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天宮の煌騎士:短編集  作者: 真先
Episode 1: 聖地巡礼
1/18

巡礼の旅

 夏は暑いものだと言うことを、地上に降りてあらためて思い知らされた。

 天空島のように行き届いた温度調節機能など地上には存在しない。むせ返るような熱気が温室育ちのリドレックの体を苛んでゆく。


 すっかり道に迷ってしまった。

 辺境の森の中では街道の整備などされていない。獣道はひどく歩きづらいが、他に道は無い。この道を外れれば、本格的に遭難することになるだろう。

 巡礼服に覆われた体はすでに湿気と汗で濡れていた。風呂には何日も入っていない。不衛生な体は風土病を呼び込むことになる。旅の垢を落とそうにも、深い森の中ではそれもかないそうにもない。

 さらに叩きつけるようなスコールが、リドレックの体から体温を奪う。降りしきる冷たい雨から身を守るため、リドレックは適当な木陰を見つけ腰掛けた。


 一先ず小休止。

 時は夕刻、雨雲が無ければ夕日が見えただろう。

 深い森の中では方向感覚を掴むのは難しい。人家を見つけるまではまだ大分距離がある。今は先を急ぐよりも、酒瓶に口をつけ体を温めることが重要だった。


 かつて人類を生み出し育んだ母なる大地は、リドレックを甘やかしてはくれなかった。

 道を一本間違えただけで、風呂に入らなかっただけで、雨に降られただけで――簡単に命の危険にさらされる。


 壊滅的な打撃を乗り越え再生を果たした地上は、既に人類の領域ではない。

 万物の霊長である人類の代わりに地上の主となったのが、自然界の営みの果てに独自の進化を果たした獣達だった。

 そして今、リドレックの目の前でまさに自然界の営みが繰り広げられていた。

 もっとも原始的な自然界の営み――それは、闘争である。


「キシャッ!」


 奇声を上げて威嚇するのは、白毛の大猿だ。

 体長約十フィート。

 長い尻尾の先まで長く柔らかい白い毛で覆われている。

 深い森の緑に映える真っ白なその姿は遠目から見れば美しいのだが、その顔は恐ろしく醜い。


「ゴフッ! ゴフ、ゴフッ、ゴゴッ!」


 対するは岩のような大猪。

 体長はほぼ同じぐらいだが、目方はこちらの方が上のようだ。

 全身を覆う固い外皮と前方に突き出た鋭い牙は、さながら戦車競技に出てくる機動兵器のようであった。

 巨大な鼻から吹き出した鼻息は雨上がりの冷え切った空気に交じって白く立ち上る。


 獣道を歩いていれば、獣たちに出くわすのは必然であった。

 そして人と獣よりも、獣と獣が出会う確率の方が必然的に高い。

 二匹の獣が出会えばやることは一つ、戦う事だけだ。


「キシャアッ!!」

「ブフィッ!!」


 咆哮が重なるその瞬間、戦いは始まった。

 先に仕掛けたのは大猪だった。

 大猿に向けて一直線に突進する。

 大猪の強烈なぶちかましを、避けることも躱すこともせず大猿は真正面から受け止めた。

 類人猿の割に随分と頭が悪い戦い方だ。


「ギャシャアッ!」


 腹部に鋭い牙が突き刺さると、大猿は一際大きな奇声を上げた。

 体を張って受け止めたにもかかわらず、大猪の突進は止まらない。

 電車道を突き進む二体の巨獣は、やがて大岩にぶつかり停止する。

 

「ギャアアアアアッッ!」

 

 大猪と岩に挟まれ大猿は絶命した。

 大猿の残した長い悲鳴が、森の中に木霊する。


「ブフィィッ!!」


 頭を振って大猿の体から牙を引き抜くと、大猪は勝利の雄叫びを上げた。

 猿と猪。二匹とも本来ならば肉食動物ではない。空腹を満たすことは彼らの戦う理由にはなりえない。

 彼らが戦う理由は唯一つ、自分達の生存圏を守るためだ。

 大猿を仕留めた大猪は、次なる外敵の排除に向かった。

 彼の発達した嗅覚は、木陰に潜むもう一体の外敵の姿――つまりリドレックを捕えていた。

 

