4話 クララ・ヴィクルとお茶会
クララは喉の渇きを感じて目覚めた。
風呂場から出れば、いい匂いがした。
(これは…小麦の焼ける匂いっ…!!)
今までおなか等すいていなかったのに、とてもいい香りは無自覚に食欲を誘発する。
「なに人ん家で料理なんてしてるのよ」
クララは腰に手を当て、不機嫌そうに高飛車に言い放つ。
ノアリスはクララのほうは向かず、手の動きを止めなかった。
フライパンの柄を上下に動かし続けている。
坊ちゃんとは思えない料理男子っぷりだ。
「クロリスはいいって言ってた」
「誰よ、それ」
「おまえのところの精霊だよ。真名はクロリスだと」
「真名なんか何の役に立つのよ。名前なんて簡単に偽装できるし、変わるものなんだから、なんだっていいじゃない」
「そんな事言っているから自分のとこの精霊ですら、名前を教えてくれないんだぞ」
クララはふてくされた。唇をすぼめる。
「そんな事、興味ないわ」
「契約をするときに必要になる。名前を教えてくれないっていうのは信用されてないんだ。信用されない相手と契約は結べない」
「契約なんて必要ないでしょ?」
ノアリスは内心、ため息をついた。
独りよがりで協調性がない。クララは昔からそれが変わらない。
それは性で生まれついたもので、そもそも変えようがないものかもしれない。
しかし努力や意識で変えられるものはある。
時にクララは…
(ひとりで生きていけるほど器用じゃないんだから、もっと他者と強調しなければいけないのに)
そんなことを言っても無駄なのでノアリスは胸の中にしまった。
自分が生きているうちはクララの面倒を見ればいい話だ。
なんだかんだ、やさしい精霊もクララの身近にいる。
ただし精霊は気が変わりやすいので長期的に見れば頼りにならない。
「それよりもさ」
ノアリスはクララのほうは見ずに切り出した。
「胸くらい隠したら?」
何気なさを装って言う。植物に水をあげたら? みたいな感じで。
ほんとうは下も隠してほしい。
そんな事をノアリスは思った。
「襲いたくなるだろ?」
「精霊の加護がある、あなたに勝てるわけがないじゃない。どうせわたしは弱いわよ。恨みがあるんだったら、ボコせばいいじゃない」
手をひらひらとさせ、煽ってくるクララ。
精霊から愛されているノアリスは強い。あらゆる力を精霊が与えてくれる。
しかし精霊の力を借りなくとも、それなりには強いと思っている。
一般兵に余裕で勝てるくらいには強い。
甘ちゃんで嬢ちゃんで腕立て伏せすらできないクララなんて論外なのは勿論だが、刃物ひとつで暗殺者と死線の淵で戦ったことを思えば、自身の強さを精霊の加護で済ませられるのは面白くない話だ。
そう言うのはクララだけではなく、他人からも知り合いからも師匠からも言われてきたことだ。
どんな技術よりも精霊の加護のほうが力がある、と。
だから自身の強さを精霊の加護のおかげだと言われても、受け流すことにしている。
ノアリスはクララを見て、眉をしかめた。
(この人は…)
この人の倫理観や思考、社会観は精霊並みだ。
精霊は人の社会を理解できない。
この人は精霊ではないが、社会常識という観点からは精霊と同レベルに駄目だった。
(本人がそう言っているし…)
クララが気づけば、ノアリスはクララの半歩手前にいた。
(睫毛長い…男なのに)
クララの危機察知能力はとても低く、今までどうやって生きていけたのか不思議なくらいには低く。
そんなどうでもいいことを考えた。
(睫毛の長さに男女差なんてないわよね)
(わたしの目が悪いのも生まれつきだったし…
生まれつきの差は残酷だわ。この男が精霊から愛されるのも、もともとだった)
ただの八つ当たりにすぎないが、クララはノアリスを睨んだ。
クララの凄みのあるジト目が注がれると、興奮してきた。
(俺ってMっ気があったのかもしれない)
ノアリスの周囲の人間は男含め、従順な人が多い。中には反抗的で一物抱えた腹黒たちがいるが、表立ってノアリスに敵対する者は少ない。
王になってからは、クララのように素直な人はもっと少なくなった。
クララの首と腰に腕を回す。
顎を固定する。
唇を重ねる。半開きになっている中に舌を入れていく。唾液が絡み合う。
「……!! いい加減にしなさいよ」
蹴りが入る。
多分、本気で蹴っているのだとは思うが、加護持ちのノアリスには効果がない。
精霊は治癒と防御、精神的な癒しに優れている。
クララの攻撃などないに等しい。それがたとえ、股間だとしても。
「キンを移さないでよ」
「なんだよ、それ」
クララは頬を膨らませた。キスをしてドキドキではなく、「キンを移さないで」と悪魔の媒介のように言われる。
クララは頭が切れるのだが、訳のわからない信仰や理論を持っている。
「だいだいなにが移ったんだよ。俺は魂も精霊もおまえに渡してないぞ」
「そんな神秘なものじゃないわ。目に見える物体よ」
「はいはい。天才様の考えは俺にはわかりません」
「眼鏡。指輪をし忘れていた」
クララは俺の元から去ろうとする。
服よりも指輪が好き。それがクララだった。
「なによ?」
クララの導線を阻む。
「いいや。別に」
ノアリスはクララの腹肉を触る。
(無防備だよなぁ)
上に行こうか下に行こうか迷いながら、腹肉をつまんでいた。
「寒いわ。服を着るの。早くどきなさいよ」
「服はさ、寒さ対策のためでもあるけど…。淑女なんだから肌を魅せちゃ駄目でしょ」
「じろじろ見てきて、なにを言ってるの」
「そういう変態がいっぱいいるからなんだよ。言っただろ? 襲われても知らないぞって。もう1回やるぞ」
「口でしょ? 服の有無なんか関係なかったじゃない」
ノアリスは、押し倒して手首を縛って動けないようにして、好き勝手にやってやりたいという思いに駆られた。
クララは蝿でも払うように、ノアリスのわきを通り過ぎて行った。
ノアリスは立ち尽くす。
(乳首、大きかった)
もしかしたら俺は乳首の大きな子が好きなのでは? とそんな他愛ない事を考え始める。
クララの事は好きだと思っている。
しかしクララと生活したいかと言われれば、したくないという気持ちが強い。
なにせ彼女は協調性や社会性が著しいほどに難あり、なのだ。
それが天才というのかもしれない。
天才は偉大でそこには抗えないほどの魅力がある。だが見ているだけでいい。
太陽に近づきすぎたら身が焼けるように、彼女には近づいてはいけない。
(わかってるけど、好きなんだよねぇ)
ノアリスは結局、この結論にいつも至るのだった。




