四話 ひいおじいちゃんに会いました
「え、これめっちゃくちゃ美味しい!」
私の目の前でコーヒーゼリーを食べてはしゃぐのは、なきぼくろが印象的な絶世の美女である。
「こんな美味しいもの初めて食べたわ!ありがとう、鈴子」
私は食べたかったパフェ、ではなくて同じコーヒーゼリー。うん、これも美味しい。
だけど、コーヒーゼリーに集中できないのは、紅葉さんに集まる視線の多さのせいだ。店内だけではなく。窓の外からも紅葉さんに集まる視線がすごい。
まあコーヒーゼリーにはしゃぐ絶世の美女とかエモいよね、分かる。
「ところで紅葉さん」
「ん?なぁに?」
「私、後何本くらい糸を切れば就活うまくいきますかね?」
「んー、そうね……」
紅葉さんは少し考え込むように顔を傾け、目を細める。
「糸を切るのは“無理に頑張らない”ためのものじゃなくて、自分で選ぶためのものよ。だから、何本とは言えないわ。鈴子が自分で進みたい道を決めることが大事」
私はコーヒーゼリーをかじりながら、少し考える。
「うーん……じゃあ、頑張って就活しながら、幽世の糸も切るって感じですかね?」
「そうそう、その調子」
紅葉さんは楽しそうに笑って、私の肩を軽く叩いた。
「大丈夫よ、あなたは文太のひ孫だもの」
「私、ひいおじいちゃんは写真でしか見たことないんですよね。どんな人だったんですか?」
「文太は、湯けむり庵をとても大事にしていたわ。私の稲荷を作ってくれたのも文太よ」
「へえ」
「会ってみたい?」
「そうですね。会ってみたいとは思います」
「じゃあ会ってみる?話くらいしかできないけど」
「え?」
スプーンを持ったまま固まる私に、紅葉さんはにこりと笑った。
「文太なら、幽世にいるわ」
「えっ……ひいおじいちゃんって怪異なんですか!?」
「違うわよ。文太は幽世で、何て言うか……番人、みたいなことをしているの」
「番人?」
「ええ」
「何でひいおじいちゃんがそんなこと?」
「自分で志願したのよ。湯煙けむり庵を護りたいからって」
紅葉さんの指先が、コーヒーゼリーのグラスにふわりと触れる。ゼリーの表面が波立ち、そこに一瞬、湯けむりのような景色が映った。
「……これが、その道の入り口」
私は息をのんだ。
「カフェで幽世への入り口を作らないでくださいよ……」
「ふふ、本当の入り口は湯けむり庵にあるわ。じゃあ行きましょうか」
と、今日も私は紅葉さんに連行された。
おばあちゃんが、ちょうど洗い場の清掃が終わったところだと私と紅葉さんを通してくれて、紅葉さんが洗い場にお湯を流すと湯気が立ち込めた。
「さあ、鈴子。ここに座って」
鏡の前の椅子に座るように言われ、座ると、紅葉さんが私の後ろから手を伸ばして鏡に触れる。するとまるで水面のように鏡に波紋が立った。
「文太。文太、聞こえるでしょう?こっちにいらっしゃい。今日はあなたのひ孫を連れて来たわ」
鏡の波紋の奥から、低く落ち着いた声が返ってきた。
『……紅葉か。久しいな』
湯けむりの向こうに、男の姿が揺れている。
鏡の中に現れた男の姿は、アルバムで見たことがあるひいおじいちゃんの姿だった。
「ひいおじいちゃん……?」
思わず立ち上がろうとした私の肩を、紅葉さんがそっと押さえた。
「鈴子、ダメよ。ここできるのは話をすることだけ」
「は、はい……。あの、ひいおじいちゃん?私、鈴子です。ひ孫の。登太郎の娘です」
『おお!登太郎にこんな可愛らしい娘が生まれるとはなぁ!』
初めて会うひいおじいちゃんは、とても良い笑顔で、紅葉さんも嬉しそうだ。声は少しお父さんに似てる気がする。
『それで紅葉。どうして鈴子を連れて来た?』
「鈴子は、湯けむり庵に選ばれてしまったのよ。かつて、文太、あなたが選ばれたように」
『つまり、鈴子は銭湯すきるとやらを持ってしまったと?』
「ええ。もう幽世にも見つかってしまってる」
『……難儀なことだな』
「何とか、鈴子の糸を全部切ってしまいたいの。私もこちらで手伝うから、文太もそっちで手伝ってくれない?」
『分かった、しかし全ては無理だぞ』
「分かってるわ。文太のお残しはこっちで、私と鈴子で切るから」
『ならやってみるか。鈴子、おまえの銭湯すきるは今いくつだ?』
「えと……3になりました」
『もう3か。なら、そろそろ、あれが使えるころだろう、紅葉』