 二匹の巨獣の戦いを、リドレックは木陰に隠れて見守っていた。

 呆気ない終わり方だが雨宿りの余興としてはまずまずであった。

 酒瓶片手に高みの見物と洒落込んでいたのだが、大猪の発達した嗅覚はリドレックの居所をたやすく察知してしまった。


「ブッフィィッ!!」


 一声嘶くと、大猪は鋭い牙をリドレックに向けた。

 姿勢を低くして前足で地面をしきりに掻き毟る仕草は威嚇のポーズだ。

 今更逃げることはできない。猪の脚はリドレックよりも早い。雨上がりのぬかるみの上では確実に追いつかれるだろう。

 酒瓶を仕舞い、木陰に立てかけてあった錫杖を手にして立ち上がる。


「……いいぜ、始めようか?」

 

 猪に人間の言葉が理解できるはずがない。

 それでも錫杖を構え手招きするリドレックの姿に挑発の気配を感じたのだろう。

 目を血走らせると共に、大猪はリドレックに向けて突進する。


「ブッフフィィィィッ!!」


 ◇◆◇

 

 巡礼者とは何か? 

 あらためて問われても、一から説明するのは非常に難しい。

 

 字義通りに意味を捕えるならば、神の足跡をたどる宗教的儀式であった。

 地上には旧世界の遺跡――聖地が点在している。そしてその聖地の下には、人類が失ってしまったが旧世界の遺物が埋もれているのである。

 危険際周りない地上に降り立ち聖地を巡ることは修行僧にとって例え様もない苦行であるが、それだけに信仰の強さを示す証となった。

 聖地の下には失われた神の叡智が埋もれていることが知られると、巡礼者は遺跡の発掘調査を行う探検家や考古学者という側面を持ち始める。


 やがて、掘り起こされた数多くの品々が高額で取引されるようになると、本来の宗教的意味を失い一獲千金を狙うトレジャーハンターなどが出始めた。

 彼らのもたらした膨大な財宝により、天上界にはルネサンスの華が咲きほこり、やがて十字軍遠征へと導かれてゆく。


 初期の十字軍において主力を担ったのが遍歴の騎士であった。

 教会の呼びかけに応じた信仰厚い――或は単に食い扶持を求める遍歴の騎士たちは巡礼者に身をやつし地上へと降り立った。

 地上には彼らを満足させるだけの脅威と報酬が約束されていた。

成功を収めた騎士たちは、後に荘園領主としての地位を得ることになる。


 十字軍遠征が本格化すると、聖地の定義も変遷する。

 地上には錬光石をはじめとする数々の資源を無尽蔵に埋まっている。

 閉塞した空気に嫌気を指していたハイランダーは、希望に満ちた大地そのものを聖地と呼び崇めた。

 それに伴い、地上には様々な人々が行き交うようになった。

 開拓者に交易商人。定住地を持たない季節労働者。主を持たない浮浪騎士。錬光石をはじめとする鉱物資源を求める山師に、凶暴な獣を狩る猟師。物見遊山の旅行者から、逃亡中の犯罪者――等々。

