08 放火犯
【毎日昼の12時に最終話を投稿します】
~この容疑者のヒロイン、実は……~
――見つけた。
街灯の明かりの下、屈強そうな男の足に逃がさないと必死にしがみつきながら、俺を呼ぶその声があった。
俺は走った。
しがみつかれた男は背中のバッグを地面に落とし、なんとか逃げ出そうとして尼子の顔を蹴りつけている。
尼子はすでに口は切れて鼻からも血を流していた。
「尼子ーっ!」
俺は男に飛びついた。
その勢いで俺と男はもみ合うように倒れた。
男は袖の長い暗色系の服を着て頭には黒い目出し帽を被っていた。
俺は目出し帽に手をかける。
すると男は俺の首を両手で締め付けてきた。
尼子がなにかを叫びながら男の背中を殴りつけているのがわかる。
くっ……。
意識が遠くなりそうになったときふいに男の手がゆるんだ。
「史郎くん、大丈夫かい?」
俺は誰かに助け起こされた。
俺がむせると目の前の誰かもケフンと空咳をする。
「……細井さん、どうして?」
目の前に細井さんが立っていた。
そして疑問はあっさりと解けた。
細井さんの背後には部下だと思われる制服の警察官たちが、黒い目出し帽の男を押さえつけていたからだ。
「君たちふたりには申し訳なかった。
実は今日学校に行ったときにもう目星はついていたんだ。
だが現行犯として捕まえないと意味がないからね」
そう言って細井さんは俺と尼子に頭を下げた。
そして細井さんは観念して道路にあぐらをかいている男の目出し帽に手をかける。
すると意外な顔が現れた。
「……ホルモン」
あらわになった素顔を見て俺はそうつぶやいた。
「ああ、史郎君が通う高校に今月転勤して来た学年主任で生活指導担当の椋田謹治だ。
先月に起きた隣町の放火事件もすべてこの椋田の犯行だろう」
細井さんはホルモンが持っていたバッグを開けた。
すると中から灯油の臭いがする水筒といくつもの財布と高そうな腕時計と宝石がついた指輪などがごろごろ出てきた。
それを見て警官のひとりに支えられて立っていた尼子が突然飛び出した。
そしてホルモンの胸を叩く。握り拳で叩いているのだが破壊力はまったくない。
「お前の……お前の……お前のせいで……ウチはめちゃくちゃになったんだ。
お前のせいで転校しなくちゃならなくなったんだ。お前のせいで……史郎とお話が……」
後は言葉にならなかった。
俺がその肩に手を乗せると尼子は殴るのを止めた。
そして俺のその手を両手で握っていつまでもいつまでも尼子はすすり泣いていた。
――犯人が捕まるまで新しい高校では絶対に誰とも口をきかない。
それが俺というごく一部の予期せぬアクシデントがあったもののおおむね貫き続けた《沈黙のシスター》が自ら律した戒律だった。
そして今夜はそれが成就した記念すべき夜だった。
だがまだすすり泣いている尼子冴絵を見ていると、それが手放しで喜べる輝かしい記念日ではないことが伝わってきた。
□ □
翌日の学校。校内には多数のパトカーが来ていた。
「とにかく大事にならなくて良かった」
屋上で細井さんがそう言った。いるのは俺と尼子冴絵の三人である。
俺たちは手すりにもたれてすがすがしい初夏の風を受けていた。
俺はほとんど無傷。そして尼子は鼻と口元の絆創膏は痛々しいが、まあ軽い傷には違いない。
そして俺たちが住んでいるアパートは発見が早かったため一階の空き部屋の一部が燃えただけだった。
「昨日、校長室に呼び出されたとき奥の部屋に潜んでいたのは細井さんだったんじゃないですか?」
「なんだばれていたのか」
細井さんはケフンと空咳をした後に苦笑いをする。
「それです。その空咳がしたんでそうかなあと思ったんです。
それによくよく考えると細井さんが俺たちのアパートに住んでいたのも、火事をより早く発見するために隠れ家にしていたんじゃないのかと思いました」
細井さんが頭をかく。
かなわない、って言いたそうな顔をしている。
ホルモンこと椋田謹治元教諭は巧妙な犯人だった。
連続放火犯であるばかりでなく、連続空き巣犯でもあったのである。
