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天宮の煌騎士:短編集  作者: 真先
Episode 3: リドレックは二度死ぬ
10/18

火曜日

 火曜日。

 友人からのモーニング・コールでリドレックは目を覚ました。


『おはよう、リドレック!』

「……うるせぇよ」


 枕元に置いてあった携帯端末を取るなり、通話相手のラルクに向かって毒づいた。


『うぉう! 不機嫌だな。何だ、まだ寝てたのか?』

「当たり前だろう!? 今、何時だと思ってるんだ?」

『何時って……。もう、昼前だぞ』


 カーテン越しに射し込む日差しが強い。

 ラルクの言う通り時刻は昼前。一般人ならば一仕事終えている時刻である。

 しかし《白羽》リドレック・クロストに一般常識は通用しない。


「まだ昼前じゃないか。……こんな時間に起こしやがって」

『……お前、もうちょっと生活態度を改めた方がいいぞ。本気で』


 友人からの真摯な忠告をリドレックはきれいさっぱり無視した。

 リドレックの生活が不規則なのは怠惰な性格に起因するのではなく、先日行われた闘技大会の影響によるものだ。

 闘技大会で心停止状態にまで追い込まれたリドレックは《疑死》をはじめとする回復系の錬光技を多用した。

 錬光技は使用する少なからず副作用が発生する。今回の場合は睡眠時間に影響が出たようだ。寮に帰ってからかれこれ十二時間以上寝ているのだが、まだ眠気がとれない。

 

「それで、何の用だ?」

『連絡するって言ったろ? 今、病院にいるんだ。議員の様子を報告しておこうと思ってな』

「病状に変化があったのか?」

『いいや、病状は順調に回復に向かっている。お前さんの口利きのおかげで、外部への情報漏れもない』

「そいつは良かったな」

『ああ。それもこれもお前のおかげさ。今回の事は本当に感謝している。パニラントの支配人も今回の件で是非お礼がしたいと言っていてな、俺達をクェルスに招待してくれるそうだ。早速、明日行ってみようぜ!』

「……ちょっと待て。明日はフレストリンネで花見の予定だろう?」

『花見よりもクェルスの方がいいって! 花見は来週にしよう。桜はまだ開花したばかり。来週になれば丁度、満開になるはずだからさ』

「桜なんてどうだっていいんだよ! 酒だよ、酒。花見酒!」


 フレストリンネの観光の目玉は、古い街並みと地酒である。

 古くからある酒蔵で作られた清酒は、香り高くまろやかな喉越しと聞く。

 丁度、フレストリンネでは花見の季節。

 舞い散る桜を眺めながら飲む酒を、リドレックは先週からずっと楽しみにしていたのだ。


「それなのに直前になって変更なんてあんまりだ。ゼルだって納得しないぞ!?」

『酒ならクェルスでだって飲めるって。なんつったって海洋リゾートだ。ビーチに寝そべって、水着のねーちゃん眺めながら飲むカクテルは最高だぞ? ゼルにはお前から伝えておいてくれ、じゃあな!』

 

 一方的にまくしたてると、ラルクは通話を切った。

 こうやって物事を勝手に決めてしまう所はいかにも貴族らしい。

 イシュー家の立場を疎んじているラルクであったが、貴族の血筋は脈々と受け継がれているようだ。



「……ったく」

 

 ラルクのせいですっかり目が覚めてしまった。

 今更、寝なおすこともできない。二度寝をあきらめリドレックは寝床から這いずり出た。

 今から授業に出るつもりなど毛頭ない。制服では無く私服に着替え身支度を整え部屋を出る。

 

 リドレックの住処である黒鴉騎士団寮は、ごく一般的な集合住宅である。

 学生とは言え騎士の卵が住むには、あまりにもみすぼらしい。庭にバラ園まで拵えている桃兎騎士団寮とは雲泥の差である。


 貧乏所帯の黒鴉騎士団寮に余計な設備を設置する余裕はない。

 浴場が無いため風呂は自室にあるシャワーだけで我慢するしかない。

 食堂も無いため寮生達は自室のキッチンで自炊するしかない。


 それでも、上級生のリドレックは個室があてがわれている分だけまだましだ。

 今年入学したばかりの新入生達は、庭に建てられた仮設住宅に押し込められ窮屈な共同生活を強いられている。ここで一年過ごし、新入生達は狭苦しい環境で生活する術を学ぶのだ――去年のリドレックのように。


