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紡ぐ女と裁断の君  作者: 相川
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第1章6 再会2

 振り注ぐ大量の光の槍。

 まるで光の爆発のようだった。

 クロトは微動だにせず、じっと目を閉じていた。

 ふと痛みが治まっている事に気づいてはっとする。

 シェダルの病をこの身に引き受けたはずではなかったか。

 目を閉じたまま、ゆっくりと胸の辺りを探る。

 手に冷たい感触が走り、小石が変わらずそこにある事に安堵した。

 一体自分はどうしたのだろう。

 ルーイッドが自分の名を叫んでいたのが最後の記憶らしい記憶。

 その後は壮絶な痛みしかない。

 日にちが経過して治ったというのだろうか。

 湧き上がった疑問に頭を悩ませていると、不意に赤銅の君の言葉が思い出された。


 {病の元はすべて吸い取ったはずだがな}


 その瞬間、クロトははっと息を飲んで体を硬直させた。


『私は一体何を聞いていたんだ…』


 思わぬ再会の驚き。

 赤銅の君の体の異変。

 そんな事にかまけているうちに、耳に残らず流れていってしまった言葉。


 {振り回されているのは、こちらの方だ}


 倒れる直前、そう言っていた。


 {そなたが死ねば、我もそのうち力尽きて死ぬ}


 こうも言っていた。

 昔言われた言葉の意味を、今になってようやく朧気に理解した。


『私を助けるのは自分の命のため』


 そう思うと胸が一気に冷えた。

 痣のある部分に、切り裂かれたような猛烈な痛みが走った。

 そうしてクロトは意識を手放した。







◆◆◆◆◆

 先に目覚めたのは、赤銅の君だった。

 ふっと息を吸い込んで、拳に力を入れる。

 満たされた力に、満足そうに頷いて体を起こした。

 自分の体に折り重なるようにして倒れているクロトの表情が苦痛に歪んでいる。

 乱れた亜麻色髪を軽く梳いてやり、その顔をなんともなしに見続けた。

 こんな顔をしていただろうか。

 湧き上がる疑問に、頭を捻る。

 ここ数年、いつだって思い出されるのは三年前のあの時の幼子だった。

 どんな報告を受けても、顔を見たいなどと思った事はない。

 その成長を顧みた覚えはない。

 本当に誓約を交わしたのかと疑いたくなる程に、己の心持ちは何も変わらなかった。


「不釣り合いか…」


 先程投げられた容赦ない言葉は、ある意味当たっているとも言えるだろう。今となっては自嘲気味に笑うしかない。

 不意にクロトの表情が和らいだ。

 誓約の痛みが去ったのだろう。


『目覚めが近いな』


 そっとベッドから降りると、クロトを抱き上げる。

 あの時はもっと軽かったし、もっと小さかった。

 そんな事を思いながら、ベッドの真ん中に寝かせ直す。

 床に落ちかけていた掛布を引き寄せ、体にかけてやった。

 少し身じろぐクロトの頬を撫でて、自らはベッドの端に腰を下ろす。

 ギシッと音を立て、ベッドが軋んだ。

 腰を少しばかり捻るようにして寝ているクロトを窺い見ると、その目蓋が小さく揺れた。

 目がゆっくりと開かれる。

 こんな瞳の色をしていただろうか。

 新緑を思わせるそれはなんとも清々しい色だった。










◆◆◆◆◆

 目覚めた瞬間からまじまじと顔を見られ、クロトは居心地の悪さに顔を背けた。


「まだいたのか」


 独り言のように吐き捨てる。冷えた胸はそう簡単に戻らないらしい。

 ベッドに座られている事すら腹立たしい。

 ふと窓の外を見ると、先程淡いオレンジ色だった空が薄暗くなってきていた。

 夕食の準備を急がなければと思い、起き上がろうとした瞬間。

 鋭い痛みが鎖骨辺りに走った。

 無意識にそこを抑える。


「やはり動くと痛むか…じきによくなる」


 そう言って伸ばされてきた手を、クロトは容赦なくぴしゃりと叩き落とした。

 そうして黙ったまま睨み上げる。


「誓約者どのはご機嫌斜めのようだな」


 いつも通りの不敵な笑いをくっつけられ、先程までこんな相手を心配していた自分を恨めしく思う。


「私の神経を事ごとく逆撫でするそちらに問題があるんじゃないか?」


 憮然と言い放って、クロトは体を起こした。痛みに顔を歪ませながらも、気合いで乗り切る。

 座られている側とは反対側から降りようとして、クロトは声を上げた。


「わっ…!」


 腕を引っ張られ、体制を崩してベッドの上に逆戻り。

 視線を上げれば、意地悪そうに光る赤銅の瞳だ。


「どこへ行く?」


「貴方には関係ない」


「少し休まねば体が保たないぞ」


 疲労感が残っているだろうと、額に手を置かれる。

 その手を即座に振り払おうとして、手首を掴まれた。軽く握られているのに、力を入れてもびくともしない。

 盛大に文句を投げつけようとした時。

 がちゃりとドアが開かれた。

 すぐさまドアに視線を向けると、思わぬ人物に目を見張った。


「先生!」

 