「そうね、そろそろ試してみてもいいと考えてたの。何かよさげなのあったらこっちに送ってくれる?」
『そうだなぁ、試すのなら糸を意識するようなのがいいな』
うん、私そっちのけでなんか二人して私に何かさせる前提で盛り上がってる。
『ああ、いいのがいたぞ、紅葉。糸屑女なんてどうだ?』
「ちょうどいいわね。強い怪異ではないけど、数が多くてしつこいやつだし」
『ちょうどすぐそばの排水口のとこにいるはずだ。こっちの隙間からそこにいっちまってなぁ。どうにか引き戻そうと思ってたが、どうももう鈴子に絡みついてるみたいだ。鈴子の練習台になってもらおう』
「分かったわ。……鈴子、あなたの銭湯スキルは3になった。鑑定も2。だから、まず鑑定で、そこの排水口を鑑定してみて。2になったなら、中にいるものまでわかるはずよ」
「は、はい、――開帳」
足元の排水口を鑑定すると
排水口
水や湯を排水するための場所
今は底に糸屑女が貼りついている
絡まった糸屑や髪の毛の中にいるため、幽世に返すためには糸屑や髪ごと切る必要がある
そのままにしておくと、湯殿にくる人間たちの心に絡みついてしまう
増殖が速い
と鏡に文字が浮かび上がる。
「鈴子。手ぬぐいに気持ちを込めて」
「はい……!」
紅葉さんに言われるままに、手に持った手ぬぐいに切る!という気持ちを込める。すると、今までとは違う光を持ち始めた。虹色に光る手ぬぐいって何!?
「うん、うまくいったわね」
「も、紅葉さん、これなんか今までと違うんですが!」
「それが鈴子のスキルが上がった証拠よ。今までと違って、複数の糸を切ることができるようになったのよ」
え、複数?じゃあまとめて切れる?
「文太!排水口から糸屑女を出して!」
「おお分かった!」
ひいおじいちゃんが手に持った槍みたいなものを一振りすると、逃げ出してきたかのように、排水口から髪の毛と糸の絡まったような塊がはい出て来た。その塊の間から小さな手足がバタバタ暴れてて、動きがめちゃくちゃきもい!
「鈴子!こいつの糸は一本じゃない。あなたに絡みついている糸がいくつもあるわ、見えるでしょう!?」
手首を見ると無数の髪の毛と糸が私に絡みついていた。
「え!いっぱいある!気持ち悪い!」
思わず体を引いたら、後ろで紅葉さんが私を支えてくれた。
「鈴子、落ち着いて。これはこっちの世界で言う、Gって虫と一緒でたくさんいるの。それだけ縁の糸も多い怪異で、だからこんなにあなたに絡みついてるのよ。落ち着いて、まとめて切りなさい」
いやいやいや!Gといっしょとかもうすべてが無理!!こいつ無理!!いや、今までのも全部無理だけど、こいつは今までで一番無理!!
足元にずるずると寄ってくる糸屑女に私は虹色に光る手ぬぐいブレードを振り上げた。
「無理ーーーーー!!還れーーーーー!!」
絶叫と共に手ぬぐいを振り下ろす。
瞬間、なんていうか切り裂いた、というような感覚があった。
手ぬぐいから虹色の光が放たれ、ざわざわと絡みつく糸屑女の糸が束ごと弾けるように裂けた。
「切れた……!」
糸屑女はきゃあっと声を上げ、逃げるように排水口へ引き戻されていく。幽世に還ったのだ。
足元には、切り裂かれた糸と髪の毛が虹色の光の粒となってふわりと散った。
「ナイスよ、鈴子!」
『よし切れたな!さすがワシのひ孫だ!』
ひいおじいちゃんと紅葉さんが笑顔で褒めてくれた。
息を整えながら、手を見下ろす。絡みついていたたくさんの糸はもうどこにもない。
「……できた、私、できたんだ」
背後から紅葉さんが私の肩を叩き、鏡の中のひいおじいちゃんも満面の笑み。
なんだか、少し自分が強くなった気がした。
「よくやったわ、鈴子。これであなたは複数の糸を切ることができるようになった。おそらくもう何度か切れば終わるはずよ」
お、終わりが見えて来た……?じゃあ私の就活もうまくいくようになる……?
「今の斬撃は”虹霞斬”って言うの。まとめて幽世からの縁の糸を切り裂く力よ」
紅葉さんが私の手にある手ぬぐいに、自分の手を重ねながら言った。
「使いどころは自分で決めてね」
「私に決められますか?」
「できるわ。だって私が見込んだ子だもの」
「……はい!」
私は小さく頷いた。
だけど、その時の私にはまだ「終わり」が何を意味するのか分かっていなかった。




