みかんは熱い?
ずいぶん前のことだけど、バックパッカーになって中国を旅していた頃、ある町で風邪をひいてしまった。鼻がぐずついて、くしゃみを連発してしまう。旅先で風邪にかかったのでは、なにも楽しめない。ひきはじめのうちに治してしまおうと思って、大きめのビニール袋いっぱいのみかんを買ってきた。たしか、五元(約七〇円)もしなかったと思う。
安宿のロビーでみかんをほお張っていると、
「みかんなんか食べちゃだめじゃない」
と、仲良くなった地元の友だちがびっくりした様子でとめる。
「なんで? 風邪をひいたからさ」
日本人同士の会話なら、これで相手はわかってくれる。ビタミンCは風邪のひきはじめにいい。日本人なら当たり前に知っている「常識」だ。だが、相手が中国人だと日本人の「常識」はなかなか理解してもらえない。
「だから言ってんのよ。風邪なんでしょ」
彼女は怪訝そうに、あきれたように、まるで僕が毒でも食べているみたいにこちらを見る。
「どうしてだめなの?」僕はきいてみた。
「みかんは『熱い』のよ」
「なにそれ?」
「だから、みかんは熱いの。風邪をひいてるのにそんなものを食べたら、ますます悪くなっちゃうじゃない」
彼女は自信たっぷりに言うけど、こっちはちんぷんかんぷん。僕はみかんを触った。べつに熱くない。常温だ。しかたがないから、
「それじゃ冷蔵庫に入れて冷やすよ」
と、冗談で返したら、彼女は怒ったような顔をゆるめてぷっと吹き出す。
「そんなことしても、熱いものは熱いの。冷たくならないわよ」
「ねえ、わからないんだけどさ、説明してくれない」
相手を変だと決めつけるのは簡単なことだけど、僕は相手がなにを考えているのかを理解してみたい。彼女はなにやら楽しそうにほほえむ。こんな人に初めて会ったという好奇心が顔に現れている。彼女は、なにも知らない弟をさとすように教えてくれた。すっかり、姉さん気取りだ。
「食べ物には、熱いものと冷たいものがあるの。温度が熱いのか、冷たいのかってことじゃなくて、その食べ物の『性質』が熱いか、冷たいかってことなの。風邪をひいてる時は、体が熱を出して熱くなっているでしょ。熱い性質のものを食べたりしたら、体が余計に熱くなってしまうわ。火に油を注ぐようなものなのよ。だから、冷たい性質のものを食べて体を冷まさないといけないの。そうやって体内のバランスをとって治すのよ。わたしは小さい時からそう聞かされて育ったわ。中国人なら誰でも知ってる中国医学の常識よ」
「日本でいう漢方か」
僕は納得した。
ライチ、ねぎ、ニラ、しょうが、にんにくといったものが熱い性質のもので、梨、スイカ、トマト、きゅうり、なすび、にんじんといったものが冷たい性質のものらしい。
冬は寒いのでなるべく熱い性質のものをとるようにして、体を温める。夏は暑いので冷たい性質のものをとって体を冷ますようにする。ただし、ポイントはバランスなので、冬だからといって熱い性質のものばかり食べていると、体調を崩して風邪をひいたりしてしまうから注意が必要。また、吹き出物は体の熱が火をふいた結果なので、そんな時には冷たい性質のものを食べて体を冷やすのがいいそうだ。とにかく、バランスが肝心。
ただ、いくら根掘り葉掘りたずねてみても、なぜその食物の性質が熱いのか、冷たいのかは、彼女は説明できなかった。実用的な知識としては知っているけど、その理由まではわからないらしい。もっとも、中国医学は、医者があれこれと薬草なんかを試しながら経験を積み重ねて築いた医術なので、体系自体にあやふやなところがある。それをこまかく説明してくれと一般の人にいってもむずかしいのかもしれない。それに、家庭の医学なのだから、実用的なことを知っていればそれで十分だ。
彼女とのやりとりでわかったのは、中国人は日本人とは違った原理にしたがって暮らしているということだ。風邪をひいたらビタミンCで撃退する。これは西洋医学の原理。近代科学の知恵だ。でも、中国医学は違う。風邪をひいたら性質の冷たいものを食べ、体のバランスをとって治す。これが中国の原理。生活の知恵といってもいいのかもしれない。
どちらが正しいのかは、わからない。
西洋医学で治せなかった病気を中国医学でばっちり完治させた例はたくさんあるし、逆に中国人でも「中国医学はペテンだ。西洋医学のほうが絶対治る」と言って自分の国の医学を信じない人もいる。小説家の魯迅は、幼い頃、お父さんが病気して漢方医にさんざん高い薬を買わされたけど、結局、病気は治らずにあの世へ逝ってしまった。それがもとで西洋医学を志すことになった。
「みかんが熱いだなんて、考えたこともなかったな」
僕は、黄色と緑のまだら模様のみかんをしげしげと眺めた。そんなふうなものの見方をする人たちがいるとは、思いもよらかなかった。
世界には、自分とはまったく違った考え方をする人たちがいる。そう思うとわくわくしてきた。自分とは違う考え方に触れたり、自分が信じてきた「常識」とはまったくかけはなれた異国の「常識」に触れること、ここに外国を旅したり、外国で暮らす意味がある。醍醐味がある。自分の狭い「常識」を疑ってはじめて、自分自身を突き放して客観的に物事をとらえられるようになるし、考え方の幅も広がるからだ。学ばないといけないことが、まだまだたくさんある。
「友だちとわけて食べなよ」
僕は、みかんの袋を彼女に渡した。郷に入りては郷に従え。ここは中国式で風邪を治すとしよう。
「ありがとう。それじゃ、わたしの薬をあげるわよ。家へ取りに帰るわ。ちょっと待ってて。いい薬があるの」
「漢方薬?」
僕は嬉しくなった。
「西洋医学の薬よ。そっちのほうが治りが早いわ。早く治りたいでしょ」
彼女は天真爛漫だ。僕はまたまた混乱した。
どっちやねん?