第1章1 愛しい生活
読んでいる方にはお礼申し上げます。
現在、文章力を上げるため試行錯誤を繰り返しております。
今回から少しばかり文の書き方が変わりました。
そこには目を瞑っていただき、ストーリーを楽しんでいただけると幸いです。
「聖魔戦争終結後、すぐさま人と魔族の間で結ばれた条約の事を不可侵条約と呼びます。不可侵条約を結んでからおよそ千年、人間は魔族と共存生活を送ってきました。現在帝都で働き生活する人の三分の一は魔族と言われています。その帝都の頂点に立つ王、その名をラレンティア。彼は聖魔戦争終結後、二代目の王としてこの地を反映させてきました。賢王とも呼ばれ、現在もその知性と絶大なる力でこの地を守り導いています」
長々と歴史の教科書を読み上げるのは、三年前から家庭教師になったライー・デルト。
若くして歴史学と地学で頭角を表した彼は、現在は帝都とべルックスを往復する生活を送っている。
なぜそんな人が自分の家庭教師を勤めているのか。
初めて会った日に抱いたその疑問は、未だに胸の中である。
「一千年の間の二代目…という事は、人間世界でありながら、魔族が王を?」
机に向かい、視線だけをライーに向ける。
「その通りです、クロト。聖魔戦争終結終結後、人間は一度も王の座に就いていません」
「…不可侵条約とは、一体どのような条約だったのですか?」
「魔族が人間の地を侵略しない。人間と魔族が共存する。この二点がこの条約の基盤です」
「不可侵条約に、人間が魔界を侵略しないというのはなかったのですか?」
「人間は魔界を侵略できません。その最大の理由は、魔界への道を人間が切り開く事ができないという事です。万が一切り開く事ができても、魔界の空気の中で人間は生きていけない。…魔族側にはそんな取り決めは不要だったんですよ」
「では、なぜそんな条約が交わされたのですか?魔族側にはなんのメリットもないのに…」
「そこは数多くの歴史学者が頭を悩ませている所です。もちろん僕もそれに洩れません」
あっけらかんと言うライーに、クロトは苦笑を零すしかない。
「補足ですが、一代目の王の事を少しばかり。一代目の王の名はアウトラリクス。アウトラリクスは、聖魔戦争で魔族側を指揮していました。魔界公爵アウクスという肩書きの方が有名だと思いますが聞いた事はありますか?」
答えの代わりに、小さく首を縦に振る。
「アウトラリクスは、五年に及ぶ争いの果て、不可侵条約を提案し戦争を終結に導いた。そして共存という新たな社会を確立した」
「先生、一体どちらからこの戦争は始まったのですか?」
「それも未だに不明です。どうもその辺の記述がどれもあやふやでね…」
歴史学の権威である先生でもわからない歴史の闇。
一体そこにはどんな真実が隠されているというのだろうか。
不意に、そんな難しい顔をしないでと、ライーに肩を叩かれた。
クロトは苦笑して教科書に視線を落とす。
ライーに教わって三年。
学べば学ぶ程、自分の知識は偏っていた事を知る。
姉達から学んだ知識。
それはどこかひん曲がっていた。
「さて、そろそろ終わりの時間ですね」
時計を見れば、勉学の時間は過ぎていた。
ライーはぱたんと教科書を閉じると、
「続きはまた来週ですね」
そう言って私物をバックに仕舞い始める。
立ち上がっていつも通りのお礼を口にして、頭を下げる。
見送りに出ようとしたが、優しい笑顔でやんわりと断られるのもいつもの事。
去っていくライーの手によってドアが閉まる。
机の上に広げられたままの教科書が、風によってパラパラと音を立てた。
爽やかな風が四肢を撫でる。
結い上げられた髪がはらりと落ちて、窓辺へと近づく。
あれから三年。
十三になった。
亜麻色の髪はそのまま。
身長が伸び、丸みを帯びた身体。
見た目では大人に一歩近づいた。
{早く大人になれ}
あれから三年という月日が過ぎようとしている。
{返事は次に会う時にでも聞かせてもらおう}
またすぐ会えるのだと、幼心に思っていた。
すぐ会えなくとも、三年後には会えると思っていた。
あと何年と何日
そう指折り数えるのを止めたのはいつだっただろうか。
偽りばかりと憤るのも、痛む胸をごまかすのも飽きた。
三年という月日は、人を変えるには十分な時間だったらしい。
それをあの方はわかっているのだろうか。
鎖骨にある痣が痛む。
生きる事を止めるつもりはない。
しかしながら、いい加減終わりにしたかった。
「クロト!」
ルーイッドの怒鳴り声が意識を引き戻す。
パタリと教科書を閉じると、クロトは部屋から飛び出した。
◆◆◆◆◆
「まったく、今日は忙しいって言ってんだろうが!あの偏屈婆が帰ってくるんだぞ。やる事やっとかなきゃ、またお小言が始まる」
外に出ると、シーツやらなにやら大量の洗濯をしているルーイッド。
大きな体を丸めて、一心不乱に洗濯をしている様はなんとも面白い。
「ごめん。ちょっと考え事してた」
洗い終わった布地に手を伸ばし、そう答える。
ルーイッドの手荒な洗い方に、顔に水飛沫が飛んでくる。
それを腕で拭い、布地を手早く広げ干していく。
体中を撫でていく風が気持ちいい。
柔らかい日差しはこの季節ならではだ。
「考え事ね…家事の鬼がらしくないな」
そう言われてしまっては苦笑しか返せない。
