桃太郎・シェダイの復讐(復讐なんて何も生み出さないだからね、なんて)
四人は松明の明かりに照らされた石版を覗き込んだいました。
そこは『試練の洞窟』の最深部でした。
石版からは、たった今刻み込んだように乱れのない文字が読み取れました。
文面はこうでした。
〈よくぞ数々の試練を乗り越えてこの部屋に辿り着いた。これでお前の身体は鍛えられた。その能力を存分に使い、世の中の役に立つように〉
昔の人がこれからやってくる新しい世代に、心身を鍛えてよりよい世の中を作って欲しいと願った想いが感じられる碑文と言えました。
ただ上からオレンジ色のペンキで落書きがされていなければの話しでしたが。
落書きの方はこう読めました。
〈喪々充死蝋参上! 四露死苦〉
「これは、なんと読むのだろう」
松明を持つ役のマツバが、もっと見やすいように松明の炎を近づけました。
「きっと『ももじゅうしろうさんじょう! ヨロシク』じゃん?」
ニウがその渋谷の裏路地あたりに書かれるような大時代的な落書きを読み上げました。
『その桃十四郎が、この洞窟の試練を乗り越えたのですね』
これはウルメが掲げたスケッチブックに書かれていました。彼女の意見のようです。
「全部クリアしてあんだもんな」
ニウが後ろを振り返りました。
例えば入り口でした。
見上げるような大岩が鎮座しており、いまここにある石版と同じような碑文でこう試練が示されていたのでした。
〈『試練の洞窟』へようこそ。この大岩をどけて中に入るのだ。さすればそなたの腕力が鍛えられ、戦いにおいてその腕力は身を助けることになるだろう〉
その大岩はとっくに入り口の横に移動させられた後でした。
例えば通路でした。
洞窟の天井にたくさんの穴が開いており、いまここにある石版と同じような碑文でこう試練が示されていました。
〈大岩の試練をよくぞ乗り越えた。今度はヤリブスマの道。上から次々に落ちてくる槍を避けて進むのだ。さすればそなたの敏捷力が鍛えられ、戦いにおいて敵の攻撃を避ける術を身につけることができよう〉
そして通路にはすでに落下して床に突き立った槍が林のように列を成していました。
こんな調子で、地下水路も吊り橋も、すべてカラクリが作動した後でした。ここまでの道中は何故なんだろうと思っていましたが、この落書きのおかげで謎が解けました。どうやら二十代ほど前の、桃十四郎がクリアしていたようです。
「まただよ」
ニウは『伝説の鎧』の一件を思い出しました。
「ホトケのヤツ、ここがすでに先代にクリアされているって忘れてたんだぜ、きっと」
「いや」
碑文を丁寧に読んでいた桃三四郎は、顔を上げて言いました。
「きっと仏さまには別の考えがおありなのだ」
「ないない」
強調するようにニウは顔の前で手を振りました。
『しかし、なにか神秘的なアイテムが残されているとか、そういったこともないようです』
松明の明かりではウルメのスケッチブックは読みづらいものがありました。
ウルメのメッセージを読んだ後に、マツバはあちこちへ松明を向けて、この『試練の洞窟』最深部にあたる小さな部屋の中を確認しました。
確かにウルメの主張する事が正解のようでした。開けっ放しの宝箱や、割った壺の欠片なんかも残されていないところを見ると、この『試練の洞窟』は体を鍛えるためのものだったようです。
「もしかしたら…」
桃三四郎は歯切れ悪く、そして独り言のように呟きました。
「この場所に来ることが意味ある事だったのかもしれない」
「そう言ったって三四郎よ。ここの試練は、この落書きを残した桃十四郎がクリアしちまっていただろ」
「そうではなくて」
桃三四郎はもう一度石版を見上げました。
「ただ来ることに意味があったのかも」
「いや。ぜってー、ホトケが間違えたに一票だ」
そこらへんに唾を吐き捨てそうな勢いのニウ。
「仏さまのお考えがドコにあるかはともかく」
マツバがケンカを仲裁するような声で割って入りました。
「このままココにいても、なにも始まらないであろう。一旦外へ出ぬか?」
「確かにそうだ」
その意見に反対する者はいませんでした。一行は、松明の残りを気にしつつ『試練の洞窟』の出口を目指しました。
