オオカミと羊飼い
ずっと前から言ってた嘘つきのやつです。
ちなみに部活で発行した部誌にも掲載しますた(だから投稿が遅れたんだけど)
感想待ってます。
私は羊飼いで泥棒だ。
――というのは比喩表現で、実際には女子高校生をやっている。
イソップ寓話に「狼と羊飼い」という物語があるが、私はまさにそれに出てくる嘘つきの羊飼いの少年のようで、また「嘘つきは泥棒の始まり」とも言うが、その通りならば私は世紀の大泥棒になっているくらい嘘をついていて――つまりなにが言いたいかと言うと、私は大嘘つきだ。
家族、先生、友達――相手が誰であろうと私は嘘をつく。まるで息をするように嘘をつき、おそらく本当のことを言っていることの方が少ないだろう。
でも好きで嘘をついているわけじゃない。周りに合わせるため、周りの人間の機嫌を損ねないために嘘をついている。
私はもともとネクラで感情もあまり豊かではない。趣味も他人とどこかずれている。
だから嘘をついて周りに合わせないと、友達がいなくなるどころかいじめられかねない。事実、私は中学生の時それを身をもって体験した。
しかしいくら合わせるためとはいえ、かなりの罪悪感はあった。何度も押し潰されそうになった。その度に中学生の時のことを思い出し、私は間違っていないと自分に言い聞かせてきた。
「明梨~。帰ろうぜー」
だるそうな顔をした柴崎雄が頭を掻きながら、明梨の前の席に背もたれを前にして座る。
「帰るのになんで座るのよ」
「いやぁ、目の前に椅子があったから、つい」
なんなんだ、その理由は。教室なんだから椅子があるのは当然だろう。
雄とは幼馴染で、幼稚園の頃から家が隣という非常にラブコメにありがちな関係で、そしてラブコメのように見事に私は雄に恋をした。
しかし残念ながらラブコメのようにハッピーエンドにはならず、告白したもののあっさり振られてしまった。わざわざ別の男子に協力してもらって何度も告白の練習までしたのに。クラスメイトにもいろんなアドバイスもしてもらったのに。
まあそんなことがあったにも関わらず、今もこうして仲良くしてくれるだけ幸せなのかもしれない。
「なんだか外が騒がしいなー」
雄が外を眺めながら呟く。
「パトカーがいる。なにかあったのかな?」
校門のところには赤色灯を光らせたパトカーが一台止まっており、先生と刑事らしき人が話をしている。
「誰か万引きでもしたのかぁ?」
「さあ? 面倒くさいことにならなきゃいいけど……」
「そうだな」
しばらく二人はボーッと赤色灯を見つめていると、突然雄が「あっ」と呟き、立ち上がる。
「ど、どうしたの?」
「やっべ、時間だわ」
慌ててかばんを持って立ち上がる。
「なにか用事でもあるの?」
「ああ、俺バイト始めたんだよ。ちょっと面倒なんだけど、報酬がすげぇよくて、それ以外にもいろいろいいことがあるんだ」
「ふーん……頑張ってね!」
「おう。じゃあ先帰るな。また明日」
「また明日―!」
笑顔で雄を見送り、やがて足音が聞こえなくなったところで、スッと無表情になる。
今日も今日とて、私は嘘つき。
◆ ◆ ◆
「きゃー! これ超かわいいー!」
「むっちゃ似合ってるー」
「ホントー?? ありがとー!」
翌日の昼休み、私はいつも通りクラスメイトたちのくだらない会話に付き合い、お世辞という名の嘘を連発していた。
別に可愛いとも思わないし、どう考えても似合っているとは思わない。いくら私の趣味がおかしいとはいえ、さすがに他のクラスメイトたちもそう思っているだろう。それに気づかず喜んでいるなんて、本当に馬鹿だ。
「明梨ちゃんいるかしらぁ~?」
騒がしい教室に甘ったるい声が響く。
「あれぇ? 麻美ちゃんどうしたの、こんな時間に?」
「まだ五限目まで20分あるヨ?」
「貴重な昼休みを彼氏とのメールの時間に使わなくていいんですか~?」
「ちょ、ちょっとあなたたち黙りなさぁいっ!」
クラスの女子たちにからかわれて顔を真っ赤に染めながら、明梨の元に麻美ちゃんこと、吉田麻美先生が近づいてきた。
「どうしたんですか、麻美先生?」
一応先生をつける。さすがに先生を前にしては『麻美ちゃん』は気が引けた。
「よくわかんないんだけど、校長先生が呼んでるわよぉ~。面倒くさいけど、私もいっしょに行かなきゃいけないから、いっしょに行きましょぉ~」
校長先生が? いったい何故? 私、なにかしたっけ?