ここに来てからの自分の役目は家事全般だった。
それは幼い自分にもできる仕事だった。
二人の役に立てる唯一の事でもあった。
「一体何を考えてたんだ?今日の夕飯の献立か?」
「まぁ、そんなとこ………先生にはお礼を?」
歯切れ悪く言葉を濁し、それ以上突っ込まれたくなくて、話題を変えてみた。
「ああ、婆の代わりにちゃんと言っといたぜ?」
俺もお前の保護者だからなと、ルーイッドが笑う。
初めて会った日、花畑に連れて行ってもらった思い出がふんわりと思い出された。
手を繋いでもらって、肩に乗せられて。
きっとあの時、自分の保護者になったのだ。この男は。
「クロト、溜まってるぜ」
はっとなって見れば、後は干すだけとなった布地が桶に溜まってしまっている。
過去ばかり振り返る自分に自嘲しつつ、干す作業に集中した。
「さっき町に買い物に行った時、シェダルに会ったんだけどよ。あいつお前に会いたがってたぜ。なんかこの間の話をまたして欲しいんだってさ」
この三年で町の者とも随分打ち解けた。
その中の一人シェダルという名の女の子が、最近妙に懐いて離れない。
年の頃は、ここに自分が来た時と大差ないだろう。
明朗活発という言葉はシェダルのような子のためにある。
と、言っても過言ではないぐらい、笑顔の素敵な女の子だ。
シェダルのおさげにされた赤髪が、自分の話に頷く度、大きく揺れるのを思い出すと、自然と笑みが零れた。
「そうか。じゃあ明日辺り、会いにいってみようか」
「ああ、そうしてやってくれ。あの調子じゃ、そのうちここに押しかけてくるぞ」
絶対そうに違いないと真面目に言うルーイッドがなんだかおかしかった。
どうやらルーイッドはシェダルが苦手なようだ。
最後の一枚を干し終える頃、ルーイッドは次の作業に移っていた。
洗濯場の横にある薪割り小屋の前で、斧を振り上げている。
よっと、軽い掛け声が聞こえると、短い丸太が二つに割れ薪になる。
空気を切る斧の音。
乾いた丸太が割れる独特の音。
大きな桶を抱えて家に入ろうとしたが、無意識に足が止まっていた。
単調な作業だったがそれを見るのが好きで、よく薪の上に腰を下ろして飽きるまで見ていた。
それは、そう遠い話ではないはず。
「お前さ、こーいうとこは変わらないのな」
視線を感じたのだろう。そう唐突にルーイッドが言ってくる。
額から流れる汗を、腕で拭う様も昔と変わらない。
「いつもこれに座って見てた」
ルーイッドの近くに転がっていた丸太におもむろに手を伸ばす。
自分の視線だけじゃなく、ルーイッドの視線も丸太に注がれたのが気配で分かる。
「そうだな。何が面白いんだか分かんねぇけど、俺が止めるまでずっと見てた」
「ああ、そうだった」
単調な作業のそれの、どこに魅力を感じたのか。
今考えても、その答えは出てきそうにない。
「もう三年か…お前がここに来て、俺たちと一緒に生活するようになったのは」
早いもんだなと感慨深げに頷くルーイッド。
節目の年に、昔を懐かしんでいるのはどうやら自分だけではないらしい。
「昔は可愛かったな…私」
「はぁ?!お前、それを自分で言うか?それを言うなら可愛いじゃなく気持ち悪いの間違いだろ」
「気持ち悪いって…ルードはそんな風に私の事を見てたのか?」
「もちろん、そんな風に見てたぜ。………まったく変に子供らしくない、妙な子供だった。周りの奴の顔色を伺いまくって自滅していくタイプだとも思ってた。それが今じゃ、スレまくってその言葉遣い。おしとやかで、誰に対しても敬語だった昔のお前の話をしても、今じゃ誰も信用しやしない。人間ってのは…変われば変わるもんだぜ」
最後は吐き捨てるように言ったルーイッドの言葉に、自分も同意見だ。
一体どこで踏み誤ったのだろう。
「黙ってりゃ、どこそこの貴族令嬢で通る者を、一度口を開けば……」
大げさに肩を竦めて、手を振るルードに返す言葉もない。
あの時の自分と今の自分が同一人物だとは、自分の目から見ても到底思えない。
そういえばと、ふと思い出した事を口にしてみる。
「口が悪いのは、ルードの言葉遣いが移ったんじゃないかと、お婆様が嘆いていたな…そういえば」
「ばっ…か!お前、それはとばっちりだろ!!」
さっとルーイッドの顔色が変わったのに、声を上げて笑った。
間髪入れず、文句が返される。
「お前、笑ってんじゃねぇぞ。……だいたい、あの婆はだな、何かにつけて俺を目の敵にして「誰が誰を目の敵にしてると言うんじゃ?」
ぎょっとして振り返るルーイッドの動きの早い事早い事。
ルーイッドの傍にぴたりとくっつく婆は、ルーイッドの反応に、おほほほと声を上げて笑っている。
その際、ルーイッドの腰の肉を力の限りつねるのも忘れない。
「いってぇ!婆!離せって!!」
「この婆に向かってなんという言葉遣いじゃ…まったくお前は救いようがないのう」
「誰が救ってくれって頼ん…あぁぁぁ!婆、マジ勘弁!!」
自然と笑いが湧き上がる。この生活が何より愛おしい。
小さな事をくよくよ悩んでいた自分はもういない。
この二人のために、自分はこれからもここで生き続ける。
ルーイッドの嫌いな小言をこれでもかというぐらい吐きながら、婆は家に入っていく。
それに続いて、家に入った。
夕飯は何にしようか。やる事はまだ沢山あった。