洞窟の入り口には先程説明したとおり、大岩が退けられていました。崖に開いた真っ暗な口のような中から外へ出ると、太陽光線の眩しさで目が痛みました。
手をかざして眩しさに耐えていると、声が聞こえてきました。
「嫌な時代になったものだ…」
「この声は…」
眩しさで確認できないが、周囲に人の気配がしました。それも一人や二人ではありません。大人数の呼吸をする気配に、なにやら金属がすれるような音までします。
人間というのはただ立っていてもわずかに動いているもので、この金属音は武装した者が立っている気配によく似ていました。
「まさか、いつもの…」
慌てて目をこすって周囲を確認しました。
『試練の洞窟』が存在する崖の前には、広い草原が広がっていました。そこにすぐには数え切れないほどの武装した集団が集まっていました。
そして四人からみて真ん中に、見慣れた顔が太刀を地面に突き立てて仁王立ちに立って、遠くの空へ視線をやっていました。
どうやら港町からさらに手勢を増やして追いかけて来たようです。
「この、しぶとさが、野盗を繁栄させるワケですね」
感想を誰に聞かせるともなく漏らしたマツバのセリフに、鋭く野盗集団の中心に立つ男が反応しました。
「ピップ! エレキバン! ってオレは元会長の〈故〉横矢勲さんかい! 城ヶ崎団左右衛門だって言っているだろうが!」
だが、ここからがいつものノリと様子が違ったのです。
その殺気のこもった目だけで人殺しが出来そうな目つきになったマツバが、何かリアクションを起こそうとした桃三四郎を横に押しのけて、前に出たのです。
そして、まるで地獄の底から響いてくるような声で、団左右衛門に問いかけました。
「それって…」
「な、なんだ?」
気を呑まれた団左右衛門は、マツバの迫力に逃げ腰になりました。
「わたしが<故>樹木希林だって言いたいのですか?」
「あ」
慌てて口を押さえても、もう遅かったようです。
「そう言っているんですね」
「そ、そうは言っておらん! ただ場のノリで答えただけだ!」
声を張り上げても虚勢にしか聞こえませんでした。
「言っているんですね!(怒)」
「ま、まて。オレたちは一万人でお前たちのことを包囲しているんだぞ。ここはおとなしく降参した方が無駄な血が流れんぞ! さすがに、そっちのデブな呪術師のまじないも、一万人相手じゃ、呪いが行き渡らないだろうからな」
その時、桃三四郎の左斜め後方で、ガラスのコップへヒビが入るような音がしました。
振り返るとウルメが自分のスケッチブックに、血のような赤色のマジックでメッセージを書き上げたところでした。
『いま、なんとおっしゃいました? まさかデブなんて言ってませんわよね』
周囲の人間が読んだと見るや、彼女もまた桃三四郎を横に押しのけて前に出ました。
「な、なんだ、おまえたち? こ、こうさんか?」
前に出た二人から睨まれて、団左右衛門は完全な逃げ腰になっていました。
「どうしたのよ二人とも」
対照的に、いつものペースを維持しているままのニウが、軽い調子で訊きました。
「あんまり怒らない方がいいよ」
「そ、そうだぞ。怒ると胃が荒れて、そっちの猫女のように、やせっぽちになるぞ」
言葉尻にのった団左右衛門は後悔することになりました。
猫特有の相手を威嚇するシャーという息を吐くと、口元の牙を伸ばしながらニウが聞きかえしたのです。
「なんだって? あたしがやせっぽちで、胸が無いって!」
「そ、そこまで、言っておらん」
手を振り回すようにして否定しても、もう遅いようです。
桃三四郎たち四人(正確には、やる気のある頭数は三人)と、一万人が対峙しました。
これが後の歴史家が言う『洞窟前広場の戦い』でした。
「どうりゃああああ」
「ぎゃああああああ」
「きしゃあああああ」
「お、おかあさーん」
「テトロドトキシン」
「うぎゃあああああ」
悲鳴と怒号が交差した戦いは、短い時間で決したといいます。そして歴史家たちは、そろってこう記述するのでした。
「矜持を傷つけられた乙女は、一人で三千三百三十三人分の戦力を凌駕した」と。
桃三四郎が気がつくと、広場は倒された野盗どもの中で腰を抜かした団左右衛門がへたり込んでいました。
その彼を囲むように正三角形を作って、娘たちは立っていました。
「さて、と」
