#02.『聖都帰還』 中編
聖都クリス・アルカ
ラナス大陸中部のラクティス地方に位置するラクティス皇国の政治・経済の中心地である。
またラナス大陸を横断するファルデルシア街道と縦断するオルサード黄道が交わる大陸における交易の中心地でもある。
2万人を超える市民が住んでおり、中心部に聳え立つラクティス城を中心として放射状に広がるその街並はカルカタなどの町が8つは優に入るといわれている。
「ちょっと、まだあるの?」
聖都正門からラクティス城までは距離にして5バガス(約2.5km)ほど離れている。聖都に入って目的を達したと思っていたネアンはちょうど正門から城までの中間にある平民街を抜けたところで音を上げた。
「あとは貴族街だけだからもうすぐですよ」
ネアンに対し、呆れたようにため息を吐きラズエルが声をかける。いつの間にかネアンの馬の手綱をラズエルが持ち、操作している。皮肉屋の彼はその口の悪さゆえに誤解されがちだが、存外に他人に優しい。ラズエルは巧みに二頭の馬を操りながら喧騒賑わう街道を進む。
一行はきらびやかな建物が並ぶ貴族街に入った。この一角にはナルファス達騎士貴族の屋敷もある。この高貴な家々を見れば、ネアンなら文句もいいそうなものったが、彼女はすでにへたり込んでおり、声を出す余裕すらない。
聖都に入ってから2刻ほど(1時間)の行軍を経て、彼らは聖都の中枢、そしてこのラクティス皇国の中枢であるラクティス城をその視界に捉える。
城の周りには深い堀が張り巡らされており、そこにはこの聖都を南北に流れるレーヌ川が北から入り込んできている。
この堀は外敵に対する防衛手段の一つではある。1バガス(500m)ほどあるこの堀を越えるのは容易ではなく、また堀の内側は高壁で囲まれており、堀を越えて壁をよじ登る事はほぼ不可能に近い。
これらは単調な丘陵地に位置するラクティス城にとっては絶対不可欠な防備の1つ。
それはこの聖都クリス・アルカの城下町も同様で、至る所に似たような水路を確認する事ができる。
またラクティス城には東西南北4つの城門がある。それらはすべて桟橋により城下町である聖都クリス・アルカに繋がっている。
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同日
聖都クリス・アルカ
ラクティス城城内大広場
城南門をくぐり抜け、広場へと出た後、ナルファスは隊の解散命令を出す。
「ふぅ、やっと着いた」
そんな中で、ネアンは馬を降りると安堵したように芝の上にへたり込むと臀部を擦っている。
「そんなにお辛かったですか?」
ナルファスはその様子を見て苦笑いを浮かべ自身の馬を伴って彼女の方へ向かった。
ネアンはナルファスを見ると顔を紅潮させる。大きな瞳をさらに丸くしてナルファスに瞳を返した。
「きつい程のものではないです。ただ、聖都の入口からこの城までこんなに距離があるとは思ってなかったわ。聖都についた瞬間に油断してしまいました」
一方でそう言ったネアンの表情にはどこか達成感にも似た安堵を感じることができた。彼女の娘、ファイは彼女の隣で既に寝息を立てている。
「私はこれから陛下に今回の任務の報告をしにいかなければなりません。部下2名をよこしますので、今夜は私の屋敷にお泊り下さい。シエル卿を探すのは明日からでよろしいかと思います」
ナルファスはその二人の様子を見やり、そう言葉をかけた。ネアンはその申し出に大層喜び、「ありがとうございます」と大きく首を縦に振る。
「お疲れ様です」
ネアンと別れ、厩にたどり着いたナルファスは一人の女性騎士と一人の少年に出迎えられた。
「カトリーナ。留守をすまなかったな。レンもご苦労だった」
この女性騎士はナルファスが今回の任務中の留守を任せた副官カトリーナ=ファンべス、少年はナルファスの義弟にあたり、従者を努めているレン=ヘラード。
二人はナルファス達の帰還に安堵したような笑みを浮かべ、敬礼の構えを解いた。
「カルカタの戦いは壮絶なものだったと聖都にも噂は伝わってきております。隊長のご健勝の事、嬉しく思います。フォーダル卿はまだ南部に?」
女性騎士カトリーナはその藍色の瞳に興味の色を宿しながらナルファスの帰還を喜ぶ。ナルファスはそれに対して小さく頷く。
「あぁ、フォーダルには7000の兵で南部総督府の支援を任せてきた。我々は一刻も早くこの聖具を陛下に献上する必要があったからな」
