まるで冴えないモブ男子の僕の武器は超絶のイケボらしいです
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平野さんは学年内はおろか学校中でも話題になるほどの美少女中の美少女だ。それはもう男子の視線を集めているわけで僕もそれに違わずであるわけでほとんど一目惚れだったのだけれど、でもそれって、かなり即物的すぎるその想いは、僕としては情けないながらも軽蔑したくなるようなものであって……。
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平野さんはほんとうに来る日も来る日も一人暮らしの僕の部屋に入り浸るものだから、正直、僕は困っている、どう扱ったらいいのか迷ってもいる――明らかに戸惑ってすらいた。マンガを持ち込んではベッドの上で爆笑する。ときどき「ゲームの相手をしろ」と言われる。都度、「帰ってくれないかな?」とか「帰ったほうがいいよ」なる言葉が頭に浮かび、つまるころ「帰るべきだよ」と言いたいことに気づくしその思いを強くする――そんなことばかりだ。でも――ほんとうに僕は良くない男子だ。いかんともしがたい下心があるものだから「いっときでも長くこの部屋に居てほしい」と心の中で平野さんにお願いしてしまう。そんな自分の思考を「クソッタレ」と断じてしまう僕はおかしいのだろうか、どこか病んだりしているのだろうか。――否、そんなことはないはずだ。だってどこからどう観察したって平野さんは年齢にふさわしくないくらいの色気までまとった美少女なのだから――ギャルっぽいのはきっとご愛敬だ。むしろ僕はそういった「人種」が嫌いでもないし……。ああ、ほんとうに僕はなんてスケベなんだろう。
*****
平野さん、相変わらずのベッドの上。
「あの――」
「んだよ、バカタナベ、タナベバカ」
「い、いや、だからもう帰ったほうがいいんじゃないかなって――」
「やだよ、バカ。あたしはあたしのタイミングで帰るんだよ、バカ。だからあたしの行動に口出すのはよせ、バカ。つーかどう考えたってあたしのような女神様がいてやってんだから、それはもう多大なる目の保養になってんだろうが、バカ」
「そっ、そんなことは――」
「とか言いながらやっぱあたしのパンツ凝視じゃんか」
平野さんはうつ伏せで足をぷらぷらさせながらマンガを読んでいるので、それはまあ、本来見えてはいけない「部位」が見えているわけだけれど……。
平野さんが起き上がった――ベッドから下り、僕の目の前に立った。ふざけるようにして笑みを作り、それなりに背の高い僕のことを見上げながら、その大きな胸を両腕で抱き抱えるようにして強調して見せた。平野さんは学校の制服姿であるわけなのだけれど、どうあれ露出過多の服装は正されるべきではあるまいか。卑猥。なんと非日常的な単語だろうか。
にひひ。
そんなふうに、平野さんは笑った。
「なあ、触りてーんだろ、おっぱい。触りたいよなぁ?」
「いい、いや、僕はそんな――」
「エロいことしたくないってんなら、どうしてあたしを部屋に入れてんの?」
「それは平野さんが勝手に押し掛けてくるから――」
「嫌なら追い出しゃいいじゃん」
「それはそうなんですけれど……」
平野さんはハーフらしく、顔立ちは日本人のそれなのだけれど、大きな瞳はとことんまで抜けるようなブルーだ、深くクリアに澄んでいる。
「決めたぜ、でぶちん。今日はここに泊まることにするぜ」
「えぇぇーっ」
「だいじょーぶ。女友達の家に泊まるっつえば問題なっしん」
「えぇーっ」
「しつけーな、馬鹿野郎。諦めろし」
その夜、僕は僕のシングルベッドで平野さんと並んで横たわった。
ろくに寝付けなかったのは、言うまでもない。
女性の――否、平野さんの甘い香りはこの上なく殺人的だ。
