- Prologue - 『落日の陽光』終編
「前方に敵影あり。その数100」
その頃、ナルビスも同様の報告を受けていた。
前方から何故か敵軍が現れたのだ。少数であることから戦後の処理任務を追った部隊かもしれないとナルビスは思う。彼らもこんなところによもや敵が潜んでいるとも思わないだろう。とナルビスは予想した。
しかし敵の100に対してこちらはナルビスとその直下の部下を合わせても20名。その中で10名は王妃や皇太子を背負っている。
更には彼らの場合はリオンと違いただの足止めでは駄目である。生きてこの場を切り抜けないといけない。
「俺が活路を開く」
ナルビスはその時、少しだけさっきのリオンの気持ちがわかったような気がした。
自分たちが背負っているのは我々の未来である事を。この未来を、この国の血筋を守るのは自分たちしかいない。
だから戦うのだと。
ナルビスの一騎だけが突出した。その後ろを彼の部下10騎、その後方から王妃や皇太子達の乗る騎馬が続く。
ナルビスは背に背負った自身の身長をもあるだろう大剣を抜き去ると馬軍の中に突っ込んだ。
ナルビスの予想通り、敵は突然の敵襲に浮足立っていた。陣形も緩く戦略もそこにはない敵部隊をナルビスはいとも簡単に前線を崩す。
そこに小さく固まった。彼の部下10騎がぶつかった。多勢に無勢、しかし押し切れるとナルビスは思った。
だが、一方の敵の切り返しが思ったよりも早い。次第にナルビスらは逆に押し込まれはじめた。
10騎の精鋭は100の敵に飲み込まれていく。
だが、その刹那戦場が揺れた。
衝撃が走った。
それは反対側から敵の100騎を分断するようにまっすぐにナルビスの元に向かっている。その旗を見てナルビスは戦女神ミリアリアに感謝した。
「敵を蹴散らせ!われらウォールウィンド王国鉄の騎馬隊の力を見せるんだ」
指揮官らしき男が叫ぶと軍全体が呼応し歓声があがった。ナルビスが見たのは狼のエンブレムを模した旗。ウォールウィンド王国の旗印である。
「クリストロフか」
先ほど大声を張り上げたこの部隊の指揮官の名前をナルビスは呟いた。その顔には笑みが浮かんでいる。
ガルナ渓谷の前線部隊として戦っていた騎馬隊であった。指揮をしているのはクリストロフ、国軍の将軍の一人であり、ナルビスの親友である。
数こそはかなり減っていたが150騎は残っているだろう騎馬隊の援軍はナルビスにとっては願ったりかなったりであった。
「われらも進め!敵を押し返す」
ナルビスも再度采を振った。
思わぬ援軍に助けられたナルビス達の士気は向上し、逆に思わぬ奇襲を受けた敵はすぐに後退を始めた。
200騎いた敵をおそらくその半数にまで数を減らすまで押し返しはじめている。
数回のぶつかり合いの後、敵部隊が完全に引く構えを見せた。
「敵襲!!」
もう少しで勝てると安堵したその刹那、後方から別の声があがった。それはナルビスの予想よりもずっと早かった。
「ちぃ!リオン!」
彼らの来襲はリオン達がやられたことを意味している。そしてそれは一瞬だった。
誰も間に合わなかった。
ナルビスが振り返った時、王妃や王子、王女を乗せたナルビスの部下10騎が後方から現れた250騎に飲み込まれた。
そしてそれに呼応する形で引きかけてた眼前の敵も息を吹き返し、進軍を開始すると挟撃の構えを見せる。
「ナルビス!」
クリストロフの声にナルビスは頷いた。
彼は半数まで減った前方の敵をクリストロフに任せて後方へ走った。
「くそ!王妃!ジェイン、シェイナ!」
だが、そこはもう既に馬群の中。
ナルビスさえも敵に囲まれ、次々に出されてくる槍や剣を防ぐのが精一杯だ。王妃や弟達の名を叫んでも、戦場の轟にかき消される。
またいくらナルビスが王国一の武勇を誇る騎士であっても一度に相手にできす数は限られている。
そして、今の異常時ではそれを制御することもナルビスには不可能だった。
「くそぉぉぉぉぉ」
その時ユングラシ王妃を守っていた部下が馬から突き落とされるのが見えた。
そして名も知らぬ敵兵の槍がユングラシ王妃の体を貫く。
「母上!」
ナルビスが叫んだ時、彼自身も背後から肩を斬りつけられる。ナルビスは再び前方に視線を送った。既に他の王子達の乗った馬の姿は既に確認できない。
「うおぉぉぉぉ」
再びナルビスは雄叫びをあげた。背後では前方の敵を蹴散らしたクリストロフの軍が必死に押し返そうとしている。
ナルビスは大剣を振るい5人を馬上から飛ばした。だがその刹那利き腕である左手首を斬撃が襲う。
全身を走り抜ける痛みとともにナルビスの左手は刀身の重みに耐えられず、愛剣を手放す。咄嗟にナルビスは右手で長剣を抜いた。だが、時既に遅し。その刹那、右脇腹に槍が突き刺さる。
さらに左肩にも剣による斬撃を受けた。
もう痛みなど既に感じない。
だだ、口の中に血の味が広がる。それは死の前兆であるように彼には思えた。
視界が揺らぐ。
そしてナルビスは死を覚悟した。