「えぇ~明梨ってば校長にお呼ばれするなんて、いったい何したのぉ~」
「それを聞きたいのはこっちだってば~。んじゃ、悪いけど行ってくるわ」
「がんばれぇー」やら「生きて帰ってきてねぇ」といった声援を聞き流しながら、先生といっしょに廊下に出る。
「ごめんねぇ~、貴重な昼休みを奪っちゃって」
「いえいえ、私こそむしろ先生のとーっても貴重な昼休みを奪っちゃってすみません」
「もうっ、明梨ちゃんまでっ!」と先生に背中を叩かれる。
正直、この先生は嫌いだ。猫なで声、語尾が変にのびるしゃべり方、そしてなにより「明梨ちゃん」などと呼ばれたくない。呼ばれる度に鳥肌が立つ。
他愛もない話をしているうちにあっという間に校長室の前に着いてしまった。麻美先生が扉をノックすると、「どうぞ」と低く唸るような声が聞こえてきて、先生とともに校長室へ入る。
室内にはサンタクロースのような白髭を立派に生やした校長先生と、無常髭を生やしたどこかだるそうな目をしたおじさん、そして無常髭のおじさんとは正反対のやる気に満ちた目をした若い男性がいた。
「校長先生、今日は上村さんにどんな用事ですか?」
さすがに校長先生の前だけあって、しゃんとした口調だ。
「それは私から話すよりこちらの刑事さんから話していただいたほうがいいだろう」
校長先生が「よろしくお願いします」と二人の刑事らしい男性に軽く頭を下げる。
刑事……? 私なにも悪いことしてないし、事件にも関わってないよね……?
嫌な汗が背中を伝う。
校長先生に勧められ、麻美先生とともに柔らかい高級そうなソファに座る。
「えー私は△○警察署から来た渡辺という者です。隣の若造は桝谷です」
渡辺という刑事が紹介すると、隣の桝谷という刑事がニコニコと会釈する。
「まずは――……例の(・)法について説明したほうがいいな。桝谷、頼む」
「あいっ」と威勢のいい返事をすると、桝谷さんはポケットから手帳を取り出し説明を始める。
「えーっと、上村さんは三ヵ月前に成立した法律を知っていますか?」
「し、知りませんが……」
「やっぱり……」と頭を掻きながら桝谷さんは手帳に何か書き込んでいく。
「えーっと、その法律は成立した当初はそんなに厳しく取り締まられていなかったんですが、先月から急に取り締まりが強化されましてね。それで調べた結果、あなたがその法に触れちゃっていることがわかったんですよ」
私が法に触れている? 私がいったいなにをしたっていうの? いくら最近できた法律とはいえ、良識から外れるようなことはしてないし、むしろずっと良い子を演じてきた――……たくさん嘘をついて。そんな私が法に触れているなんてありえない。
「どうやら自覚がないようですね……。そうなるとかなり重い刑になっちゃうかな……」
「そ、そんなに重い罪なんですか!?」
「はい。えーっと、最低でも懲役二年、施設に三年ほど収容される必要があり、最悪死刑です」
嫌味というほどの満面の笑顔ではきはきと言う桝谷さん。どこか楽しそうにも見える。
「そんな法律に私が……?」
そんなはずがない。きっとこれは何かのミスだ。だって私は誰も傷つけていないし誰も殺してもいない!
「そ、それでいったいどんな法律なんですか?」
声を絞り出し尋ねる。
二人が顔を見合わせると、渡辺さんが静かに答えた。
「虚言取締法――……つまるところ嘘つきを取り締まる法律だ」
それを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
「そういうわけだから署までご同行願おうか」
渡辺さんが何か言っている。でも何を言っているのだろう? 署まで同行? ワケガワカラナイヨ?
渡辺さんの腕が伸びてきて、私の手首を掴む。なんでこのおじさんは私の腕を掴んでいるの? 痛いよ、そんな強い力で握らないでよっ!!!