 それら、全ての人々を一括りに『巡礼者』と呼ばれるようになった。


 要は巡礼服を着て首から聖印をぶら下げていれば、誰でも巡礼者と名乗ることが許されるのである。


 スベイレン帝国国立騎士学校に在学しているリドレック・クロストは、夏休みに入ると同時に地上へと向かった。

 二年連続最下位成績を叩きだしたリドレックは退学が内定している。

 正式な処分が決定する前に、リドレックは卒業旅行ならぬ職探しの旅に出かけた。

 騎士学校中退という経歴でつける仕事など限られている。

 貯金を全て下ろし巡礼用具一式を整えると、リドレックは地上にたむろする巡礼者の仲間入りを果たした。


 巡礼者と言うのはまことに結構な商売であった。

 経歴も資格も必要ない。目的もなく地上を徘徊しているだけで生計が成り立つ。

 金が欲しければ街に出て托鉢をすればよい。人通りの多い場所で聖典を唱えれば、敬虔なる信者たちが小銭を恵んでくれる。


 宿の心配もする必要もない。

 巡礼者をもてなすのは信仰の証でもあった。

 迷信深い地上の人々は巡礼者を粗末に扱うと祟りがあると固く信じているのだ。その土地の名士の元へ足を運べば、喜んで暖かい寝台と食事を提供してくれる。


 今日もリドレックは一夜の宿を求め『手土産』持参でこの地方一体を収める領主の屋敷を訪れたのだが――当てが外れた。


◇◆◇


 綺麗に焼け焦げた領主の屋敷を見つめ、リドレックは短いうめき声を上げた。


「……うわぁ」


 まさに、うわぁだ。

 一昼夜、歩き詰めでようやくたどり着いた領主の屋敷が廃墟となっていれば――大体感想はこんなものだ。


 ポルト領の郷士、エルロイ卿は典型的な独立系荘園領主であった。

 トスケンア地方にある未確定地域に赴き、剣を振るい生息する奇形生物を退治。脅威を排除した所で開拓者を招き入れ、農業や商工業を発展させた。

 徴税できるくらいにまで発展した所で、帝国に受勲を申請。卿の称号を得たその後、領主となって領民たちを導き領内の発展に尽力した。

 一代で身を起こしたまさに立志伝中の人物である。


 エルロイ卿の屋敷はその身分にややそぐわぬ、立派な造りをしていた。

 名のある大工を呼び、金を積んで作らせたのだろう。中身はきれいさっぱり焼き尽されたにもかかわらず、その外観は焼け落ちることなく屋敷の姿をとどめていた。

 屋敷の中では近在の村から呼び集められた村人たちの手で、火災現場の事後処理が行われていた。

 事後処理と言っても焼け跡から灰を掻き出すだけの単純な作業だ。

 機械を使って一気に始末してしまえばよいのだろうが、時折、灰に交じって遺体が見つかったりするので、人の手で慎重に行う必要があった。

 

 茫然と火災現場を見つめていたリドレックはようやくのこと正気を取り戻すと、傍らにいる老人に尋ねる。


「……それで、領主様はどちらで?」

「あちらです」

 

 ミハイロフ老はポルト領の領民であり、屋敷のすぐ近くにある村の村長を務めている。

 早朝だと言うのにもかかわらず、ミハイロフは村の若い衆を引き連れ火災現場の処理を指揮していた。

 村長は火災現場から少し離れた場所にあるシートを指さした。

 薄汚れた白いシートの下に何があるのかは容易に想像できた。

リドレックは小走りで駆け寄ると、シートに覆われた領主の亡骸を確認する。


「……うえぇ」


 まさに、うえぇだ。

 長時間にわたりじっくりと焼き上げられた焼死体は肉だけがきれいに焼け落ち、黒く焼け焦げた骨だけが残っていた。


「……それで、どれが領主様ですか?」


 亡骸は一つだけではない。

 きれいに並べられたいくつもの遺体は、いずれも真っ黒に焼け焦げていて男女の判別すら難しい。


「一番右がそうじゃないかと、……多分」

 

 自信なさげに村長は答えると、慌てて遺体から目を背ける。

 

「一体、何があったのですか?」


 たまりかねたように、リドレックは訊ねる。

 おびただしい遺体の数を見ても、これが唯の火災ではないことは明白だ。

 遺体は全て骨になるまで焼け焦げていた。これは長時間にわたって念入りに焼かれていることを示している。

 これは明らかに、殺害の意図をもって行われた放火事件だ。


「ランディアンの仕業です」


 村長は重い口を開くと、エルロイ卿に訪れた悲劇の顛末を話してくれた。

 

