#02.『聖都帰還』 前編
大陸暦236年青虎の月10日
ラクティス皇国聖都直轄領 某集落
少年はいつものように聖都から自分の集落に戻るその途上だった。少年は猪等の野獣の狩猟をし、それを干したもので作った革製品を聖都の武防具店に売って生計を立てている。
父親は宮廷役人の過度の徴税の反発して捕らえられ、絞首刑に。姉は宮廷役人に聖都に連れて行かれ、母はそれ以来、気を止んでしまい病気になった。今は少年が一家で一番の稼ぎ頭である。
「あっ・・・」
集落の前まで到着すると少年は見慣れた馬車に目を止めた。もちろんそれは宮廷役人が乗っているものである。
少年は自身の今日の稼ぎを護る為に岩陰に身を隠した。
役人が集落から出てくる。抗議しようと役人にすがる集落の男を振り払い、蹴飛ばしてから徴収した税を馬車に乗せていく。
「くそ・・・」
少年は思わず、悪態をついた。ここからでは彼らには聞こえない。だが、もし彼らに見つかっていれば、確実に今日の売り上げを全部徴収される。
そんな事を怖いと思ってこんな所に隠れている自分が少しむなしくなった。
この宮廷役人はオルセーという名である。オルセーは満足そうに馬車に積み込まれた積荷を見て頷くと馬車に乗り込んだ。
少年は今すぐでも飛び出して彼を刺殺したい気持ちでいっぱいでだった。宮廷役人オルセーは自分の父親の仇、家族を崩壊させた張本人だからである。
だが少年にはそこまでする勇気もなかった。
病床の母を残して先に死ぬわけにはいかない。そしてあのような汚い大人のために自分の人生を終わらせるつもりもなかったのである。
少年はいつものように馬車が行き過ぎるのをまっていた。だが、その日はいつもと勝手が違った。
「なんだ?お前達は!」
オルセーは突如馬車を止めて叫んだ。少年がその声の方を見ると赤髪の男を中心とした集団が馬車を取り囲んでいる。
そして彼らは一斉に馬車を襲い始めた。
おそらく賊徒だろうと少年は思った。近隣の廃村となった村からたくさんの山賊や流浪人が生まれたとの話は聖都で聞いたことがあった。
何分聖都ではそのあたりの情報統制はされている。聖都内でうかつなことを話すとすぐさま懲罰が待っている。だから誰も外の事を聖都では話さない。
一方で少年は襲われる宮廷馬車を見てほくそ笑んだ。「ざまぁみろ」と心の中で悪魔が微笑んだ事は言うまでもない。
「あれ・・・」
その中で馬車に向かって全身を朱色の鎧で染め上げた男が馬車に近づく。少年はその気風漂う男に一瞬で釘付けになった。
宮廷役人のオルセーは馬車から飛び出し、逃げ出そうとする。しかし足がもつれて倒れる。地にはいつくばるその姿は情けないとの他に何もなかった。
こんなやつのために高い税金を払っていたのかと思うと胸が少年は痛くなる。
そしてその逃げ出そうとするオルセーの前に真紅の騎士が立ちふさがる。
そして一閃。
槍のような武器、戟と呼ばれる代物でオルセーの首を跳ねた。
一瞬だった。
命乞いの暇さえ与えない鋭さがその一撃にはあった。それですべてが終わった。他の衛兵は即座に逃げ出し、馬車だけがそこに取り残されている。
「悪いな。今日の俺は気分が良いんだ。苦しむ事なく一瞬で終わらせてやった事、感謝しろよ。」
そう呟く男の力強い意志を感じる瞳に少年は釘付けになった。するとそこへ集落の人間達がが騒ぎを聞きつけて外に出てきた。
「ちょっとあんたらなんて事をしてくれたんだ?」
「賊徒如きが、宮廷役人を斬るだなんて!あんたが勝手にやったことにしてくれよ?」
「もう2度とうちの集落には近づかないでくれ」
そしてオルセーの死体と取り押さえられた馬車を見て驚き、口々に賊徒の批判を始める。どれも朱色の騎士の所業に関する感謝ではなく、利己的な自己保身による言葉である。
「ちょっと!」
役人の目を気にする必要がなくなった事もあるが、それ以上に批判されている賊徒を見かねて少年は飛び出した。
既に少年は集落の大人達を自分勝手だと呆れていた。だが、せっかく助けてもらってお礼も言わない彼らに言い様のない憤りを感じたのも事実である。
「ちょっと、この人たち僕たちを助けてくれたんだよ?」
少年が大人達に言う。
