- Prologue - 『落日の陽光』後編
「前方より敵影あり」
その声が響いたのはナルビス達と別れてすぐであった。予想に反して接近が早い。既に敵はガルナ渓谷に差し掛かろうとしている。
リオンは後ろに続く部下たちに向き直ると神妙な面持ちで口を開いた。
「お前達、すまない」
リオンは詫びを入れる。だが誰として彼女を責めるものはいない。
「全力でお供をします」
彼女達からはただその言葉だけが返ってきた。リオンはその意味を解し、心の中で笑みを浮かべ、そして改めて意を決する。
彼女達は近衛騎士団の中でも特にリオンを慕い、側近として数々の任務をこなしてきた言わばリオンにとっては家族同然な者たちである。
彼女達も自分達が死地に赴く事は十二分に理解している。詫びの言葉自体、彼女達には失礼な事。とリオンは思い返す事にした。
「お前達、我々は少しでも敵の進軍を遅らせる。一気に乱戦に持ち込むぞ!死んでも敵を切れ!足止めをしろ!命はないものと思え!決して倒れるな」
リオンは雄叫びをあげていた。そして500の敵兵に悠然と向かっていく。彼女の愛馬にもその気迫が乗り移ったのか全く気負う気配すらない。
敵の前線の歩兵とぶつかる。
同時に大鎌で一閃、5つほどの歩兵の首が鮮血とともに宙を舞う。そしてその返す刃がさらに多くの首を狩り飛ばす。
「ウォールウィンド王国王立近衛騎士リオン=ヘルダークがお前達の相手だ」
リオンの突撃に続くように19名の部下もそれぞれがそれぞれの戦いに入っている。
そこには作戦などなかった。
誰がどこで戦い、散っていくのか、そんな事はどうでもいい。ただ、目の前の敵を少しでも蹴散らす。そこに生き残る為の戦いは存在しなかった。
「こいつらは囮だ。半数は先に進め」
彼女達の戦いの鍵は出会いがしらでいかに敵の機先をそぎ、意識を自分たちに向けるかである。しかし敵の指揮官も有能らしい。そう簡単にリオンの思惑には乗ってこない。
「させるか!」
リオンは一人馬を返すと混沌とする戦場の中、彼女たちの横を抜けようとする一団に馬を向ける。
大鎌を振り回すその大車輪のような攻撃に敵兵は彼女の大鎌の餌食になるか、自ら道を開くかのどちらかしか道はない。
いつの間にか彼女の眼前には一本の道が姿を現している。
「よし、行け」
リオンは単騎で一気に馬群を突き抜けようとした。だが、それは大きな結果として代償を彼女に払わせる事になる。
その刹那、死神の大車輪が回転を止めた。
「ぐっ・・・」
真紅の死神の名に恥じぬ武勇を見せていたリオンのくぐもった声が戦場に響く。彼女の左脇腹には貧相な長槍の鎬が突き刺さっていた。
彼女はギロリとその槍の主を見た。そこには若い槍騎士の姿がある。だが、彼は決して殊勲の兵ではない事は見るからに明らか、臆病風に吹かれ、手をガタガタと震わせている。
おそらく刺突は全くの偶然だったのだろう、だが結果から見ればこの兵は賞賛に値する。
ラクティス軍の若き槍騎士は何にせよ血塗られた大鎌の嵐の中をかいくぐり、死神に一撃を浴びせたのだから。
「…………っ」
だが、そんな事もこの戦場では一時である。その殊勲の若い兵は自らの殊勲に杞憂する間なく、恐怖に声をあげる間もなく、死神の大鎌によって、その首を飛ばされてしまった。
「くっそ!」
リオンは唸った。わき腹にジワジワと広がっていく鋭い痛みに。彼女はすぐさま左脇腹に刺さった槍を左手で引き抜く。その槍は次に彼女に向かってきた敵の左胸に突き立てられた。
リオンは馬腹を蹴る。
そして大鎌を持つ手に力を込めた。
「おぉぉぉぉ」
鬼気迫る気迫だった。敵の馬軍に突き当たったリオンはすでに狙いを定めていた所で大鎌を振るう。
