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虚空の惑星  作者: 天崎 剣
Episode 11 マザー・コンピューター
54/111

54・壊れろ

 身体がフッと浮き上がる感覚の後、光に吸い込まれていく。目の前の景色が完全に真っ白になって、エスターは思わず、ぎゅっと目を瞑った。風が上から下へ、身体の中を突き抜けていく。言葉として残っている『地獄へ墜ちる』とは、こういうことを言うのだろうかと、ふと考えていた。

 空気が安定し、そっと目を開くとそこは、冷たいコンクリートで囲われた、長細い廊下だった。薄ら寒い空気と、かび臭い湿った地下独特の匂い。薄暗い廊下は、彼女に何かを思い出させようとしている。

 彼女の手首を力一杯引っ張って、リーはズンズンと廊下を進んでいった。

 ひらひらとしたドレスの内側に、ひんやりとした空気が流れ込む。リズムを乱したヒールのカツカツとした音が、リーの靴音と共に廊下に響いていた。言いようのない不安で顔が青ざめ、二の腕に鳥肌が立つ。


「かつて、この場所は地上部分にある二十機のエレベーターの一つと、完全に繋がれていた」


 リーがようやく口を開いた。言葉が反射し、重複される。


「一般人が立ち入り出来ぬようにしていたはずなんだがね、君の父親は偶然、その入り口を見つけてしまった。そこでまさか自分が作り出されたともしらず、彼はこの道を一人で辿り、その先にある一室に辿り着く。ある意味運命というヤツだったのかも知れない。引き合うのだ」


 廊下の先に、扉が見える。リーはスピードを上げて、エスターを引っ張っていく。


「長いこと閉鎖されたこの場所を使えるようにするには、相当の時間と費用が要ったよ」


 勢いよく鉄扉を開け放し、リーは彼女を乱暴に室内に引きずり込んだ。

 冷たい床に放り出された彼女は、バランスを崩して床に転げる。白いドレスの裾が床に擦れ、ビリと破けた。コンクリで擦りむいた肘をかばいながら、彼女はゆっくりと立ち上がった。

 恐る恐る辺りを見回す。やはり見覚えのある光景。それが夢なのか記憶なのか、すぐには判別できないが、確かに彼女はこの場所に覚えがある。

 薄暗闇に光る色とりどりの計器ランプ、ビーカーやフラスコ、電子顕微鏡、遠心分離器に試験管、そして大きな空っぽの円柱形水槽。


「――君が居なくなってから、私はしばし途方に暮れた。あの男、資料も全部どこかへ持ち去った。研究が再開されるのを恐れて、自分の遺伝情報の入ったデータチップも粉々に砕いていた。研究を続けるどころか、地下を封鎖するしかない状況まで追い込まれていたのは、正直計算外だった。――だが、君が“エレノア”を名乗ってネオ・シャンハイに現れたときには、胸躍ったよ。なるほど、あの男は生きていて、私を挑発に来たのだと確信した」


 部屋の片隅に手術台を見つけ、彼女は息を飲んだ。おぼろげな記憶が、どんどん鮮明になっていく。

 何かの研究室だった。白衣の大人たちが常に数人、小さなエスターを監視していた。

 彼女は、歩くことも言葉を発することも出来ないよう、特別な液体に入れられていたのだ。

 緑色の液体越しに彼女がいつも見ていたのは、表情を無くしてしまった一人の男。無精ひげを生やして眼鏡をかけた、大柄な男だ。

 誰も居なくなった深夜に、彼は決まって彼女の元を訪れた。もの悲しげな瞳で、水槽にかじりつく。懺悔していたのか、パクパクと口を動かし――そのときの彼女は、言葉を理解することが出来なかった。



「エスター・エマード、いや、No.E-01。あの時、君を奪おうと思えばすぐに奪える状況にあった。だけどね、それじゃあ、私の腹の虫が治まらないのだ。次々に研究を台無しにしてくれる貴様らを、私は許さない。苦しみ、壊れてしまえ。――何よりその方が、マザーを受け容れるには都合がいい」



 右手を高く掲げ、パチンと指を鳴したリーの背後から、黒い影が二つ這い出した。

 黒い鎧のような防具に身を包んだ大男たちは、恐怖に怯えたエスターの身体を、いとも簡単に持ち上げる。

 フェイスガードで正体を隠し、人間らしき気配さえ感じない。まるで動物か、別の生物のような異様な気配をプンプン漂わせている。

 ぞわっと、鳥肌が立った。

 逃げようと身体を揺らしても、足をじたばたさせても、状況は変わらない。彼女は抵抗できぬまま、研究室奥の手術台に運ばれていく。起き上がり、隙を見て逃げようとする彼女の細い身体を、彼らは骨が砕けそうなほど凄まじい力で押さえつけた。


