五話 通りゃんせ(前編)
通りゃんせ、通りゃんせ
こーこはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
またあの童謡で遊んでいた夢を見た。
そして思い出した。そうだ、私は小学校に上がるまでは湯けむり庵によく行っていた。
両親が共働きだったので、おじいちゃんが幼稚園に迎えに来てくれて、湯けむり庵で両親の迎えを待っていた。
その頃、ここに来ていたおそらく近所の子たちとよく遊んでいた。
たぶん、7歳になるまで。
私は4月3日生まれなので、小学校の入学式の前には7歳になっていたのだ。
小学校に入学してからは自然に足が遠のいた。年末年始は今でも行くけど、あんなに毎日のように通っていたのはあのころまでだった。
大学からの帰り道、私は今日も湯けむり庵に行く。
行かないと、紅葉さんが迎えに来るのだ、しかも男型で。
あんな絶世のイケメンと一緒にいるのを知り合いに見られるのはろくでもないことにしかならない。
美香には一度見られてしまっているので、私にめちゃくちゃイケメンの知り合いがいる!っていうのはバレてしまったみたいだけど。
今日はおばあちゃんに頼まれたものをちょっと遠回りして買ってから向かったのだけど、おばあちゃんはおじいちゃんが病院に連れて行っていなかったので、勝手に入って、中庭のベンチに座ってぼんやりしていた。
「あら、鈴子、来てたのね」
ひょい、と中庭に現れた今日は男型の紅葉さん。手にもってるフルーツ牛乳は何ですか。神様が風呂上がりの常連客みたいなもの持ってるの、ギャップがすごい。
「来ないと迎えに来るイケメンか美女か分からない神様がいるので」
「私、基本的に外に出るときは男型よ?」
「そうなんですか?」
紅葉さんが私の隣に座って、フルーツ牛乳を飲む。お稲荷様ってフルーツ牛乳飲むんだ……。
「人間の女型で街を歩くと声をかけられることが多くて鬱陶しいのよ。男型でもそれなりに声はかけられるけど、女型でいるときよりマシだから、基本的には外に出るときはこっちの姿ね」
「でも話し方はそれなんですね」
「……こっちの話し方のほうが良い?」
不意に紅葉さんが小さく笑って私の顔を覗き込みながら低い声で囁く。
「僕は僕だよ、どっちでも稲荷の紅葉」
思わずドキッとしたのは隣にいる存在が、文字通り人外の綺麗さだからだ。
「し、知ってます!紅葉さんは紅葉さん!この湯けむり庵の守り神だって!」
「あはは、ならよろしい。はー、やっぱり楽な話し方にしよう。私はこっちのほうが楽なのよね」
あ、私今、からかわれた……!
「ところで鈴子、それなぁに?」
紅葉さんが指さしたのは、ベンチの上に置いてある、おばあちゃんに頼まれた買い物だった。
「これ、おばあちゃんに頼まれて、神社に寄っていただいてきたんです。そういえば、いただきに行った神社も稲荷神社でした」
神社でいただいてきたのは、脱衣所の神棚に置く魔よけの札だ。男湯と女湯と、あと一枚。
「ああ、その一枚は私のだわ。自分で持っていくからくれる?」
「なるほど、なんで3枚なのかなって思ったんですけど、紅葉さんの分なら納得です。じゃあはい、紅葉さん」
紅葉さんの手にお札を乗せると、不意に記憶がくすぐられた。
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
あの童謡のお札って……。
「あの、紅葉さん」
「ん?なぁに?」
「私、7歳になるまで、ほぼ毎日ここに来ていたんですけど、紅葉さん覚えてますか?」
「覚えてるわよぉ。この中庭で通りゃんせで遊んだり、瑠璃子の作ったおやつを美味しそうに食べたり、ここの縁側で昼寝してたりしてたわね。あんなに小さかった子が、こんなに大きくなったんだなぁって感慨深いわ。本当に人間はすぐ大人になるわね……」
紅葉さんがお札を見つめながらしみじみと言う。その金色の視線に、私と紅葉さんの間にある絶対的に違う世界の壁を感じて、少し寂しくなる。
「の、割には、私、紅葉さんとあの頃会った記憶がないんですが」
不意に感じたさみしさを気づかれたくなくてかみ殺す。
「そりゃそうよお。私、昼間は基本的に社で寝ていたもの。でも私の眷属の子たちとは会ってたでしょう?」
「え?」
「鈴子、一緒に遊んでた子たちのこと覚えてる?」
「も、もちろん!いつも5人くらいいました!でも、名前とか思い出せなくて……近所の子だと思うんだけど……」
「茜、琥珀、白露、朔、翡翠」
「……え?」
「五人とも、私の眷属の子。名前を覚えてないのも当たり前よ。私の……神の眷属だもの」
「……えと、つまりあの子たちは全員……?」
人の子じゃなかったってこと!?
「ええ。今は五人とも、幽世で、文太の手伝いをしてもらっているわ」
なんという爆弾真実……!
「あの頃は、茜が鈴子の髪を結うのが大好きで、鈴子の髪に差したいからって簪をねだられたのを覚えてるわ」
そういえば、なんとなく覚えてる。女の子が良く私の髪を結ってくれて、赤い綺麗な簪を差してくれた。
「それ、なんとなく覚えてます……」
「そう、じゃあ茜に伝えておくわ、きっと喜ぶから」
紅葉さんがお札を手に一度社に戻っていく。
ああ、そうだ、あの子たちはきっと私を守ってくれていたんだ……。なんとなくだがそう思う。
この中庭で手を握って、通りゃんせで遊んだり一緒にフルーツ牛乳を飲んだり、昼寝をしたり……。
懐かしくて優しい思い出のかけらを思い出して、もう遠い昔のことに胸が締め付けられるような、でもとても嬉しいような不思議な気持ちになった。




