復路、往路
シリウス帝国南部 血の道付近
ウベキが騎馬五百を援軍として託してくれたのは有り難いが、この五百はジョエキに対してのみ忠誠を誓っているらしい。
軽装だが騎射が得意で、展開も疾走りも早い。
帰路も荒野を抜けて国境の関を大きく迂回したが、ジョエキと五百騎が駆けると、ガノンは瞬く間に置いていかれそうになった。
ガノンも馬術はかなり巧みで、騎兵を率いるロッカをあしらえるだけの腕がある。
乗っているのもサラーム馬である。
それでも、置いていかれそうになったのは衝撃だった。
相変わらずお互いに口も聞かないが、以前ほど敵意は感じない。
ジョエキは玩具を与えられた子供のように、騎兵の指揮に熱中しているのだ。
国境を難なく超え、南部荒野の入り口である血の道を通り越した辺りで、前方から騎馬隊が進んできたのが見えた。
おそらくロッカの騎馬隊だろうが、補足される前にジョエキの五百騎が速さでロッカ隊を突き放してしまった。
置いていかれたロッカの騎馬隊にガノンが一騎で近づくと、呆気にとられたロッカがやはりいた。
『なんですか、あれは?』
挨拶もそこそこに目を丸くしたロッカが話しかけてきた。
『ジョエキと騎馬民族の援軍五百騎だ。』
『同じ騎馬隊で、こんなにも違うとは恐れ入りましたよ。』
『馬と共に生き、馬の上で寝食をし、死んでいく部族だ。』
『あれは速さも何もかもが、桁が違い過ぎですね。』
桁が違う、そう、あまりにも強すぎる五百騎だ。
それを率いているのは、蒼き虎と部族の長にすら認められた危険な男。
強力な戦力であると同時に、強烈な毒を腹内に招き入れようとしているのではないか。
豪胆なガノンの胸中は、珍しく不安であった。
その不安の強さが、隣りにいるロッカの顔色の変化に気がつかせなかったことを、この時のガノンは知る由もない。
サラーム教国からシリウス帝国までの路
自分達以外は、オウケンと呼ばれる武将と、その弟子数十人、クローディアスとアーロン、そしてネブカドネザルだけである。
ネブカドネザルは騎馬も徒歩も嫌い、屋根付きの馬車にアーロンとクローディアス、そしてネルソンと共に乗っている。
忍び五人は徒歩で遠巻きに一行と付かず離れずの距離を保っているようだ。
新たに聖地と呼ばれていた屍族の居城に、大掛かりな装置などは無かった。
あれば破壊するつもりだったが、あるのは小綺麗にした古城だけである。
『毒で死んでもらっている。眠りとともに息を引き取る種類なのでな、苦しまずに逝ける。あとは魔術の禁忌領域だ。』
『やはり禁忌を使っているのか?』
『おそらくピトも知っている。一人か二人死なせて良いなら、見せてやれるのだが?』
人の命を奪うということを、ネブカドネザルは全く罪悪感無く言う。
そんな忌まわしい男の口から、たびたび父の名前が出るのも不快だった。
巡礼者達も約束通りに生かして帰していたため、ネルソンは渋々ネブカドネザルと共にシリウスに向かうことを了解した。
父ピトを魔術師として尊敬しているが、父親として愛しているかというと、ネルソンの内心は複雑である。
ネルソンが子供の時から、ピトは偉大な魔術師として尊敬されていた。
魔術を学べば学ぶほど、ピトの偉大さが嫌というほどわかった。
しかし、父親らしいことは何もしてもらっていない。
物心ついた時には、親子というより師弟であった。
父の老齢を理由に、魔術研究機関の次席補佐官になったのも、父を労る気持ちより弟子としての行動という方が正しい。
『それにしても、よくそこまで自分を律することが出来るな。』
ネブカドネザルが声をかけてきた。
『律する?俺が?』
『ネルソン、お前は自分が思うより遥かに大きな正義の心を持っている。同時に、それを抑えつける理性も持っている。普通は感情に身を支配されることもあるだろうが、お前にはそれがない。』
『オウケンに捕まって、少し懲りたのさ。俺はそういうことが似合う人間じゃない。』
あの時、不馴れな潜入などしたからこんなことになっているのだ。
不馴れなのに潜入しようと思ったこと自体、ネルソンが感情に振り回された結果であるとも言えた。