 にこやかに笑うライーは、手に蝋燭を持ってドアを抑えている。

 次に姿を表したのは、食事を乗せたトレーを持った婆だった。その後ろから、椅子を抱えたルーイッドが続く。


「お邪魔だったかの?」


 からかうようにそう言った婆に、クロトは今置かれている状況を思い出し赤面した。

 ぱっと手首を離され、クロトは起き上がろうと体に力を入れる。


「いっ!」


 先程より鋭い痛みに、ぐっと鎖骨を押さえた。


「二期目か…」


 トレーを机に置いた婆が、そう呟いてゆっくりと近寄ってくる。

 そうしてベッドの端に座ったままの赤銅の君を押しどけた。


「お婆様、二期目とは一体…」


 どういう意味なのだと聞こうとして、クロトは口を噤んだ。

 婆の目が眇められたからだ。

 婆の手が、寝間着の襟を少しばかり捲って、痣に触れてくる。


「っ!」


「熱を持っておるな。後で薬草でも張り付けるかの」


 そこで言葉を切って、婆はまじまじとクロトを見た。


「よう無事で目覚めてくれたもんじゃ」


 嗄れた手で頬を挟まれて、ようやく自分のしでかした事を思い出した。


「…お婆様、心配おかけしました」


 頬を挟まれているため、頭を下げる事ができない。

 その代わりに真摯な眼差しを婆に向ける。


「もう縮む寿命もないだろうて…これからは自重するんじゃな」


 婆の目尻に光るものが見えて、クロトは胸が締め付けられた。


「…はい。そうします」


 そう言うだけで、精一杯だった。嬉しいはずなのに涙しそうになって、クロトは無理矢理に笑顔を作った。

 ルーイッドが婆の横から身体を乗り出すようにして、クロトの頭を小突いた。

 その表情は、少しばかり疲れている様にも見えたが、肩の荷が下りたように清々しい感じもする。

 二人の顔を見比べる。

 この三年、ずっと自分を見守っていてくれた人達。

 じわりと視界が揺れた。

 無理矢理作った笑顔がいつの間にか泣き笑いに変わっていく。 

 ここが自分の居場所。

 そう強く思った。








◆◆◆◆◆

「先生!」


 蝋燭を置いて、一段落した部屋からそっと去ろうとした時に、呼び止められた。

 前を行く赤銅の君は、すでに部屋から退出している。

 その彼を待たせる事を申し訳ないと思いながらも振り返った。

 少しばかり顔色の悪いクロトが身を乗り出すようにしてこちらを見ている。


「無事で何よりです。しっかり静養して下さい」


「はい。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」


 ではまたと、切り上げようとした時、もう一度クロトに引き留められた。

 不安そうな、それでいて何か言いたげな表情に、ん?と先を促す。


「さっきの授業でのお願いは…まだ…」


 クロトの言いたい事がわかり、安心させるように笑ってみる。


「元気になったら、ゆっくりお話しましょう」


 いい加減、背中に刺さる視線が痛かった。

 ライーは会話をすぐさま切り上げて退出した。


「随分慕われているようだな」


 一緒に退出したにも拘わらず、呼び止められるのは自分。

 ライーは申し訳なさを感じて身を縮めた。


「そんな事はありません。ただ貴方様と過ごした時間より僕との時間の方が遥かに長い。ただそれだけの事です」