渡辺さんの腕を振り払い、校長室を飛び出す。
「あっ、こら、待ちなさい!!」
渡辺さんの声を無視して校長室を飛び出す。
昼休みで賑わった廊下を人に何度もぶつかりながら駆け抜け、途中クラスメイトに呼び止められた気がしたが、それも無視する。どこへ逃げようとも考えず、ひたすら無我夢中で走り続ける。
足を止め、ハッと我に返った時にいた場所は、資料や机などいろんな物がしまってある倉庫だった。
鍵を閉め、積み上げられた段ボールの間などを避けながら部屋の奥にあったコピー機の裏に隠れる。
どうして私が嘘つきだってばれたの? 私の嘘は完璧だったはずなのに、いったいどうやって調べたの? そもそもどういう基準で嘘つきと決めているの? 確かに私は嘘つきかもしれない。でも私以外にも嘘をつく人はいっぱいいるはずだ。
ポケットからタッチパネル式の携帯電話を取り出し、インターネットで虚言取締法について調べる。
「えっと、三ヵ月前施行されたもので、当初は取り締まりは緩かったが、先月突然取り締まりが強化された。逮捕の基準は一日50回以上嘘をついている状態が一ヵ月以上続いている状態にある者及び第三者を陥れるような悪質な嘘をついた者が対象で、刑罰は最低でも懲役二年が課された上に三年間特別な施設に入らなければならなくなり、最悪死刑に処せられる場合もある――……」
死刑――刑事さんが言っていたこと、本当だったんだ。ということは私、殺されちゃうかもしれないってこと……?
急に手が震えだし、携帯電話が手から滑り落ちる。
「嫌だよ……捕まりたくないよ……死にたくないよ……」
涙が溢れ出し、嗚咽を漏らす。
きっとこれは夢だ、現実じゃないんだと自分に言い聞かせ目を瞑る。
「お願い……こんな悪い夢早く醒めて――……」
◆ ◆ ◆
煩い(うるさい)校内アナウンスで私は目を覚ました。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。携帯の時計をみるともう既に午後四時を回っていた。
「ここにいるってことは……やっぱり夢じゃないんだね」
目をこすり、鼻をすする。涙が乾いて目の下の辺りが気持ち悪い。冷たい水で顔を洗いたい。もちろん追われる身の私の願いは叶うわけない。
頭上にあった窓をわずかに開け、外を覗く。
夕日がにわかに青空をオレンジ色に染めて始め、青とオレンジ色が混ざった変な色をしている。グラウンドには部活動中なのか、体育着を来た生徒たちが何人かいるのが見える。いたって普通の放課後の景色に見えるが、何か妙な違和感があった。
「あの人たち、いったい何をしているの――……?」
グラウンドにいる生徒たちは走ったりなど運動をしていたり、また部活の準備をしているようにも見えない。草木を掻き分けたり物陰を見たり――……まるでなにかを探しているよう――……。
しばらくグラウンドを眺めていると、生徒のうちの一人と目が合った。その生徒は私と目が合った途端、周りにいた生徒たちを呼び集め私の方を指すと、昇降口へ走っていった。
いったいなんなんだろう。壁になにか可笑しなものでもついていたのかな。
首を傾げながら窓を閉め、再びコピー機の裏にしゃがみこんだ時、大音量で校内アナウンスが響いた。
「現在校内を凶悪な犯罪者が逃亡しています。犯人はわが校の2年1組に在籍している上村明梨さんです。捕まえた生徒及び教職員には警察からの多額の謝礼金が支払わられます。凶器は所持していないとは思われますが、もし抵抗してきた場合は殺してもかまいません。もちろん殺しても罪には問われませんのでご安心ください。さあ、みなさんで我が校が生んでしまった大嘘つきの犯罪者を捕まえましょう!! 繰り返し連絡します――……」
頭の中が真っ白になり、気を失いそうになった。
全校生徒が、先生たち全員が、私を捕まえるために――殺すために私を探している。クラスメイトも、先生も、もしかしたら雄も――……。
途端に体がガタガタと震えだす。
嫌だ、死にたくない――まだ死にたくない!! だって私まだ高校生だよ? なんで捕まらなきゃいけないの? なんで殺されなきゃいけないの!? 死にたくない、死にたくない、死にたくないよ!!!
