4-3.少女の名前が
本日五話目
*・*・*
「ど、どうでしょうか?」
咲乃の背から姿を見せた少女は、文字通り『少女』の出で立ちでいた。
髪は結ばずに綺麗にストレートにブロウされていて、背に流してある。コットン生地のワンピースには裾に控え目ながらも刺繍がされているものだ。羽織物は黒の薄手のニットガウン。
肌はスキンケアでもしたのか潤いがはっきりと見え、少し触りたい気分になってくる。他にメイクなどは特にしていない。
「晁君に聞いてるのよー?」
「お、俺?」
「君が保護者なんだからそうじゃない?」
意地の悪い従兄妹達だ。
加えて、この二人実は恋人同士であるから余計に質が悪い。接客業側では持ち前の笑顔にイメージを付け加えて物腰柔らかそうに見せているが、実際は結構ないたずらっ子なのだ。悪い意味ではないが。
「あ、あさとさん、どうですか?」
前以て咲乃が告げ口したかはわからないが、名指しまでされては答えないわけにはいかない。
仕方ないと、小さく息を吐いた。
「……………………かわいい、よ」
嘘じゃない。
顔立ちは目も大きいし、口は小さくて可愛らしいし服も咲乃のお古でもよく似合っている。しっかり目を見て言えば、少女は薄っすら頰を赤く染めた。
「良かったねー!」
「お母さんが色々準備してくれたから、控え目かつ可愛いのを選んでみたの。スキンケアのも重かったでしょ?」
「ビール瓶のラックに比べれば大したことないよ。と言うか、叔母さんにも差し支えない程度の事情言ったらあれくらい詰め込んだからね」
容易に想像しやすい。
あの叔母もだが、熊谷に関わる人間の女性は総じて世話焼きが多いのだ。
「……お兄さんはゆーくん?」
「あ。自己紹介まだだったね。僕は茅沼悠耶だよ。咲乃とあっちの晁斗とは従兄妹同士なんだ」
「ゆうやさん……いとこ?」
「私は悠君のお父さんの妹がお母さんなの。晁君はさらにその上のお兄さんがお父さんなのよ」
「え、えーっと……?」
図式でなければわからないだろうに。
彼女は基本常識が著しく欠除しているからだ。
「一般常識については明日以降にしなさい。それより…………寝る前にその子の名前を仮にとは言えつけてあげないとね」
「あ」
「あら」
「う」
完璧に忘れていた。
とは言え、誰がつけるのかと周囲を巡らせていたら、彼女から晁斗の方にやってきた。
「あさとさんが、つけてください」
「お、俺?」
「僕を見つけてくれたのがあさとさんだから」
「あ、まぁ……」
正確には空呀が彼女の足元を発見したのだが、肝心の空呀はニマニマ笑っているだけだ。
「あら、晁君ご指名よ? ちゃーんと考えてあげてね?」
「僕らはもう帰るから、また明日ね」
「は!?」
責任転嫁かと引き留めようにも、既に時遅し。
咲乃の母親に持たされたらしいボストンバックのみ残して従兄妹カップルはとっくにいなくなっていた。空呀はいつの間にか少女の頭に飛び乗っていたが。
「あんのバカップルめ……っ」
「ばかっぷる?」
「仲の良過ぎる恋人同士ってことだ。あの二人付き合ってるんだよ?」
「家族なのに?」
「従兄妹はいーんだよ」
「ほぇー?」
横で和やかな会話をしているが、問題は解決していない。
「……すぐにつけれるかっての」
ネーミングセンスは極端に悪いわけではない。
彼女自身の記憶が戻るまでずっと呼び続けるのだ。下手なものはつけたくない意固地でしかないのだが。
「スマホは使わないで書庫に行きなさい。あそこなら辞書や本は色々あるだろう」
「……そうする」
なので、克己とはここで別れて書庫に行くことにした。
*・*・*
「おおお……」
書庫に入って、少女の第一声。
まあ、これくらいは想定内と言うより定番だ。
「これ全部本なんだぜ」
「ほん?」
「どれでも良いからひとつ出してみろよ。字が読めるか確認した方がいいだろうし」
「そうだな。読む場所は床じゃなきゃどこでもいい。空呀、ソファとかテーブル教えてやってくれ」
「おう」
「どれにしようかなー?」
好奇心旺盛なのはいいことだ。落胆し過ぎて疲弊していくよりずっといい。
きょろきょろしながら少女が読めそうな本を探している間、晁斗は名前辞典があるかどうか探すことにした。
スマホでサイトがあることもあるが、名前は慎重につけるものだ。精密機械の発展した現代でも紙媒体がすたれることはなく、むしろ再生紙技術が発達している方だ。
「どこだったか……」
書庫に来ること自体久しいので配置はうろ覚えだ。
記憶を辿りながら棚を探しているが、それらしいものは見当たらない。
「んじゃ、せめて漢語辞典にすっか?」
漢字一字でも悪くはない。
むしろ、呼びやすいならちょうどいいはず。それらしきものを見つけて取り出そうとしたが、重みで横にずれて下に落ちていった。
「やべっ」
ここの書物はほとんどが克己や暁美のものだ。出来るだけ傷をつけたくないとなんとか体勢を立て直して受け止める。
危なかったと息を吐けば、落ちていた角度の関係でページが開いていた。
「…………れん?」
と言う漢字の一覧表のところであった。
かなりの数があるし、悪くない意味が多い。
「あいつの名前、にか?」
偶然は必然とも言う。
彼女を見つけたのもまた必然。
祖母の暁美がよく言う言葉だ。
「なら、どの漢字にすっかは選ばせてやるか」
出来れば読みやすいものがいいが、そこは本人次第だ。
晁斗はそのページに付属のスピンを挟んでから閉じた。
「空呀、どこだ?」
「決まったのかー?」
大声で呼べば、然程遠くないところから返事が来た。
そこに向かえば、ソファで少女は画集のようなものを読んでいて、空呀は横から覗いていた。
「決まったぞ、お前の名前。とりあえず、呼び名だが」
「なんですか?」
期待に満ちた瞳は邪気が感じられない。少し気恥ずかしいが、晁斗は告げることにした。
「『れん』って言うのはどうだ?」
「れん?」
「男みてぇな名前だな?」
「ほっとけ!」
「僕は、れん……」
騒いでいる晁斗らを放って、少女は提案した呼び名を噛みしめているようだ。嫌だったらもちろん変える気ではいたが、どうやらそうでもないらしい。
少し間を置いて、少女は顔を上げた。
「嬉しいです!」
「いいのか?」
「はい!」
満面の笑顔に、少し鼓動が高鳴った気がした。
した、なのですぐに追いやったが。
「んじゃ、明日病院に行くだろ? 名字は多分うちのにするだろうから、漢字もつけるぞ」
「はーい」
字に関しては、大体中学生レベルまではあると空呀と試してみてわかったことだった。
「これ、かっこいいです!」
「え」
「……これでいいのか?」
「はい!」
意味も調べてみたが、まあ悪くない。
念のため、スマホで名前辞典の方も検索してみれば、いい意味でも戒めと捉えれるものもあった。
「じゃあ、『漣』。よろしくな?」
「はい、晁斗さん」
さざなみとも読む彼女の名。
その中に、地道な努力を続け、少しずつ成長して影響力のある子になってほしいともあった。
次回は明日の7時予定〜