 寮内に人の気配はない。

 荒くれ集団と呼ばれている黒鴉騎士団だったがなかなかどうして、寮生達は以外にも勤勉であった。今頃は学校で真面目に授業を受けているのだろう。

 寮に残っているのは授業をサボる怠け者か、授業を受ける必要のない天才剣士のどちらかである。


 自室を出たリドレックは、ゼリエスの元へ向かった。明日の旅行にはゼリエスも同行する。旅行先の変更を伝えてやらなければならない。

 ゼリエスの部屋はリドレックの部屋のすぐ隣である。


「ゼル、入るぞ」


 ノックと同時に部屋に入る。

 返事を待つ必要はない。居るのは分かっている。


 リドレックの部屋と同様、狭苦しく殺風景な部屋にゼリエスは居た。

 部屋の中央に座卓を置いて、その前にゼリエスは鎮座している。

 座卓の上には三角形に組み上げたトランプカードが積んであった。

 トラス構造のトランプタワーに向けて、ゼリエスは手に持ったカードをゆっくりと下ろす。


「……何をやっているんだ?」

「集中力を高める訓練だ」


 答えながらも、ゼリエスは黙々とトランプタワーを組み上げてゆく。

 その手つきに一切の乱れは無い。

 剣の達人であるゼリエスにとって、精神と肉体を意識下に置くことはごく自然なことであった。集中力に頼らずとも、トランプカードを積み上げる事など造作もない。


 ゼリエスが引きこもり生活を始めたのは昨年の夏――真耀流剣術免許皆伝を得てからである。

 若くして真耀流剣術免許皆伝を得た彼に学ぶものなど何も無い。他流試合を禁じられているため、闘技大会に出る事すらゆるされていない。

 授業にも出ず、鍛錬をしようにも相手のいないゼリエスは、部屋に引きこもって暇つぶしの方法を模索する日々を送っていた。

 真耀流剣術免許皆伝が、持てる技量の全てを費やしてトランプタワーを組み上げているのを見て、一言つぶやく。


「……暇な奴だな、お前」

「今まで寝ていた貴様に言われる筋合いはない。……で、何の用だ?」

「ラルクから連絡があった。明日の旅行の目的地をクェルスに変更するそうだ」

「……そうか」


 旅行先の変更を告げると、トランプを持つ手が止まった。

 フレストリンネに行くのを、ゼリエスも楽しみにしていたのだろう。

 元々、この旅行は引きこもり生活を送るゼリエスを見かねて企画したものだ。彼もまたリドレック同様、酒と美味しい食べ物には目が無いのだ。

 フレストリンネの地酒が飲めないと知って落ち込んでいるのだろう。沈んだ様子のゼリエスに、リドレックは背を向けた。


「確かに伝えたぞ。お前も旅行の準備をしておけ」

「魚はいるのか?」

「うん?」

「クェルスに魚はいるだろうか?」

「いるんじゃないのか? 海洋都市なんだから」

「そうか」


 どうやら南国リゾートを満喫するつもりになったらしい――存外、気持ちの切り替えが早い男だ。

 再びトランプタワーに挑みかかるゼリエスを置いて、リドレックは部屋を出て行った。

 目的地が変わったとは言え、旅行に出かけるのは変わりない。明日の準備と片付けておかなければならない雑務がいくつかある。

 学生寮を出たリドレックはスベイレンの街へと向かった。


 ◇◆◇


 学生街である中層階は静寂に包まれていた。

 勤勉な生徒達は学校で授業を受けている時刻である。授業をサボって堂々と散歩をしている所を他の生徒達や教師達に見つかると厄介だ。人目につかぬよう、足早に通りを駆けてゆく。


