騎士の就職相談をするのだと言って、なんか張り切っているみたいなんです。まあ、僕としては無駄な用事を言いつけられなくって大助かりなんですけどね。おかげでこうしてゆっくりできると言うわけです」
「……そうか」
何のことは無い、貴族の道楽に付き合わされただけだったようだ。
よく考えてみれば苦労知らずの貴族様に就職相談なんて出来るはずがない。総督を信じたライゼが馬鹿だったのだ。
総督に振り回されただけに終わった就職活動であったが、それでも少なからず成果はあった。多少、失望するところはあったが、騎士団の実情を目の当たりにできたのは良い経験だった。この経験は今後の就職活動に役立つことだろう。
就職活動を続ける上での問題点も理解できた。
――騎士になって何をしたいのか?
その基本的な質問に、ライゼは答えることが出来なかった。
今までライゼは騎士になることを考えるのに夢中で、騎士になった後の事を考えたことは一度も無かった。
理想とする騎士と言う者も存在しない。この学校に在籍していた七年の間に様々な人々に指導を受け、闘ってきた。そのうちの幾人かはライゼよりも強力な騎士であったが、手本に出来るような存在ではあり得なかった。
あえて言うならば目の前に居るこの男――リドレック・クロスト。
実戦を経験し、無頼の強さを手にしたこの男こそが、ライゼの思い描く理想の騎士であった。
「……何ですか?」
まじまじと凝視するライゼの視線に気が付いたらしい。
気味悪そうな顔をするリドレックに、ライゼは訊ねる。
「お前さ、将来どうするつもりだ?」
「何ですか? 藪から棒に」
「いや、この学校を出たらどうするのかと思ってな。お前もそろそろ卒業後の進路について考えなくちゃならない時期だろう?」
「考えていません」
事も無げにリドレックは言い返す。
スベイレン最強の騎士と呼ばれるようになった今でも、落ちこぼれの気質が抜けないらしい。
こういった腑抜けた態度は監督生として見過ごせない。居住まいを正して身を乗り出すと、リドレックに向かって説教を始める。
「それじゃダメだろう。人生には何か目標が無いと。何かやりたい事とかないのか?」
「そんなものありませんよ。大体なんですか、やりたい事って?」
「それは……」
「やりたい事やって生きている人間なんているわけないでしょう。何ですか、ライゼさんは今までやりたいことをやって生きて来たって言うんですか?」
リドレックに言われて、今までの人生を振り返る。
貴族の三男として生を受けたライゼは、幼いころから自立した生きることを義務づけられていた。
騎士を志したのも、他に適当な仕事が思いつかなかったからだ。商家に奉公に出るのはどう考えても自分向きでは無いので、消去法で騎士修行の道を選んだに過ぎない。
用意された選択肢の中で最適と思われるものを選び、妥協を重ね自らを納得させる。そうやってライゼは生きて来た。
やりたい事をやって生きて来たとはとてもではないが言い難い。
「『やりたい事』なんか見つけたって意味ないんですよ。どうせできないんだから。重要なのは自分が『出来る事』を見つけ、それを精一杯やればいい。そうすれば周りの人は評価してくれる。世の中そういうふうにできているんです」
「……お前がそんな風に真面目に生きているようには到底見えないんだがな?」
「そんな事ありませんよ。少なくとも戦場ではそうやって生きていました。倒せる敵と戦い、倒せそうもない敵からは逃げる――だからこうして、生きていられるんです」
リドレックの戦場での実体験は、重みのあるような、ひどく情けないような――微妙な含蓄のある話であった
「そんなものなのか?」
「そんなもんですよ、人生なんて」
妙に達観したことを言うリドレックに苦笑すると、廊下の向こうからぱたぱたと足音が聞こえて来た。
「あ、リドレック!」
談話室に居るリドレックを見つけて声を上げたのは、新入生のメルクレア・セシエであった。
「ここにいたんですね」
「珍しいね。寮に居るなんて」
続いてやってきたのがシルフィ・ロッセとミューレ・エレクスの二人である。
学校から帰って来たばかりでまだ着替えてもいない。制服姿の三人は、リドレックの元へと駆け寄った。
「ねぇねぇ! 訓練に付き合ってよ」
「訓練?」
「学校で長剣の授業があったんですよ」
「忘れないうちに今日習った所を復習しようってわけ」
子犬のようにまとわりつくる後輩たちに、リドレックは煩わしそうな表情をうかべる。
「嫌なこった。めんどくさい」
「えーっ! そんなこと言わずに、やろうよ訓練!」
「訓練なら俺が付き合ってやるぞ」
少女達に声をかけると、ライゼは勢いよくソファーから立ち上がった。
「俺も久々に体を動かしたい。ここの所、忙しくて訓練を怠けていたからな――リドレック。お前もつきあえ」
「え? 俺も?」
「闘技大会が近いんだ。稽古をつけてやる。思いっきりしごいてやるよ」
先の事など誰にもわからない。
わかっているのは今、この時にやらなければならない事だけだ。
そして、ライゼが監督生としてやらなければならないことは、週末の闘技大会に向けて後輩達を鍛え上げる事だ。やる気に満ちた後輩を指導し、やる気のない後輩を叩きのめす。それが監督生の本分だ。
それから後の事は――その時になって考えよう。




