水曜日
水曜日。
リドレックはスベイレンを離れ、クェルス・リゾートへとやって来た。
海洋都市クェルスは実験施設として作られた。かつて地上に大半を占めていた水域――海を再現したこの天空島は、現在はリゾート施設として解放されている。
観光地化された天空島にあるものは、青い海と白い砂浜――そして、水着の女達である。
「お姉さん、これおかわり」
空になったグラスをウェイトレスに差し出す。
リゾート地で働く彼女達は、周りの景観に合わせて水着姿である。
デッキチェアに横たわるリドレックもまた、リゾートに相応しい装いであった。
派手な柄のシャツに短パン。顔の半分を覆う大きなサングラス――馬鹿げた格好ではあるが、周りの連中も同じ格好なので恥ずかしくは無い。
「お前、それ何杯目だよ?」
ビキニスタイルのウェイトレスが立ち去ると、隣のラルクが声をかけて来た。
ラルクもリドレックと同じ、リゾートスタイルであった。サングラスに隠れて見えないが、その下にある視線は水着姿のウェイトレスに釘づけであろうことは明らかである。
「楽しんでいるようじゃないか、リドレック? 来る前はあんなにゴネてたのによ」
「ああ、せっかく来たんだ。楽しまなくっちゃ損だ」
桜を見ながらの清酒だろうが、海辺で飲むカクテルだろうが、酒さえ飲めればリドレックは幸せだった。
「お待たせしました」
ウェイトレスはすぐに戻って来た。
トレーを降ろすと、注文した品をテーブルの上に並べてゆく。
「モヒートのお替りと、……こちらイカの活け造りになります」
『ぎゃああああああああああああっ!』
大皿に盛られたグロテスクな生き物に、リドレックとラルクが悲鳴を上げた。
短冊状に切り刻まれた半透明の白い生物はまだ生きているらしく、十本足の触手をゆらゆらと蠢かせている。
「何だコレ! 何だコレは!」
「生きてる! まだ生きてるぞ、それ!」
「当たり前だろ。活け造りなんだから」
恐れおののく二人をしり目に、ゼリエスは何食わぬ顔でゼリエスは大皿料理に取り掛かる。
テーブルに置かれた食器――箸と呼ばれる二本の棒を巧みに操り切り身を一つ掴むと、これまた黒い不気味なソースをつけてから口に運んだ。
「……うん、美味い。やはり素材が新鮮だと味が違うな。お前達もどうだ?」
「いや、僕はいいよ。生きたまま食べるなんて残酷だ」
切り刻まれて食われてもなお動き続ける軟体生物を、リドレックは気味悪そうに見つめる。
「何言ってやがる。お前なんか自分の体を活造りにしていただろうが。お前この学校辞めたら、料理人を目指したらどうだ?」
「冗談止せよ。料理人なんてガラじゃない」
「冗談じゃない。お前、料理得意じゃないか」
ゼリエスの言う通り、料理はリドレックの隠れた特技の一つであった。
貧乏所帯の黒鴉騎士団寮では、食堂を作る金も料理人を雇う予算も無い。
そのためリドレックは自室にあるキッチンで自炊をしている。頻繁に食事をたかりにくるゼリエスは、リドレックの料理の腕前をよく知っていた。
「神学校仕込みの素人料理なんてプロの世界で通用するもんか。金を取れるようなレベルじゃないよ。……なあ、このくらいにしておかないか、進路の話は」
そう言うと、リドレックは無理やり話を切り上げた。
「せっかく旅行に来ているんだ、もっと別の話をしようぜ。……ただですら最近、進路の話ばかりでうんざりしてるんだ」
本当にうんざりとした顔をするリドレックに、ラルクが訊ねる。
「何だ? 他にも進路のことで言われたのか?」
「マラボワに、医者にならないかって誘われた」
「……何だって?」
「いや、冗談なんだろうけどさ。この前入院したとき進路の話になってさ、卒業したらこの病院で働かないかって誘われたんだ。」
「それで、お前何て答えたんだ?」
「考えておくって言っておいた。まったく、悪い冗談だよ。いくらなんでも、医者ってガラじゃ……」
「断れ」
「うん?」
