第29話 新たな問題
「リシュール」
「え⁉ あ、は、はい!」
リシュールは驚きつつ、振り向いて立ち上がった。
おかみに名前を呼ばれるときは、頼みごとか注意されることが多いので、少し緊張する。何を言われるのだろうかと思っていると、彼女は意外なことを口にした。
「あんた、昨夜は残り物を食べたかい?」
「……え? あ、いえ、食べていませんけど……」
昨夜はおかみに問いただされたあと、そのまま部屋で眠っている。
もしや、心配して聞いてくれているのだろうかと思って答えると、おかみはさらに尋ねた。
「じゃあ、どこで食べた?」
大衆食堂の「ディオール」である。
だが、すぐに答えてはいけないような気がして、「どうして、そんなことを聞くのですか……?」と質問した。
「上等なマントも買って、外食できるお金があるんなら、家賃の値段を戻そうかと思っただけだよ」
リシュールははっとしたあと、すぐさま首を横に大きく振った。家賃を上げられたら生活が立ち行かなくなってしまう。
「あの、そんな……そんな、お金はありませんっ」
「じゃあ、どうして昨日は夕食をここで食べなかった? 帰ってくるのも遅かっただろう?」
鍋の中を確認していなかったが、きっと残り物があったのだ。そしてそれが減っていないと思ったので、リシュールに尋ねたのだろう。
「それは……あの……」
「何?」
おかみの声にトゲを感じる。
リシュールはどきどきしながら、精一杯平静を装って答えた。
「親切な方、に、あの……ご飯を食べさせてもらいました……」
おかみはどう答えるのだろうかと、腹の前で両手をぎゅっと握って待つ。その時間がリシュールにはとても長く感じられた。
だが、彼女はじっとリシュールを見つめた後に、表情を変えず「ふうん」と言うと、「聞きたかったのはそれだけだから」と言って建物の中へと入っていってしまった。
「どうしよう……」
一気に緊張が解けたリシュールは、思わず小さな声で呟く。
だが、これはまずいことになった。下手をしたら屋根裏部屋を出て行かなくてはならないのではないか、とリシュールは思った。
(何か、考えないと……)
しかし、考えるにしても自分だけでは高が知れている。それに、やらなければならないことが目の前にあって――すでに目の前には片付けなければならない食器の山がある――、いちいち考えている暇もなさそうだ。
(いざとなったら……覚悟するしかないかも……)
朝のわくわくしたところから一転。
リシュールはがっくりと肩をおとすのだった。
*****
「はあ……」
調理場の掃除を終え、クモイと共に靴磨きのためにいつもの定位置についたときのことである。リシュールは、フォン(丸くて固いパン)をもそもそと噛んでいる最中に、何度も大きなため息をついていた。
「リシュ、やはり今からでも朝食を食べに行きましょうか?」
主人の様子を見て、クモイがすかさず尋ねた。リシュールはちらっと、クモイのほうを見る。
今日の彼は、リシュールが何も言わずとも薄汚れた服を着ており、「路上の靴磨き」としては完璧な格好をしていた。
「いや、行かなくていいよ……」
「では、私が買ってまいりましょうか?」
どうやらリシュールがため息をついているのは、「朝食をお店で食べることを断ったから」だと思っているらしい。
確かに今朝、調理場の掃除を終えた後に「靴磨きの仕事を始める前にどこかで朝食を食べに行きませんか?」とクモイが誘ってくれた。そしてそれをリシュールは断っている。
だが、問題はそれではない。いや、この誘いに乗ってしまっては、さらにおかみに疑われることになってしまう。
「朝食のことじゃないんだ。だから、気にしないで」
「そういうわけにはまいりません。主さまの落ち込んだ姿を見るのは、心苦しいのです」
真剣な表情で話しかけてくれるクモイを見て、従者は主人の状況をまるで自分のように捉えなくてはいけなくて大変だなと、リシュールは思う。
だが、このままクモイに問い続けられても隠し切れそうにないので、素直に打ち明けることにした。
「実は、おかみさんに疑われているんだ。お金があるんじゃないかって……」
「どういうことでしょうか?」
「昨夜、クモイと外食したでしょう?」
「はい」
「だから、いつも食べている残り物が余っていたわけ。それで不信に思っているんだよ」
しかし、意図が掴めなかったクモイは主人に尋ねた。
「ですが、外で食事をする日もあるでしょう。そもそも、残り物があるかも分からないとおっしゃっていたではありませんか。おかみさんが言っていることは、矛盾しているように思います」
「うーん、そうなんだけどさ……」
「外食のことを聞かれてどのような問題があるというのでしょうか?」
リシュールは肩を落として、クモイの質問に答えた。