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「ナルビス」
その声で目を覚ましたナルビスは自分が生きている事が信じられなかった。
いつ気を意識を失い、落馬したのかもわからない。だが、クリストロフ隊の奮戦もあって、敵を蹴散す事ができた事を彼から聞いた。
「俺はどれくらい意識を失っていた」
「2刻ほどだな」
「俺は生きているのか?」
「そのようだ」
ナルビスはクリストロフの返答に体の力が抜けるのを感じた。そしてその目から涙があふれ出した。
それは任務を失敗したこと、そして兄弟姉妹を義理の母を失った事、その両方の悲しみからであった。
ナルビスは徐に腰から短剣を引き抜き、喉元に当てようとする。咄嗟の行動だった。だがそれは叶わなかった、彼の左手は彼の意に反して動こうとしなかった。既に痛みは麻痺していいて感じない。
それなら残った右手でと短剣を手に取った瞬間、右手にあった短剣が地面に転がる。クリスロトロフの足が目の前に見えた。
「お前!」
ナルビスは体を起こそうとするが、全身の痛みで起きる事ができない。
「せっかく応急処置をしたんだ。そんな簡単に死なないでくれ」
ナルビスはそういうクリストロフに対して自嘲気味に笑った。
「何が死なないでくれるかだ。王宮での戦いにも参加できず、陛下からの勅命も遂行できない。何のために護国の大剣を俺が持っているのかわからない。何も守れていないではないか」
ナルビスはそういうと首を王都の方角へ向けた。
沈みゆく太陽を背に黒煙が立ち上っている。その場所は王都であることは紛れもない事実であった。
「リオンも死んだ」
自分で言ったその言葉がナルビスの心をさらに奈落へと突き落とした。
「リオンの所在は部下に確かめさせている。さらに追手がこないところを見ると追撃部隊の半数は食い止めていたという事になるな。さすがリオンだ」
クリストロフの言葉にナルビスは改めて彼の体を見た。かろうじて立っていると言える状態であると感じた。
無数の切り傷と特に右腕が全く動かない様子であることは分かった。
「お前傷・・・」
と言いかけたその時、戦場に吹き込む風の音とは別の音をその耳が捉えた。ナルビスはクリストロフを見て目を見張る。それはクリストロフも同じだったようで二人は目を合わせると頷きあった。
「おぃ」
「あぁ」
それは確かに
赤子の泣き声だった。
「っく…」
クリストロフに抱えられて立ち上がったナルビスは体に迸る激痛に顔をゆがめた。だが、一抹の希望であるその泣き声が聞こえた岩陰に向かった。
それはまさに戦場に舞い降りた天使。
ナルビスとクリストロフにはそのように感じられた。
「キャシー…」
2人が岩陰を覗きこむとそこには全身に無数の傷を受けて気を失っているキャシーとその腕に守られるように抱えられ、大きな声で鳴いている赤子の姿があった。
「良かった」
「あぁ、だが実に呑気なものだ」
クリストロフが安堵の笑みを浮かべる。
そしてその彼の言葉にナルビスは一時の同意とこの戦場で唯一すべてを他人に委ねてたであろう赤子に最大限の皮肉を込めた。
ナルビスにとって見れば、赤子の生存は本当にこの上ない喜びだった。
だが同時に彼は考えずにはいられなかった。
この赤子はこれからどのような数奇な運命をたどるのだろうかと。そして生き残ってしまった俺たちも一体これからどうなるのだろうかと。
せめて彼が成人する頃には平和な世の中であってほしい。ナルビスは思わずそう願う。今、彼らを包み込む陽光は死んでいった物の魂を照射するかのように美しい。
そしてそれはまさに一つの大国の落日を明瞭に指し示しているかのようだった。
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この日。
ラナス新暦212年 黒龍の月
7大国のひとつウォールウィンド王国に南部のラクティス共和国が攻め込み、ラナス戦役は幕を開ける。
奇襲によりわずか2日で国都リアガルを掌握し、テラー家残党を滅ぼした彼らは、西、南へ軍をすすめ、北方のレスティアナ神聖国、東部のベルファーシュ共和国、南部15小国家群以外の大陸全土の3分の2を掌握することに成功する。
そして彼らは国名をラクティス皇国へ変え新たなる一歩を踏み出した。
それはウォールウィンド陥落からわずか4年後のラナス新暦216年の出来事であった。
だが、このときは誰も知らなかった。テラー家の血を継ぐ者が生き残っていた事を。
そしてこの亡国の騎士達が後の大国の存亡を脅かすことになるのはまだ先の話である。
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- Prologue - 『落日の陽光』完
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