これっきりにしてほしい。
色仕掛けとかはもうやめてもらいたい。
デブでブサイクで根暗でも、どきどきくらいはするのだから。
*****
僕としてはなんの他意もなかった。ただ一限からすやすや眠っていたことが気になって、だからなんとなく「平野さん、平野さん」と声をかけただけだ。先に立っていたのは親切心だと思う。――いつになっても起きないものだからどこかあたりさわりのないところを突こうとしたところで――平野さんはまだまどろみの中にあるとしか思えないようなのろまさで、なんとまあ僕の伸ばした右腕にしがみついてきたのである。なにやらごにょごにょもそもそ言っている。内容はわからない。そろそろ起きたほうがいいんじゃない? そんな思いで右肩をつつく――やっぱり恐れ多いことだとは思ったけれど。
んん? んぇ? んああ? そんなふうに謎に満ちた眠たげな声を発し、いかにも眠たげな眼を向けてきた。
「おぉ、タナベじゃん。どしたぁ?」
「い、いや、平野さん。もう昼休みだよ?」
「おぉ、それはたいへんだ、お弁当を食べねばならぬな」
右腕を引っこ抜くようにして僕は平野さんの拘束から逃れ、「じゃ、じゃあ、僕はこれで」ということで踵を返して立ち去ろうとした。――するとブレザーの裾を掴まれてしまい――。
「まあ待て、タナベ」
「たしかに僕はタナベだけど……」
平野さんは嘆息したようにも見えたし、忌ま忌ましげな表情を浮かべたようにも映った。あまり機嫌が良さそうではないことは事実だ。だから僕は引き下がることを良しとする。僕にとってはなにが良くなかったのか、確たることは言えないけれど、自らのあまりよろしくない風貌、それに極度に引っ込み思案な性格……そのへんが男性はおろか女性にすら嫌われる原点であろうことは心得ているつもりだ。なので、平野さんと接触するだなんて恐れ多いことであって――。
「タナベ、つまるところテメー、とんでもねーことしてくれたぜ」
「えっ」
「だって、あたしと仲良くしてるとこ、見られちまったじゃんかよ」
「な、仲良くしたかな?」
「した」
「え、えっと、でもそれはあくまでも不可抗力であって――」
「写メまで撮られちまってんだろ。あー、あたしんことが大好きなもろもろの男子どもに目の敵にされちまうぜ。最悪、半殺しにされっかもな」
「そ、そんなぁ……」
思いもよらぬ容赦のない言葉の応酬に僕は混乱し、あるいは恐怖すら覚えた。難しいところだ。平野さんのことは正直悪いヒトだとは思っていない。むしろ、まあ、なんというか、こう――、が、妙な誤解を招いて最悪ヒトに殴られてしまうのはまっぴらごめんだ。半殺しはもっとごめんだ。というか、思えば僕はなにも悪いことをしていないではないか。――そのへん平野さん、きちんとわかってくれている?
*****
なんだかどんどん事態は悪くなっているようで、その旨理解していても、いっぽうで今日も平野さんに「弁当一緒に食おうぜ」などと誘われてしまうというイベントに出くわした。断ろうと思った。だけど「いいから来いよ」と腕を引かれ、中庭のベンチにまで連れ出されてしまう。僕は誰からも恨まれたくない。だけどそのへん平野さんは強引で、さらには黄色も鮮やかな卵焼きを「あーん」などと仕向けてくる始末。「やややっ、やめてくださいっ」と僕はどもりにどもった。「えーっ、ノリ悪いじゃーん、タナベェ」、なかばふざけた調子で言われてしまう始末。そういった事象はともかく、平野さんはまず間違いなく我が校において最も魅力的な女子生徒なのだ。だから平野さんといると目立つ。男女問わずの目を集めてしまう。うぅぅ、その視線が痛い、うぅぅぅぅ……。
「今日もおまえんち行くかんな。おまえんちはあたしにとってサイコーの溜まり場なんだ。きちんとコーヒーを用意しろな、じゃなきゃ死刑だ、テメーは」