カトリーナはその言葉に頷く。ナルファスの愛馬は既にレンが手綱を引き厩の中に入ろうとしていた。
ナルファスはその様子を見て、踵を返すと城内に入るために回廊へと体を向ける。
「カトリーナ」
その時、ナルファスは思い出したかのように彼女を呼び止める。レンとともにナルファスの馬の手入れをしようとしていたカトリーナの視線が再びナルファスを捉える。
「なんでしょう。隊長」
実は彼女はナルファスとは宮廷騎士団入隊時の同期である。暖かな陽光を思わせる橙色の髪に小さく整った目鼻。その外見からの想像に違わず、聡明で騎士貴族の家系出身という事もあり、剣術、用兵の腕も確かである。
年が近い事も合間って、ナルファスにとっては副官の中でも一番の気心が知れている存在でもあった。
「聖都への帰還途中にとある平民親子を拾った。シエル卿の妻子だそうだ。私は今から陛下に謁見してくる。今日はもう夜更けが近いゆえに彼女達を私の屋敷に通しておいてくれないか?レンに世話役を命じるといい」
ナルファスの言葉にレンが振り返った。しっかり全身日焼けのしたまだ幼さの残る明朗快活な少年である。
彼は産まれてまもなく、ナルファスの叔父であり、現へラード家当主で宮廷評議員のカスラ=デル=ヘラードに拾われ、養子として引き取られた少年である。
故にナルファスとは血のつながりはない。だが、幼少時より兄弟のように育ってきた故、確かに絆で結ばれている。
事実レンはナルファスに対して非常に強い憧れを持っており、自身を政治家の道へと導こうとした義父の反対を押し切り、ナルファスの従者となっていた。
「馬の世話が終わったらレンはカトリーナに合流。彼女達の身のまわりの世話を任せる」
ナルファスの言葉にカトリーナとレンが直立し、胸に拳を当てる。その様子に満足したナルファスは小さく頷き返すとその場を後にした。
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ラクティス皇国。
その起源はかつての大国テネス王朝の崩壊に始まる。
当時今のラクティス皇国のようにこのラナス大陸を席巻していたテネス王朝は解放王ヴァルツミン=シュバルツとその脇を固めた7英雄によりクオン聖帝の崩御を持って崩壊した。
その後、解放王ヴァルツミンの側近にして本隊指揮官を務めた剣王ラーハルト=バルバロッサによって彼の出身地であるこのラクティス地方に、広大で肥沃な大地が特徴的な農業国家ラクティス共和国が興され、初代国王には彼が即位した。
これが始まりである。
その後、数々の飢饉や戦乱を乗り越え、第5代皇帝アルザ=ミスレ=バルバロッサの代に訪れた未曾有の大飢饉を経て、ラクティス共和国は肥沃なこの大地だけでは国家は存続せど繁栄は難しいとの判断を下す。
大陸暦216年、皇帝を第6代皇帝カイザルに変えたラクティス共和国は北の鉱山を求めて、それまで友好国として親交を深めていた北方のウォールウィンド王国を奇襲により攻め落とし、そして大陸東部・西部・南部へと急速に兵をすすめ、そして大陸の東部のベルファーシュ共和国、北部のレスティアナ神聖国、南部の15小国家群を除いて、その大陸3分の2を手中に収め、国名もラクティス皇国へと改めた。
これはウォールウィンド王国陥落からわずか10年の出来事であり、丁度その年にこの世に生を受けたナルファスが齢10歳になった時であった。
幼少時から聞かされていた昔話を彼は思い出していた。
皇国の威光を強調したその物語は当時のナルファスにとっては魅力的であり、彼を皇国建国の英雄である父と同じ、剣の道へといざなったという事は言うまでもない。
だが、今のナルファスはそうして幼少時から培ってきた自らの忠義に疑問を持ち始めていた。
このラクティス城は堅牢石作りになっており、所々に皇帝が好んで置かせている金色に塗られた石像が見受けられる。
美しい女性を模ったその石像はラクティス皇国の護り神とされる戦女神ミリアリアだと言われている。
城内に入り、いくつかの回廊を抜けると階段をある。この階段が謁見の間の入口に通じるただ一本の道である。
「お?宮廷騎士様のお帰りか」
ナルファスは頭上からかけられたその声に顔を上げた。
「ロイ」
眼前に姿を現したのは濃紫色の竜を模した鎧に身をまとった青年騎士である。
青年の名前はロイブルク=サム=アーロン。