彼らの冷たい視線が少年に集まった。少年はその時、後悔した。次は自分が標的になるのだと…。
少年の予想通り、集落の大人たちは次に少年の事を標的にして次々と批判を始めた。
「お前の父さんが宮廷役人に抗議したから過税がきつくなったんだからな。その上にこの騒ぎじゃ、どこまで税があがるかなんてわかったもんじゃないさ。この集落捨てなきゃなんね。そうなったどうしてくれるんだよ!」
少年は一瞬で心を抉られ、泣き出したい気持ちになった。そして母が気を病んだ理由が少しわかった気がした。この保守的な大人たちに母はいじめられて心を壊したのだと分かる。
そして思った。
この集落には未来はないと。
「それではこれは我々が頂くという事でよろしいでしょうか?」
すると大人達の言葉の間隙を縫うように、先ほどの朱色の男がそう尋ねる。
賊徒の中にあって、この男だけはどこか気品を感じると少年は感じていた。腰が低いわけではないが相手を不快にさせる粗暴なそれを感じさせない。
先程までの轟々しさからは想像もできなかった。
一方で、集落の大人達の反応は分かり易かった。
真紅の男の言葉に対して掌を返したように口々に「返してくれなきゃ困る」や「もともとはうちのものだし」とか口々に反論する。
自分達の利益しか考えていない大人に対する諦めから少年は大きくため息を吐いた。
結局、真紅の男は取り返した税分をすべて集落に返納した。村長からは奨励金を出すとの話が出たが彼らは丁重に辞した。
「それを受け取ればこの集落が我々に依頼をしたという事になりますよ」
そう言った真紅の男の言葉に誰も反論するものはもちろんいない。
「これは我々が独自に宮廷の馬車を襲い、奪った積荷を集落に分け与えただけです。役人が来たらそう答えるといいでしょう」
さらに真紅の騎士は最後にそのように告げる。男の言葉に集落の連中はただ頷くしかできなかった。
「さて行こうか」
すべてが終わったという事だろう。真紅の男が集落を発とうと部下に声をかける。その時、少年は思わず真紅の男の元に飛び出した。
「なんだ?」
真紅の男は少年を見て訝しげな表情を見せた。集落の大人達は今度は戻ってきた積荷の自分の取り分の事でもめている。誰も少年の行動を気に掛ける者はいない。
「少ししかないけどさ」
少年は自分が聖都で稼いできた金を真紅の男の前に差し出した。
「何の真似だ?」
「これで俺を雇ってください」
真紅の男の問いに少年ははっきりと答えた。少年は遠くに転がっているオルセーの首のない死体に目を向けた。
父の仇、家族を崩壊させた憎き人物に天誅を下してくれたこの真紅の男。他の賊徒とは違い、気品や聡明さを感じる真紅の男。
少年は村を捨てて男についていく事を願った。
一方で真紅の男はふんと鼻で笑うと少年を見た。
「お前な。雇った側が金を払う事はあっても雇われる側が金を払って雇ってくださいはないぞ?」
そう言って笑う真紅の男の顔を少年は真剣な眼差しで見つめていた。その視線に気が付き、真紅の騎士も少年に敬意を払うように真剣な顔になる。
「お前武器は使えるか?」
その問いに少年は首を左右に振る。弓なら少々の心得があるが、人と戦う為に武器なんて使った事がない。それが現実である。
「やったことないです」
「軍学は?」
「わかりません」
少年は同じように首を左右に振る。次第に自分の顔がこわばっていくのを少年は感じていた。
「勉学は?」
「習う前にもう働いていた」
最後の問いも同じだった。
このやり取りの中で真紅の男は何度ため息を吐いただろうか。さっきまでの威勢を見る限り、面倒を見てもいいと思っていた。しかし、今の少年は買われてきた羊同然だ。何もできない事に気が付いたのだろう。
何かに怯えている。
「お前何ができる?何もできないとこの中じゃ生きていけない。諦めるんだな」
そう言って真紅の男は明らかに不機嫌そうに馬に跨る。少年はその鞍にしがみ付いた。
「おぃ。お前は連れて行かない。そこをどけ!」
真紅の男は少年を足蹴りにしようとして思いとどまった。彼の瞳に涙が溜まっていたからだ。
「お前、飯は作れるか?」
「はぃ」
真紅の男は少年の必死さに心を打たれた。そして目の前にある少年の輝いた笑顔に対して口元緩めた。