「何をするの、ねえ!」


 手術台に寝かされたエスターの手足が、金具で完全に固定される。

 パッと、手術台に明かりが灯った。

 ――また、彼女の脳裏に幼い記憶の映像が浮かび上がってくる。

 天井に張り付いたむき出しの配管、天井から垂れるケーブル、たくさんの顔、目をぎらつかせてメスを握る複数の男たち、ニヤニヤと口元を緩ませたティン・リー。そしてその後方、一人だけ表情の違う男――ディック・エマード博士。

 恐怖などという感情は、幼い彼女にはなかった。何一つ、理解していなかった。

 政府から逃れ、必死に過ごしてきた七年間、ESでの生活が、少しずつ彼女に感情や知識を与えてくれたのだ。当時理解できなかったことも、今では十分すぎるほど理解できている。ディックの言うとおり、ティン・リーは狙っているのだ、彼女と彼女の父親の遺伝情報を。その上で、更に何かを企んでいる。

 “助けて”が増幅されていく。脳内を占めていく。

 手足の平がじっとり濡れ、涙がどんどん溢れた。顔を左右に振るしかできない、喉が渇く、もう声を出すことも忘れてしまった。


「E-01、出口などどこにもない。誰も助けには来ない。声も届かない。転移装置で出入りするしか方法はないのだ。残念だな」


 リーはまたクスクスと声を漏らして笑う。おもむろに手術台に近寄り、「退け」と一言。黒い男たちはスッとリーの背後まで後退った。


「――ローザ、聞こえているな」


 リーは天井を見上げ、その場にいない誰かに話しかける。誰と問うまもなく、


『閣下、聞こえております』


 頭上から女性の声。配管だらけの天井のどこかに、目視では確認できないが、スピーカーや監視カメラがあるらしい。


『先ほど、転移装置をお使いになりましたね。起動音がしたのでもしかしたらと、待機しております。NO CODE二体は、NCCへ戻しますか』


「頼む。代わりに、ケネスとロイを寄越せ」


『承知しました』


 青白い光が黒い二人の兵士を包み、スッと闇に飲まれるように消えていく。

 直後、また強く青白い光が闇に放たれたかと思うと、今度は、白衣を着た筋肉質な中年男と、若い眼鏡の男が現れた。

 恐る恐る、彼女は男たちの方に顔を向け、ゆっくり息を吐く。


「久しぶりだな、E」


 口走ったのは中年の男、その顔と声を彼女は何となく知っている。短めの金髪と高い鼻は、確かに研究室で見たことがある。


「覚えてるか、エマードの助手だったケネス・クレパスだ。あの時行方不明になったお前と、まさかこんな状態で再会することになるとは思ってもみなかったよ」


 ハッと顔を上げ、目を瞬かせた。ケネスの顔は、彼女の記憶の中の人物とぴったり重なっていた。


「若造の頃、軍の命令でエマード博士と働くようになってからずいぶん経つ。あの頃、俺はまだ子供だった。時が経ち、この地下研究室に配属され、再会したときも、俺は彼の下で働いた。……尊敬していた、それは間違いない。だがな」


 言ってケネスはぐっと眉間に力を込め、ずいずいと彼女の頭上まで身体を乗り出した。


「研究対象に肩入れし、研究を放り出したのは許せない。十年間も、実験体としてしかお前を見てこなかったはずの彼が、急に政府から逃れようと思った理由、それがなんなのか俺には未だ理解できない。何が気にくわない、何が彼をそうさせた」


 興奮気味のケネスは、エスターの眼前に顔を押し当てるようにして、彼女に迫っていた。何を求められているのか、彼女はただただ、目を泳がせる。


「ケネス、喋りすぎだ」


 そっと、リーの手がケネスの肩を叩いた。

 慌てて、ケネスはサッと数歩下がる。


「ロイ、麻酔を」


 リーがひょいとあごを動かすと、じっと黙っていた若い男はにやりと笑みを浮かべた。持っていた医療用トランクを作業台に上げて開き、注射器を一本手に取る。針の先が、小さく鋭い光を放った。


「君にドレスを着させるよう指示したのは私だ。E-01、なぜだか君にはわかるかい」


 彼女は無心に首を振る。

 黒い瞳が、ギロリとエスターを射貫いていた。口元にえくぼを浮かべ、リーは目を細めた。作業台の側からそっと丸椅子をたぐり寄せ、エスターの右隣に腰掛けると、アルコールを浸した脱脂綿をそっと彼女の腕に当てた。すうっとアルコールが揮発し、ひんやり感が漂う。



「君は、これからマザーと一つになる。マザーへの贈り物として、私は君を着飾らせた。――待ち続けたんだ、長い、長い間。美しく成長した君の身体を、マザーは気に入ってくれるはずさ」



 細い注射器の針が、彼女の白い肌に触れた。音もなく潜り込んでいく。冷たい液体が血管を通り全身に流れていくのを、彼女は遠くなる意識の片隅で感じていた。


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