#02.『聖都帰還』 後編
同日 夕刻
聖都クリス・アルカ平民街 ジェイクの酒場
「ナルファスこっちだ」
その夜、ナルファスはジェイクの酒場にいた。店の中に入った彼をロイが呼ぶ。
「すまない。遅くなった」
ロイは既に竜騎士の鎧は脱いでおり、平民のいでたちである。それはもちろんナルファスも同じだった。
このジェイクの酒場はこの聖都クリス・アルカの平民街にある酒場。マスターであるジェイクはナルファス達が幼少時代からこの酒場を遊び場所にしていた事もあって、平民と貴族の間柄を超えての友情を育んでいる。
ここはナルファスがひとりになりたい時に忍びでやってくる場所。
またそれはロイも同じ。
ナルファスはロイに呼ばれるまま席についた。そしてそこにもう一人女性がいることに気が付き、驚く。
「ケイトも来ていたのか」
ナルファスは口許を少し歪めてバツの悪い表情を彼女に向ける。そこにはいた金色の髪を腰まで下ろし、色白の紺色の瞳、白色のワンピースが清楚な印象を与える彼女の名前はケイトリン=リナン=ジョフレ
先ほど謁見の間で出逢ったマグナスの孫娘。そしてナルファスとロイの幼馴染でもあり、そしてナルファスにとっては親同士が将来を約束した婚約者でもあった。
「いたのかじゃないわよ。任務中も全く連絡ないし、手紙くらい寄越しなさいよね?心配したんだから」
そう言って口を尖らせるケイト。その隣ではロイが陽気な笑顔でおもしろそうに俺の顔を見る。
「まぁまぁ、ケイトもそういうのは2人でやってくれよ!やっと3人そろったんだ!ナルファス、今日はお前の凱旋祝いだ!好きなもの食えよ?」
そこにこの酒場のマスターであるジェイクが葡萄酒の瓶を持って現れた。彼はもともとは傭兵でナルファスの父とは共に戦った事もある仲だ。もちろん幼少時代のナルファス達とも面識がある。
そのジェイクは酒瓶を一本ずつ3人の前に置く。そして大きな鳥の照り焼きをテーブルの中央に置いた。それにロイとケイトが歓声を上げる。
ナルファスもジェイクの心遣いが嬉しかったが、素直に喜べなかった。彼の脳裏には先ほどのマグナスとのやり取りが浮かぶ。
謁見の間から外に出たナルファスはまずシエルの所在を確かめようととう回廊を歩いていた。
『ナルファス』
すると謁見の間から城外に向かうための階段でナルファスはマグナスに呼び止められた。
『お主はそう言えばカルカタの聖具奪還だったな。大変だったろう?ハーゲンは死んだそうだな。あいつも精一杯だったんだろう』
自分の元へ近づき、突然ナルファスにいきなり話し始めたマグナスの意図を彼は正直測りかねた。困惑の表情を浮かべているナルファスの様子を見てマグナスは苦笑いを浮かべ、そしてナルファスの肩に手をおく。
『お前さっき何を陛下に言おうとした?もっぱらそのカ・ルカタでの任務における民の虐殺に関する換言とシエルに居場所についてだろう?』
どうしてそれが分かったのだろうとナルファスは不思議そうな顔でマグナスを見た。
『お前の部下がな。ラズエルだったか?あいつが私のところに相談に来たのだ。お前は本当に部下に慕われている』
マグナスはそう笑いながら続ける。ナルファスはラズエルが何を相談したかを考えていた。そして心の中で舌打ちをする。
『ナルファス、これだけは忠告しておこう。貴公がこの国の騎士でいたいのであれば、今は平穏にしておくことだ。カ・ルカタでの一件以降、各地で反乱の芽が出始めている。今我々は試されているのだ。だから今回のお前のカ・ルカタでの判断は間違っていない。そして罰せられるのはお前ではない。他にいる』
マグナスはそれだけを言うと彼の元から立ち去ろうとした。
ナルファスは彼の言葉に何も返せなかった。だが、心の中に棘のような何かが突き刺さる。そんな感覚に囚われた。
『そうだ。わしの孫娘がお前を心配していたぞ。後でちゃんと会ってやってくれ』
そこへマグナスはおもむろに振り返るとそう言葉を付け足す。そこには先ほどの真剣さは微塵も感じられない興味本位でそういったのだという事がすぐにわかるマグナスの顔がある。
ナルファスは正直余計なお世話だと心の中で呟いた。
「どうしたの?ナルファス」
ナルファスはその時、その孫娘の言葉に現実に引き戻された。
ケイトとの婚約は彼が生まれた時に親同士の間で決まっていたらしい。その事を告げられたのは成人した15歳の時だった。
時にナルファスは親同士で勝手に決められていた事が正直不満だったが、彼自身、幼少より彼女への想いを抱いていたからその親同士の決定に対して結果的には不満は持たなかった。
そしていつも彼は思う。
当のケイトはどうなのだろうと。彼には戦場ではその勇猛さでどんな困難も切り抜けるすべをいくつも持っていたが、彼女の心を知ることはできない。
