8無知
マルセラ「アンタ、新居住区を築く戦いが
どうして起こったか知ってるかい?」
ブレイス「当然だ。政治家たちが、我々…
チップ持ちだけが住む場所を作るって決めたからだ。」
マルセラ「その前だよ、どうしてそう決めたのか、
どんな理由でそんなことを決めたのかってことだよ。」
そういえば考えたこともなかった。
いろいろ議論して決めたんだろう、
ってくらいにしか考えてなかった。
俺でも疑問に思うくらいだ、
チップ持ちからもけっこうな反発があったんじゃないか?
マルセラ「事件が起きたのさ。
1回や2回じゃない、たくさんのね…心当たりは?」
こうして聞くと、俺は何にも知らないな。
このままじゃ埒が明かない。
ブレイス「何も分からない…すまないけど、
何も知らないものとして最初からまとめて
話してくれないか?」
マルセラ「あきれた。本当に何も知らないんだね。
少しも興味を持たなかったのかい?」
顔からもあきれてるのが分かる。
彼女は「少し待て」と席を立つ。
その通りだ。
意義も分からないままに昇進だけを求めて、
無知なまま生きてきた。
いろいろ知っていれば、
今のこんな状況にもならなかったんじゃないか?
そう思いながら気まずくうつむいて
いると、彼女はコーヒーを持ってきてくれた。
マルセラ「かなり昔の話だけど、
臓器の一部が悪くなった人は、
ドナーと言われる人から臓器を提供してもらって、
それを医者が移植するって医療体制があったのさ。
基本的には死亡した人から無事な臓器を摘出してたけど、
状況はずっと厳しかった。
血液型やサイズの適正も必要だし、保存も効かない。
臓器の数はいつも足りなくて、
臓器を待ってる間に死亡する人が大半だった。
そんなある日、どんな人にでも適合する臓器を提供できる
人造人間が作られた。
意志はないけど機械の中で生きていて、
臓器を摘出しても材料を入れれば機械がそこを再生させる。
いつでも誰にでも新鮮な臓器を
提供できるシステムが完成したんだ。
だけど欠点もあった、それは脳への負担。
人造人間の臓器を移植した患者は健康的な暮らしを
取り戻したけど、明らかに寿命とは言えない若い年齢で
脳死するようになったんだ。
せっかく治したのに寿命が縮まりすぎたら、
ほとんど意味がないだろ?けど臓器は足りない。
困ったもんだ…。
そこで、短命を回避する研究も
進められたけど、難航してた。
そして最終的に、記憶を引き継ぐチップが開発されたんだ。
寿命が延ばせないなら、記憶を
人造人間に引き継げば良いってね。
そうして人類は疑似的に“不死”になったんだ。」
なるほど…それが俺たちチップ持ちが生まれた
ルーツなのか…すごく興味深い。
コーヒーは飲み干したけど、中断してほしくなかったので、
飲んでるフリをしながら続きを聞くことにした。
マルセラ「不死を手に入れた人類
だけど、まだ2つ問題があった、1つは
『記憶を引き継いでも、それは本当に同一人物なのか?』
って疑問だね。
この疑問を持ってる者はかなり多い。
病気でやむを得ず人工臓器を移植して、
短命に恐怖した人ぐらいしか、
チップシステムを認めた者はいなかった。
チップ反対派はチップ持ちを迫害
しはじめたけど…これはまだマシな方だよ。
時間と共にチップ持ちは増えていって、
次第に共存に向かっていくだろうね。
今やチップ持ちは世界に数百万人。
政治家もほとんどそうだしね。
これからも数は増えていくだろう。
そして、もう1つの問題。それは『高価すぎる』こと。
人造人間もチップも高価で、ストックも必要になる。
どっちか1つにしても買えない人は多く存在する。
コストが重いのさ。
そこで臓器が金になることに目をつけた連中が出てきた。
そいつらはチップ持ちを襲い、
人工臓器を闇医者に売るっていう
金儲けを思い付いたんだ“臓器狩り”
って言われてる事件だね。
金を貯めて、やっとの思いでチップ持ちになったのに、
臓器狩りに遭ってしまった人は資金不足で
復帰できなくなって、データも破棄されてしまった…。
新居住区を築く目的は…そんな事件から
チップ持ちを守るためなのさ」
ブレイス「迫害、臓器狩り、
チップ持ちを守るため…そんな背景があったのか。
そういえば、新居住区の争いで戦ってた原住民たちは、
みんなチップ反対派だったのか?」
マルセラ「戦ってた人だけじゃなく、私も含めた全員だね。
金で引き下がった人たちはみんな老人か女、
子供を連れて町を離れ、受け取った金をすべて武器にあて、
戦える男だけが残った。
まあ…結果はアンタも知ってのとおりさ。」
そういえば先日、パトロールで捕えた人たちは全員
老人か女性だった。
少し妙だと思ったが、そういうことだったのか…
ブレイス「教えてくれてありがとう、
だが、聞けば聞くほど分からない。
あなたはどうして俺を助けた?
俺たちを恨んでるんじゃないのか?
戦いに参加してなくても、協力した反対派のはず、
どうして」
マルセラ「アンタが“殺さないでくれ”って言ったんだろ?
いや…正直アタシにも分からないけど、
少なくとも今すぐどうこうしようって
気にはならなかったんだ…。
それよりも、やるべきことは
見えてきたかい?」
忘れていた。
俺はあと3日で寿命が来る…興味深い話は聞けたけど、自分の
やるべきこと・やりたいことは分からない。
まとまらない…どうすれば…
マルセラ「何も思いつかないならそれでも良い。
アンタはその程度の人間だってことさ…
1日だけ泊めてあげるよ。
あの酷い臭いの服も洗濯中だしね。
明日の朝には乾くだろうから、起きたら出ていきな。」
言われて気づいた。俺は今、下着しか着ていない。
ここまで余裕がなかったってことなのか…
考えが出なくても、とりあえず寝ておく必要はありそうだ。
ブレイス「もう1つ聞きたい。
あなたはどうしてチップに反対
してるんだ?」
なんとなく気になった、聞いておくのが良い気がしたんだ。
マルセラ「…アタシの夫はね、
体を悪くしてチップ持ちになったのさ。
最初は何も問題なかったけど、次第に別人のような
考え方をするようになって、アタシも含めたチップ無しを
“下等生物”だの言い始めて、最終的にはチップ無しを
『どうせすぐに死ぬ軽い命』なんて言って迫害しはじめた…
とっくに別れたけど“不死”とは相容れないって
結論に至ったのさ、アンタを助けたのは、
死を恐れて命を大事にしようとしてた
からかもしれないね…」
ブレイス「そうか…その、すまない…いや、
答えてくれてありがとう」
とりあえず、寝ていたベッドに横になる。
自分はどうすべきなのか全く分からない。
睡魔も強烈で、コーヒーが全然効いていない。
体力の回復は優先だが、可能な限り考えるつもりが、
すぐに寝入ってしまった。
明日からどうしよう…
読んでくださってありがとうございます。