狙うはこの部隊の指揮官の首である。敵軍の最後方を進んでいた男の首は恐怖に顔を痙攣らせるが、声を出す間も無く、大鎌の餌食となる。だが、指揮官の首が宙に舞ったその時、リオンを背後から斬撃が襲う。
首筋を振り下ろされた刃は、咄嗟に出した大鎌で受け止められた。
リオンは相手を見やる。若いがいい剣の遣い手であった。しかし、今の彼女の敵ではない。8合ほど渡り合った後、大鎌が彼の胴体に垂直に斬り込んだ。そのままリオンは大鎌を振り切る。
彼の胴体は鮮血をほとばらせ、地へと落ちた。
「ちぃ!追撃を…くっ!」
リオンはそう叫ぼうとした。だが、言葉が口から出ない。大声を出そうとすると脇腹の傷が痛む。そして周囲の仲間の姿は皆無となっていた。
思わず彼女は脇腹に手をやる。血がとめどなく流れ落ち、出血が止まらない。
「ちぃ、ダメか」
リオンは舌打ちをした。
敵部隊は止まらない。
指揮権は確実に次の指揮官に委譲されていた。
リオンが期待した部隊の混乱は生じず、敵は淡々と進軍を続ける。
おそらく小隊単位によく調練された部隊なのだろう。
思惑ははずれ、リオンは舌打ちを繰り返した。
「ちぃぃ!」
リオンは敵を後方から追いつめるべく、愛馬の尻に短剣を刺し、さらには馬腹を強く蹴る。
苦楽をともにしてきた愛馬に傷を負わすのは偲びない。だが、そこはナルビス達のもとに行く敵の数を今ここで少しでも減らすため。
彼女にできる精一杯の援護。
だが彼女の叱咤に激した愛馬が激しく走り出した瞬間、その拍子に不覚にもリオンは馬上で体勢を崩した。
同時に迫り来る脇腹の鈍痛。
咄嗟の反応が遅れた。
リオンに崩れていた体勢を立て直す事はできない。
視界が反転するのも一瞬。
その刹那、眼前に真っ青な青空が広がった。
そして暖かな土の匂いが無残にも愛馬の背からすべり落ちた事を彼女に教える。
「待って・・・・・・」
リオンは顔を上げ、既に自身を失っている愛馬に声をかけた。だが、半狂乱の境地にある愛馬はいつもなら気にする軽くなった背中も、地に落ちた主人も、気に留める事無い。
ただ猛然と戦場を駆けるだけで、その姿はリオンの視界から消えていく。
愛馬も失い、体も思うように動かない。
リオンは自嘲気味に笑みを浮かべる。あれだけナルビスに対して啖呵を切ってこのザマである。
リオンは国王ダリーの長女としてこの世に生を受けた。5つ年上の兄であった皇太子リグレイに心酔し、妾の子とされるが王宮にも幼き頃から入り、母親や父親から同じように寵愛を受け、剣の腕も長子リグレイを凌ぐとも言われている年の近いナルビスとは剣の道で凌ぎを削った。
彼女の転機は騎士の叙任を受ける時、王位継承権を放棄し、騎士としてこの国に仕えるか、王女としての人生を選ぶかの選択を迫られた。
結果、彼女は王位継承権を放棄し、この国に尽くす事を選んだ。その時に姓も母親であるユングラシ王妃の旧姓ヘルダークに変えた。
それから10年弱の月日が経ったが彼女は今日この日ほどその選択が間違いではなかったと思った日はなかっただろう。
「リオン様」
刹那の微睡みの中から彼女を現実に引き戻したのはこの戦いの中で生き残った真紅の女騎士達である。その彼女達はリオンを取り囲むように陣を取る。
既に敵の半数は打ち倒していた。しかしリオンの部下も8名にまで数を減らしている。
多勢に無勢の状況の中にあって、大健闘と言える。それでもリオンの顔には苦渋のそれが前面を覆い尽くしていた。
ふと自分を送り出した腹違いの弟の顔が浮かぶ。
『追いついてこい』
彼との約束を果たせそうにもない。
「すまない。ナルビス」
リオンは地を這うように顔をあげるとそう涙交じりの声で自身の無念を示した。
- Prologue - 『落日の陽光』後編 完