これが人知というものである。
「そうだ。俺がカ・ルカタに行っている間、何かあったか?」
ナルファスの問いに二人が顔を見合わせる。
「それはシエル卿のことか?」
察しのいいロイの返答にナルファスは首を縦に振る。ナルファスはその言葉にやはり何かがあったのだと達観した。
「あぁ、シエル卿に何かあったのか?」
ナルファスの確信めいた問いにロイは頭を左右に振った。
「俺も詳しくは知らないんだ。気が付いたら宮廷騎士団近衛騎士団筆頭騎士の任を解かれていた。そしてこの宮廷からその姿がなくなっていた」
「私たちみんな、故郷に帰ったんだって噂していたの」
ロイの言葉に続いて、ケイトが口を開く。ナルファスはその話に首を左右に振った。
「いや、シエルは故郷には帰っていない。彼の妻子が今聖都に来ている。彼を探しにな」
ナルファスの話に二人は驚いた。その二人にナルファスはシエルの妻子であるネアンとファイを山賊から助け、聖都までともに行動し、今は自分の屋敷に客人として招いている事を二人に告げた。だが、先ほど近衛騎士から聞いた北方にいるかもしれないという事は伏せた。その事を自分が知っている事は知られてはならないと思ったのだ。
「それって一体なんで。じゃ、シエル卿は一体どこに」
だが、ロイにこの質問に誰も答える事ができなかった。すると質問をした本人であるロイが話題を変えようと口を開いた
「それにしてもお前よく、紅の王に勝てたな?」
そうロイに言われたが、ナルファスにはもちろん何の事か分からなかった。
「紅の王?」
ナルファスの問いにロイはすべて分かったように訂正し、平謝りをした。
「悪い悪い。お前がカ・ルカタに行ったくらいの時期から宮廷役人の馬車が襲われる事件がいくつも起こったんだ。その首謀者は全身を真っ赤に染め上げた武具をまとった戟使い」
ロイの言葉にややあって納得した。ロイの言う『紅の王』とは自分の襲ったあの賊の指揮官だとナルファスは察する。
義賊を気取って活動している不届きものが本当に世直しを想い、集まった義賊か。ナルファスの脳裏には一瞬、カ・ルカタの市民の顔が浮かぶ。
「その後、いくつかの馬車は傭兵やら、近衛騎士やらを付けたがすべて惨敗、役人の首だけ刎ねられたって話だ。まるで死刑執行人みたいだったらしいぞ」
ロイはそこで一呼吸置いた。さっきジェイクが持ってきた鶏肉を切り分けたものを口の中へと運ぶ。
「後からわかった話だと、狙われた役人は皆、過ぎた税を取って私腹を肥やしていた人たちらしいの。それで奪ったものを奪われた集落に返してまわってるらしいわ。それに今宮廷役人は戦々恐々としているのよ。必要以上の税を取ったら殺されるって。まさに朱の王、今では英雄扱いよ。ここまでくるとどっちが賊徒かわからなくなる」
ケイトは少し悔しそうにそう呟く。
ナルファスはケイトがこのような口を利くのを久しぶりに見た。普段はその暖かなまなざしを寛大な態度から慈悲の神アリーシアに揶揄されて聖母とさえ、呼ばれているのだ。
「そんな奴らなのか」
ナルファスは彼らの言葉が必ずしも自分たちを襲ったあの賊徒の姿とは重ならなかった。
「そうそう。その真紅の賊徒に近衛騎士のヴァルダンの旦那が大けがをさせられた。今は寝たきりらしい」
「ヴァルダン卿がか?」
彼は御年60を超えるマグナス同様の最古参の兵の一人だが、その勇猛さ、強さはまだ皇国の中で5人の中に入っている。ナルファスも一騎打ちでは簡単に勝てる相手ではない。
その彼が寝たきりの状況にまで追い込まれた。それは由々しき事態であり、それだけあの賊徒に力があるという事になる。やはり自分達を襲撃した時は本来の力を出していなかったという事だろうとナルファスは予測する。
「ところで、お前はどうやって真紅の王様を退けたんだ?」
ロイの問いにナルファスはその場で、彼が紅の王なる男に野営地を襲撃されたが、撃退した事を告げた。
一瞬はロイとケイトが興味を持ったように体を押し込んできたが、ただ、話が淡々としていたので、すぐに終わってしまう。
そして再び沈黙を好む女神が彼らのもとに舞い降りた。
「ところでナルファス、カルカタはどうだったの?激戦だったって噂は聞いているけど」
沈黙の口火を切ったのが、ケイトがであった。だが、それもまたナルファスにとっては苦痛の種であり、話をしたくない内容であった。もちろんその事をケイトは知らない。
「ほとんどお前の部隊は被害をこうむってないって話じゃないか。それなのに旧領主ハーゲン公の首を獲った。大したもんだとみんな言っているぞ?」
その話にロイも乗ってきた。彼としては今回の会合の目的はこの話を聞くことに違いないとナルファスは思う。