ねぇ平野さん、そろそろご勘弁いただけないでしょうか……。
*****
平野さんは僕のベッドの上で小さなゲーム機をいじっている。時折「きゃははははっ」と高い声で豪快に笑う。平野さんはうつ伏せの状態で完全にくつろぎながらゲームに向かっているわけで、だからその態勢で足をぱたぱたなんてさせられてしまうと短いスカートからはやはり下着が見えてしまうわけで……。――今日はおかゆでも食べることに決める。太りやすい僕は最近また太ってきた。得も言われぬストレスのせいだろうか……。
「タナベよぉ、パンツ見るくらいタダなんだぜ?」
「ですから勘弁してください、だから、ほんとうにほんとうに……」
「泣き言っつーんだ、そーいうのは」
「ほんとうにもう帰っていただけませんかぁ……?」
悩みに悩んだ上の結論として、僕は「もうやめてくれぇ」と頭を抱えた。平野さんには悪戯心はあろうとそのじつ悪気があるようには見えない。だけどどう考えたところで引いた状態で構えていると平野さんに平野さんらしく振る舞われてしまう。となったら、それなりに――いや、メチャクチャ困ってしまうわけで……。
僕が悪いわけがない。
平野さんが悪いわけでもないのかもしれない。
――ただ、だんだん腹が立ってきた。
速やかにむかっ腹が立ってきたというわけだ。
「平野さん」
「なんだよ、改まったふうに」
「もう帰ってください。迷惑だから」
きつい言葉を浴びせたつもりだ。
ブサイクでデブで冴えない根暗な僕なりに思い切った言葉を口にしたつもりだ。
驚いたような顔をされるかもしれないとは思った。
なにかどぎついことを言い返されるような予感すらあった。
――が。
「ひゃぁんっ! あっあっ、やぁんっ!」
平野さん、いきなり突然突拍子もなく、そんな怖ろしいまでに色っぽく官能的な声を上げた。ベッドの上で身体を起こして、両腕で自らの身体を抱き締めながら、その細い身をよじったのだ。びっくりした目で見ていると頬を染め、顔を真っ赤にした。のち、はっとしたような顔をして、平野さんはなんだかしどろもどろといった感じであちらこちらにと目を泳がせた。
そのさまを見て、僕はかなり驚いた。
とことんまでに意外とかしか言えないラブリーなリアクション――。
「ななっ、なんですか、平野さん」
「やめろぉっ、その声でしゃべるなぁぁっ、いよいよ我慢できんぞぉぉっ!!」
「えぇぇぇっっ?」
平野さんがベッドから下りて近づいてきた。
反則なまでに印象的な真っ赤な顔で見上げてくる。
ほんとうに真っ赤な顔が近づいてくる――。
「だ、ダメだ。やっぱりテメーの声はダメだっ、反則だだだっ!」
「な、なんの話ですか?」
「おまえはブサイクだ。超絶の冴えないデブでブサイクだ。だけど、声だけはなんなんだよぉぉぉっ!!」
「えぇぇっ?」
「ルルーシュだ!」
「ル、ルルーシュ?」
「そうなんだよぅ、アホみたいにルルーシュなんだよぉぉぉぉ」
平野さんの右のローキック。
僕は左脚にもろにもらったのである。
「い、痛いですっ、平野さんっ!」
「うるせーっ! なんだったらいまここで抱け! 抱いてみろ! あたしの耳元で『ナナリー愛している』だとかニヒルに囁いてみろ!!」
「えぇっ、ナナリー? 平野さんは平野さんではないですか!?」
「うるせーバカ! 死ねバカ! つーかマジその声でしゃべんな、馬鹿!! あああ、ううぅ、マジ、ルルーシュの声でしゃべんな、死にてーのか?」
いや、死にたいとか、そんなわけはないのだけれど――。
僕はとにかく目を白黒させ、ではいっぽうの平野さんはというと、赤面したままぷくぅと口を膨らませている。そのかわいさに、目がくらんだ。
「平野さん、どうあれ今日はとりあえずおうちに帰られては?」
「やだっ」
「どど、どうして?」
「あたしはあんたを独り占めしてやるんだっ」
