第93話 どこかに行ってしまうの?
リヒテルとの再会後、リシュールはクモイの指示を仰ぎながら、父の看病を手伝った。
本当は、息子であるリシュールが、率先してやらなければならないことなのかもしれない。だが、クモイは「慣れていますので」といって、一通りのことをいつも通りやってくれたのである。
リシュールはそれを傍で見守りながら、ほっとしていた。
お互いの気持ちは確認したとはいえ、あまりにも久々なので、「父さん」とは言えても、リヒテルを「父」として見るには、空いた時間が長すぎた。
クモイはそれを察してくれていたのだろう。
そのため、リシュールに看病を無理にさせようとはしなかったし、できることをさせてくれたので、終始穏やかな気持ちでいられたのだった。
ようやく一通りのことを終えて、休憩のために庭に出ると、さわさわと心地よい風が頬を撫ぜる。
リシュールは雪解けの香りのする風を吸い込んで、深呼吸をするとクモイにお礼を言った。
「クモイ、ありがとう」
「いいえ、何のことはありません。——そういえば、リシュに渡すものが……どうぞ」
クモイは、風に靡く亜麻色の髪を耳にかけそう言うと、手に持っていた薄くて手のひらに載るくらいの冊子を、リシュールに差し出した。
「何?」
「リシュのものです」
リシュールは手に取ると、その冊子の表紙に自分の名前が書いてあり驚いた。よく見ると、「通い帳」と書いてある。
「通い帳」とは、銀行などのお金を預けたときに、出し入れを記入しておく簿冊のことである。
「リシュを捜すとき、リヒテルさまが私に預けられたものです。『息子のために使って欲しい』といわれたので、これまでの生活に少し使わせていただきました」
そのときになって、リシュールはようやくあることに気づいた。
何故、クモイがリシュールに何の見返りも求めず、お金を使っていたのかという点である。
「もしかして、クモイが僕にお金を使ってくれていたのって……」
クモイはうなずく。
「全てリヒテルさまから預かったものです。『もし息子が見つかったとして、生活に困っていたら使ってくれ』と言われておりました」
「じゃあ、クモイがおかみさんに渡したお金とか、今の部屋の家賃は……」
「リヒテルさまから預かったものから、使わせていただきました。また私は、リヒテルさまが前に雇われていた弁護士から引き継いで、財産管理をしていたことと、看病など身の回りのお世話もしていたこともあり、給与をいただいていたのです。そのお金を、リシュとの生活費に当てていました」
リシュールは呆然としていた。
つまり、クモイがお金を持っているように見えていたのは、全てリシュールの父が彼に渡していたお金であり、彼が困窮から脱出できたのも、父がクモイに預けていたお金だったということだ。
色んなことに合点がいった一方で、リシュールはある不安に駆られた。
通い帳を返したということは、リシュールの生活費を管理しなくてよいということだろう。そのため、クモイとの別れを意味するのではないかと思ったのである。
リシュールは思わず、クモイのセーターの袖口をきゅっと掴んだ。
「どうかなさいましたか?」
「どこにも……行かないよね?」
「え?」
リシュールの問いに、クモイは明らかに困惑したような表情を浮かべる。リシュールは袖口を握る手に力を込めた。
「挿絵は全部揃ったし、僕は父さんと再会が終わって、通い帳も渡したから、もうクモイの役目は終わり……とか思っていない?」
「いえ……、やることはまだありますから、そんなことは……」
クモイは、言葉を濁す。リシュールは腹を決めて質問した。
「やることが終わったらどこか行ってしまうの?」
「……どこか……というより、私は魔法具を探しにいかねばなりません」
「それは分かるよ。でも、そういうことじゃなくて、僕から離れていくんじゃないかって……不安なんだ」
「……」
すると、クモイは観念したように答える。
「そうはおっしゃいますが……、私はこれ以上リシュの傍にいるわけにはいかないのです」
「どうして?」
リシュールの問いに、クモイは力なく笑った。
「幸せに感じるからです」
「何で? どうして幸せなのがいけないの?」
「……私は苦しまねばなりません」
「馬鹿!」
リシュールは体の奥から、熱い感情が沸き上がるのを感じる。
だが、抑えようとは思わなかった。
すると、みるみると目には涙が溜まり、ぼろぼろと頬に零れ落ちる。
「今だって十分に苦しんでいるじゃないか! どうしてずっと一人で抱え込もうとするんだ!」
クモイは目を見開き、そして俯いた。
「リシュ……。ですが、私は……」
クモイがそう言ったときである。「リシュの手を取らないつもりか」と、二人とは別の声が聞こえた。
リシュールとクモイは、声がした木のほうを見ると、白銀の髪をしたシルヴィスが現れた。