そして彼の賞賛のこもった言葉にナルファスは正直不満を感じた。それに同調している婚約者のケイトにもだ。
もちろん状況を知らないのは致し方ない。しかしこの二人ですら俺の苦しみを分からないのかと思わず叫びそうになった。
その感情を抑えてナルファスはその場に立ち上がる。
「ナルファス、どこに?」
ケイトが尋ねる。
「悪いな。俺は今日は何かを祝う気になれないんだ。先に部屋に帰る」
ナルファスはそう言うと引き止めようとするロイとケイトを振り切り酒場を出た。
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同日深夜
聖都クリス・アルカ 平民街
「しまった」
ナルファスはその足で自分の屋敷への帰路についていた。風に当たろうとしたのが間違いだったのか、自分がこの聖都クリス・アルカの平民街で迷った事に気が付いた。
しかし彼は自分が最下層の下層級街に迷いこんで事までは気がついていなかった。
「ちょっと止まれや、兄さん」
そんな時、ナルファスはとある3人組に呼び止められる。彼らの姿を見てナルファスは初めて自分が下層級街に迷い込んでいたことに気がつく。
彼の前に現れたのが、この下層級街に住む奴隷のゴロツキであることが明らかだったからである。
「なんだ?お前達は?」
ナルファスはそういうと、背中に手をまわした。だが、そこには手馴れている大剣を背にしていない。
「平民がこんなところに迷い込んだら俺達に襲ってくれって言っているようなもんだぜ?大人しく金目のもの置いていきゃ、悪くはしねーよ」
ナルファスは今自分が平民の身なりである事に気が付き舌打ちをする。一方のゴロツキは小型のナイフでナルファスを威嚇してくる。だが、実際はナルファスは素手でも勝てると思っていた。
しかしその刹那二人の間に一陣の風が走る。そして壁に矢が突き立った。それはおそらくゴロツキに対する牽制のためのものだろう。
「お前達、何をしている」
そしてその弓の主であろう一人の騎士がやってきた。その姿を見てゴロツキ達は舌打ちをすると一目散に逃げ出す。
「大丈夫ですか?こんな夜更けにこの辺りを一人で歩くのは危険です」
言いながら騎士風の男はナルファスに近づいてきた。そしてナルファスの素性に気が付いたのか驚いた声をあげる。
「兄さん」
ナルファスは自分を兄と呼んだこの騎士を見た。空色に輝く胸当てを装備した軽装の騎士は紛れもなくナルファスの弟、フレディ=ミナ=へラードであった。
「悪かったな。フレディ。だが、お前まだこんな見回りをしているのか?」
ナルファスは弟フレディのそう声をかけた。彼は現在、聖都守備を一任されている宮廷直属の騎士団『鳳天騎士団』に所属している。暇さえあれば、平民街からこの最下層街の見回りをしているのである。
「俺は騎士だからね。この街の平穏を守るのも騎士の務めじゃないかい?」
ナルファスと同じ濃紺の瞳を輝かせ、そう平然と言ってのけた弟に対してナルファスは苦笑いを浮かべた。
「騎士ってなんなんだ?」
ナルファスは小さく呟く。だが、フレディには聞こえなかったようである。フレディは足元のふらつくナルファスの肩を抱えてた。
「兄さんって知っていたら、助けなくもよかったかも。あっ、それだったらあいつらがやられてたか」
フレディはそうぶつぶつと呟いている。だが、ナルファスは聞こえない振りをした。
ナルファスはフレディに連れられてへラード家の屋敷に帰った。へラード家はラクティス皇国の中でも指折りの上級の騎士貴族である。現在はナルファスは父の弟であるカスラがその跡を継いでいる。
「お帰りなさいませ」
ナルファスが帰ると既に寝巻き姿に着替えているレンが出迎える。
「ネアン殿とファイ殿は?」
ナルファスの問いにレンは二人が既に床に入っていると告げた。おそらく長い行軍で疲れていたのだろうと。ナルファスはそのことに少しだけ安堵した。シエルに関する情報は何も得られていないのだ。それで今あの親子と顔を合わす気になれなかった。
「食事はどうされますか?」
レンは尋ねて後悔した。ナルファスの口は既に酒臭かったのだ。ナルファスはそんな彼の方を見た。
レンはナルファスの叔父であるカスラ侯爵の養子である。12歳になった彼はナルファスの従者であり、騎士見習いである。
「いや食べてきた。私も部屋で寝る」
ナルファスはそう言うと玄関から屋敷の中に上がり、自室へと向かった。着慣れない平民服を脱ぎ、寝具に着替える。そして彼は自室のベットに腰を下ろした。
実に2か月ぶりの我が家である。一瞬で睡魔が襲ってくる。そして彼もまた睡魔に勝つことができず、意識を手放した。
#02 『聖都帰還』 完