ふらりと立ち上がると、積み上げられていた段ボールを次々とひっくり返し始める。どんなに散らかろうとまったく気にせず、一心不乱に目を見開き、次々と段ボールや倉庫にあるものすべてをなぎ倒す。すべてが倒れたところで、私は動きを止めた。
そしてよろよろと歩きだすと、こつんとつま先に当たったデッキブラシをおもむろに拾い上げる。
その途端、ドンドンと扉を叩く音がし始めた。
誰かが扉の向こうで叫んでいる気がする。でもなにを言っているのか聞き取れない。
やがて扉を叩く音は規則的になっていき、突然轟音とともに扉が吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める煙の中から何十人もの男子生徒と男性教師たちが現れる。その中心にいた大柄の男性教師が私の姿を見つけるや否や、鉄パイプを振り上げ襲いかかってきた。
私は咄嗟に握っていたデッキブラシで鉄パイプを受け止める。そしてそれを弾くと柄の先端で男性教師の腹を一気に突いた。
男性教師が泡を吹いて倒れる。それを見た周りの生徒や教師たちが一瞬怯んだ(ひるんだ)が、意を決したのか雄叫びを上げながら一斉に飛びかかってきた。
私はそれらを冷静に、確実に仕留める。ついに全員を気絶させるとふらついた足取りで廊下にでる。
廊下はすっかり静まり返っていた。おそらくこの階にいた生徒や教師は全員さっき倒してしまったのだろう。
さて、これからどうしよう。きっともう私の名前は学校内だけでなく、世間にも凶悪犯罪者として知れ渡ってしまっているに違いない。もし学校の外に出られたとしてもあっという間に捕まってしまうだろう。かと言ってずっと学校内を逃げ回っているわけにもいかない。
窓からチラッと外を見る。校門の前には何十台もの警察車両が止まっていて、機動隊やSATなどといった、危なそうな武器を持った警察官たちが次々と昇降口に呑み込まれていく。
敵はどんどん増えていく。いったん、どこか落ち着ける場所を見つけてこの後のことを考えないと――……。
「見つけたぞ、明梨」
突然後頭部に冷たい何かを突き付けられる。瞬間、私は身を翻して、デッキブラシの柄を突き付けてきた人間の喉元に押し当てる。
「お、おいおい、やめろよ! 冗談だって、冗談!!」
「こんな状況でそんなブラックジョークが通じるわけないでしょ、雄」
両手を上げ必死で訴える雄の喉からデッキブラシの柄を離す。
「わりぃ、わりぃ。つい」
「つい、じゃないわよ」
腹に一発軽くパンチをいれようとして、そのまま雄の胸に倒れこむ。
「裏切られたかと思ったじゃん……雄のばかぁ……」
「……俺がお前を裏切るわけねぇだろ」
そっと私を抱きしめ、頭をぽんぽんと優しく撫でる。
「……さっきは人が変わったみたいですげぇびっくりしたけど、やっぱりお前はいつも通りだな」
「なによそれ! 私が泣き虫とでも言いたいの?」
「違うのか?」
私のこぶしが雄の腹に捻じ込まれた。
腹を押さえ蹲る雄を横目に見つつ、考える。
確かにさっきの動きは自分でも驚くくらい素早くて、適確だった。考える前に体が動いていた。その前にも大柄な男たちをデッキブラシ一本で全滅させたし、いったいどういうことなんだろう。
「ほら、ピンチになった時は誰しも人が変わるって言うからさ、きっとそれだよ。それで――これからどうするんだ? さすがに俺まで捕まりたくないし、逃げられた時俺みたいな協力者がいないと大変だろう」
確かに雄の言う通りだ。私一人の力じゃ逃げ続けることはできないだろう。やはり持つべきものは信頼できる幼馴染だ。
「とりあえず、どこか落ち着いて考えられる場所が欲しい。むやみやたらに外に出ても捕まるだけだし」
「そうだな。でもこの辺りで落ち着いて考えられる場所なんてな――……あっ」
雄は小さくは叫ぶと、倉庫の手前にあった理科室に飛び込んでいき、すぐに何かを持ってでてきた。
「マッチ? いったい何に使うの?」
「まあ見てろ。ちょっと賭けに近いけどうまくいけば――……」
雄は階段の踊り場まで行くと、マッチを一本箱から取り出して擦った。
「ちょ、ちょっとまさか燃やすつもりじゃないよねっ!?」
