夏
天気予報通りの雨に襲われ、今日も傘を差して公園へ行く。
夜の雨は、寝るときは心地いいけど、音以外での楽しみが無いと感じるのは僕だけだろうか。
じめついた空気を深く吸い込み、レインコートを着てベンチに佇んているシキさんに話しかける。
「シキさん、こんばんわ」
「ん、君かぁ。こうも雨が多いとまいっちゃうね、そろそろこの公園集合も止めにしないかい?」
ざわ。
少しばかり心が波立つ。
決まった場所で決まった時間に会う。そんな綺麗な設定を投げ出すというのか。
流石にシキさんでも、その冒涜は許しがたい。
顔に出さずにムッとする僕に、シキさんがからからと笑いながら言う。
「やだなぁ、雨が面倒だねってだけだよ。また梅雨が過ぎたら戻ってくればいいよ」
「僕の心を読まないでください」
「君が表情に出やすいのが悪いのさ」
どうもシキさんは僕の考えてることを読む節がある。
本当は僕の癖も隠しておこうと思ったのだけれど、出会って4日目で早々にバレた。
シキさんは僕の考えを読むと大体、「君は分かり易いね」とか「君はよく詐欺に遭いそうだ」とかいい加減なことを言ってからかってくる。
その後はいつも決まって、あははは、と笑うんだからついこっちまで笑ってしまう。
「ねぇ、君の部屋、行けないの?」
何の前触れも無くシキさんが言う。
女の人を部屋に上げる、それがどれだけハードルの高いことか。
シキさんのいつものからかいかと思ったが、目は至って真面目だった。
こういうたちの悪い時があるのがシキさんだ。
はぁ、とため息を付きながら言う。
「いいですよ、どうせ嫌と言っても駄目なんでしょう?」
「分かってきたじゃないか、じゃあ案内してよ」
「はいはい」
一人暮らしを始めて、最初の来客がシキさんになるとは思わなかった。
口では嫌ですよと言ってはみたが、実は少し嬉しいものもある。
シキさんは、僕の傘には入ってこようとはしなかった。
出来ればレインコートもいらないと言っていたが、それは僕にも分かる。
でも、傘ごしの雨音も悪いものではないのを、いつかシキさんにも分かって欲しいと思った。
暗い闇に落ちる音を聞きながら、街灯が光る道を歩いていく。
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「わぁ、一人暮らしにしては豪勢だねぇ」
玄関でレインコートの水を拭いてる間に、リビングに突撃されてしまった。
不覚だ。まだシキさんの髪は濡れているというのに。
「ま、待ってください。タオルあるんでそれで拭いてから」
「ん、そうだったね。そういえば雨の中を歩いて来たんだった」
「僕の家水浸しにするつもりですか……」
「全部浸水するくらいなら、面白いだろうね」
「冗談じゃない……」
あはは、とシキさんが笑う。
雨でも、この人は何も変わらない。
ずっと得体が知れない、正体不明のままだ。
僕の部屋を静かに見渡すシキさん。
その目線が、とある一点で止まる。
それは、何の変哲もない写真立て。
その中では、とある女の人に肩車された幼少の僕がいた。
「それ、気になりますか?」
「うん、女の人の写真を部屋に飾るなんて珍しいから。この人は君の何なんだい?」
「初恋です」
「へーえ、初恋かぁ」
「はい」
僕の淡い初恋。
それは、近所のお姉さんの背景を想像することによって発生した、何ともいびつな恋だった。
自分の癖を認識したのも、確かその頃からだ。
僕の両親は、どうやら僕を周囲の興味が尽きない子だと思っていたようだが、実は他人の背景を想像する為に周りを見ていただなんて、少しも思わなかっただろう。
近所のお姉さんは、いつも朝に帰って来てた。
毎日匂いが変わっていて、その理由も分からなかった小さい僕は、お姉さんの背景をほぼ無限に想像した。
でも、その恋は、お姉さんの家の引っ越しという形で幕を閉じた。
そんな思い出を想起していると、シキさんがからかうように言ってくる。
「君の幼少か、多分ロクな子供じゃなかったんだろうね」
「何でですか、あんな人畜無害な子供、他にはいませんでしたよ」
「子供は人畜有害なくらいが丁度いいよ、君の幼少は、子供にしては大人びていなかったかい?」
「まぁ、そう言われたことは何度かありましたけど……」
「ほらね」
シキさんに言い合いで勝てた試しがない。
いつも討論になると僕の負けで終わる。
春と夏の勝負では、春の勝ち。
サンドイッチとホットドッグの勝負では、サンドイッチが勝った。
いつも、「ほらね」という言葉で締めくくられて終わる。
適当に淹れた紅茶をシキさんが飲もうとした時、
ピカッ。
カーテンの間から、閃光が漏れる。
「あ、シキさん雷ですよ」
「ふーん、何秒後に来るかな」
「1、2、3、4、あ、来た」
ドゴォーン。
「光ったね」
「はい」
遠くの方で雷光が落ちた。
いつもシキさんと散歩する時も、そんな周囲の何気ない様子を話題にして喋る。
大した面白みもない話だけれど、ただその居心地が良くて続けてしまう。
それから、なんてことのない会話をして解散した。
今日知れたことは、シキさんはカップを小指を立てて飲むということ。
「おじさんくさくて嫌なんだけどね、これ」
そんなことを言いながら、いつものように笑っていたシキさんだった。
帰り際、まだ雨が降っていた。