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虚空の惑星  作者: 天崎 剣
Episode 17 同化
89/111

89・狂気

 白衣のポケットから、小型転移装置の赤い二つ折り端末を取り出して開き、スイッチを押す。ロイの身体は青白い光に包まれ、ヒュンと言う音と共にその場から消えた。薄暗い地下研究施設から一転して、場面は真っ白で清潔な明るい空間へと切り替わる。飛んだ先は政府ビル最上階の総統執務室。事務処理をしていたローズマリー・グリースが長細い眼鏡のレンズを光らせ、顔を上げたところだった。


「あら、ロイ。お帰りなさい。昼までには未だ時間があるわよ」


 冗談言うなとばかりに無視し、前を通り過ぎようとするロイに、彼女は小さくため息をつく。彼の表情から察するに、何かしら皮肉でも言われたのだろう。しかも、絶対に言い返すことの出来ない相手に。

 冷静なロイが殺気立っていることはすぐにわかった。普段はキッチリ整えているはずの頭が、そのときに限ってやたらと乱れていたのだ。垂れ目垂れ眉が、眉間のシワを挟んで真一文字になっていた。まさかとは思うけど。――彼女は出かけていた台詞をぐっと飲み込む。余計なことは喋らない、それが総統ティン・リーとの約束だったからだ。

 概ね、何があったのかは想像できる。Eの調整も最終段階に入っているはず、彼は恐らく、その先にあるものを垣間見てしまったのだ。


「これからどちらに? 今、外に出るのはお勧めしないわ。ビルの中、……そうね、このフロアから下には行くべきではないと忠告しておこうかしら」


 彼女の台詞に足を止め、


「ローザ、君は全部知ってるのか」


 ロイはかなり急いだ様子で、振り返った。


「知っているとしたら」


 作業の手を止め、椅子ごとロイに向き直ったローザは、栗色のたおやかな髪を揺らして怪しく微笑む。何を考えているか知られぬよう、表情を隠すためだ。

 彼女のそんな仕草にますます激怒したのか、彼はズンズンと大きく足音を立ててローザの真ん前まで歩み出、バンと勢いよく机に手を付いた。


「君が調査していると閣下は仰っていた、“世界は滅ぶ”あの噂、本当のところはどうなんだ。滅んでしまうのか。――閣下が、滅ぼそうとしているのか」


 似合わぬ。いきり立って額に血管が浮き出て見えるではないか。

 無粋なことを考え、ロイにそこまで言わしめるほど追い詰めたリーという男の恐ろしさに、ローザは震えた。

 この数日、確かにあちこちで噂が立っていた。オンラインでもオフラインでも、節操無しに飛び交う“世界は、もうじき崩壊する”という言葉。発信源など、調査したところでたかが知れていると、リーも言っていた。確かにその通りだ。EUドームのメイン・コンピューターの履歴に、最初の発信と思われる記録があった。その後、凄まじいスピードで噂は広がる。この政府ビルの中にも、噂を広める者が多数いるようだ。

 外から、内から、このような噂が流れること自体、想定したことはなかった。人間の心理を突いて、恐怖心を煽っている。ディック・エマードという人間が何を思ってそうしたのか、ローザにはわかりようがなかった。

 報告によると、各地で暴動が起きつつあるらしい。逃げ場のないドームからどう脱出すべきか、果たしてドーム外は生き延びることの出来る環境なのか等々、混乱は静まる気配を見せない。メディアは一斉にこの噂を取り上げ、真相究明と謳っては政府ビルの広報に押しかけて詰め寄っている。あまりひっきりなしに問い合わせが来るので、外部との連絡回線を遮断してしまったほどだ。

 ローザは目を細め、きゅっと口角を上げた。


「あなたがそう、考えた理由は? 何故この世界の全てを支配する閣下が、世界を滅ぼすなどと」


 ロイは自分を落ち着かせるようにして、大きくゆっくりと息を吐く。そして、ずっと心にわだかまっていたものをこれでもかとローザに突きつけてきた。


「Eとマザーを同化させたその先、閣下はどうなさるおつもりなのか、いくら考えても僕にはわからなかった。考えるべきではない、この世界が更に良くなるためだと自分に信じ込ませていた。世界の秩序が保たれているのは、ある程度の規制が成されているからだというのも知っている。住民コードによって全てを把握することで、安易なる謀反を阻止できている現実も。……だが、それにも限界がある。コードからの支配を逃れるように台頭した反政府勢力は、更に勢いを増してきている。エマード博士然り、政府の方針に反する科学者らは、世界中で刃を向け始めた。確かに、おかしな話だ。ビルの外では必須とされているコードも、このビルの中では軽視されている。“コードの有り無しと能力は関係ない”なんていう綺麗事は、一見まともそうなだけで、本質を隠そうとしているだけじゃないのか。今行っている研究にしたってそうだ。Eという有機体と、マザーとの同化に何の意味がある。何故神を造り上げようとする必要があるんだ。考えれば考えるほど、僕には閣下の意図がわからない。それに、閣下自身の口から“世界は、本当に崩壊してしまう”という言葉が出たのを、僕は聞いてしまった。――もし、閣下が“破壊神”を造ろうとしているのなら、僕はこれ以上協力をすることは出来ない」