「まさか。こうするんだよ」
そう言うと、めいっぱい腕を伸ばし天井に着いている白い装置に火を近づける。その途端ジリジリと耳を劈くような警鐘がフロアに響き渡り、階段と廊下のちょうど境の天井からシャッターが下りてきた。
「あぁ、そっか。防火シャッターか」
階段の天井に着いている火災報知器にマッチのわずかな煙を近づけて防火シャッターを下ろし、このフロアにこれ以上人が入れないようにしたのか。
「そういうこと。意味がわかったなら、あっちの階段でもやってこい。一つの階段を塞いでも、もう一つを塞がなきゃまったく意味がないからな。
閉まる寸前にシャッターをくぐり抜けた雄は、私に向かってマッチ箱を投げる。それをキャッチすると、もう一つの階段まで走る。
この学校の校舎はL字型をしており、L字の底辺にある南側の階段と縦の部分にある西側に階段がある。今塞いだのはよく使われる南階段で、これから塞ぐ西階段はあまり使われないとはいえ、塞いでおかないと大変だ。
西階段に着くと、さっそくさっき雄がやっていたよう天井に着いている火災報知器にマッチを近づけ、凄まじい警鐘が鳴り始めシャッターが下り始めたのを確認すると、廊下でシャッターが下りる様子を眺める。
「いたぞ!!」
さすがにこの警鐘に気づいたのか、機動隊が階段を駆け上がってきた。しかしもうシャッターは半分以上下がっており、間に合いそうにない。
「ふふっ、ばいばぁい」
懸命に駆け上がる警察官を見下ろしながら不敵に笑う。
ちょうど閉まったところで昇りきったらしく、ドンドンと激しくシャッターを叩く音がする。でもさすが防火シャッターというだけあって、そう簡単には開きそうにない。それを悟ったのか警官たちも諦めて立ち去ったらしく、ドンドンと叩く音はすぐに消えた。あまりにも早く諦めたからすこし不自然に感じたが。
「ちゃんと閉まったか?」
「うん、バッチリ!」
拳銃を握りしめて後ろからやってきた雄にピースサインをする。
「よし、これでしばらく敵は増えることはないだろう。とりあえずどこか教室に移動しようか。もしかしたらまだこのフロアにも敵がいるかもしれないし、どこか隠れられる場所を探そう」
「う、うん、そうだね」
いつになく雄が頼もしくて驚きを隠せない。
「それにしてもその拳銃、どうしたの?」
さっき自分に突き付けられた拳銃を指して尋ねる。
「ああ、これか? ここに来る途中で拾ったんだよ。きっと警察の誰かが落としたんだろ」
そんなことで大丈夫なのか、日本の警察は。
「玉が入っているかどうかはわからないけどさ、持っていれば脅しくらいにはなるかな、って思って持って来たんだ」
「それで試しに私を脅したんだね」
「そういうこと」
にひひと笑う雄の足を踏みつけ、痛がっているのを無視して角を曲がった時だった。
「明梨ちゃんっ!!」
聞き覚えのある声に思わず足を止める。
「せ、先生……」
角を曲がったところには麻美先生とクラスのよくつるむ女子たちがいた。みんな眉間にしわが寄っていて、それぞれ箒など武器と思わしきものを握りしめている。
「よかった、無事だったのね……」
抱きしめようとする先生を避けて、デッキブラシを突き付ける。
「先生も私を捕まえに来たんでしょう……? あははっ、賞金首が無事でさぞかし嬉しいでしょうねぇ……」
「そ、そんなっ、誤解よ! 私たちはあなたを助けに来たのよ……」
「そうだよっ!! あたしたちがあんたを捕まえるわけがないじゃん」
先生に続いて、口々にクラスメイトたちが叫ぶ。
お前らが私を捕まえない? お金が大好きなお前たちが? そんなのあり得ない。嘘に決まっている。というかその変な仲間意識のようなものがムカつく。
「……私は嘘つきなんだよ? あんたたちにずっと嘘つき続けてきたんだよ? そんな奴を助けようと思えるの? ……そんなわけないよね。ずっと嘘ついていた奴を許せるわけがないよね!」
人間は、世間は嘘つきを許さない。嘘つきを悪だと言う。だからこんな法律ができて、今私がこんな目に合っているんだ。
茶髪で肌を茶色く焦がした、いかにもギャルっぽいクラスメイトが言う。
