75・思わぬ敵
壁の向こうに、何かがいる。
ピンと張り詰めた空気の中、キースら四人は武器を構え直して、ゆっくりとベンの声がした方向へ進んだ。
冷凍室でエネルギー銃を失ったキースとハロルドは、アレックスに渡された予備のエネルギー小銃を構える。射程距離が短く心許ないが、それでもないよりはマシ、階段を上って汗だくになった防護服の襟を緩めながら、じわりじわりと歩を進めていく。
ギシ、ギギギ、ガリ、ガリと、また機械音。ガシャン、ガシャンという大きくゆるりとした足音は、間違いなくそれが移動していることを彼らに知らせてくる。
焦りが募った。
ベンの声がした部屋の先、一番奥の機械室に転移装置があるのだ。このままでは転移装置でドームに戻るどころか、そこに辿り着くこともできない。どっと押し寄せた不安で、全身脂汗にまみれた。
覚悟を決めたように、キースがまず、通路の壁に背を擦るようにして前進、開け放たれたドアぎりぎりに身を寄せて、そっと室内の様子を覗った。ヘルメット越しにキースの目に飛び込んできたのは、まるで予想だにしなかった大きないくつもの影だった。
床に散らばる、恐らくベンのものと思われる真っ赤な血、肉片。
目を見開き、息を荒くして固まったキースに、何も知らないハロルドは「どうした」と声を掛ける。
「ベンは、もう、駄目だ」
振り向いてゆっくりと首を振るキースの背後で、鈍い銀色の巨体がぬっと廊下に首を出した。それに、彼は気がつかなかった。
「キース、後ろ!」
ウッドの叫びに慌てて振り向いたとき、それはキースの真上で大きく避けた口をパックリと開けていたのだ。
腰を抜かし、キースは床に尻餅付いてぐるぐると転がる。入り口から数歩後退りして態勢を整えたところで、彼は銃を構え直した。が、瞬間的に、とてもこんなものでは対処できないと悟る。
天井ギリギリに迫ったその銀色の化け物は、二足歩行のトカゲに似ていた。言うなれば恐竜、肉食恐竜の頭蓋骨を長く前後に伸ばし、大きくなった口を奥までパックリと開いて、今にもキースの頭を砕こうと狙っているのだ。歯の代わりに鋭く磨かれた鋼が均等に並べられ、ベンの防護服や血肉をあちこちに引っかけている。
さっきまで声を上げていたはずのベンの気配が完全になくなってしまっていた。
戦意を失うには十分すぎるくらい、その事実は四人を打ちのめした。
「恐竜型のロボ……こんな、こんなもの見たことない」
NCCでは人体実験はよく見てきた。生物兵器の開発に力を入れていたことは、キース自身も知っていた。自ら体感したこともあった。しかし、そこにはこんな無機質で巨大な化け物は存在しなかった。
「見たことなくても、今目の前にいるんだ。どう突破する」
アレックスが言って、何とか他の三人を奮い立たせようとしている、その隙に、もう一体、別の恐竜型ロボットが新たに廊下へと顔を出した。
一体じゃないのか、思うとどっと汗が出て、思わずハロルドは腕で額の汗を拭った。
このまま、狭い廊下で戦うのは不利だ。
「走れ、玄関ホールへ!」
ハロルドの声に後押しされて、キースたちは廊下を逆走し、逃げ場の確保できる玄関へと急ぐ。
襲われたら一巻の終わりだ。さっきまであんなもの影も形もなかったのにとぼやくハロルドに、
「恐らく、転移装置から飛ばされてきたんだ。スウィフト博士の通信機と交信出来なくなったのを確認して――これは、厳しいな」
余裕で応えてみせるキースだが、心臓はバクバクと波打っていた。
こういうとき、エマード博士ならどうする。こういうピンチの時。
無意識にエマードにすがる。それでどうにかなるなんて、保証はどこにもないのに。
センサーが付いているのか、遠隔操作か。
鉄の化け物はまるで小気味よくジャンプをするかのように油圧式のスペアリング脚を伸縮させ、スピードを上げて追ってくる。重い頭部から転げぬよう右に左に重心を移動させ、時に口をがばっと開き、長い尻尾部分をブンブンと上下左右に振りながら。
とにかく速い。どう考えても、人間の足で逃げ切るのは難しいに決まってる。
思い立ったように、アレックスは肩掛けの荷袋から小さな拳大の黒いボールを取り出し、思い切り後方目掛けぶん投げた。コロコロと転がり、ロボの足元付近で暴発。