「えぇぇーっ」
まったくもって率直な回答だ。
冗談だとしたら……それはそれでタチが悪すぎる。
「テメーは気づいちゃいねーんだろうけど」
「えっ、は?」
「だっ、だから鈍感でアホでバカでとんちきでデブで鈍感なおまえは気づいちゃいねーんだろうけれどっ」
「ですから、は?」
平野さんはいよいよ強い目をして、ぐっと顔を寄せてきた。
「だ・か・ら、オメーは案外、女どもに人気があるんだよ!」
「えっ!」
耳にしたことがない情報だった。
平野さんが勢い良く抱きついてきた。当然僕は驚いたわけで、まあ、だからと言ってその、えっと、なんと言うか……。
「声がいい男ってのは、結構、モテるんだよ」
「そ、そうなんですか?」
「そうなんだよ。明日も来るぜ」
「えっ?」
「馬鹿野郎、それくらい察せし、くそったれぇぇっ!」
「いらしてくれるのは断りませんけれど」
「だったら喜べぇっ!」
「喜びます喜びます。あとでゆっくり喜びます」
「あ、あたしんこと突き放しやがったら許さねーぞ」
「しません、しませんよそんなこと……たぶん」
「たたたっ、たぶんだぁ!?」
「しません、ホント、ごめんなさい!!」
*****
放課後、夕暮れ色は増す。
平野さんは僕の家を訪れたのである。
あろうことかなんというか、あるいは今日はというか今日もというか、顔が真っ赤ではないか。そこにはどんな理由だ、何がある? どうあれ何かはあるのだろう。 そのへん深く考えてしまうとなんだかどつぼにはまりそうな気がする。――相手からのアクションを待とうと思う。
「馬鹿だよテメーは。あたしがここに来てやってのに――つーわけだ」
「な、なんのことですか?」
「言いたいこと、言ってみろよ」
「え、えっと、それは」
「やりたいことがあるならはっきり言いやがれ」
「……セッ」
「セッ?」
「セックス、とか……」
平野さんは顔を真っ赤にした。
「アホ言え、タナベ! おまえはダメダメなクソッタレだ。ルルーシュのくせにルルーシュの片鱗すらねーんだからな。だったら生意気言うなって話で――」
「知りませんよ! そんなこと!!」
「黙れうっせー、怒鳴るな馬鹿!! ルルーシュっ! 悔しかったら絶対順守の力ってのを使ってみろ! でもってあたしを凌辱してみろ! 不本意極まりねーが、とにかくテメーはあたしのルルーシュなんだからなっ!!」
言っていることの意味がまるでわからない。僕は平野さんのことが好きだし――否、だったらどうしろうという話だ。平野さんが言うとおり乱暴を働いてやれば良いのだろうか――それは違う。そのへん、正々堂々であるべきだ。馬鹿かな馬鹿かな馬鹿なのだろう。僕は物事をうまく誘導できるほうではなく、その一方で声は「ルルーシュ」なのだ。なんだかそう、声だけ良くてもなぁ……。
*****
今日も今日とて僕の部屋。ベッドの上には平野さんがまるでビビっているかのようにぺちゃんと座っている。抱き締めて抱き締めてそれはもう――ああだこうだしてやりたい――なんて嘘だ。恐怖だ。僕は引っ込み思案の権化だ。だからつまるところ平野さんにはいっそソッコー、帰っていただきたいわけだけれど……。
「おいこらテメー、なんかしゃべれよ」とは平野さん。
「えっ?」と僕はそれなりに戸惑う。
「だからしゃべれよ。あたしは――ああぁ、ああああぁっ!」なんていう怒りに満ちているとしか思えない声を発しつつ、ベッドの上で膝立ちになったのである、平野さんは。程良くイヤラシイ太ももを、僕は凝視したいのかそうはしたくないのか……。
僕は女性にはまるで耐性がないものの、平野さんときたら「しゃべれ! ばか! タナベェェ!!」などと指を差し差し迫ってくるのである。
なんだかもうなんなので、僕は相手をしてやることにした。
ささやくように漏らしたのだ、「平野さん」と。