少なくとも、ネルソン自身はそう思っている。
一行は国境を越えていた。
皇帝シリウスは、教皇ネブカドネザルとの会見を了承していた。
元帥アムレートが東部戦線の最前線に出てきた。
少し前に、皇帝シリウスが極秘で出陣し、四天王も揃い踏みしたあの戦いで、シリウス軍はサラーム軍をだいぶ押し込んだが、兵の数で有利なサラーム軍は堅陣を敷き、戦況は再び膠着状態に持ち込まれていた。
更に悪いことに、敵の士気が高いという。
アムレートは元帥として東部戦線を任されてから、兵士の入れ替えを行った。
南部から戻ってきた精鋭二万騎を自ら率いて前衛に出し、後衛も二万のみ残してあとはシリウスに戻した。
兵力差が開いた。
シリウスの兵士は八万から四万に、サラーム軍は二十万である。
サラーム軍が攻勢に出ようとしたある日、アムレート元帥の二万騎が撤退を始めていた。
サラームの二十万は追撃体制に入ったが、アムレートの軍をすぐに補足することはできなかった。
アムレートの軍だけでなく、後衛に居た二万も陣を捨てて消えていた。
サラーム軍は昼夜を問わず追ったが、追っているうちに二十万の隊列は大きく乱れ、いくつかに分離していた。
追撃の際、最も足が遅かったのが魔術師達である。
サラームの魔術師達はシリウスよりも全体的に質が高く、数も揃っている。
それでも、肉体的な鍛錬を積んでいる兵士達とはやはり違う。
その魔術師達約五千の前に、アムレート自身が五千騎を率いて現れた。
多少の疲労はあったか、魔術師達には余裕があった。
数が同じで、距離もある、此方は魔術、敵は騎兵である。
何故、アムレートが麾下を二万から五千に減らしているのかはわからないが、愚策の限りを尽くした敵をサラームの魔術師達は嘲笑っていた。
突撃陣形をとるシリウス軍に、サラームの魔術師達は凹形陣を敷き広い横幅から魔術をぶつける体制に入った。
シリウス騎兵の突撃が始まり、射程圏内に入ると魔術師達は即座に炎の魔術や氷の魔術、雷撃の魔術などをいっぺんに放った。
この一撃で終わるはずだった。
終わらなかった。
放った魔術の光が、敵にぶつかり炎になる前に、あるいは氷や雷になる前に、消えていく。
魔術師達は訳がわからず、とにかく精一杯魔術を放ち続けたが、アムレート達にぶつかる前に消えてしまう。
騎兵が迫り、狂乱状態に陥る魔術師達五千を、アムレートの精鋭五千騎が情け容赦無く蹂躙していった。
決着がつくまでに三十分とかからなかった。
アムレートは臨時に任命した副官を呼ぶと、馬上から殴り落とした。
殴り落とされた副官は、それでも直ぐに立ち上がると気をつけの姿勢を瞬時にとった。
その副官をまた馬上から蹴り倒し、罰走を命じた。
重装備をつけたまま副官は走り始めた。
別に副官が悪かった訳ではない。
むしろ、百人隊長から急に副官に引き上げられたにしては、かなり有能な指揮を執っていた。
ただ、足りない部分を自身の勇敢さで補ったのが気に入らなかった。
重装備のまま走らされた臨時副官プッロは、オズワルドの首を届けに来た男だ。
勇敢さも、自己犠牲精神も突出しているが、副官とはいえ将である。
将は討たれてはならないのだ。
プッロの罰走を通して、アムレートはオズワルドと少しだけ会話をしたつもりになった。
残りの軍勢の指揮は五将軍に任せている。
お膳立ては整え、部下に手柄を立てる機会も与える。
西側諸国と戦っていた時のアムレートには、無かった発想である。
重装騎馬隊の甲冑が以前よりも輝いてみえる。
甲冑に散りばめた魔坑石の破片が光を反射するのだろう。
やってみなければどこまで効果があるのかはわからない、そんな危険な試みをアムレートは自身に課した。
魔坑石の破片を散りばめた甲冑が、五千人の魔術師の攻撃を無効化するなど、誰もやったことがない。
そういうことを部下にはやらせず、自分が先陣を切ってやる。
(若、それは矛盾してますな。)
オズワルドの声が聴こえた気がした。
走るプッロを見つめながら、アムレートは少しだけ笑った。