 騎士らしく錬光駆動式騎行兵器――ナイトメアに跨りハイウェイを駆け抜けたいところだが、生憎とリドレックはナイトメアなんて高級品は持っていない。

 最寄りの駅からトラムに乗り込み、リドレックは上層階へと向かった。


 駅を降りたリドレックは大通りを歩いてゆく。

 官公庁がひしめく上層階は、いつ来ても閑散としている。オフィスビルが立ち並ぶビジネス街を抜けて、リドレックは目的地へと向かった。

 やがて灰色のビジネス街に似つかわしくない、神殿と見紛うばかりの豪奢な建造物が見えてきた。

 白亜の大理石に精緻な彫刻が施された建物――ハルシュタット銀行スベイレン支店である。


「いらっしゃいませ」


 銀行に入るとすぐに行員が駆け寄りリドレックを出迎えた。

 身だし良く礼儀作法をわきまえた――人間の行員は、リドレックに向けて深々と頭を下げた。

 ハルシュタット銀行では最高のサービスを提供するため、接客は機械人形任せにせず全て人間が行うことになっている。

 ハルシュタット銀行は帝国国内最大の銀行である。そして最大の銀行であることを証明するため、あらゆる演出を惜しまない。

 学園都市であるスベイレンにわざわざ豪華な支店を建てているのも、大袈裟なまでに行き届いたサービスも、全ては新興財閥であるハルシュタット家の虚勢であった。


「本日はどういったご用件でしょうか?」

「預金を引き落としたいんだ。現金で頼む」

「かしこまりました。少々、お時間がかかります。あちらでお待ちください」


 そう言うと行員はリドレックを待合室へと案内してくれた。

 ソファに腰掛けると同時に、これまた人間の給仕がやってきてお茶とお菓子を差し出してくれる。

思えば、昨日から碌な物を食べていない。

 手続きが終わるのを待つ間、朝昼兼用の食事を食べていると、顔見知りの人物がこちらに待合室にやってきた。


「リドレック君!」

「……ジョシュアさん?」


 金髪巻き毛の青年――ジョシュア・ジョッシュは、リドレックの目の前までやってくると深々と腰を負った。

 ジョシュア・ジョッシュはリドレックと同じ、スベイレン騎士学校の生徒である。

 桃兎騎士団寮の若手選手であり、闘技大会でも何度か顔を合わせたことがある。


「久しぶりだねぇ、リドレック君。怪我の方はもういいのかい?」

「ええ、ご覧のとおりです」


 如才なく挨拶を交わすと、ジョシュアはソファーに腰掛けた。

 今日の彼はビジネススーツをきっちりと着込んでいた。童顔のジョシュアに仕立ての良いスーツは見事なまでに似合っていなかった。


「今日はどういった用件でここに?」

「現金が入用になりまして、預金の引き落としを。……ジョシュアさんこそ、何でここに?」

「ああ、エルメラ様に言われて銀行業務の手伝いをしているのさ」


 そう言うとジョシュアは気取った様子でスーツの襟元を正した。

 ジョシュアが所属する桃兎騎士団寮の寮長――エルメラ・ハルシュタットは、その名の通りハルシュタット家の一族である。

 聞くところによるとジョシュアはハルシュタット家の郎党であるらしい。騎士学校卒業後はハルシュタット家に仕えることになるのだろう。

 ハルシュタット家の人間は金遣いが荒い事で有名だが、人使いのほうも荒いらしい。ジョシュアも卒業前から丁稚奉公に駆り出されているというわけだ。


「今は営業部門で働いているんだ。今は新しい金融商品を取り扱っているんだ」

「新しい金融商品?」

「そう、すごくいい話なんだ。これがまた君にうってつけの商品でね、良かったら説明させてくれないか?」


 そう言うとリドレックの返事を待たず、ジョシュアは懐からパンフレットを取り出しに差し出した。

 パンフレットを受け取ったリドレックは怪訝な表情を浮かべ、印刷されている文字を読み上げた。


「『退学者向け奨学ローン〈クラット35〉』?」

「そう、騎士学校の生徒を対象とした画期的な奨学ローンなんだ――所で話は変わるけど、君は将来どうするつもりなのかな?」

「はあ?」


 いきなり将来の事を訊ねられたリドレックは面食らう。


「いや、ホラ。現時点での君の成績は最下位だ。今期も半分を終っている。このままいけば今年も君は《白羽》って事になる。そうなれば黒鴉騎士団寮も黙っちゃいないだろうね。君は寮から追い出されて、トレード要員として放出されることになる。二年連続最下位成績の君を受け入れる酔狂な騎士団寮などあるわけが無い。夏休みに行われるドラフト会議で受け入れ先が決まらなければ、君は自動的に退学処分になる――だろ?」


 リドレックは肩をすくめて頷く。

 不躾な物言いであったが、全てジョシュアの言う通りだ。

 トレードに出されることは既に決定しているし、次の騎士団寮も決まっていない。リドレックの退学処分は事実上、内定しているようなものであった。


「スベイレン騎士学校は国立学校だ。基本的に学費は国が出してくれる。が、それはあくまでも騎士として卒業した者のみに限られる。中途退学する場合には学校側に違約金を払わなければならない」