途端、平野さん両手をそれぞれ頬に当て、「ひゃぁっ、ひゃぁんっっ!」などとこちらが気絶しそうになるくらい猥褻な喘ぎ声を発した。「声フェチ」だということはもはや自明の理。にしたって僕はデブでブサイクで冴えない一匹の男子でしかないわけだ。うへぇ、怖ろしい。少々声がいいというだけで重宝されてしまうのかぁ。
「やだぁ、やだぁっ、エロい声出すなよぅ、たかがタナベのくせにぃぃぃっ」
エロい声、ほんとうにそんなものを発したのかと、その疑問について僕は少々眉をひそめる。というか、「しゃべれ!」と要求してきたのは平野さん、貴女ではなかったか……。
「ルルーシュだ! おまえはどうあれルルーシュなんだ!!」
「い、いえ。僕は彼ほどしゅっとはしていません」
「でも声はルルーシュなんだよぉぉぉっ! おまえはそのへんしっかり自覚した上であたしに謝りやがれ!!」
「えっ、えぇぇっ、なにを謝れと!?」
「ルルーシュはカッコいいだろうが! おまえはカッコ悪いだろうが!!」
「えっ、えぇぇ……」
「ルルーシュが好きなんだっ、あたしはルルーシュが好きなんだっ!」
「それはもうわかりましたけれど……」
僕には臆して顎を引くくらいの選択肢しかなかった。
「マジふざけんなよ。なんでテメーみてーな汚物がルルーシュなんだよ」
「えぇーっ」
「いっそ死ねよ。マジでふざけんな」
「えぇぇーっ」
「驚いてばっかのテメーに質問だ」
「は、はいっ」
「声に惚れるのはナシか?」
「えっ」
「ナ、ナシかって訊いてんだよ」
僕は返答に窮した。
すると平野さんはまたベッドの上でマンガを読み始めた。
「そのへん、しっかり考えとけよな」
などと言われてしまった。
しっかり考えとけって、いったいどういうことだろう……。
*****
べつに喧嘩とかしたわけではないのだけれど、急に平野さんがよそよそしくなった。僕の部屋にもめっきり来なくなった。風の噂で聞いた。どうやら平野さんが僕の家に入り浸っていることがいよいよ知れてしまい、そのせいでさまざまからからわれているらしい。彼女ならそんな「つまらない事実」、気にも留めないだろうとは思うのだけれど、そんな情報とともに耳に入ってきたのは「平野さんが上級生のイケメンと付き合い始めたらしい」なる報せだった。僕は「それがあるべき姿だよな」と納得する一報で、「平野さんはもう来てくれないのかぁ」と少なからず寂しく、また残念に思った。そのイケメンの先輩もいい声してるのかな――じゃなきゃ付き合ったりしないだろうという妙な確信があった。平野さんは「外見」ではなく「声」に惚れるヒトなのだ。そういうヒトなのだろうけれど……。
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一限から昼休みまで寝ているのは相変わらずで、昼休みになったところでそんな彼女の肩をつついてやって「お昼休みだよ」と伝えたくもなるのだけれど僕達がどれだけ――いや、それほどでもないのだけれど――要するに二人で過ごした時間はそう長いものではない――はずだ。
平野さんの恋人とされる上級生が教室に入ってきた。ずかずか入り込んできて、挙句、平野さんの髪に右手をすっと通す。――なんだかとても腹が立った。でも、僕に文句を言う権利なんてない。だって僕はデブでブサイクでまるで冴えない男子でしかないのだから。
――と、そんなふうに諦観しているところに、いきなりだ、いきなり、平野さんが近づいてきた。そこにどんな理由があれ、正直、僕は嬉しかった。なにかを少し期待した。だけど飛んできたのは右のローキックだった、平野さんお得意の。
平野さんは――いまにも泣き出しそうな顔をして見上げてきた。なんだか悔しそうに「ばーか」と言い、恋人と去っていった。大げさな話、平野さんが幸せであればそれでいい――というはずだったのだけれど、なんだか胸の奥がずきんずきんと痛んだ。