「……確かに嘘をつかれていたのは悲しいさ。でもさ、嘘をつかなきゃあたしたち女子は生きていけない。嘘をつかなきゃ仲間外れにされる、いじめられる。あんたもそう思って嘘をついてきたんだろう? 悪意があったわけじゃねぇんだろ?」
まったくもってその通りだ。悪意があったわけではない。昔に戻るのが――また独りぼっちに戻るが嫌で嘘をついてきた。
いつもの甘ったるい口調ではなく、しっかりとした、大人の女性の口調で麻美先生が口を開く。
「先生もその気持ちはよくわかるわ。私だっていろんな人に気に入られたくていっぱい嘘をついたわ――……今の彼氏だって、嘘で手に入れたようなものよ……。女なんてみんなそんなもんよ。たくさんの嘘をついていろんなものを手に入れる生き物なの。だからそれを罰する方がおかしいのよ!」
後ろにいたクラスメイトたちも「そうだ、そうだ!」と口々に叫ぶ。
みんな嘘つきの私を許してくれている、受け入れてくれている。今までずっと嘘をつき続けてきたのに、怒るどころか理解してくれている。
「騙されるな、明梨」
「えっ……?」
いつの間にか後ろに立っていた雄が、酷く冷たい目で先生たちを見下ろしていた。
「だ、だってみんなは私のことわかってくれたんだよ? 私のことを許してくれ――……」
「あんなの嘘に決まってるだろ。許したふりをしているだけだ。そうやって味方だと思わせて捕まえるつもりなんだよ。こんな簡単な嘘にも明梨は騙されるのか?」
「て、てめぇ! ふざけたこと言ってるんじゃねぇぞ!!」
殴りかかろうとしたギャルっぽいクラスメイトに雄が拳銃を向ける。
「ちょ、ちょっと、雄! なにやってるの!」
「目を覚ませ、明梨! あいつらは敵だ! 吉田先生も言っていただろう? 女は嘘をついて生きているような生き物だって。俺もその通りだと思う。だからきっとあいつらも嘘をついているに決まっている!」
「お、お前こそ嘘ついてるんじゃねぇのか!?」
雄がふっと冷笑する。
「俺はお前たちみたいにすぐに嘘はつかない。もちろんまったくとは言えないが、少なくとも明梨に対しては一度も嘘をついたことはない――……そうだろ、明梨?」
「た、確かにそうだけど……」
確かに私が覚えている限り、雄は私に対しては嘘をついたことはない。それゆえ、雄に対して嘘をつくときはものすごい罪悪感があった。
「で、でも、みんなが嘘をついてるようには思えないよ!」
自分自身が嘘つきでもあるので、相手が嘘をついているかどうかは見分けられるつもりだし、その見分ける『目』にはそれなりの自信がある。その『目』で見ても彼女たちが嘘をついているようには到底思えない。
雄は拳銃を下ろすと、私の目をじっと見つめる。それの視線はまっすぐで、鋭く尖ったどこか恐怖を覚えるもので。
そして一言、尋ねた。
「明梨は、俺が信じられないのか?」
息が止まりそうになった。
「俺は今まで明梨に一度も嘘をつかなかったんだぞ。そんな俺を信じず、年中嘘をついているような奴らのことを信じるのか?」
「そ、それは……」
「明梨! そいつの言うことを信じるな! そいつは嘘をついている!」
雄の声と、クラスメイトの声が頭の中で混じる。
いったい、私はどっちを信じたらいいの? どちらも嘘をついているようには思えない。
両手で耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込む。
「もう、わけがわからないよぉ……」
「明梨」
突然呼びかけられ、ハッと顔を上げる。そこには冷たい、けど悲しそうな顔で私を見下ろす雄がいた。
「明梨は俺のことを信じてないのか? 信じてなかったのにあの時俺に告白したのか?」
「それは違うっ!!」
私は嘘つかずに生きられる強い雄がずっと羨ましくて、そして憧れていた。その憧れがいつしか『好き』になり、雄に恋をした。
そうだ、雄は絶対に嘘はつかないんだ……。
スッと立ち上がり、雄に向かって微笑む。
「明梨……」
「……ごめんね」
悲しげに曇った表情を浮かべる先生とクラスメイトの間を、目を合わせないよう通り抜ける。
「……明梨ちゃんっ!」
麻美先生の横を通り過ぎようとした時、先生が突然私の腕を掴んだ。