「先日の夕刻、この村はランディアンの襲撃を受けたのです。領主様と郎党の方々は村を守るため勇ましく戦ったのですが、力及ばずランディアンの前に倒れたのです」


 先日の夕刻と言えば、丁度その頃リドレックは巨大猪と戦っている真っ最中であった。

 猪と出くわすことなく、一直線にここまで来ていたらリドレックもまたランディアンとの戦いに巻き込まれていただろう。

 運が良かった、などと思っている事はおくびにも出さず、聖職者らしく聖印を切る。


「神よ、彼の御魂が安らかならんことを……」

「安らかならんことを」


 祈りの言葉に村長が続く。


「いや、しかし助かりました」


 短い黙祷の後、村長は安堵した表情でリドレックに語り掛ける。


「突然の事態に葬儀の手配もままならず、どうしたものかと途方に暮れておったのです。御坊がお見えになられたのは、まさしく神の思し召しですな。どうか御坊の手で領主様を弔って下さいませ」

「いえ、ここは地元の御住職様にお願いするのが筋と言うものでしょう」


 教会の人間は縄張り意識が非常に強い。

 司祭が担当する教区やお布施の額は、教会本部によって決められている。勿論、本部に納めなければならない月々の上納金も厳密に決められている。

 地元の司祭に断りもなく勝手に『商売』をすると、色々面倒なことになるのである。


「領主様のような身分のある方を弔うのに、私のような巡礼者如きでは……」

「うちの村には教会が無いのですよ。司祭様もおりません」


 教会の支援を受けていない独立系領地によくある話だ。

 開拓村にとって教会は布教を行う場所であり、冠婚葬祭を行う場所であり、学校であり、病院であり、孤児院であり、老人ホームであり、緊急時における避難場所である。

 いわば地域のコミュニケーションセンターであった。

 何かと便利な施設である教会は、それぞれを別個に作るより安上がりに済むため、信仰心が無くても大抵の領主は自分の領内に教会を建てるものだ。

 後は領内の布教活動を認めれば、教会本部から司祭がやってきて万事、滞りなくやってくれると言う寸法だ。


 武芸の誉れ高いエルロイ卿も、領地経営には無頓着だったらしい。

 立派な屋敷を作るのに執着して教会建設費用をケチったのだろう。

 結果、自分の葬式も出す事も出来ないのだから、まさに自業自得である。


「成程、そういった事情ならば致し方ありません」


 リドレックは取り澄ました顔で村長の申し出を受け入れた。

 聖職者特有のいかにもしょうがないといった、恩着せがましく厳かな口調で答える。


「承知しました。拙僧でよろしければ、弔って進ぜましょう」

「おお、有り難い!」


 ここで恩を売っておけば、寝る場所と食べ物くらいは提供してくれるに違いない。

 そんな下心があるとも知らず、村長は胸を叩いて請け合うリドレックを頼もしそうに見つめた。


「是非ともよろしくお願いします、御坊。村の者達もお手伝いいたします。何なりとお申し付けください」

「では早速、あれを村まで運んでいただけますかな?」


 リドレックの指さす先には、一頭の大猪が横たわっていた。

 エルロイ卿への『手土産』としてここまで持ってきたのだが、どうやら無駄にならずに済んだようだ。 凶暴な大猪の肉は大変な美味であると天上界でも珍重されている。

 村人達ならば料理方法も知っているだろう。腹ペコのリドレックは今から猪料理が楽しみでならなかった。

 

 見事な大猪は少なく見ても二千ポンドを超えている。

 村に運ぶには荷車と人手が必要になるだろう。


「どうやってここまで運んできたのですか?」

「……えーと」


 村長の疑問に答えるには、いささか困難であった。

 錬光技とは精神力を具現化させる技術である。精神と言う曖昧な存在を言葉にして明確に説明するのは非常に困難であった。

 錫杖に内蔵されている錬光石を媒介し、大猪の表皮に反重力場を形成。重力波で位置を固定しつつ牽引する――などと一般人に話したところで理解はできないだろう。


 だからリドレックは、錬光技について説明を求められた場合、こう答えることにしている。


「……神の御加護です」

「おお!」

 

 迷信深い地上の人間は神の名を出せば、たいていの場合納得してくれる。

 本当に巡礼者とは、気楽な稼業である。


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