ゴキゴキと凝った肩をほぐすように首を動かしているのはニウでした。口本からは長い牙が伸び、両腕の爪も一本一本がまるで短剣のような長さで飛び出していました。
「どうします?」
ポキポキと指を鳴らしているのはマツバです。両腕の大型武器が無くとも、その鎧の重量と堅さは充分兵器と化しました。
『どうしましょうか?』
冷たい目で見おろして、そう大書したスケッチブックを持っているのはウルメでした。最大級の呪術を炸裂させて、他の二人が切り込むきっかけを作ったとは思えないほどの静かさでした。
「って、やっぱあんたムスメイワシじゃないだろ」
先程の呪文を思い出したニウが、ウルメにツッコミを入れました。有名な事ですが、テトロドトキシンは膨れる種類の魚の、特に内臓に含まれることが知られています。
ニウに問いかけられて、ウルメは曖昧な微笑みで誤魔化そうとしました。
その二人が緩く睨み合っている隙に、団左右衛門はそーっと逃げだそうとしました。
「やっぱり、切り落としますか」
ガシャンと必要以上に鎧から音を立てて、その行く先にマツバが足をおろしました。
「それとも捻り切っちゃいます?」
ウルメから視線を戻してニウが独り言のように言いました。
『すり潰すという方法もあります』
これはウルメのスケッチブックでした。
「まてまて」
それまで三対九千九百九十九の戦いを茫然と見ていた桃三四郎が、いま目覚めたように声をかけました。
「人殺しはいけない、人殺しは」
「よくぞ申した桃三四郎」
三人と団左右衛門の間に桃三四郎が割ってはいると、あたりに眩い光が差しました。
仏さまの降臨に、四人はいつものように、それぞれに頭を下げたりしました。
「な、なんだ? このオッサン」
腰を抜かした団左右衛門が誰に訊くとはなしに声を漏らしました。
「本人はホトケだって言うんだけど、本当かどうか妖しいもんだ」
これはニウ。
「ほ、仏さま」
意外にも信心深いところを見せて、団左右衛門は両手を仏さまに合わせました。
「うんうん」
その態度に、相手が野盗の頭だというのに、慈悲溢れる笑顔でうなずいて見せる仏さま。
「やっぱり、普通はそういう反応だよなあ」
「仏さま。わたしはお言いつけの通り、この『試練の洞窟』へまいりました」
「おう、そうだった」
気を取りなおしたかのように仏さまは桃三四郎に振り返りました。
「よくぞ『試練の洞窟』にやってきたな、桃三四郎よ」
「ってーいうか、すでにクリアされた後だったけど?」
ニウがぞんざいに洞窟の入り口を指差しました。
「なにを申しておる。私がいつ『試練の洞窟』をクリアしろと申した? わたしはただ、こちらへ向かえと言っただけだ」
確かにそうでした。
そのことに気がついた桃三四郎は手を打ち、マツバは感心したようにうなずきました。
「それって、ただの屁理屈じゃね?」
懐疑的なのはニウでした。
「わたしは、おまえたちがココで一万人の野盗と戦い、そして勝利することによって得る物があると考えて、この道を示したのだ」
今回は口で勝てそうだからか、仏さまの態度にはいつもより余裕が感じられました。
『話しの途中で申し訳ないのですが』
ウルメがスケッチブックを掲げました。
「ん? なにかな?」
『あの野盗の男が逃げますけど』
左手でスケッチブックを持ったウルメが遠くを指差しました。その先にはすでに小さくなりつつある団左右衛門の背中がありました。
「へ! バーカバーカ! おまえのかあちゃんデーベーソー!」
せめてもの仕返しか(内容はともかく)体を精一杯使っての怒鳴り声が聞こえてきました。
「ここで逃がしたら、また襲ってくるのかねえ」
ニウがめんどくさそうに漏らしました。
「まったく、手間のかかる男だ」
仏さまも呆れたように呟くと、懐から虹色に輝く珠を取りだしました。
「えい。カタルシスウェ~ヴ」
仏さまがその珠を掲げると、逃げる団左右衛門に向かって一筋のビームが伸びました。
もう少しで皆の視界から消えそうだった団左右衛門は、その光に打たれるとその場所にコテンと倒れ込んだのです。
「ホトケのくせに殺生かよ」
ニウがジト目で睨み付けます。
「なにを申しておる」
今日の仏さまはどこまでも余裕たっぷりでした。
「これは『改心の珠』。この珠を使われた者は、いままで自身が行ってきた悪行の数々を反省し、心を入れ替えて仏道に沿った行いをするのだ。試練を見事にクリアした報酬に、そなたたち渡そう」
