第87話 魔法具の話
クモイが、箱に入っていた全ての挿絵を見終わったとき、リシュールは膝の上に拳を握り、じっと我慢していた。
――そろそろ何か言ってくれるだろうか。
リシュールはどきどきしながら、時折クモイの横顔をちらりと見て、そのときを待つ。
しかし、そのあともクモイは一向に何も話してくれず、まるで一人の世界に入ったかのように見る絵を入れ替え、目に近づけたり、離したりして見ている。
もしかすると、彼にとっては吟味するための時間だったのかもしれないが、リシュールは結局耐えきれなくなって、おずおずと口を開いた。
「あの、クモイ……どう……、かな?」
するとクモイはようやく絵から目を離し、左側に座る主人のほうを向くと微笑みを浮かべた。そして、大きくうなずく。
「とても良いです。部屋の明かりだけなので、細部は見えていないのですが、画面が明るいですし、物語の雰囲気が伝わってくる絵になっていると思います。それに、はっきりと描きすぎず、筆致が柔らかいのも感じがいいですね」
クモイの好感のある感想に、リシュールは心底安堵し、ようやく肩の力を抜いた。
「それならよかった……。実はね、挿絵は明るい印象にしようと思ったんだ。色は混ぜすぎると暗くなるから、混ぜすぎないように気を付けてね、それから、眩しい光ってぼんやりとするでしょう? だから、色をぼかしているんだ。だけど、ぼかしすぎるとよく分からないから、線は細く、でもはっきりと入れてみたんだ」
「なるほど。確かに細い線から、繊細さを感じますね」
クモイは興味深そうにうなずきながら、顔を綻ばせる。
「……」
リシュールはその様子を見て、聞こうか迷っていたことを、クモイに尋ねてみることにした。
「ウーファイアさんは、……どう?」
クモイの妹であるマリの、もう一つの姿である「ウーファイア」。
リシュールが、描くのに一番悩んだ人物である。
すると、クモイはしみじみとした表情で、感想を述べた。
「正直に申しますと、マリに似ていて驚きました」
「……うそ。本当に?」
信じられないという風に尋ねると、クモイは表情を綻ばせて、優しげな目で最初の一枚目を手に取って眺める。
「嘘ではないですよ。ある時期のマリの姿が、まさにこんな感じでした。私はリシュに、マリあるいはウーファイアの姿を、話したことはないはずですが……もしや、シルヴィスに聞きましたか?」
リシュールは、ふるふると首を横に振る。
「聞いたけど、教えてはもらえなかったんだ。僕が想像するウーファイアでいいって言われたから」
「そうでしたか……」
「あの……、そんなに似ている?」
おずおずと尋ねると、クモイは挿絵の中にいるマリを、懐かしいものを見るようにしてうなずいた。
「ええ。マリの髪と瞳の色は、黒ではないですけど、それに近い焦げ茶色で、髪もこれくらいに伸ばしていました。子どものころは笑うところも見かけましたが、大人になってからまるっきり笑わなくて……。そういうところが似ているなと」
「そうなんだ」
リシュールは大きく息をはき出し、ラクチュアの背もたれに体重を預ける。
一番問題だった部分を、良い方向に捉えてもらえたので、リシュールは胸を撫でおろした。
「魔法具も、よく描いてくださいましたね」
クモイがそう言って、今度は「七つの魔法道具の絵」を手に取る。
その一枚の紙には、「茶色い小さな瓶」「鮮やかな赤い色のマント」「きれいな装飾がされた如雨露」「真っ白な表紙の本」「一つ巻きにされた包帯」「きらきらとした宝石がはめ込まれた冠」「幾つもの色を秘めている石」が描かれていた。
「『権力のマント』は濃い灰色ですが、鮮やかな赤い色にされたんですね?」
クモイの的確な指摘に、リシュールは「うっ」と声を詰まらせる。
「権力のマント」だけは、リシュールも目にしている唯一の魔法具だ。それどころか毎日使っているので、色を間違えようがない。
つまり、実際の「権力のマント」に似せるなら、「濃い灰色」にしなければならないのだ。
それにもかかわらず、リシュールは「赤色」に染めたため、クモイは尋ねたのだろう。
「それは……絵にしたときに、灰色にしたらあまり目立たなくなると思って、それで……」
しどろもどろに言い訳をする。
本当は、リシュールのただの我儘だ。
クモイがリシュールに貸してくれているマントが、悪いもののように扱われるのが嫌だったため、挿絵の中では「権力」という強い力がありそうな「赤色」で、マントを塗ったのである。
「なるほど。確かにそれも一理ありますね」
「駄目かな……?」
もし問題があれば描き直しである。
どういう判断が下されるだろうかと思っていると、意外にもクモイは明るい声で「いいえ、良い案だと思います」と言った。
「本当?」
「本当です。マントに関しては、私が常に管理しているので、事情のわからない人の手に渡るということはそうそう無いでしょうし、濃い灰色のマントは巷に溢れていますから、あえて違う色にしたほうが絵本の中では存在感が増して良いかもしれません」
「それなら良かった……」
リシュールがほうっと息をつくと、クモイの話題は、別の魔法具の話へと移る。
「描かれている『茶色い小さな瓶』が、『愛をはかる薬』を示しているのですね?」
「うん。もしかして印象が違う?」
するとクモイは亜麻色の髪を左耳にかけ、じっと絵を見つめる。
「いえ、私もこの魔法具は見たことがないのです」
「もしかして、探している魔法具?」
クモイたちは、二つの魔法具を探していると言っていたが、どの魔法具を探しているのかまでは初めて聞いた。
「ええ、そうです。もう一つが『閃きの冠』。これも見つかっていないので、リシュの絵を見て、もしかするとこういう形をしているのかもしれないなと思いました」
「……」
リシュールは話を聞きながら、クモイが見たことがない魔法具が「愛をはかる薬」と「閃きの冠」ということであれば、きっとほかは見たことがあるのだろう。
「一つだけ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「何でしょうか?」
「どうして『手当の包帯』だけは、ありきたりな名前なの?」
包帯は手当てのときに使うもの。
あまりに当たり前すぎる名前にため、絵本の原稿を読んだり、挿絵を描いているときにずっと気になっていたのである。
するとクモイは、表情を曇らせ、ゆっくりと顔を俯けるとこう言った。
「それは、手当をするための包帯ではなかったからです」