「せ、先生っ! 離してください!」
「お願い明梨ちゃん! 私たちのこと信じ――……」
銃声が、廊下に響き渡った。
先生が肩から血を吹きだして倒れていく。クラスメイトたちが先生に叫びながら駆け寄っていく。
すべてがスローモーションに見えて。
ハッと我に返ると、雄の方を振り返る。そこには凍てついた表情で拳銃を握る雄がいた。
「雄っ!?」
「大丈夫、急所は外しておいたから」
「そ、そういう問題じゃないでしょ! どうしてこんなこと……」
雄は「わかってないなぁ……」と深いため息をつく。
「あいつらは敵だ。明梨を捕まえようとしているんだよ。容赦はいらないよ」
「で、でも……」
「ほら、早く行くぞ。捕まりたいのか?」
そう言うと雄は私の手首を掴み、走り出す。
「おい、ちょっと待てよてめぇ!!」
啼泣しながらクラスメイト達が追いかけてくる。先生やクラスメイトたちに心の中で何度も謝りながら、必死に逃げる。
「雄、この先行き止まりだよ! どうするの!?」
「飛び降りる!」
そう言うと窓を開け、飛び降りようとした時だった。
「いたぞ!!」
防火シャッターで塞いでいた南階段が突破され、何十人もの警官たちがなだれ込んできた。
「……チッ! こっちだ!!」
再び手首を掴まれ、左側にあった教室に飛び込む。
「待て!!」
警官たちが教室に入り込もうとした寸前にドアを閉め、鍵をかけた。更に机やらロッカーやらを扉の前に置き開かないようにする。
「とりあえず、ちょっとの間はこれで大丈夫かな?」
「そうだな。扉を叩く音もなくなったし……連中、諦めたのかな? とにかく明梨は少し休め。またすぐ動かなきゃならなくなるかもしれないからな」
「うん、そうする」
床にしゃがみこみ、残った机に寄りかかる。
そういえばここ、私が雄に告白した教室だ。ちょうど一年くらい前この場所で。確か時間も太陽が山の間に沈み始めたこの時間だった。
「……ねぇ、雄、私があなたに告白した時のこと覚えてる?」
「ん? そういえばそんなこともあったな」
雄は私に背を向け、何かをいじりながら生返事をする。
「ちょうど一年前、ここの教室で、だいたいこの時間に私は雄に自分の想いを打ち明けて、そして振られたんだよ。確か理由は――……私とは友達でいたいから、だっけ?」
「……そうだったな」
立ち上がり、窓枠に手を置く。
「私は今までずっといろんな人に嘘をついてきた。もちろん雄、あなたにも。独りぼっちにならないために、自分を守るためにたくさんの嘘をついてきた。もう、私の口から出る言葉はすべて嘘だっていうくらいに」
ドンドンと激しくドアを叩く音が聞こえたが、無視して話続ける。
「だから、捕まっても、殺されてもおかしくないんじゃないかなって思うんだ。オオカミと羊飼いでも嘘をつきすぎた羊飼いの少年はオオカミに食べられちゃったし」
「……」
「もう嘘つくのも疲れちゃった。ねぇ、知ってる? 嘘つくのって、すごい罪悪感があるんだよ。もう楽になりたい。たくさん嘘をついて、ひたすら偽って手に入れた友達に囲まれた嘘まみれの人生なんて虚しいだけだった。これから先、死ぬまでずっとこんなことするなんて耐えられないよ……」
ボロボロと大粒の涙が頬を伝う。
「……じゃあ明梨は捕まって、殺されるのか?」
「ふふっ、それはしないよ。捕まって殺されるなんて、向こうの思い通りの結末じゃない。自分で死んでやるわ。あはは、警察は捕まえられなくてさぞかし悔しがるでしょうね」
凶悪犯を自殺させてしまうなんて、それほど警察にとって屈辱的なことはないはず。世間からの評価だってさぞ落ちぶれることだろう。
「……でも、そうさせるわけにはいかないんだ、明梨」
「えっ?」
突然冷たいなにかが後頭部につきつけられる。それは数十分前、同じ場所に、同じところにつきつけられたものと同じで。
「……ゆ、う……?」
「お前の思い通りにさせるわけにはいかないんだよ。それじゃあ俺の恨みは晴らせない」
「恨み…?」
口の中が乾いていき、手の平に汗が滲んでくる。
「ああ。お前に嘘をつかれた恨みだ!」
「嘘をつかれた……恨み……」
雄は私の味方じゃなかったの? 私を許してくれていたんじゃないの?