仏さまは自らの手で、その『改心の珠』を桃三四郎に手渡しました。桃三四郎は押し頂くと、腰の黍団子を入れていた袋にしまい込んだのです。
そうしている間に、団左右衛門が飛ぶように駆け戻ってきました。そして仏さまの前で両膝をつくと、ボロボロと大粒の涙を流し始めるのです。
「仏さま~。こんなオレでも、いまから極楽に間に合うでしょうか?」
「うむ。城ヶ崎団左右衛門よ」
慈愛の微笑みで仏さまは語りかけました。
「おまえは自分の悪行に気付くことができた。これこそが極楽浄土への最初の一歩となろう。これからは道を誤ずに、一日一日を真面目に正しく生きていくのだ」
「あ、ありがとうございます」
正道に戻るきっかけを見つけたためか、団左右衛門は何度もコメツキバッタのように土下座を繰り返しました。
「さらに修業を確かにするために、この霊力溢れる壺はどうだ? いまならこの高枝切り鋏もついてお安い値段となっておるが」
「こらこら」
非常に妖しい商売を始めた仏さまにニウが声をかけました。
「そんな物を売ろうとするな」
「なぜ?」
仏さまが意外そうに訊くので、ニウが指折り数えて説明を開始しました。
「物が欲しい→買うお金が必要→でもお金がない→手っ取り早く稼がないと→じゃあ野盗でもするかってなるだろ」
「おお」
とか掛け合い漫才をしている間にも、団左右衛門は腰の太刀へ手をかけて立ち上がっていました。
「おい」
とても真剣な声で桃三四郎に語りかけます。
「はい」
斬りかかられたらいつでも反撃できるように身構えながら、桃三四郎は応えました。
「おまえ…」
ずいっと一歩出てくる団左右衛門。対照的に桃三四郎は一歩下がりました。
「この太刀を買ってくれんか」
「はい?」
「オレには他に売る物があまりない。それに武器さえなければもう野盗に戻ることもないだろうからな」
桃三四郎は助けを求めるようにニウの顔を見ました。彼女は小刻みに頭を横に振っていました。
次に桃三四郎はウルメを見ました。彼女は手を顔の前で仰ぐように横に振っていました。
最後に彼はマツバを見ました。彼女はガマグチを取り出すと中を覗き、そしてとても悲しそうな溜息をつきました。
「わ、わたしたちには持ち合わせがありません」
「なら、貰ってくれ」
「はい?」
突然の申し出に桃三四郎は目を白黒させました。
「お布施にするにしろ、何をするにしろ。この先、これに頼るようでは仏さまの教えを守れそうもないからな」
「は、はあ」
「そんなもの、いらないよ」
ニウが横から声をあげました。
「使えない太刀なんて、荷物になるだけだ」
「そうですね」
その意見にマツバも賛成のようです。
「商人に売るにしても、安く買いたたかれてしまうでしょうから」
『いままでも、そのような物に頼らなくて大丈夫だった』
ウルメもスケッチブックに自分の意見を書き出しました。
「いや」
しょげる団左右衛門を安心させるように、桃三四郎は微笑みを浮かべました。
「ありがたく頂戴しよう」
「?!?!?!」
驚く三人にも優しい微笑みを向けて、桃三四郎は言いました。
「これは抜けない太刀ではない。抜かない太刀なのだ。これがあるだけで避けられる戦いもあるだろうし、必要なときにたとえ抜けずとも、相手に刀傷を負わせてしまうことのない、優しさが溢れる太刀なのだ」
桃三四郎は、団左右衛門が両手に捧げるようにして差しだした彼の太刀を受け取りました。
「確かにこのカネニタマグロノミツを受け取った」
「その銘さえ無ければマシなんだけどね…」
「さあ、新たな武器を手に入れることもできたし、これで鬼退治の準備はできた」
桃三四郎が太刀を取ったことを見た仏さまは、声を張り上げたのでした。
「桃三四郎よ。鬼ヶ島へ乗り込んで、鬼退治を果たすのだ。そのために港へ戻り、船を手に入れるのだ」
仏さまが指差したのは、ここまでやって来た道でした。
「なんだよ、戻るのかよ」
ニウがあと百倍は文句を言いたそうに仏さまを見ると、仏さまは平然と言いました。
「これぞ『試練』。苦のない平坦な道はない」
「ただ、おまえがよく考えていないだけだろ」
ニウの指摘に明後日の方向を見上げて誤魔化す仏さまなのでした。