第一話 「魔王が倒せないので連れ帰りたいと思います」
一筋の月明かりが窓から差し込む。
その光の両脇には、絶対的な力を誇る存在が相対していた。
「ふはーっはっはっは! ついに来たか!勇者よ!」
玉座の間に響くその声には、嬉しさと期待がたっぷりと含まれていた。
銀色の長い髪をなびかせ、玉座にゆったりと腰掛ける魔王。
圧倒的な魔力が、部屋全体を覆い尽くす。
襟元の開いた黒いドレスが胸元を軽く強調し、柔らかな曲線が覗いている。
決して大きすぎるわけではないが、丸みを帯びたそのラインには、無邪気な顔立ちとのギャップがある。
ドレスの袖や裾には薄い布がふんわりと広がり、肩や腰のあたりにかけて、ゆるやかに体のラインが浮かび上がっている。
まぁ、初見だったら冷や汗かいて、その魔王の圧倒的な威厳と魔力に思わずかた唾を飲んでいただろう。
初見だったら、な。
「うるせえぇえ! 何回目だよそのセリフ!! さっさとくたばれこのクソ魔王めがぁああっ!!」
もはや俺にはこいつは「勇者vs魔王ごっこ」を楽しんでいる女の子にしか見えない。
俺は背中に刺した聖剣であり愛剣『アステリオス』を豪快に引き抜き、魔王の方へとその切っ先を向けながら突進する。
もはや待つことなんてしない。
コイツがいるだけで世界はめちゃくちゃになっている。
そして俺はこの世界を救うために召喚されてきたのだ。
迷う余地など、無い。
「ま、まてぇ勇者! これはその、儀式みたいなものであろぉ!?」
「もううんざりなんだよ! 俺はさっさと帰って、漫画の続きとか読みたいんだ!!」
いきなり飛びかかってくる俺に、魔王が慌てて手を振って制止しようとする。
目を丸くしながら、思わず体をのけぞらせたその姿は、どうにも威厳のある魔王というより、年端もいかぬ少女のように見える。
が、俺の動きは止まらない。
「好機!」
「あぎゃぁあああああああ!!」
あきらかに無防備で、戦う準備すらできていない魔王の胸に、俺の全身全霊を込めた一撃が貫く。
一撃で仕留める。
その腹づもりでの渾身の一撃だ。
体力の温存など考えてもいない。
魔王から鮮血が飛び、俺の顔にもべっとりと彼女の血がこびりつく。
滴り落ちる血の感触が肌に冷たく染み込み、俺はその場に立ち尽くしていた。
かくして、魔王は倒れた。
世界は勇者によって救われ──
「や……だぁ……こんな……の、望んで……ないぃ……」
「ばっかお前喋んな!! それやめろ!!」
血反吐を吐きながらも魔王は微かに口を動かしているのをみて、俺は慌てて彼女の口元を塞ぐ。
手で押さえてる中で、もごもごと口を動かし、しゃべれなくて悲しそうにボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「むぐぉっ……んむむぅ!!(いやだ……こんな結末、我は認めぬ……!)」
魔王がみるみるうちに光となって輝き始める。
眩すぎるそれは、まるで神でも降臨したかのような神々しさを持ち、やがてそれは部屋全体──いや、空間全体を埋め尽くすように広がり続ける。
「アッ! お前喋れなくてもそれできんのかよ!」
同時に、俺の意識も遠ざかっていく。
光に呑まれ、俺の存在ごとこの世界から消えるような感覚だ。
クソ、またかよ! めんどくせぇえええ!