「……ええ」


 スベイレン騎士学校は就職率百パーセント。

 学生たちは仕官先が決定するまで卒業することは許されない。

 仕官先を見つけるまで何年でも留年することが許されるが、大抵の場合は違約金を支払って自主退学へと追いやられる。


「最近では就職難だからね。仕官先が見つからず、中途退学する生徒が増えているんだ。違約金の額は相当なものだ。生徒達にはとんでもない負担になるだろう。そこで、支払いに困っている生徒達を救済するため、その違約金をハルシュタット銀行が肩代わりしようっていうのがこの奨学ローンなのさ」

「……へえ。いい話じゃないですか」

「そうだろう? 支払いの滞った違約金を、ハルシュタット銀行が奨学金という形で融資する。生徒達は働きながら、少しずつ返済していけばいい。金利は年10%の変動型。35年ローンで月々の返済も楽々なんだ」


 説明に耳を傾けながら、パンフレットにざっと目を通す。

 ジョシュアの言っている事と、パンフレットに書かれている内容を要約すると、


「……つまり、就職先が見つからず『退学』になった生徒に『奨学金』という名目で金を貸し付け、借金漬けにしようってことですか?」


 困っている生徒達を救済するなどと言っているが、その実態はとんでもない代物だ。

 長期ローンは利息分だけでもかなりの額になる。しかも変動型。ハルシュタット銀行の都合で金利を自由に設定できる。


 悪徳銀行に危うく騙されるところであった。

 半眼で睨み付けてやると、ジョシュアは飄々とした態度で言いかえしてきた。


「借金じゃないよ、奨学金だよ。名前が違うだけで、……なんかこう、楽になったような気がしない?」

「何ですか、そのふわっとしたのは……。どちらにせよ僕には無関係な話ですよ」


 パンフレットをテーブルに放り投げた。


「僕には違約金を一括返済できる蓄えがあります。ハルシュタット銀行のお世話になる必要なんてありません」


 実の所、リドレックは結構な資産家なのである。

 毎週行われる闘技大会では、報奨金が出る。勝利しなくても出場するだけで選手にはファイトマネーが支払われる。そこに危険手当や負傷手当がつく。

 さらにリドレックの場合、自らに多額の保険金をかけていた。闘技大会で負傷するたび、保険会社から高額の保険金が支払われている。

 先日の試合では心停止状態まで陥った。保険会社に申請すれば多額の保険金が下りるはず――死亡保険を自分で受け取れるのはリドレックぐらいのものだ

 一年半に及ぶ学生生活でリドレックはかなりの財産を築き上げていた。贅沢をしなければニ、三年は遊んで暮らせるだろう。


「あー、やっぱり君もそうか」


 がっくりと肩を落とすと、ジョシュアは深いため息をついた。


「みんなそう言うんだよねー。ウチの学校の生徒ってさ、みんな金持ちなんだよね。貴族や商家の坊ちゃん嬢ちゃんばかりだし、その上闘技大会でしこたま稼いでるんだもん。そりゃ奨学金なんて必要ないよね」

「大体、何なんですか『退学者向け奨学ローン』って? いろいろ間違っているでしょ。返済能力のない人間に金貸してどうしようっていうんですか?」

「僕もそう思うんだけどさ、支店長のエルメラ様が『晴れてる時に傘貸して、雨が降ったら取り上げるってぇのが銀行屋の仕事よ!』とか言ってさ、支払い能力の如何を問わず片っ端から貸し付けるようにって命令されているんだ」