宮廷騎士団第2連隊の上級将校を務める竜騎士であり、ナルファスにとっては幼少からともに育った幼馴染である。彼の父親は同じ第2連隊“蒼竜”の連隊長であるゲオルグ=ラズ=アーロン。代々竜を操る不思議な力を持つ家系である。
「よく戻ったな。ナルファス」
その言葉にナルファスは少しだけ笑みを浮かべた。それは唯一無二の親友である男に出会ったからであろう。
だが、すぐにナルファスはその顔に険しい仮面を被った。
「俺は今から陛下と謁見しなければいけないんだ。無駄話なら後にしてくれ」
その思わぬナルファスの様子にロイは両手を広げて抗議する。
「お、おぃ。無駄話とは連れないな。久しぶりに会ったんだぜ?積もる話もあるだろ?それじゃあ、謁見が終わったらジェイクの酒場で待ってるからよ!絶対に来いよ。土産話期待しているぜ」
ロイはそういうと彼の前から姿を消した。残されたナルファスはロイの後姿を見た。
「土産話?今の俺にはそんなものはないよ」
ナルファスはそう心の中で呟くと謁見の間の扉の両側に立つ衛兵の前に立ち、右拳を自身の左胸に当てた。
「宮廷騎士団第3連隊ナルファス=ミナ=へラードだ。皇帝陛下に任務完遂のご報告をしたい」
すると衛兵二人が重厚に装飾された両開きの扉を開く。彼の眼前には広大な赤絨毯が広がっていく。そしてその先の祭壇の上にある玉座には一人の男性が腰を下ろしていた。
ラクティス皇国第7代皇帝ロバート=ディレ=バルバロッサである。かつては前王の名の元に宮廷騎士団長として勇を誇ったその男も今ではだらしなく垂れ下がった腹に丸々と太ったその体からは覇気とというものが感じられない。
「よく戻った」
一言ロバートがナルファスに声をかけた。ひとたび声を発せればその重厚で凄味のある声がナルファスの鼓膜に響いた。
ナルファスほどの勇士を一言で威圧するその存在感はさすがだとナルファスは思った。
「カ・ルカタでの任を終え無事帰参いたしました」
ナルファスは玉座が祀られている祭壇の手前まで来ると、胸に拳を当て、拝礼をしてから膝を着き、皇帝への忠義を示す態勢を取ると短くそう言った。
「顔上げよ」
だが、次に聞こえたのは本来であればその言葉を言うべき皇帝ロバートではなかった。その隣で直立する宮廷宰相フィリップス=ノゲイラの声である。
ナルファスは顔をあげた、
「カルカタでの任務はだいぶ骨が折れたそうだな?ナルファス大義であったぞ」
再び重厚な声がナルファスの頭に響いた。その言葉にナルファスは再び頭を下げ、その視線を赤絨毯の紋様に落とした。
「はっ、カルカタ守備隊の守りは固く、われらは南部総督府軍、そしてリシテア候直下のリシテア騎士団の協力のもと、城塞都市カルカタを陥落せしめました」
ナルファスの報告にロバートはその報告に満足気に頷いた。
「それで聖具の方はどうした?」
一方で今度はフィリップスの声が聞こえナルファスはそちらを向いた。フィリップスを一度だけ一瞥し、少しだけ殺気を込める。当の彼はそのナルファスからの殺気に気付く事なく、悠々と眼前の騎士を見下ろしている。
正直ナルファスはこの文官が好きではない。私利私欲に走り、本来の任務である政事判断を皇帝に委ねてしまっている。
その無法さが評価され、皇帝子飼いの宰相となっている事を考えれば、自身の保身に関しては一流なのだろう。だが、地位と名誉を護ること意外に関しては殊更信用できない。
ナルファスは正直にこの男にひどい嫌悪感を覚えている。そのことを棚に上げて宮廷では権威を振りかざしているとの姿にもだ。
「宰相殿はそれほど私の事が信用できないご様子ですな?」
ナルファスはラズエルばりの精一杯の皮肉を込めてそう言うと立ち上がった。少し言葉を早まったフィリップスの顔が見る見る真紅に染まっていく。
そんなフィリップスを尻目にナルファスは大剣をその場に置き、ロバートのすぐそばにまで向かう。
そして白銀の環鎧の中に入れていた麻袋を彼に手渡した。
「陛下、こちらがカルカタより持ち帰りました聖具イリス魔晶にございます」
「うむ」
ロバートはそう唸ると泡袋の中身を取り出した。それは小さな水晶である。その中心部に卑しいくらいの紅い宝玉が埋め込まれており、そのため水晶は真紅に輝いているように見える。
目には見えない万物を投影することのできる魔力を秘めた魔晶『イリスクリスタル』、通称イリス魔晶と呼ばれる聖具の1つであった。
ロバートはひとしきり水晶を観察すると満足げにナルファスに視線を向けた。