「今度マラボワに会ったらはっきりと断れ! 他にも仕官とか就職の話があったら、全て断れ!」
声を荒らげるラルクに、リドレックは目を丸くする。
「なんだよ、いきなり」
「……お前に話しておきたいことがある。ゼル、お前もだ! いいか、これから話すことは他言無用だ。誰にも話すんじゃないぞ」
「話?」
「何だよ、話って?」
神妙な顔つきのラルクに、リドレックとゼリエスが顔を近づける。
「元老院が近々、議会を地上に移転する予定なのは知っているか?」
「……噂ぐらいは」
元老院議会は皇帝になり替わり政治を行う機関である。
帝国の中核を担う行政機関であるにもかかわらず、一般人の認識度は極めて低い。
最高権力者はあくまでも皇帝であり、実質的に政治を執り行うのは天空島の領主たちである。
直接政治に携わる事のできない一般市民にとって、元老院議会は道楽貴族達の集まり程度の認識でしかない。
議会の影響力を内外にアピールするため、元老院はあらゆる手段を尽くしていた。
そのうちの一つが、議会の地上移転計画である。
「現在、地上を支配しているのは十字軍だ。教会と、それに付き従う諸侯達によって編成された十字軍は、地上の富を独占している。レコンキスタの流れに元老院は完全に出遅れた形となっている。巻き返しを図るためにも議会移転は必要な事なんだ」
「噂では聞いていたけどさ、本気でやる気なのか?」
力強く語るラルクの話を聞いても、リドレックは半信半疑であった。
「地上移転計画なんてただの政治パフォーマンスだろう? そんな事の為に皇道派を刺激するなんて、どう考えても得策とは思えないぞ」
「すんなりと話が進まないことは覚悟しているさ。さしあたって必要なのは軍事力だ。地上に拠点を置く以上、武力を誇示しなければならない。そのために元老院議会、直轄の騎士団を設立する予定だ」
「そんな物が出来るのか?」
「これから作るんだよ――俺達で」
「……何だって?」
不敵な笑みを浮かべると、ラルクはゼリエスに眼差しを向ける。
「俺は近いうちに、イシュー家の跡取りとして家督を継ぐことになる予定だ。その後は、元老院議員を目指して政治活動を始める。真先に取り組む案件が、この騎士団の設立だ――その騎士団の立ち上げに、お前達に参加してもらいたい」
それはあまりにも危険な誘いであった。
元老院議会が皇帝の影響力から離れ、その上独自の兵力を保持しようとしているのだ。場合によっては皇帝に対する反逆行為と受け取られかねない。
「ゼリエス。お前の卓越した剣術は、地上で繰り広げられている戦いに大いに役立つだろう。真耀流剣術免許皆伝のゼリエス・エトの名前は、新しい騎士団の旗印に相応しい。そして、リドレック。お前だ」
「僕も?」
次にリドレックの方を向いて頷いた。
「フェズリー議員を救った時、確信した。冷静な分析力と的確な状況判断、そして実戦で裏打ちされた医療技術は、戦場でも存分に発揮されるだろう。騎士団の衛生兵として、是非ともお前を招きたい」
熱を帯びた視線で、力強い声で、ラルクは誘う。
そして、リドレックにその誘いに抗う術はない。
国家機密に属する情報の洗いざらいを聞かされた今、否応は無い。
ここに至ってリドレックは、全てがラルクの策謀であったことに気が付いた。
旅行に誘ったのも、全てを詳らかに話したのも、リドレック達を追い込む布石だったのだ。
「帝国は既に斜陽に差し掛かっている。教会が権勢を振るい、商人たちが力を増し、諸侯の忠義は失われている。皇帝の権威は。この混迷の事態を収拾できるのは、元老院議会を置いて他にない――リド、ゼル。俺と共に来い。俺達三人で帝国に安定をもたらすんだ」
そう言って、ラルクが右手を差し出したその時、
「何話てんだい、あんた達?」
突如、背後から声をかけられた。
三人は慌てて背後を振り返る。
そこには水着姿の女性が一人、佇んでいた。
長身に小麦色の肌。大きな瞳に厚ぼったい唇の魅力的な顔立ちの女性はリドレック達と顔見知りであった。
「げぇっ! ナランディさん!」