「いつ俺がお前を許したって言った。ずっと許せなかった。ずっと嫌いだった。俺に対して嘘しか言わないお前が。どうせあの時の告白も嘘なんだろ? どうせ俺を利用するためにでも告白したんだろ!」
「そんなわけ――……」
「ははは、誰が嘘つきの言うことを信じるものか! 俺は見てたんだ。俺に告白する一週間前くらいに、別の男子に告白するお前をな! その一回だけじゃない! その翌日には別の男子に告白していたじゃないか! 俺に告白する前日にだって……何度も俺はお前が別の男子に告白するとこを目撃した!!」
機関銃のように反論する隙も与えず、私への恨み辛みをぶちまけ続ける。
「……許せねぇ……お前は俺の想いを踏みにじった……裏切った……!! だから俺はお前に復讐しようと計画したんだ。虚言取締法ができて、警察から俺の元に協力要請がきて……ついにチャンスが巡ってきたと思った。だから俺は警察と協力して作戦を立てた。正義のために凶悪犯に成り下がった幼馴染を更生させるという建前で。お前が警察に問いただされて逃げたのも、俺が味方のふりをしてお前を逃がそうとし階段を封鎖することも、ここの教室でお前を殺すことも、全て俺の計画だったんだよ! まあ吉田先生たちが現れたのは計算外だったが、お前は俺をまんまと信じこんで先生たちを裏切ったんだ。嘘つくのは上手いくせに頭は悪いよな、お前」
全部雄の計画の内だった……確かにあまりにも私の逃亡劇は上手く行き過ぎていた。今考えれば不自然な点がいくつもある。バイトというのも警察に協力することだったんだろう。
「で、でも誤解だよ、雄! 私が他の男子に告白したのは雄に告白するための練習で、本気で告白していたわけじゃ――……」
「だからもうお前のことは――嘘つきのことは信じないって言っただろう。羊飼いの少年が嘘をつきすぎて本当のオオカミが出た時大人たちが信じなかったように、嘘をつきすぎた人間は誰からも信じてもらえなくなって最期はオオカミに食われるんだよ!!」
氷のように冷たい言葉が私に突き刺さる。
雄の言う通りだ。嘘をつきすぎた人間は誰からも信じられなくなり、そして独り絶望しながら死んでいく。独りになるのが嫌で今までたくさんの嘘をついてきたのに、結局最期は独りじゃないか。
「じゃあな、オオカミ少女」
ガチャリと音がし、銃口がこめかみに強く押し当てられる。
嗚呼、私のしてきたことは無駄だったんだな……。
そこで私の視界は真っ暗になった。
◆ ◆ ◆
「終わったか」
今更突入してきた警官たちの中から渡辺刑事と桝谷刑事が出てきた。
「生きてます……よね?」
桝谷刑事が明梨の腕を掴んで持ち上げる。
「大丈夫ですよ。撃つふりをしてスタンガンで気絶させましたから」
渡辺刑事に借りたスタンガンを返す。
「約束ですからね。俺もさすがに本気で殺したいとは思っていませんでしたし」
桝谷刑事と警官たちに連れていかれる明梨の姿を眺めながらほくそ笑む。
捕まって刑務所で今まで自分がやってきたことをさんざん後悔すればいい。そして苦しめばいい。
「……さて、君も署に行きましょうかね」
「えっ? 俺も行くんですか?」
そうか、賞金があったんだっけ。それに凶悪犯を捕まえたんだからな、もしかしたら表彰されるかもしれない。
「……どうやら君は何かを勘違いされているようだ」
「え、賞金を払ってくださる約束でしたよね?」
「確かにその約束はしました。しかしそれを支払うために署に行こうとは言った記憶はないですね」
「じゃ、じゃあいったい何のために――……」
俺が言い終わるのを待たずに、両手首を冷たい何かが拘束する。
「えっ――……?」
「――柴崎雄、虚言取締法の容疑で逮捕する」
俺の二本の腕にかけられていたのは鈍く銀色に光る二つの輪。それはどこからどう見ても手錠にしか見えない。
「なっ、なんで俺が? 俺は明梨みたいに息をするように嘘なんかついてないですよ? むしろ凶悪な嘘つき女の逮捕に協力した善良な市民で――……」
「お前のどこが善良な市民なんだ? 確かに君は上村君の逮捕に多大なる貢献をしてくれました。でも君は上村君を追い詰めるために嘘をついた。自分は味方だと。そして上村君を助けにきた先生やクラスメイトの方々のことも敵だと言い、危害を加えました」
「そ、それは仕方がなかったんだ!! そうでもしなければ明梨は捕まえられなかったんだ!! だ、第一、虚言取締法は長期間嘘をついている人間が捕まる法律だろう!? 俺はそんな長期間嘘をついていないし、たった二言嘘をついただけじゃねぇか!!」
「あれぇ、あなたには話していませんでしたっけね? 虚言取締法は『一日50回以上嘘をついている状態が一ヵ月以上続いている状態にある者』だけが対象じゃないんですよ。『第三者を陥れるような悪質な嘘をついた者』、つまり今の君も対象になるんですよ!」
「そんな……嘘だろ……」
急に腰の力が抜け、崩れ落ちる。そんな俺を渡辺刑事が嘲笑い見下す。
「私は嘘をつきませんよ――……警察、いや、虚言取締法に違反した人間を取り締まるのが仕事ですからね」
警官に取り押さえられ引きずられていく。
「離せっ!! 俺は凶悪犯を捕まえた善良な市民だぞ!! やめろぉ!! 俺は捕まりたくない……死にたくない……うわああああああ!!!!!!」
教室から引きずり出される直前、泣き叫ぶ俺を見て冷笑する渡辺刑事の隣で、この場にいるはずのない明梨が冷え切った目で俺を見つめていた気がした。