「めん────!!」
俺の今回の最後の言葉は、「麺」しか言えなかった。
———
「おぉ! 成功じゃ! ついに勇者の召喚に成功したぞ!」
気がつくと、俺は玉座の間に立っていた。
周囲には煌びやかな装飾が施され、荘厳な雰囲気が漂っている。
目の前にはふっくらとした王がいつものように堂々と座っていて、俺の足元には異世界から勇者を召喚する為の魔法陣。
「はぁ……」
ため息ひとつして、がっくりと肩を落とす。
ここに戻ってくるのは何度目だろうか。
あぁ、説明すんのもめんどくせぇ。
今この時間は先程の魔王戦よりも3ヶ月も前ということになる。
まぁ、要するにループしている。
「して、勇者よ、名はなんという」
「コウヨウ・アラカワでーす」
「ず、随分と堂々としてますな。普通はもっと困惑しそうなものなのですが……」
ふとっちょ王の隣に立っている俺を召喚した老魔道士が困ったような表情を浮かべる。
そりゃそうだ。
勇者召喚で異世界からいきなり呼び出したのが、ため息をつきながら「またですか」みたいな顔をしている人なんだもの。
王もまた、俺の態度に「大丈夫か? コイツ」みたいな顔をしている。
「お、おほん、それでお前を呼んだ理由なのだが──」
「突如現れた、世界を混沌に陥れる魔王アイリーン・ヴェルファリオン・エクリプシア。それを打ち倒してほしいのだ──な、なんですと!? 世界を混沌に陥れる魔王が!? そ、そして俺の目の前にある聖剣アステリオスこそが、魔王を打ち倒せる武器なのだと!?」
俺は王の言おうとしているセリフを先出しし、迫真の演技をかましながら差し出そうとしている聖剣を横取りに近い形で受け取る。
「えっ? う、うむ。そ、その──」
「その伝説の聖剣であれば魔王を討ち滅ぼすに足りるだろう。お前を召喚するのに3年の年月がかかったが、我らの願いは世界の平穏なのだ。勇者コウヨウよ、この世界の希望となってくれ。──はい! もちろんです、王様──では、頼んだぞ。──はい! いってきます! 失礼します!」
王様のセリフを奪い、一人二役で会話を無理矢理進行させると、俺は慣れたように転移魔法陣を展開し、行き先を王都の外にある草原に指定する。
最初は覚えるのに1年ほどかかったが、仕組みさえわかれば簡単なものだ。
「えっ、ちょ、まっ……!」
王様が何か言おうとしていたが、とりあえずいいだろう。
俺を召喚した彼らに笑顔で手を振りながら、俺の身体は光となって消えた。
———
「ふぅ」
転移した先で、俺は草原にある木陰にてごろんと仰向けに寝転がる。
俺の名前は『新川光陽』23歳。
普通の日本人でフリーターの一般ピーポーだ。
ある日、眠っていると気づいたらさっきの王様のところに召喚されたってわけだ。
異世界召喚だな。
「何度目だ……これで」
最初の頃は魔法すげええ! だの、剣術かっけえええ! だのとファンタジー世界に来れたことを大喜びしており、魔王を倒すとかいう謎の使命に燃えていた。
どうやら決まって異世界人というのは鍛えていなくても魔力総量がすさまじいらしく、俺も例に漏れず、召喚された時点で既に魔王の魔力を上回っていた。
まぁ、そうは言ってもすぐに魔王を倒せるわけではなく、初級魔法すら使えない俺はみっちりと魔法や剣術の修行をし、万全の準備を整え、3年後、俺は魔王を討つべく魔王城に向かった。
長い修行の成果もあって俺はついに魔王に勝利した。
が、魔王が力尽きる瞬間、ヤツの体が発光し、どう言うわけか召喚初日に戻された。
「もう日本に帰りてぇ……」
体感では5年もいるはずなのに、友達の一人もいない状況なので、故郷に帰りたい。
時間が巻き戻されると、そのループで得たものは全てパァになる。
なぜか俺と魔王以外はループしていること気づかないからだ。