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デブでブサイクでまるで冴えない僕が一番好きな居場所は堤防である。緑が生い茂る斜面に寂しく座り、葉っぱを切り取っては時折笛を吹く。
ああ、そうかぁ。
いよいよもう、平野さんは僕の部屋には来てくれないのかぁ。
悲しいわけではない。――ううん、じつは悲しい。だけど悲しいというより物足りないという表現のほうがしっくりくるように思う。毎日平野さんがいて、僕の部屋にはベッドの上でマンガを読んで爆笑する平野さんがいて――。情けない。少し涙が出てきた。それほどまでに平野さんとの時間はスペシャルだったのだと思う。ほんとうに僕はどこまで身の程知らずなのか。そう思考するとますます泣きたくなってしまう。
腰を上げ、斜面を登り、帰り道を行くことにする――斜面を登り――デブの僕にはそれなりの苦行である。ま、そんなこと、もうどうでも良いのだけれど。
とぼとぼと歩いている最中、ウチの学校の男子と女子――カップルだろう――が、近所の「悪い高校」の生徒にからまれている場面に出くわした。こういうときの僕は卑怯だ。脇をすり抜け去ることを良しとするのだから。だけど、今日に限ってはそういうわけにはいかなかった。
だってそこには平野さんがいたのだから。
どう考えても怖ろしいことに、平野さんが付き合っているとされている男子生徒はみっともない悲鳴を上げて物凄い勢いで逃げてしまった。「連中」の目当てが平野さんであることはわかりきっている。相手は三人もいる。僕が知っている平野さんならどこに連れていかれるにあたってもぎゃあぎゃあと喚くことだろうけれど、だからといって見過ごすことはできない。
僕は男たち三人と平野さんとの間に「素早く」割って入った。素早くかな? きっと違う。僕は太っちょののろまなのだから。
よほど僕のことを邪魔に感じたのだろう。いきなり頬を殴られた。でっぷりとした腹部を蹴られ、僕は地面に転がることを余儀なくされた。だけど、そこまで効いてはいない。太っちょの自分に感謝だ。
「タナベ!」
地に転がっている僕の身体に覆いかぶさるようにして、平野さんが近づいてきた。
「いいよ、平野さん。僕ならだいじょうぶだから」
「でもっ!」
「僕が好きでやっていることだから」
僕はゆっくりと立ち上がり、三人の男と改めて向かい合った。僕はじつは彼らのことをあまり悪い連中だとは思っていない。即物的で貪欲。――アリなのだ。なにより僕が許せないのはみっともなく戦うことすらせずに敗走を決め込んでしまった例の恋人殿のことなのだ。
「渡さないよ。この女のヒトは――」
案外素直に、その文言の意味するところを察してもらえた。
「喧嘩ならいくらでもしてやるけどな、殺し合いはごめんなんだわ」
リーダーと思しき一人は穏やかに笑み、穏やかにそう言い、身を翻した。
安心して、僕は前のめりに倒れた。
「タナベ、タナベ! ふっざけんなよ! カッコだけつけて死ぬつもりか!?」
だいじょうぶだよ、そんなの。
ヒトに一発二発殴られたところでニンゲン、決して死んだりしない。
*****
どういう経緯があったのか、それはわからないのだけれど、気づけば僕は自身の部屋のベッドの上で横たわっていた。立てる? 立てる。ベッドを下り、冷蔵庫に常備してあるミネラルウォーターを口にした。だいぶん生き返ったような気がした。癖のような手つきで枕元のスマホを手にした。しつこいLINE。いずれも平野さんからだった。最初から追うかたちでメッセージを読み、最後の一文、「ひょっとして死んじまったのか?」とあったところで――やっぱりリアクションして差し上げなければ。
僕は勢いだけで「大嫌いです、裏切り者」とリプライした。