「我に対するあの娘の態度を見たら驚くぞ」


 大袈裟に言って笑う赤銅の君の声が廊下に響く。

 二人は玄関入ってすぐの居間に向かって歩いていた。


「そんなにひどいんですか?」


「口も悪ければ手も早い…その上、機嫌もすこぶる悪い。まったく…」

 

 手がかかって仕方ないのだと付け加えられた。

 その目が、雰囲気が、言葉尻が、今までにないぐらい柔らかいのは気のせいだろうか。


「機嫌は…なんでなんでしょうね」


 意味深に笑うようにして話をはぐらかした。

 そうして気になっていた事を思い切って聞いてみる。


「不敬罪は承知でお窺いします。クロトを、どうなさるおつもりですか?」

 

 赤銅の君の足がぴたりと止まった。

 柔らかい雰囲気が一気に消える。

 鋭い眼光が己の体に突き刺さった。

 殺気に近いそれを微動だにせず受け止めて、ライーは赤銅の君の言葉を待った。

 断頭台に登り、落とされる刃を待つような気分だった。

 緊張からゴクリと喉がなる。

 長いのか短いのかよくわからない沈黙が辺りを包んだ。

 そうして、不意に赤銅の君が笑った。


「まさかそなたにまでそんな説教をされるとはな……我が誓約者殿はよほど人気者らしい」


「…出過ぎた事を申しました」


 深く頭を垂れる。

 赤銅の君が仕草だけで顔を上げるように促す。

 そうして顔を上げ、ライーは正面から赤銅の君を見つめた。

 その真意を探るように。



「どうするつもり、か…」


 そう呟いて、何か考えるように眇められた瞳。

 廊下の真ん中、赤銅の君はするりと近くの大きな窓に近づくと、何気なしに外を見た。

 同じようにして、外へと視線を向ける。

 日は沈み、辺りは闇に包まれていた。

 家々が連なる帝都では、なかなか見れない光景である。

 

「ライー」


 名を呼ばれ、幾分緊張した面持ちではいと短く応じる。


「信ずる神はいるか?」

 

 なぜ、今、それを問うのか。

 そう思ったのが完全に表情に出たのだろう。

 赤銅の君は答えなくていいとばかりに手を振っている。

 

「あのそれは一体どういう…」

 

 最後まで言わせてはもらえなかった。

 なぜなら、赤銅の君の手によってバタンと大きく窓が開け放たれたからだ。

 こちらが目を見張っているうちに、長い足が窓枠に掛けられた。

 赤銅の髪が無造作に流れている広い背が、こちらを向く。

 そのまま去っていくのかと思われた。

 だが、予想に反して赤銅の君は振り返った。

 そうして一言。


「時満つる時、すべてわかるであろう。今はまだ待て」


 唐突な言葉に、一瞬思考が停止した。

 再びこちらに向けられた背が遠のく。

 窓から外へと踏み出した赤銅の君。

 落ちる心配をするより先に、赤銅色の両翼が夜空に広がる。


「今はまだ待てとは…」

 

 そう呟いて、はっとした。

 先程の自分の問いに対する答えだったのだと悟る。

 程なく消えた赤銅の君の残像を追うように、夜空へと目を凝らした。


「時満つる時とは…一体…」


 呟きは夜空へと溶けた。

 更に湧き上がった疑問は歴史学において、解明されない闇の一部分のようだった。


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