「放火して人々の注意を引きつけておいて、火事見物で留守になった家に物盗りに入る。
放火は調査すればすぐにわかる犯罪だけど空き巣は被害届けが出ない限り我々は知ることができない。
人によっては野次馬で火事見物に出かけたことを恥じ入って泣き寝入りしてしまうこともあるだろうし、盗まれたしまった物があまりにも重大すぎてその社会的責任から絶対に公にしたくないケースもあるんだ」
細井さんは尼子を見た。
尼子は小さく頷いた。
「だから放火と空き巣が同一犯だと気がつくのに遅れた。
これは俺たち警察のミスだ。尼子さんには申し訳ないと本当に思っている。
そして次は椋田の行動だ。
実は椋田は隣町で起きたいちばん最初の放火事件の頃から顔と名前はわかっていた。
必ず火災現場に姿を見せていたからね」
「でもそれは……隠れ蓑だったんですね?」
俺が言うと細井さんは頷く。
「そうなんだ。
野次馬の中には必ず地元の高校生たちが混じっている。
椋田はそれを利用して熱血漢な教師を装って生徒たちの生活指導を行っていた。
我々には時代遅れの正義感あふれる熱心な教師としてしか見えていなかった。
必ず警察や消防にご苦労様と自分から挨拶して回っていたくらいだからね」
「でもどうして俺たちを校長室に呼び出したんです?
他にも必ず火災現場に居合わせた人物はいたんでしょう?」
「申し訳ないんだが君たちを囮に使ったんだ。
そうしたら動きがあった。
昨日君たちの調査が終わった後、尼子君とは以前から面識があったかもしれないと担任の猪口先生と学校の事務長に尼子くんの前の住所と現住所を椋田が尋ねた事実がわかった。
おそらく尼子くんの正体やその目的に気づいた可能性もあったんだ」
尼子がハッと息を飲むのがわかった。
「椋田が先月まで暮らしていた住所と尼子くんが以前に暮らしていた住所が実は近いんだ。
だから椋田が尼子君の目的、つまり自分を追っていることに気がついて近いうちに私たちが住むアパートに放火するんじゃないかとにらんでいた。
だから昨夜の火事はすぐに消し止められた訳なんだ」
細井さんは深々と頭を下げた。
俺はどうしていいかわからなくてただおろおろと立ちつくすだけだった。
「民間人の君たちに多大な迷惑をかけて本当に申し訳ありません。
君たちの力がなければ次の被害者が出ていた可能性がありました。ご協力感謝いたします」
細井さんはそう言ってさわやかな笑顔を見せて去って行った。
俺は呆然とその後ろ姿を見送った。
おそらくたぶん細井さんは今日中にアパートの部屋を引き上げて二度と俺たちの目の前に姿を見せることはない。
それが……ちょっとさみしかった。
そして残されたのは俺たち、つまり秋月史郎と尼子冴絵のふたりだけ。
俺が尼子を見ると尼子はとたんにうつむいてしまう。
「……あのさ、えーと。もう《自ら律した戒律》ってのはお終いだと思うんだけど? 話でもしない?」
頷いた。
「……あのさ?」
俺は膝を折って尼子の顔を下からのぞいてみた。
前髪の向こうにピントの行き場をさまよう瞳が見えた。
「……私、《沈黙のシスター》をずっとしてたから……。史郎……、あっ!」
尼子がハッと顔を上げる。
「……あ、秋月くんとどうやってお話ししたらいいのか……考えすぎちゃってわかんなくて」
「史郎でいいよ」
俺がそう言うと尼子は大きく息を吐いた。
俺が好きな声色がそこにあった。
聞きたくて聞きたくてしかたなかった声だ。俺が笑顔になると尼子も微笑んだ。
「だ、だから、これ」
尼子はポケットから封筒を取り出した。
だがそれは二つあってそのどちらを渡すのか迷っているように見えた。
やがて……決意がついたらしい。片方を渡してくれた。
俺は便せんを広げた。
するとそこには事細かく様々なことが書かれてあった。
それはある意味、尼子冴絵のこれまでの生き様の証とも言えた。
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