プロローグ
一軒家の二階の一番奥の部屋に一人、太った男がネットゲームをしていた。
俺はニート。
一生親のスネをかじって生きていくつもりの、ちょいブスニートだ。
年齢は25歳とちょい若め、ニート界でもまだまだ新人だね。
どうしてこんなニートになっちゃったのかって言うと——
——漏らしたから。
そう、漏らしたのだ。高校生の頃、俺はやっちまった。
あの頃、俺は自信に満ち溢れていた。
高校生の青春ライフをエンジョイできると思っていた。
だが、それは違った。緊張からか、入学式でまず放屁。
そして、クスクスと笑われた後、教室で——やってしまったのだ。
なぜ、やってしまったのかはわからない。
思い出せないんだ。
でもさ、それだけって思うだろ?
何で、漏らしただけで、ここまで堕ちるのか?
どうして立ち直れなかった?
わからない。わからないんだ。
一つ予想した。
俺は自分の理想と現実のギャップに苦しんだのだと。
そのおかげで、こんな有様になったのかと、そう考えた。
そういうことにしないと、耐えられなかった。言い訳を作らなくては。
今でも、夢に出てくるよ。
ダメだ、またこのことを考えてしまった。気分転換に少し散歩しよう。
俺はおもむろに腰を上げ、暗くなった自室からでた。
廊下を歩き、妹の桜花の部屋の前を通り、階段を降りる。俺の部屋は、2階だ。
そして、リビングにいる両親に向けて、
「いってきます」
小さな声でそう言った。おそらく聞こえていないだろう。
玄関の扉を開ける。
燦々と降り注ぐ陽光が、家から出ないことで白くなった俺の肌に突き刺さる。
「眩し……散歩なんて久しぶりだ……」
久しぶりの散歩、いや、陽を浴びるのすら一週間ぶりというほどだ。
それまで、ずっとネットゲームに明け暮れていた。
どうして、両親は俺を見捨てないのだろうか……俺に……生きる意味などあるのだろうか……。
おっといけない。また余計なことを考えてしまった。まずいまずい。
少し歩いていると気づいた。俺には体力がない。まあ、伊達に10年近くニートしてないさ。
……っと、自慢できるようなことでもないけど。
まあ、体力がないのはこれから生きていく上で、重要な問題だし、まずは体力作りからだな。
このよく肥えた腹もどうにかしなきゃいけない。
ジムにでも通うか?いや、人がいっぱいいそうで嫌だな。
「はぁ……」
ため息が出る。
どうすればいい。この先の人生。
試しに小説でも書いてみるか?
いや、無理だな。俺には才能がない。
……と、こうやって諦めるのも俺の悪い癖だな……。
「はぁ……」
また、ため息が出る。今度のは、一度目よりも重かった。
「——まじで……どうしよ……」
異世界転生でもしたいな。
昔一度、読んだことがある異世界転生モノのラノベ。
——憧れた。
俺と似ている境遇なのに、俺とは全く違う——主人公に。
だが、続けて読むことができなかった。
比較して、自分が惨めに見えるから。
俺はあんな風にはなれない。
ああ、また悪癖が出た。すぐに諦める癖だ。
俺もあんな風に、女の子を救って、モテて、強くて——妄想だけが独り歩きだ。
俺も生まれ変われたら、今度は漏れそうでも出来るだけ我慢して、後悔のないように生きたい。
後悔しかないこの人生を、少しでも……少しでも——
「……あ」
声が出た。目の前には、昔よく行った近所の商店街。
「全然歩いてねえじゃん」
おかしいな、結構歩いたつもりだったんだが。
それに体力もかなり消耗している。
「どんだけ体力ないんだよ……俺……」
一つ何かするたびに、失敗と後悔で、自己嫌悪に陥ってしまう。
故に、何もできない。
「この雑魚豆腐メンタルが……」
あぁ、マジで、
「転生でもできたらなあ」
また自分の意識とは裏腹に、声が出た。
今度のは少し大きかった——
あれ?
なんだろう?
視線が、行き交う人々の視線が、こっちに——
ポタポタと、小さな音がする。下の方から。
「まさか……」
誰にも気かれないような声で、そう漏らす。
俺はゆっくりと下に目線を下げ、
「……まさか……」
そのまさかだった。
俺の股間には、シミが広がっていって——
意識がポツリと途切れた。
まるで、無理やり消したかのように、唐突に。
『儂が……力を……』
『いえ……これは!私の!』
『では、こうしよう』
どこだろう、ここは。
ふわふわと浮いていて、温かい。
一生いられればいいな、なんて思ったりして——
俺は、体が上に上がっていくように感じていた。
ゆっくりと目を開く。
そこには二つの人影があった。
…………誰だ……。
声は出ない。だが、相手に伝わったことが、なぜかわかった。
二つの人影の、口が動く。
何を言っているのか、さっぱりわからない。
でもどうしてだろう。一言だけ、一言だけ、理解できた。
お前は、もう家族には会えない——と。
このことだけが、俺の頭に浮かびあがってきた。
嘘のような話だ。でも、嘘だとは思えない。何故か影達には、そう理解させる力があった。
ごめんなさい。お母さん……お父さん……桜花、最後までクズで。
桜花には、最後まで文句ばっか言われてたな。それも仕方がないけど。
ありがとうも言わないで……本当に、本当に……ごめんなさい。いや、支えてくれて、ありがとう。
もし次があるなら、大切な人を守れる。かっこよくて、強い男になるよ。
『俺、桜花だって、みんなだって守れるような、すげー男になる!』
公園で母さんに、そう言ったな。
ホント懐かしい。
まあ家族に会えないってことは、間違いなく俺は死ぬんだろう——
——また、意識ぽつりとが途切れた。