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紡ぐ女と裁断の君  作者: 相川
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第1章4 流行病

「どうかしましたか?」


 ライーが、穏やかにそう言った。

 お婆は一瞬驚くも、気を取り直して咳払いを一つ。


「ライー、そなたこそどうしたのじゃ。まだ終了の時間では」


 そう言いかけて、はたと気づいた。

 体から血の気が引いていく。


「ライー、クロトはどうしたのじゃ?部屋か?部屋にいるのじゃろうな」


 そうあってくれとばかりに立て続けにした質問。

 ライーは言いにくそうに、


「クロトは急に部屋を飛び出したんですが…いないんですか?」


 婆の顔が凍り付いた。

 追い討ちをかけるように、ルーイッドの声。


「おいお婆!今、クロトが血相変えて出て行きやがった!何か話したわけじゃねえだろうな」


「…もの…」


「はぁ?」


「馬鹿者!なぜ行かせた!?場所はシェダルの家、はよ追いかけるのじゃ!!」



 有無を言わせぬ婆の一括に、ルーイッドは手にしていた盆をがちゃんと机に置き、玄関ドアから飛び出した。


 ぽかんと婆を見つめるのは赤い髪の女性。

 婆は大きく息を吐き出すと、女性に視線を向けた。


「そなたも家に戻るのじゃ。けしてシェダルにクロトを近づけさせてはならぬ」


「…ですがお婆様、まだ病についてのお話が…」


 状況を飲み込めない女はそう漏らした。

 婆は苛立ちも隠そうとせず言い放つ。


「それどころじゃないのが見てわからぬか?病は治るのじゃから、いらぬ心配はせんでよろし」


 わかったらさっさと帰れとばかりに、婆は玄関を指差した。

 未だかつてない婆の対応に、女性は震え上がって立ち上がった。

 途切れ途切れに礼を告げ、先程ルーイッドが飛び出して行った玄関へと足を向ける。

 バタンとドアが閉じられると、なんとも言えない沈黙が流れた。

 先程の婆と女性の会話で粗方の事情を飲み込んだライーは、婆に聞こえないよう小さく溜め息を付いた。

 そうして机の上に残されたお茶に視線を向ける。

 カップからこぼれた茶が盆に広がっていたが、どうやら無事な茶もあるらしい。

 その一つを手に取り、婆へと差し出した。

 婆がそれを口にするのを待って、ライーは口を開く。


「流行り病、ですかね」


「そうじゃ、恐れていた事が…嫌な形で現れおった」


「…クロトと知り合いのお嬢さんだったのでしょう?慌てて部屋から出て行きましたから」


 婆は低く唸って頭を抱えた。

 話が長くなりそうだと判断し、ライーは失礼しますと、小さく言って椅子に腰を下ろす。


「ライー」


 カップの中のお茶に視線を落としたまま、今一番頼れる男の名を呼ぶ。


「はい、お婆様」


 婆の手が病的なまでに震え出す。


「流行り病の果てが、何か知っておるかの」


 はいと控えめに応じるライーだ。


「クロトは…戻ってこれぬかもしれぬ」


 婆の危惧する理由が、ライーには手にとるようにわかった。


「痛みが引いた後に残る精神異常…ですね」


 婆からは返事がない。


「帝都では事例がありませんが…南方からの報告では精神に異常を(きた)さなかった例もあります。異常を来した者が、ある日突然、正常に戻ったとの報告もされています」


 露ほどの慰めにもなりはしないだろう。

 婆の恐怖は消えはしない。

 それでもライーはそう言わずにはいられなかった。


「お婆様、まだわかりません。ルーイッドが間に合うかもしれません。とりあえず信じて待ちましょう」


 信じて駄目だった時。

 その時は――。

 婆と同じように、自分の体から血の気が引いていくのをライーは感じていた。

 組んでいた手をぎゅっと握りしめる。

 考えるだに恐ろしいが、万が一クロトに何かあった場合。

 必ずあの方はこの地にやってくるだろう。

 誓約者の異変をその身に感じて。








◆◆◆◆◆

「うっ…ぁぁぁぁ…いっ!!」

 痛みに呻くシェダルを前に、クロトは言葉を失った。

 顔見知りのシェダルの祖父に、無理に頼んで入れてもらったまでは良かった。

 けして病状を楽観視してたわけじゃない。

 しかし、痛みに身悶えるシェダルの容態は、クロトの予想を遥かに超えていた。

 ひっきりなしに流れる冷や汗に、赤い髪が所々肌に張り付いている。

 壮絶な痛みのせいか、掛布を握る手が白い。

 まるで硬直したかのようだ。

 地獄絵図とはこう言ったものをいうに違いない。


「シェダル…」


 勇気付けるように、その名を繰り返した。