「仕方ない餓鬼だ。だがな、俺は今から仕事だ。戻るのは1ヶ月後。いや2ヶ月かかるかもしれない。それでも待てるなら待ってろ。お前の家族も含めて必ず迎えに来る」
真紅の男は少年の気持ちに答えるように声を絞り出した。少年は満面の笑みを彼に返す。
「お前、名前は?」
真紅の男は少年に名を問う。
「カロル、カロル=ロウベル」
少年カロルはそう自分の名前を名乗った。
「あなたは?」
予想できた少年の問いに真紅の男の瞳が行き場を失ったように宙を舞う。男は少し考えを巡らせてから口を開いた。
「俺の名はアレフレッド。アレフレッド=アルフェルという名が私の名前だ」
真紅の男、アレフレッドは少年を集落に残すと、早々に集落を後にし、砂塵舞う荒野へと消えていった。
その後姿を目で追うカロルと言う少年が歴史の表舞台に出てくるのはもう少し先の話をなる。
しかし、この1つの出会いがこの国の歴史を動かす変革の一端となる事はこの時はまだ、誰も知る由もなかった。
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大陸暦236年青虎の月12日
ラクティス皇国聖都直轄領 ダ・リス山
フェ・ロー丘陵での賊徒の戦いから2日後、ナルファス達は街道沿いを進み、後数刻で聖都クリス・アルカを臨むところまで迫っていた。聖都から南数キロ下ったところにあるダ・リス山の頂上まで登るとそこから聖都を臨むことができる。
「戻ってきた」
ナルファスは小さくつぶやいた。その声に呼応するように部下が次々と歓喜の声をあげた。
「あれが、聖都クリス・アルカ」
するとその隣でネアンが驚きの声をあげる。
それは眼前に広がった聖都と呼ぶにはふさわしい広大な城壁に守られた城塞都市を見たからである。
お椀型の丘陵地に所狭しとおびただしい数の建物が並んでいる。その頂上にはこれまた広大な敷地を持っているのだろうラクティス城が目に留まる。
種々の建物はそれほど小さくは思えないが、それらは見分けがつかないほど細々としている。それがこの聖都クリス・アルカの広大さを物語っているだろう。
「驚いた」
ネアンはただ、そうとだけ呟いている。ここに来るまでの道中、平民の身分を利用して何かと宮廷に対する不満をぶちまげていた彼女のその言葉にラズエルが皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そうでしょう。南方暮らしの都市の5倍もの大きさはありますからね。聖都は大陸中央を東西に横断するフォルデルシア街道と南北に走るオルザード黄道のちょうど交わる場所でもあります。北方のレスティアや東部ベルファーシュ、南部の小国家群の商人をはじめ、数多の特産品が聖都には集まってきます。まさにこの大陸の経済の中心地なのです。また都市自体が堅牢な要塞として作られていますので、外敵からの侵入も許しません」
ラズエルの説明をネアンは最後の方は半分聞いていなかった。聖都クリス・アルカがこれほど広大で経済、政治、軍事の中心地であることだけ、理解できた。
「すごいわねー。でもやっぱり何か住み心地は悪そう。ほんと砂糖に群がる蟻みたいじゃない?」
ネアンは素直な感想を漏らし笑う。
南方の都市くらいの大きさの方がちょうど良い。
だが、そのネアンの発言が気に入らないのかラズエルは小さく舌打ちをする。
宮廷に不満があるとはいえ、自身の生まれ育った聖都を、あこがれた宮廷を何も知らない平民に侮蔑されたと感じたのだろう。
いつもの血気盛んな彼であれば、剣を抜いていたかもしれないが、彼女達が近衛騎士団筆頭騎士のシエル=アンダーソンの妻子である事が幸いし、その一大事には至っていない。
「一介の平民であられる貴女方では聖都での暮らしはその意に沿わないことが多いかもしれませんな」
ラズエルの言葉にネアンはその猫のように大きな瞳を吊り上げて彼を射抜くように睨む。
「合わなくて結構、私は由緒正しい騎士家系の妻だ。きらびやかな暮らしより、質実剛健の方が合っているわ」
ネアンはそう言葉を返した。ナルファスは思わず笑みを浮かべる。強い女性だと思った。最初見たときは状況が状況だっただけに心配だったが、さすがシエルの妻というところだろう。