返事はなかった。
だけど息を切らせながらの平野さんが僕の部屋を訪れた。
平野さんは「ごめん」と謝った。
「ごめん」と苦しげにもう一度言った。
大きな目、瞳から、大粒の涙をこぼしていた。
*****
たしかにあたしはおまえを裏切るような真似をした。
僕自身、そんな気持ちに駆られてはいるのだけれど、どうあれそこにあるのは平野さんの自由で……。
平野さんはベッドのふちに腰掛けていて、僕はカーペットの上で――失礼ながらもあぐらをかいている。
「おまえ、助けてくれたじゃんか。連中は近所でも有名なアホ高校の生徒なのに。すげー勇気だなって思った。カッコいいとすら思ったよ」
「えっと」
「なんだ?」
「誰でも同じような行動をとったと思うよ? 違うかな?」
「誰で持ってんなら、あたしの恋人とされたあのアホはどうしてとんずらこいたんだ?」
「それは……」
僕は苦笑を浮かべ、俯き加減で、右手で頭を掻いた。
「決めた」
「なな、なにをだい?」
「あたし、あんたの恋人になってやっから」
当然僕は「えっ!」と驚きに満ちた声を発したわけだ。
「だだっ、ダメだよ。僕の恋人なんて、ダメだよ」
「デブチンよ、おまえはどうしてそんなふうに言うんだ?」
「それは一般常識じゃないか」
平野さんは尊いまでに微笑んで――。
「自慢しろよ、おまえ。あたしみたいな美少女をカノジョにできたってんだから、大いに自慢しろ」
「えっ、えーっ」
「おまえはヒーローだよ」
「えっ」
「おまえには勇気がある。カッコいいよ」
「そんなの錯覚じゃあ……」
「るせーっ! テメーはカッコいいんだよ!!」
言われて悪い気はしなかった。
だけどどうしたって弱気の虫が顔を覗かせる。
「だけどセックスはダメだ。まだダメだっ!」平野さんは笑った。「でも、現段階でも、髪に触るくらいは許してやるぜ」
平野さんが抱きついてきた。
耳元で「いつかイイ感じで抱いてくれよな、ルルーシュ」と囁いた。
「あいにくですけれど、僕はルルーシュではないですよ」
「ああ、そうだな、そうだった。おまえはデブでブサイクのタナベだ」
酷い言い方だ。
だけど微笑みの気配ばかりが込み上げてきて、苛立ちは覚えなかった。
*****
同じ大学に進学したところで、僕は平野さんと正式にお付き合いさせてもらうことになった。ほんとうに平野さんは美しいからどこの男子からも目をつけられる――そんな目線から身を挺してお守り申し上げるのが日常的な僕の役割である。
僕は相変わらずデブでブサイクで冴えないモブ男子だ。なけなしのお金をはたいてジムに通っているのだけれどどうしても痩せない。そのたびそれなりに凹む。うーん、どうしたらいいのかなぁ、どうしたら痩せるのかなぁ。食事の量自体は絶対に減っているのだけれどなぁ……。
だけど、僕が太っていても平野さんはそばにいてくれて、むしろ彼女からすればデブなフォルムの僕のほうが愛おしいらしく。だったらいまのままでいいのかなぁ、現状維持でいいのかなぁ……。
そろそろ色づいてきた構内のイチョウを見上げていた。最近定例的になりつつある、平野さんとの待ち合わせ場所だ。――「タナベ!」という叫びにも似た彼女の声。僕が慌てて振り返ると抱きついてきた。「ほんとやめてくれないかな僕はきっとあなたにふさわしいにんげんではないのだから」――などという極度に後ろ向きな物は言わなくなった。
いま、僕はとても平野さんのことが好きだ。
平野さんも、どうやら僕のことを大切に思ってくれているらしい。
抱きつき、僕の左の耳元で、平野さんは囁いた。
「抱いてよ。抱いて抱いて抱いて。ぜひともそのルルーシュの声であたしをイカせてくれませんかぁ?」
はてさて、平野さんが好きなのは僕なのかルルーシュなのか。
どうあれ僕に唯一与えられた武器は、イケボしかない。