一から築き上げた仲間の信頼とか、困った人を助けたりして得られた名声、とある可愛い町娘と運命的な出会いもし、恋もしてきた。
それが、全部、あの一瞬で壊された。
まぁ、修行で得た魔法の使い方とか剣術に関しては、記憶がある分忘れることはないし、元々の魔力総量が既に魔王越えのため、戦力が落ちるまではいかないが……。
だからこそ、俺はこの2年、全力で魔王を殺すことだけに費やしてきた。
どうすれば彼女の『巻き戻す力』を使わせずに殺し切るか、それだけを考えてきた。
が、結局は上手くいかなかった。
前回、というかさっきは不意打ちで一撃で仕留めるつもりだった。
はっきり言って即死レベルの一撃を打ち込めたと自分でも思ってる。
魔法なのであれば詠唱が必要なので、口も封じたが、それもうまくいかなかった。
もしそれが魔王の死に反応してオートで発動しているものだとしたら、どう足掻いてもお手上げだ。
伝説の封印術とか、やり方は他にもあるのかもしれないが、また一から関係作って修行するのも面倒くさい。
それでまた失敗して戻されるとそろそろメンタルブレイクする。
出来ればすぐにでも実践できる打開策が欲しい。
じゃあもう魔王なんて諦めて、ゆっくり暮らせばいいじゃんと思うかもしれない。
……実際、もう飽きたのだ。
魔力も剣術も、最初は楽しかったが、この世界の娯楽は少ない。
ゲームもアニメも漫画も、何も無い。
恋をしたりもしたが、一回のループで好感度0まで戻った時は気が狂いそうだった。
できればもうしたくない。
ちなみに王の隣にいた老魔道士の力を使えば日本のある世界に繋げられるらしいが、「魔王なんて倒せません無理です」と頭を下げても帰してくれない。
曰く「やってみなくちゃわからない!」とのことだ。
彼らもずいぶん苦労してやっと勇者を呼び出したのだろう。
魔王をこの世から消し去るために何年もの労力を注いだのだろう。
でも無理だったんだよ!
無理だったかどうかなんて時間戻されてるから気づかないよね!
あぁちくしょう!
とにかく、世界を救うために魔王をこの世から消し去らなければならない。
俺が日本に帰るためにも必要なことだ。
でも魔王は倒せるけど倒せない。
それを全部解決できる打開策が────あ。
俺は転移魔法陣を起動し、魔王城に転移した。
———
「ふはーっはっはっは! ついに来たか……って、今回はずいぶん早いな。まだ30分くらいしか経っておらぬではないか」
俺は再び何度目かもわからない魔王に会いに来た。
案の定と言うか、いつものように同じセリフで歓迎してくれる笑顔の魔王。
さっきは不意を打ったので心なしか先ほどよりも身構えているように見える。
彼女玉座から立ち上がり、いつものようにババっとファイティングポーズのようなものを取っているが、俺は構えない。
もう戦っても意味はないのだ。
俺は時間が失われるだけ、コイツも無駄に痛い思いをするだけ。
「もう、やめねぇか?」
「ん?」
俺から微塵も殺気を感じないのを見て、彼女も構えを解く。
「何を言っておるか! お主は我を倒さんと使命を果たせぬのであろう? 我を消し去らねば、世界は救われんのだぞ!?」
「うん、だからもう無理。倒せるけど倒せないのはわかったから、諦めた」
「ふん! 軟弱者めが! 見損なったぞ! 勇者を名乗るものが敵を前にして降参とは!」
「いや、お前はこの世界から消えてもらうよ? ただ戦わないだけ」
「なぁにを呆けたことを! 頼めば消えてくれるとでも思ったか! たわけめ!」
そう、頼んでも消えてくれるわけじゃない。
だから俺は──
「いや、お前を俺の世界に持ち帰る」
魔王はぽかんとした顔で俺を見つめ──
「……はえ?」
とだけ口にした。
驚きと困惑、そして少しの興味が混ざったその表情は、どこか愛らしさがあった。