「大きいね?ねぇお兄ちゃん。どうして聖都はあんなに大きいの?」
そしてこちらはこちらで物怖じしていない少女、今度はファイが母親譲りの大きな瞳をラズエルに向けて尋ねた。
「聖都はこのラクティス皇国中心の地、丘陵の頂上から貴族街、平民街、さらに下層の者たちが暮らす下層級街とこの国の縮図がここにはあるのです」
ラズエルの言葉は少女ファイは首を傾げた。もちろんラズエルの説明は8歳の少女には難解で理解しがたいものであった。
「そんな難しく説明しても子供には理解できんぞ」
隣を並走しているカルロスがそう茶々を入れてくる。ラズエルはカルロスの言葉と何かを思案しているその少女の様子に苦笑いをその顔に浮かべるしかできなかったが、一言耳に聞こえた小さな少女の呟きに次の言葉を失った。
「でも、どうして一緒に住まないの?同じ人間なのに。そんなのおかしいよね?ね、お母さん?」
無邪気に喋る娘の言葉にネアンは「ねー」と相槌を打ち、ラズエルに勝ち誇った笑みを向けた。
少女の言葉、正論である。
ここでいくら階級社会の正論を小さな少女に説いたところで何も変わらまいとラズエルは思い、顔を少女から背けた。
存外その頬が赤く染まっている。
ネアンの勝ち誇った表情がラズエルには大層不満だったが、今彼がその場で何かを語る言葉を持っていないことも事実であった。
「ラズエルの負けだな」
そこにナルファスがそう口をはさんだ、途端にラズエルの顔が頬だけでなく耳まで紅潮する。その様子に周囲でどっと笑いが起こった。
「隊長!」
ラズエルはナルファスに助けを請うように声を出す。そのラズエルの表情が面白可笑しく、ナルファスもしばし心から笑っていた。
今回の任務の中でこんなに笑ったのはいつぶりかというくらい久しぶりだった。
それは彼の言葉の中にラズエルがこの国が好きであることには変わりないと言う熱き想いを感じたからである。
そしてそれは自分も同じ。
おそらくシエルも同じだろう。
その国を守るためには言わなくてはならないこともある。それをラズエルから学んだナルファスは彼に心底感謝していた。
「まぁ、もうよい。この分だと今日の夕暮れまでには聖都に到着できるだろう。聖都に辿りつくまで決して気を緩めないように」
ひとしきり笑った後にナルファスはそう場を引き締めた。兵の中にはもう凱旋した気分になっている者もいるだろう。それはあらぬ怠慢を生むことは歴史が証明している。
ダ・リス山を聖都に向けて下り始めたその時、ナルファスは聖都のさらに北に立ち上る黒煙を見つけ、目を細めた。
「北方のアルニア地方のようですな。何かあったとしか思えませんな」
カルロスが馬を寄せ、耳打ちをしてくる。彼の表情も同様に険しい。ナルファスは無言で頷き返した。
「また反乱か」
そう呟くとナルファスはしばし馬を止め、再び黒煙を見た。そして思う。聖都に戻った自分達には休息をなどないのかもしれないと。
ラクティス皇国は南西部の統一後、数多の反乱分子を国内に孕んだままである。特に北方には旧ウォールウィンド王国時代からの諸侯も多く存在しており、彼らに対する宮廷の処遇もきついものがあり、度々反乱が起こっていた。
ナルファスも将校時代に反乱軍討伐についた事がある。未だラクティス皇国は安定していないのが実情である。
その後、半日ほどの行軍を経て彼らは彼らの指揮官の見立て通り、日が西に落ち始める頃、聖都クリス・アルカに到着した。
「宮廷騎士団第3連隊。陛下の勅命を成し遂げここに帰還した。門を通して頂きたい」
建物の4階分に相当する城壁と街道がぶつかるところに金色に輝く門と関所が設けられている。聖都クリス・アルカの正門である。
その両脇に立つ門兵にカルロスがそう告げると金色の営門が重厚な音とともに開いていく。しばらくしてナルファスらの視界が開け、聖都クリス・アルカの喧騒がその顔を覗かせた。
「皆の者、帰ってきたぞ。胸を張れ。いくぞ」
待ちに待った凱旋である。
ナルファスは隊員に檄を飛ばす。こうしてナルファス達宮廷騎士団第三連隊は悠々と聖都への凱旋を果たしたのだった。
#02.『聖都帰還』 前編 完