「よ、久しぶり」
驚愕するリドレックに、ナランディ・ジセロは右手を上げて微笑んだ。
ナランディはリドレック達と同じ、スベイレン騎士学校の学生騎士である。
所属は赤牛騎士団寮。姉御肌で気風の良い彼女は男女を問わず人気があり、闘技会においてもトップクラスに位置する選手である。
そして、その背後にはもう一人、リドレック達の顔見知りがいた。
「や、やあリドレック」
ナランディの影から這い出す様に、ミナリエ・ファーファリスが顔を見せる。
「ミナリエまで。何でここに? それに、その恰好」
「あまりジロジロ見るな! ……は、恥ずかしいじゃないか」
ミナリエとナランディはリゾート地に相応しく水着姿であった。際どいデザインの三角ビキニは長身の彼女達に良く似合っていた。
スベイレンを遠く離れたリゾート地で学友と顔を合わせるのは、なんとなく気恥ずかしいものである。学校生活では見ることは無い彼女の水着姿は新鮮であった。
「偶然だね、こんな所で会うなんて。イケメン三人がこんな所で何やってんだい?」
ミナリエと対照的に、ナランディに恥じらう素振りはない。
リドレック達の許しを得ずにテーブルの上の飲み物を取り上げると、デッキチェアに腰掛ける。
「ナランディさんこそ、何をしに来たんですか?」
「ナンパだよ、ナンパ。決まってんだろ? リゾートに来て他にやる事なんかあるもんか。逆ナンされにビーチに繰り出して来たんだけどさ、誰も声をかけてきやがらねぇの。ったく、最近の男どもはだらしないねぇ」
「そりゃあ、そうでしょうね……」
彼女の肢体を見つめラルクが呟く。
騎士学校の厳しい訓練によって鍛え上げられたナランディの肉体は、性的魅力に著しく欠けていた。腹筋が六つに割れた女を口説こうなんて物好きな男はそうそういるものではない。
「こんないい女が二人も居るのに。なあ、ミナリエ?」
「い、いえ! わたしは別に、ナンパとか興味ないですし」
「そんな事は無いだろう? そんな気合の入った水着着といてさ」
「先輩が無理やり着せたんじゃないですか! ……ご、誤解するなよ、リドレック。私は」
弁解せずともおおよその事情は想像がつく。
この二人は赤牛騎士団寮の所属であり、先輩後輩の間柄である。お堅いミナリエがこんなあられもない姿を進んでするはずがない。先輩のわがままに無理やり付き合わされ、ビーチにやって来たのだろう。
「まあ、旅先で顔見知りに会えたんだ。折角だから、みんなで飲もうじゃないか」
『……げ!』
三人の男たちは、一斉にうめき声をあげた。
ナランディが好きな物――それは、酒と喧嘩と男である。
彼女と酒を飲む相手は碌な目に合わない事を、リドレックたちは経験から知っていた。
「あんたたちと飲むのは久しぶりだね。丁度、一年くらい前だったっけか?」
『…………』
あの日、泥酔したナランディに執拗に絡まれ、リドレックは飲み潰され、ゼリエスは殴り倒され、ラルクは押し倒された。
深いトラウマとなった過去を思い出し、三人は揃って青ざめる。
「あの時は楽しかったねぇ。どうだいリドレック、また飲み比べと行こうじゃないか」
「いいですねぇ! それじゃあボク、飲み物取ってきます!」
いち早く行動を起こしたのは、リドレックであった。
こういう時の判断力と決断力は素早い。
適当な口実を見つけると、脱兎のごとく駆けだした。
「ま、待て! リドレック! 私も手伝おう!!」
その後を、ミナリエが続く。
彼女も逃げ出す機会を窺がっていたのだろう。リドレックの背中を追いかけ、砂浜を駆けてゆく。
「あ、てめ。リドレック!」
「ずるいぞ、リド!」
置き去りにされた友人二人が悲鳴を上げる。
席を立とうとするが、ナランディに腕を掴まれ逃げることもできない。
「あたしウォッカ! ボトルでお願いね!」
両手に二人の男を抱えたナランディはすっかりご機嫌であった。生贄が二人も居れば、当分の間はおとなしくしてくれるはずだ。
(許せ、友よ!)
