第94話 クモイが選んだ道
「シルヴィス……、何故……」
クモイが驚きつつもようやく声を出すと、シルヴィスは嘆息した。
「昨晩、クモイが言ったことが気になったんでね。魔法を使って追いかけてきたんだ」
「余計なことを……」
クモイが不快な表情を浮かべ、シルヴィスから顔を背ける。
「余計? はっ、その言葉そっくりそのまま返すぞ」
「何?」
シルヴィスの言葉に、クモイは視線だけ向けて睨みつける。だが、シルヴィスは引かなかった。
「クモイこそ、よく考えろ」
「……考えているから言っているんじゃないか」
ため息をつく彼に、シルヴィスは叱咤した。
「お前の存在が、リシュを幸せにしてやっているって、どうして分からないんだ」
「……私が?」
思ってもないことを言われたのだろう。クモイは狼狽する。
「気づいていないのか。……まあ、マリのことがあって、クモイが『自分の存在が誰かを不幸にする』って思ったり、魔法使い同士の戦いのことで『自分は幸せになってはいけない』って思うのも分かる。だからお前は五十年前に仕えた主人に、どんなことをされても黙って耐えていたんだ。自分のことはどうでもいいから。あの男から離れたのは、自分が苦しかったからじゃない。ただ、『画家に会う』という目的を達成できなかったから。そうだろう?」
クモイは何も言わなかったが、シルヴィスは構わず言葉を続けた。
「だけど、リシュに仕えたら勝手が違って困った。リシュほど自分に優しくしてくれる人が、これまでクモイにいなかったからだ。今まで理屈からいけば、『リシュを不幸にしないために自分が傍にいてはいけない』というのも分からないでもない。だけどな、クモイ。大切にしたい相手が、お前のことを大切に思っているんだ。それを無下にして、自分を苦しめるのか? 大切な人が苦しむのを見るのが嫌だっていう気持ちは、クモイだってよく分かっているはずだ」
「そうは言うが……」
クモイが苦しそうに言うのを聞いて、リシュールはぽつりと言った。
「それなら、僕も共にクモイの苦しみを背負う」
その言葉に、クモイは悲しげな顔をして首を横に振った。
「なりません」
「嫌だ!」
はっきりと否定する主人に、さすがのクモイも言い返した。
「どうして、私にそんなことをおっしゃるのです……!」
「クモイが大事だからに決まってるじゃないか!」
リシュールは涙で顔がむちゃくちゃになりながら、胸が張り裂けそうな気持で叫んだ。
「どうしてって、こっちが聞きたいよ! 何で、一人になろうとするの? どうして僕を一人にしようとするの?」
「それは……」
どうしていいか分からないでいるクモイに、シルヴィスは静かに言った。
「マリはもうこの世にはいない。だからクモイがリシュの傍にいるいることだってできるし、お前が幸せになったって、誰も責めたりする奴なんかもういないんだ」
シルヴィスの言葉に、リシュールはさらに重ねた。
「そうだよ! それに、クモイは許されていい!」
リシュールから放たれた許しの言葉は、不思議と木霊し、次の瞬間、ざあっと風が強く吹き三人を襲った。
まるで、リシュールの心を表したかのような風はすぐに落ち着いたが、その代わりクモイは驚いた表情を浮かべていた。
「俺たちは確かに、これからも魔法具のことを見守り続けなくちゃならない。だけどそれはマリのためでもなく、マリの背負ってきたものを軽くするためでもない。これから生きていく人たちのために見守るんだ」
シルヴィスがそう言うと、クモイはふっと笑い、肩の力を抜いて目を伏せる。その表情はどこか憂いが取り払われたようだった。
「……お前と一緒というのが釈然としないが」
嫌味を言われ、シルヴィスは肩を竦める。
「それはお互い様だろ。……ほら、ちゃんと大事な人と向き合えよ」
シルヴィスに言われ、クモイは「言われなくとも」と悪態をついて、リシュールと対峙した。
「リシュ、私はあなたの傍にいてよいのでしょうか?」
クモイのその言葉に、リシュールは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を袖口で拭く。だが、嬉し涙が次から次へと溢れ出して止まらない。
するとクモイは、リシュールの前に立って、その涙を親指でそっと拭った。
リシュールはその茶色い瞳でクモイを見つめると、にかっと笑う。
「うん」
一方のクモイは、今までになく晴れやかな笑みを浮かべ、お礼を言った。
「ありがとうございます」
「うん」
リシュールはうなずくと、クモイを優しく抱きしめるのだった。