「な、なにやってんだ、アレックス!」
爆風で前に吹き飛ばされそうになりながら、ハロルドは思わず叫んだ。
「足止めだよ、足止め」
「だからって、転移装置ぶっ壊すようなことになれば、帰られなくなるぞ」
「大丈夫、そこまで被害は及ばないよう、計算して投げたんだから」
血気盛んなのは構わないが、逃げ道を封じられたら埒があかない。どこまで計算しての動きだと、ハロルドは渋々セリフを飲み込んだ。
それでも、若干足止めにはなったようで、恐竜ロボはほんの少しだが動きを止めた。
いまのうちにと玄関ホールへ向かう四人。勝算など、全くない状態で敵と相対することになる。
「どうする。このまま戦うか?」と、ハロルド。
「いや、手持ちの武器じゃ、どうにもならない。電気系統が完全にやられる前に、何とかして転移装置に滑り込まないと。エマード博士から携帯端末に送られてきた修正プログラムを読み込ませて、行き先をドームに変更させる手間だってある。あんな化け物何体も相手にしながら出来るかどうか。自信は全くないね」
息苦しいとばかりにヘルメットを床に叩き付け、キースは防寒具の上半身部分を脱いで腰に巻き付けた。アレックスとウッドも、今しかないと防具を脱ぎ捨て、小回りがきくようにと身軽になった。
「まだ手榴弾はいくつかある。エネルギー小銃と俺のライフルだけじゃ、心許ないな。ウッドは何持ってる」
「アレックスほど準備はないけど、まあ、予備のエネルギーボトルはあと一つ。出力を最大にすれば、もう少し威力は増すと思うけど、撃てる回数は減る。それでもいいならやってみるけど、異論は」
全員、息があがっていた。精神的にも限界に近い。
だが、ここで諦めていたら。目的を達していたからといって、力を抜けば、確実に殺される――ベンのように。
選択肢は少ない。いっそのこと、やれるだけやってみるしか、残された道はないのだ。
「……ないね。じゃあ、出力最大。恐らく合計でいいとこ十発。ロボの弱点を見つけ、狙い撃つ。施設の破壊は免れない。もし、完全に電気系統がやられた場合は、助かってからどうにかして帰る方法を考える、でいいよな」
ウッドの提案に首を横に振る者などいなかった。互いに、どう動けばいいのか、追い詰められた頭をフルに回転させる。
ギシーっと、油圧式スペアリング脚の伸縮音。
外は生憎の雨、日も傾いてきた。薄暗くなった施設の玄関ホールの奥、通路の先から不気味な音と共に見えてきたのは、赤く光る複数の目が、ギョロリと四人を睨み付けている。
「来るぞ」
キースは自らを奮い立たせるように低く呟いた。
ほんの少し、他の部屋よりも大きいだけの殺風景な玄関ホール、ガラス戸を背に、当たっても効果があるかどうかもわからないエネルギー小銃を構えて敵の出方を見る。
勝ち目がない戦いかと、ハロルドも奥歯を鳴らした。今までの人生、これほどまで追い詰められた事なんて無かったのだ。ギリギリのところで生きてきたと自負していたが、そんな物は只のまやかしに過ぎなかった。今の、この瞬間に比べれば。
逃げ出したい、逃げ出してしまえるのなら。
外は嵐だ。風の他に、雨も叩き付けてきている。あの小屋で雨に打たれたときよりも、幾分か雨脚が強い。雷も鳴り始め、ゴロゴロと不気味な音を出し始めていた。
「……なぁ、キース。俺、外、出ようと思うんだが」
ハロルドはふいに呟いた。
「何だって」
「修正プログラムを読み込ませるため、一人は必ず転移装置に向かわなくちゃならない。お前のもってる端末に、ディックはプログラムを送ったんだろ。なら、お前は隙を見て転移装置へ急げ。俺とウッド、アレックスの三人で、あの化け物共を外に連れ出し、時間を稼ぐ。プログラムを読み込ませ終わったところで、俺たちも転移装置に向かって合流、装置を作動させる。これでどうだ」
不敵な笑みを浮かべるハロルドの横顔に、キースは顔を引きつらせた。
「追い詰められて、とうとう頭もおかしくなったんじゃないの」
「まあな。この状態で、まともでいろって方が難しい」
それは、キースが初めて見る、真剣なハロルドだった。