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最後の月光

真夏の雨の中で

突然降り出した激しい雨。

まるで誰かが空から水をぶちまけているような、梅雨の始まりを告げる午後だった。


あの日、私は音楽室で、ある亡き人の過去に足を踏み入れた。

彼はついさっきまで私が座っていたピアノの前に座っていた。

そして、同じ曲——『月光ソナタ 第3楽章』を演奏していた。

彼の指先は、黒と白の鍵盤を静かに押さえながら、抑えきれない感情をそっと流していた。

その響きには、深い憤りと孤独が染み込んでいた。

しかし、やがて雨音にかき消されるようにして、ピアノの音は次第に聞こえなくなっていった。


最後の鍵盤から手を離し、彼は席を立った。

音楽室を出て、ゆっくりと一階へ降りていった彼は、

降りしきる雨を見上げながら、ただ茫然と空を眺めていた。

手には傘を持っていたが、それを地面に投げ捨てると、

そのまま雨の中へと歩き出した。


家にたどり着いた頃には、全身がびしょ濡れだった。

エレベーターのボタンを押し、階数を入力する。

階が上がるたびに、彼の心臓の鼓動がどんどん速くなっていくのが伝わってきた。

「ピンポーン」という音とともに扉が開く。

彼はしばらく玄関の前に立ち尽くしていた。

暗証番号も打たず、ただ扉を見つめながら深い思考に沈んでいた。


やがて、中から口論の声が聞こえてきた。

その声に我に返ったように、彼は番号を打ち込み、扉を開けて中へ入った。


リビングでは、彼の母と弟が言い争いをしていた。

彼が入ってくると、弟はすぐに自室へ引っ込んでしまった。

テーブルの上には成績表が置かれていた。

誰が見ても優秀な成績だったが、

どうやら母親の期待には届かなかったらしい。


靴を脱ぐ間もなく、

玄関の前で母親が彼の前に立ちはだかった。

心配の言葉ではなく、

母親の手が彼の頬を打った。


「この成績、どういうつもりなの?」


その一言。

彼は何の反抗もせず、黙って聞いていた。

そして、脱ぎかけていた靴を再び履き直し、扉を開けて出て行った。


エレベーターはまだ彼の階に止まったままだった。

彼は中に入り、1階のボタンを押した。

下りる途中、時間は止まったかのように遅く流れ、

1階に着いても、彼は降りようとしなかった。


どれほどの時間が経っただろうか。

誰かがボタンを押して、エレベーターの扉が再び開いた。

ようやく、彼は重たい足取りで外に出た。

濡れた床の上を、ゆっくりと歩き出す。

行き先は決まっていなかった。

どこにも、安らげる場所はなかった。


彼が唯一心を寄せられる場所——音楽室に戻ってきた。

ピアノの蓋を開け、

鍵盤に落ちる雨粒を静かに見つめていた。

手を鍵盤の上に置いたが、

結局、そのまま鍵盤に触れることなく、音楽室を後にした。


そして、辿り着いた結末。

彼は屋上へと向かった。

私は彼の後を追い、必死に声をかけ、止めようとした。

けれど、それは無駄だった。

私の声も、行動も、

彼には届かなかった。


これは「チャンス」なんかじゃなかった。

私に与えられたのは、間違いなく試練だった。


屋上の扉が閉まっていてくれることを願ったが、

悲しいことに、あっさりと扉は開いてしまった。


彼は柵の前へゆっくりと歩み寄り、

私は彼を止めようと身を投げ出したが、

彼には私の姿が見えていなかった。


——ぽつん。


彼の記憶は、そこで途切れた。


気がつくと、私は再び音楽室にいた。

最後の鍵盤を押し終えた、その瞬間に戻っていた。

私の目からは静かに涙がこぼれた。


窓の外は嘘のように明るく晴れ渡り、

やさしい陽の光が音楽室に差し込んでいた。


彼の過去を見たけれど、

何一つ変えることはできなかった。


私は屋上へ向かった。

そこには、明るい表情を浮かべた彼が待っていた。

彼の顔は、太陽の光よりも明るく、私を見つめていた。


「音楽室に行こう。最後にやっておきたいことがあるんだ。」


そう言って彼は音楽室へ向かい、

私はその後ろ姿を追った。


ソクヒョンはピアノの前で鍵盤の感触を確かめていた。

私たち三人は並んで座り、ピアノを見つめた。

ヒョンジュンが私に話しかけた。


「ソクヒョンが第1楽章、お前が第2楽章、俺が第3楽章を弾くよ。」


私はうなずき、ソクヒョンに声をかけた。

「ソクヒョン、第1楽章弾けるよね? 私は第2楽章を弾く。一緒に演奏しよう。」


そして、

私たちは一緒に演奏を始めた。


誰かは絶望を、

誰かは希望を、

誰かは後悔を込めて。


それぞれ異なる想いで始まった演奏は、

いつしかひとつの曲として繋がっていった。


ヒョンジュンは、私たちを見ながら明るく微笑んだ。

その表情には、確かな希望が宿っていた。


演奏はクライマックスに向かい、

ソクヒョンも感じ取った。

たとえ彼が見えず、声が聞こえなくても——

音楽を通して、彼の心が届いていることを。


演奏が終わる頃には、

ヒョンジュンの姿は少しずつ薄れていった。


彼は最後に私へこう伝えた。


「自分でも気づかなかったけど……俺も、望んでいたんだな。

本当にごめん、迷惑かけて、辛い思いさせて。

でもさ、お前は俺の話を本気で聞いてくれて、

そばに来てくれた。

お前は、俺にとって……本当に“希望”だったよ。」


私は涙がこぼれそうな気持ちを必死に抑え、うなずいた。


彼はさらに続けた。


「お前ってさ、夏の陽射しよりも、もっとあたたかく人を包み込むよな。

だから、最後にお願いがあるんだ……ソクヒョンを頼むよ。

そばにいてくれって意味じゃなくて、

ただ、あいつが辛そうだったら、昔の俺みたいに……

話を聞いて、そっと支えてやってほしい。

それから、二人のための曲を残したんだ。ロッカーの中を探してみて。」


そう言い残して、

彼は消えていった。


私は混乱した気持ちのまま、

彼と初めて出会った屋上へと向かった。


そして、生徒たちの笑い声が響く空の下で、

静かに思いに耽った。


『月光ソナタ』という曲は、

愛と絶望、そして痛みを自由な感情の流れで描いた曲だ。

これは、私のごく個人的な解釈だけれど——

あの日、私たちが一緒に演奏したあの曲には、

すべてが込められていたと思う。


すべてが終わったあと、

私はヒョンジュンが残した楽譜を見つけた。

その楽譜を持って、ソクヒョンの元へ行き、こう頼んだ。


「この曲、一度だけ弾いてくれない?」


彼が演奏を始めると、

誰にでもわかった。


その曲は——

赦しと愛の歌だった。


両親へ、弟へ、

そして、自分自身へ。

赦しと愛を込めた曲。


ヒョンジュンはこの夏、

私たちに決して忘れられない余韻を残して旅立っていった。



今回もよろしくお願いします。


毎度見てくださってありがとうございます。


相変わらず誰もお話がないですが

見てくださるということでありがとうございます。


もっと頑張ります。

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