 手が自然に胸元へいき、そこにある物を掴む。

 あの時の小石だ。

 自ら加工してネックレスにしたそれは、丸い小石のまま。

 あれ以来、力は使っていない。

 紡ぎ女の力しか持たない自分にどこまでできるか。


『要は痛みのない体を再構築すれば…』


 シェダルを見ると、目尻に光るものがある。

 痛みに耐えられず、無意識に涙が出ているのだろう。


『今なんとかしてあげるから』


 小石をぎゅっと握りしめる。今までにない強い光が二人を包んだ。








◆◆◆◆◆


「やべぇ!!」

 シェダルの家の窓の一つから、眩い光が見えた。

 一足遅かったかと、ルーイッドは鋭い舌打ち。

 玄関ドアを蹴破るように家の中に入り、光が漏れ出る部屋へ。

 シェダルの身内が何やら言っているが、聞いてる暇はない。


「クロト!!」


 目を開くのも困難な光の槍が、体中に突き刺さる。

 ドアを開いたはいいが、中を確認できない。


「クロト!返事しろ!!」


 視覚を封じられて、先に進む事はできなかった。

 せめて声だけはと、無我夢中に叫ぶ。


「クロト!」


 どのくらいの時間が過ぎただろうか。

 けして長くはなかったが、恐ろしいほど長く感じた。


「クロト!いるなら返事しやがれ!!」


 その声に呼応したのか、光が急速に収まっていくのが目を閉じていてもわかった。

 顔をしかめるように目を薄く開く。

 クロトの亜麻色の髪が、薄れ行く光の中で金色に見えた。

 結い上げられた髪が崩れ、縦横無尽に舞っている。

 それが一瞬の時を経て、力無く落ちる。

 クロトの体が崩れ落ちるのも同時だ。

 即座に距離を詰めて、クロトを両手ですくい上げる。


「クロト!」


 青白い顔が全てを物語っていた。

 自分は間に合わなかったのだと、瞬時に悟った。


「ぁぁ……っ!」


 腕の中、発された声は、呻き声に近い。

 これ以上ないほどに歪む表情。

 急速に冷えていく体に、こちらも背筋が凍った。

 嘆きたい事も言いたい事も山ほどあったが、ルーイッドはこれ以上時間を無駄にしなかった。

 クロトの体を横抱きにして立ち上がる。

 視線の端に、穏やかな寝息を立てるシェダルを捉えた。

 ルーイッドは、すぐさま帰路へと付いた。








◆◆◆◆◆

「一体なんのためにお前を行かせたと思っとるんじゃ!!」


 婆の自室。

 鋭い一括に、ルーイッドは返す言葉もなかった。

 クロトを連れ帰り、ベッドに寝かせてようやく一息付いたばかりである。

 ルーイッドは落胆したようにぺたりと椅子に腰を降ろした。

 ライーは座る事もせず、ドア近くの壁に腕を組んで難しい顔だ。

 嫌な空気が流れた。

 それを払拭するかのように、婆は机に置かれていた茶をぐっと飲み干した。

 そうして長く息を吐く。


「すまぬ。…そなたばかりを責められんな。まさかこんな事になるとはのう」


 力無く座るルーイッドの肩を、婆は重々しく叩いた。

 ルーイッドが体を震わせたと共に、ぽつりと零した。


「シェダルの痛みは引いてて……その代わりに、クロトが…」


 それ以上先は、言わずもがなだ。

 ルーイッドは唇を噛み締め、目を伏せる。


「シェダルの痛みを、クロトが引き受けおった……これでクロトは病にかかったも同然じゃ」


 婆も崩れるように椅子に身を預けた。

 ルーイッドは押し黙ったまま瞬き一つしない。


「ルード、お婆様」


 唐突に二人を呼んだのはライーだ。

 二人に代わる代わる視線を向けて更に言い募る。


「クロトを信じて、待ちましょう」


 二人は微動だにしない。

 それでもライーは更に続けた。


「痛みが治まるのに約三日。その後、精神異常も出るかもしれない。クロトは苦しむでしょう。授業をしている時点で苦しんでましたから」


 そう言いながら、ライーは眉を寄せずにはいられなかった。

 もはや楽観視できる状態ではない。

 希望的慰めも通用しない。

 しかし客観的事実は、あまりにも重い。

 それでも。


「それでも僕は、クロトが元気になると信じています」


 婆がようやく顔を上げてライーを見た。

 いつも以上に顔を皺だらけにくしゃりとさせて、


「ライー…そなたの言う通りじゃな」


 そう口にした。

 ライーはゆっくりと目を閉じた。

 心の中で強く思う。

 クロトを信じている。

 それと等しく、あの方を信じている。

 長き沈黙。

 ルーイッドは言葉を発さず、ライーは何を見るでもなく一点を見つめたままだ。

 程なく、唐突に沈黙が破られた。

 一人の来訪者によって。



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