胸中で手を合わせ、リドレックは二人の冥福を静かに祈った。
◇◆◇
砂浜を駆けてゆくリドレックは程なくして、ヤシの木陰にあるビーチバーを見つけた。
「モヒート、ライム多めで。ミナリエは何にする?」
「私も同じものを」
カウンター越しに告げると、バーテンダーは慣れた手つきで飲み物を作り始める。
オーダーは二人分だけである。
ビーチに置き去りにした仲間たちの元へ戻るつもりは無い。ほとぼりが冷めるまで、ここで潜伏する腹積もりであった。
ミナリエも同様。飲みなれない酒を注文し、ここで時間を潰すつもりのようだ。
「いいのか? ナランディさんを放っておいて」
「いいんだ。もう用事は済んでいるからな」
「用事?」
「ここには本国から仰せつかった用事で来たのだ」
赤牛騎士団寮の支援団体であるアグリアス王国は帝国国内における最大の軍事国家である。
大国であるがゆえに、アグリアス王国には様々な問題を抱えている。学生騎士を駆り出さなければならないとは、余程人手が足りないらしい。
「そこにあるパニラントホテル・クェルス・リゾートでウチの軍事顧問とカンネル工房の代表が商談を行っているんだ。私と先輩はその護衛を仰せつかったというわけだ」
「カンネル工房だって?」
聞き覚えのある企業名に、リドレックの興味を引いた。
「帝国最大の軍事国家と新興の兵器工房が、リゾートホテルで商談をしているなんて一大事じゃないか。商談って、何を話しているんだ?」
「商談と言うのは表向きだ。ただの接待旅行だよ」
詳しい事情を聴きだそうと身を乗り出すリドレックに向かって、ミナリエは抑えるように掌をかざした。
「商談そっちのけで宴会している。飲んで、食って、女の子を呼んで――バカ騒ぎを見ているうちに護衛しているのが馬鹿らしくなってきてな。先輩と二人で抜け出して来たと言うわけだ」
「……成程」
ミナリエは不正や腐敗と言った行為を心の底から憎悪していた。
官僚と企業が国費を使って遊びほうける姿を見るのは、生真面目な性格の彼女にとって耐えがたい苦痛だったのだろう。
「お前達はなぜここに来たのだ? ……やっぱり、ナンパが目的なのか?」
ミナリエが鋭い視線で睨み付けて来た。
どうやら腐敗官僚に対する憎しみを、こちらにぶつけるつもりらしい。
リゾートに来てまで説教されてはかなわない。リドレックは必死で言いつくろう。
「ただの観光だよ。ほら、先週の試合で大怪我をしただろう? リハビリも兼ねて骨休みに来たんだ。ナンパできるような体力なんか無いって」
「そうか?」
「そうだよ。ラルクじゃあるまいし、水着姿の女なんて興味ないよ」
「……そうか」
『水着姿』のミナリエは、複雑な表情で黙り込む。
どうやら彼女の期待していた答えでは無かったらしい。
生真面目で融通が利かない彼女は、リドレックにとって苦手とする人種だった。
性格が真逆なので、何を考えているのか今一つ理解できない。
「しかし、まったく興味が無いと言うのも問題だな。女性に声をかけるくらいの甲斐性があってもいいのではないか?」
「何だよ、いきなり。」
今度はリドレックの事を甲斐性無しと言いだした。
まったくもって、何を考えているのかわからない。
「だって、お前もいい年齢だろう? そろそろ結婚相手も探さねばなるまい」
「結婚!?」
突拍子もない発言に、リドレックは吹き出した。
「……僕が!? 結婚? ……冗談だろう?」
「そんなに驚くような話ではないだろう? お前もいつかは結婚せねばならんのだ。相手を早く見つけておくに越したことは無い」
平民に比べて騎士階級の結婚適齢期は極めて低い。
戦場に立つ騎士はいつ死ぬかわからない。早いうちに身を固め、子供を作ることは家名を存続するためにも重要な事である。
騎士学校の学生たちにも、既に婚約者がいる人間も少なくない。
しかし、それは継ぐべき家名があれば、の話である。
「前にも話したろう? 僕とクロスト家の縁は途絶えているんだ。結婚なんて、継ぐ家の無い僕には関係のない話さ」
「だったらなおさらだ。家名がなければ作ればよい。名のある貴族の娘と結婚して、婿養子に入れば良いではないか」
さらに突拍子もない事をミナリエは言いだした。
確かに、政略結婚は家名を得るのに手っ取り早い手段である。
貴族にとって家名の存続は最優先事項である。跡継ぎのいない名家を見つけて適当な女性と結婚すれば、簡単に貴族になれる。
「それこそ僕には無関係な話だ。名家の令嬢が僕なんかを相手にするわけないだろう?」
「……そうか」
『名家の令嬢』、ミナリエ・ファーファリスは気落ちしたようにうつむいた。
「どうしたんだよ? 急にこんな話をするだなんて? 今日のお前、おかしいぞ」
「別に何でもない。ただ……」
バーテンダーの差し出したモヒートを一気に飲み干すと、ミナリエはグラスを思い切りカウンターに叩きつけた
「貴様はとんでもない、愚か者だ!」
「……そ、そうですか」
女心の一つも解せない愚か者のリドレックであったが――それでも、ミナリエが激しく怒っていると言うことぐらいはわかった。