「うむ、まさに余が知るイリス魔晶じゃ。此度の任務ご苦労だった。褒美を取らせるぞ?ナルファス」
ナルファスはその言葉に耳を疑い一瞬だが戸惑った。
「いえ、私は陛下の勅命に従ったまで、そして今回はカルカタにて任務とは言え、多くの民の血も流れました。それなのに私だけが褒美を頂くなどできませぬ」
ナルファスはそう丁寧に故事をした。だが、そこにまたあの宰相が口を挟んでくる。
「カルカタ市民はすべてを知った上で反乱に加担した。貴公の判断は間違っていない。むしろ他の平民達には知れ渡っただろう、あの基本的に平民には恩義を振りまいている銀狼ですら、犯意を示した平民は斬るのだとな」
そこまで言ったフィリップスは息を飲んだ。彼の得物である大剣は赤絨毯の上においてはいるが彼はまだ腰に長剣を佩いている。
今はその長剣が彼の喉元に届くだけの距離にある事に初めて気が付いたのだ。まぁ、彼にはナルファスが皇帝の目の前で剣を抜くことはしないと自負していたが、肩を震わせるナルファスの様子に一瞬だが自分が首を落とされる幻影を見たのだった。
2人の間に険悪な空気が流れる。意外にもその間を取り持つように口を開いたのは皇帝ロバートであった。
「まぁ、良い。お前のそういうところがわしは好きじゃ。この褒美の件は保留にしておく。ほしくなったらいつでも言って来い。もう下がってよいぞ!兵を労ってやれ。ナルファス」
ロバートに言われナルファスは顔を俯かせたまま、祭壇を降り、赤絨毯の上に置いた大剣を背に収めると、顔をあげた。
「陛下、ひとつお伺いしたい事がございます」
意を決した言葉だった。ラズエルのカルロスのそしてネアンやファイの声を代弁してようと思った。
その機会は今しかないと。
だが、ナルファスがそう言い終わる前に、彼の後方の扉がひときわ大きな音をあげて開けはだかれた。
ナルファスは思わず後ろを振り返る。
「マグナス様、今はナルファス卿が謁見中です」
先ほどナルファスを通した衛兵が必死で止めようとするが、黒衣で全身を覆った老獪な男性はそれを意に反さず、手の平でいなすと謁見の間の中に進み出た。
彼は宮廷聖霊師団総司令マグナス=フォン=ジョフレ。宮廷最古参の将にしてあらゆる魔導に精通した実力者。御年60を超え、さらにその魔力に磨きがかかっていると聞く。
「西部総督府の遺跡アザディスより聖剣アルバトーレを持ち帰りました。お納めください」
マグナスの豪快な声が謁見の間に響き渡った。その声の大きさを聞くと本当に齢60歳を超えた老魔導師には思えない。
彼は悠然と赤絨毯の上を歩き、ナルファスの隣まで来ると拝礼した。
そしてロバートとフィリップスに悟られぬように前を向いたままナルファスにだけ聞こえる小さな声で話しかける。
「今は余計なことは言うな」
ナルファスは驚いてマグナスの方を見た。そして彼の意図を察したように何も言わずに前を向き、一礼をすると玉座に背を向けた。
彼も先ほどの興奮から冷静さを取り戻し、マグナスの言う意味を理解したのだ。
「よく戻ったな。マグナス」
ロバートはマグナスより聖剣アルバトーレを受け取る。この聖剣はかつてのテネス王朝崩御の際に剣王ラーハルトが手にしていた聖剣であり、その後代々皇帝家の象徴として祀られていた。
だが、第6代皇帝カイザルがその聖剣を西部総督府アザディス遺跡に祀り、このラクティス皇国の守り神として崇めたのである。
ロバートはその聖剣をものこの聖都に集めていた。ナルファスはその事に違和感を持ったが、先のマグナスの言葉に習い、余計な事は言うまいと口をつぐみ、謁見の間を後にした。
彼はその足で城の中庭に向かった。
そこに建てられている石造りの営舎の中を覗き込むむ。そこには城内警邏を担当する終わらせた近衛騎士団の面々が交代で常駐している。ナルファスはそこに居た近衛騎士の1人に声をかけたた。
「シエル卿はどちらに?」
ナルファスの存在に気づいた近衛騎士は立ち上がると右拳を左胸に当てる。そしてナルファスからの問いに顔が曇る。ナルファスの脳裏に悪い予感が浮かんだ。
「今は皇帝勅命で北方には向かったと伺っています。極秘裏の勅命という事で内容までは聞いていません」
ナルファスはその近衛騎士が伝えたい事がなんとなく分かった。先ほどの騎士の表情からシエルの身に何が起き、今は北方にいる。
「ありがとう」
そう近衛騎士を労ったナルファスは営舎を後にし、城下町にある屋敷へと足を向けた。
#02.『聖都帰還』 中編 完




