第68話 友達
シルヴィスは、どう答えるのだろうか。
リシュールが緊張した面持ちで待っていると、彼は少し間を置いて悩んだあとにこう言った。
「それは俺にも分からないな」
「そう、ですか……」
「挿絵を描き終えたらこの関係も終わり」とはっきり言われるのも辛いが、だからといってどっちつかずなのも、もやもやとする。
「ただ、リシュが考えているように、挿絵の完成がクモイとリシュにとって、大きな区切りになるとは思う」
「……」
リシュールは目を少し見開いてから大きく息をつくと、視線を自分のカップに向ける。そこにはきれいな色をしたルヴァリシュルがまだ半分ほど入っており、情けないほどしょんぼりとした自分の顔が映っていた。
「……クモイと、離れなくちゃいけなくなるんですかね」
「クモイと離れるのが嫌そうな言い方だね」
「だって……、楽しいですから……」
クモイがリシュールの前に現れてから、色んなことが変化した。
生活が豊かになったこともそうだが、リシュールはそれ以上に、同じ家の中で、色んなことを分かち合うことのできる「クモイ」という存在がいることが、何よりも得難いと感じていた。
孤児院からリシュールが城下町に出て来た当初は、慣れない土地で生活ができるだろうかという不安と、それと同じくらい、自分が新しい出発を迎えることにわくわくしていた。それはきっと、何も分からないからこその期待だったのだろう。
だが、いざ社会の中に飛び込んで一人で生活をしてみると、なんだか味気ない感じがした。
楽しいことがあっても、辛いことがあっても、面白いものを見ても、嫌なことを知っても、誰にも話すことができない。
きれいな空を見て美しいなと思って絵に描いても、誰も見てくれない。
孤児院にいるときはいつでも話し相手がいたが、毎日同じ道を行き来し、お金持ちの年上の紳士たちの靴磨きだけの中で、何気ない会話を楽しめる相手などできるわけがない。
いつの間にか、そんな相手を望むのを忘れかけていたころ、クモイが唐突に現れた。
あまりに変わった登場だった上に、気安くリシュールに対してお金を使うので怪しいと思っていたところもある。
だが、シルヴィスを通して彼の過去を知り、自分の事情をただ隠していたわけではなく話せなかったのだと理解してからは、もっと色んなことを話すようになった。
何気ない出来事に、クモイは「そうなんですね」とうなずき、今の仕事で初めてきれいに革を縫えたときは、とっても嬉しそうに「よかったですね」と言ってくれる。
その反応一つひとつが、リシュールの知らぬうちに空いた穴を満たすように、温かなものを与えてくれるのだった。
「シルヴィスさんは、クモイと話して楽しいって思わないですか?」
リシュールの問いに、シルヴィスは渋い顔をしてすぐに答えた。
「俺たちは喧嘩ばっかりしているからなぁ。楽しいって思ったことがあんまりないんだよ」
「そうなんですか」
「そういうリシュは、普段クモイと何を話すんだ?」
リシュールは「そうですね」と言って、クモイと話したことを端的に答えた。
「仕事の話とか、料理の話とか、天気の話とか……。あと、行ったお店のことを話すこともあります。あ、それと、クモイは時折シルヴィスさんのことを話してくれることもありますよ」
「どうせ、碌なことじゃないだろ」
シルヴィスは頬杖を付いてため息をつくと、ぷいとそっぽを向く。
「そんなこともないと思いますけど……」
すると彼は少し興味が出たのか、「例えば?」と尋ねた。
「昔、用事があってシルヴィスさんの部屋に行ったら雑用を頼まれて、クモイがお茶の用意をしたり、片付けをさせられたりしたとか。あとは話している最中に、ソファで勝手に寝ているとか」
「ほら、やっぱり」
シルヴィスが嘆息する一方で、リシュールはくすくすと笑った。
「でも、そういう些細なことを話すってことは、シルヴィスさんがいてくれると、寂しさが紛れるってことでもあるんじゃないでしょうか」
「どうかな」
「きっとそうですよ」
リシュールはそう言いながら、寂寥感が胸に広がるのを感じた。クモイと同じ時を過ごし、彼と同じ魔法使いであるシルヴィスは、きっとこれから先も、ずっとクモイと関係を持ち続けられるのだろう。
だが、リシュールは違う。過去は教えてもらって知っているが、知っているだけである。
シルヴィスは、クモイのことをよく言わないが、彼の立場がリシュールにとって少し羨しかった。
「リシュ」
シルヴィスが頬杖をやめ、こちらを真っすぐ見据えて優しい声で呼ぶので、リシュールは改まってどうしたのだろうと思いながら、小さく首を傾げた。
「はい?」
「クモイのことは分からないけど、俺はリシュが挿絵を描き終えても、友達でいたいと思っているよ」
リシュールはその言葉の意味を噛み締めるように、ゆっくりと目を見開く。
「友達……」
「もしかして嫌かな?」
「いえ、そうではなくて……」
リシュールが首を横に振る。シルヴィスの優しさは感じていたが、まさか「友達」と思ってくれていたとは思わず驚いてしまったのである。
だが、その意味が分かってくると、じわじわと腹の底から温かなものが湧き上がってくるのを感じた。
「そう思ってくださったことが、すごく嬉しいです」
心からそう言うと、シルヴィスが珍しく無邪気に笑った。
「よかった。俺は絵本ができたとしてもあの店の経営者だから出て行くつもりもないからね。だから、いつでも連絡してくれたらいい」
「ありがとうございます」
シルヴィスの笑みにつられて、リシュールも少し笑う。
クモイとの関係はどうなるかは分からない。だが、絵本の件で繋がった縁が、少なくともシルヴィスとは続くのだと思うと、少しだけ安心できたのだった。
そして話が丁度途切れたとき、時期を見計らったように、部屋の扉から戸が叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
シルヴィスが返事をすると、ドアが内側に少しだけ開かれる。そのためリシュールにはドアを叩いた相手は見えなかったが、店員のようだった。
「料理をお持ちいたしました」
「ありがとう」
シルヴィスが礼を言うと、店員がドアをさらに大きく開き、良い香りと共に中へ入ってきた。