「それは、本気で言っているの」


「本気でないなら、こんなこと、口走ったりしないさ」


 血走った目で吐き散らすようにロイは言った。特殊任務隊の一人として冷静に物事を分析し、研究に心血を注いだ彼とは思えない発言だった。

 唇をきゅっと噛みしめ、じっとロイの話を聞いていたローザだったが、


「残念だけど」


 細く長くため息をつき、


「これ以上、あなたを生かしておくことは出来ないわ。そうでしょう、ケネス」


 ――ロイの、顔色が変わった。

 ローザの後ろ、執務室横の監視室からケネス・クレパスの姿が見えていたのだ。

 まるで見下すようにギロリと向けられた眼光に、ロイは凍り付いた。


「お前には失望した」


 それは、ロイが想像していたのとは全く違う結末を示唆していた。

 血の気が引き、まさかこんなはずではと、数歩後退る。


「協力することが出来ないなら、死んでもらうしかない。……その考えに達するまで、お前はあまりに知りすぎた」


 ケネスは言いながら、スッと右手を挙げた。黒い銃口が、ロイを狙う。


「ま、待って、ケネス。あなただってわかってるはずだ。閣下が、政府総統がこの世界を滅ぼすだなんて、そんなこと、あってはならないってことを。僕はただ、正直に自分の考えを述べたまでじゃないか。――この世界が滅ぶなんて、僕は考えたくない。そんなことのために、僕は尽力してきたわけじゃない。ケネスだって、そうじゃないのか。なぁ!」


 表情を硬くしたまま、ケネスは一歩、また一歩と前に出た。ローザの後ろを通り、デスクを迂回して、ロイの真ん前まで、銃口を一時たりとも反らすことなく近付いてきた。


「世界平和など、くだらぬことのために閣下にお仕えしているわけじゃない。全ては閣下の意志であり、私はその意志に基づいて動くただの兵に過ぎない。自分の価値感を持った時点で、お前は閣下にひざまづく権利すらないのだ」


「ならば、ならばあなたは、世界が滅んでいくと知っていても、忠誠を誓い続けるというのか。自らの命が、大切なものが全てなくなってしまうとしても」


 全身から溢れ出る汗に、必要以上の荒い息、噛み合わない奥歯。

 見開いたロイの目は、じっと銃口を見つめている。


「閣下がお前の言う“破壊神”を造り上げようとしていると知ったのは、随分前のことだ。世界を支えていくために身体を入れ替えながら生きながらえてきた自分自身の存在というものに、閣下が酷く心を痛めていることも、俺は知っている。――世界のあり方を、一から考え直さねばならない時期に来ていたのだ。コードにしてもそうだ。この、ドームという枠組みにしても。全てを組み直すには、まず、全てを破壊しなければならない。Eとマザーとの同化は、その一歩。全てを破壊し尽くした後、再構築するための礎なのだ」


「ば、馬鹿な。あなたは狂っている、あなたたちは、狂ってしまっている」


「狂う? 結構なことだ。例え狂っていたとしても、俺は構わない。お前は、見たくないのか。全て無くなってしまった先にあるだろう、新たな世界を」


 ケネスの台詞には、微塵の迷いも感じられなかった。確信犯――彼の中では全てが正当化されてしまっている。ケネスもローザも、リーも、最初から“まとも”ではなかったのだ。

 逃げなければ。何とかして逃げ出し、この事実を誰かに伝えなければならない。

 世界は本当に滅びるのだ。

 とうの昔に大切なものは全て失ってしまったはずだと、ロイは思い返す。孤児のロイを育ててくれた政府機関、共に研究を続けたパメラやスウィフト、エドのことも、今は思い出に過ぎない。ビルの外で支えてくれた大切な人がいなかったわけではない。

 自分を形成させてくれた全てのものに、詫びねばならないのだ。恐ろしい実験に手を貸していたこと、この世界を滅ぼすために動いていたことを。

 ロイは叫んだ。

 護身用に持ち歩いていた銃を、咄嗟に腰から引き抜いた。構え、――一発、火花が散り、そのまま仰向けに倒れる。


「遅い」


 ケネスの銃弾が、ロイの額を貫いていた。

 視界が暗転していく。

 冷たい目で見下ろすケネスとローザの顔が、ロイのまぶたの裏に、深く刻まれた。

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