「だから、そう言う事を客の目の前で言っちゃダメでしょ」

「そんなわけでさ、お願いだから借りてくれないかな? ノルマがきつくて大変なんだよ」

「……今の話の流れで、どうして借りると思うんですか?」


 拝むように頭を下げるジョシュアを見て、自分の将来よりもこの銀行の未来の方が気になってしょうがなかった。


 ◇◆◇


 得も言われぬ倦怠感を抱え、リドレックはハルシュタット銀行を後にした。

 銀行で現金を手に入れたリドレックは次の目的地である教会へと向かった。一昨日、闘技大会で手に入れた報奨金の一部をお布施として納めるためである。

 教会に寄進すると、見返りとして保険や年金、税金の控除など様々な恩恵が得られる。どこぞのぼったくり銀行に預けるより余程、安全である。


 錬光教団スベイレン教会は、銀行と同じ上層階にある。

 最寄り駅からトラムに乗り、二駅。あっという間に教会前に到着した。

 駅を降りてすぐの場所にあるスベイレン教会は、他の天空島の教会に比べてみすぼらしい佇まいであった。

 教会の大きさは、天空島の経済規模に比例する。

 スベイレンの住民の大勢を占めるのは、騎士学校に通う学生達だ。当然のことだが、冠婚葬祭などの行事もない。お布施も多くは集まらないため、教会は質素であった。


 リドレックは教会入口の脇にある事務所に向かった。

 その場に居た事務員に寄付金の入った封筒を渡す。記帳を済ませると、足早にその場を立ち去った。

 教会に長居すると碌なことにならない。司祭に見つかりでもすれば有り難くも無い説法を聞かされた挙句、さらに寄付金をせびられることになる。

 幸いなことに教会に人影は見えなかった。誰もいないことを確認してから礼拝堂の前を通り過ぎると、


「おおっ! リドレック・クロストではないか!」


 野太い声がリドレックを呼び止める。


「ボルクスさん」

「はっはっはっ! 元気そうではないか、リドレック。とても黄泉路を逆走して来たようには見えんぞ?」


 豪快な笑い声と共に巨漢の男がこちらへ向かってやってくる。

 無精ひげに修道服姿のその男は、いかにも修行中の修道士のように見えた。


「……どうも。ボルクスさん」


 引きつった笑みを浮かべ挨拶をすると、巨漢の修道士、ボルクス・チァリーニは満足そうに頷いた。


「うむうむ。これもすべて神の恩寵のなせる技よ。神よ! 感謝します。この若者を蘇らせてくださったことを!」

「……神よ、感謝します」


 大仰な仕草で神を称えるボルクスに、リドレックが続く。


 ボルクス・チァリーニはスベイレン騎士学校の生徒であり、白羊騎士団寮所属の選手であり、錬光教団の敬虔な信徒である。

 教会に来るたび顔を合わせるボルクスとは顔なじみである。

 ボルクスの事をリドレックは決して嫌ってはいなかったが、事あるごとに大きな体と大きな声で神を称える彼を鬱陶しいと思うことがたまにある。


「丁度良かったぞ、お主に会えて。実は折り入って、お主に話があるのだ」

「何です? 今月の支払いはもうすませましたけど?」

「いや、寄付の話ではないんだ。まあ、とにかく聞いてくれ。貴様にとってもいい話なのだ」

「……またかよ」


 たった今『いい話』とやらにひどい目にあったばかりである。

 警戒心を露わにするリドレックにかまわずボルクスは話を始めた。


「実はな、私の知り合いに教会の司祭を務めてらっしゃる方がおるのだ。小さな天空島の小さな教会で、信者の数もそれ程多くないので一人でお勤めを果たしておられるのだ」

「……はあ」

「今までは問題なくお勤めなされていたのだが、いかんせんご高齢でな。引退したいのだが、後任の司祭がなかなか見つからない。誰か良い司祭を紹介してほしいと、相談を受けたのだが、……お前やってみるつもりは無いか?」

「……僕に、坊主になれって言うんですか?」

「うむ。聞くところによると、お主は神学校に通っていたそうではないか?」 

「……まあ、そうなんですが」


 今でこそ騎士学校に通っているが、以前は教団付属の神学校に通っていた時期があった。

 あまり優秀な生徒では無かったが、それでも祭事を執り行うための知識は一通り心得ている。


「貴様だったら教会の作法に通じている。この学校を出ても行く当てなどないのだろう? だったら、いっそのこと信仰の道に戻ってみてはどうだ?」

「いや、でも無理ですよ。僕なんかが教会の司祭なんていくらなんでも……」

「なあに、さっきも言ったが本当にちっぽけな教会なんだ。大した仕事なんてありゃしない。収入は少ないが、お前一人が喰って行く分には十分なはずだ。どうだ? いい話だろう?」

「……少し考えさせてくれませんか?」


 とりあえず、リドレックは答えを保留した。


「出家するとなると一大事です。本山の許可も必要だし、家族の承認も得なければならない。僕の一存で決められることではありません」

「うむ。前向きな返事を期待しているぞ。兄弟」


 ボルクスに一礼してリドレックは教会を後にした。

 

 教会を出た所でリドレックの全身にのしかかるような疲れが押し寄せてきた。

 どこかで食事をして一杯ひっかけようと思っていたが、今日はまっすぐ寮に帰ることにした。

 明日には旅行が控えている。

 寝坊などしたらラルクとゼリエスにどやされる。早めに寝て、明日に備えなければならない。


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