潜入
サラーム教国首都 サラーム・ロマ
幼少期を過ごしたサラームの首都サラーム・ロマは、異様な盛り上がりをみせていた。
シリウスの首都よりも活気があり、商業が特に盛んなのは、教皇ネブカドネザルが税率を下げたためだという。
サラーム教国の税システムは、人頭税と宗教面で徴収される二段階が主だが、どちらも下げたどころか、宗教面に関してはほとんど撤廃し、自主的な寄付という形にしたらしい。
兵役義務も期間を短縮し、国の内部は明るくなった。
教皇が新たに設置した聖地への巡礼が、高齢者や病に苦しむ者、重犯罪者に推奨されており、聖地巡礼をすることを条件とした恩赦も行われている。
しかし、ネルソンはそのからくりを理解していた。
新たに設置された聖地は、屍族の本拠地であった沼地である。
そこに送り込まれて、帰ってくる者など居ない。
ネルソンが五人の忍びとともに、商人を装って潜入して一週間が経つが、巡礼のために旅立つ者達は後を絶たない。
その巡礼者達が屍族の兵士となり、その兵士達がいずれはシリウスにも向けられるのだ。
聖地を巡礼する者達は、教皇から直接激励を受けることが出来る。
病に苦しむ者達は、そこで教皇直々に癒やしを受け、旅に出ることが出来るだけの体力を得ることが出来るという。
そして、いまネルソンは、その巡礼希望者達の中に居るのである。
死なない程度の毒も身体に取り込んでいるため、体調は悪い。
五人の忍びには、自分を含む巡礼者達を監視し、危険が及べば、自分を救出するように伝えてある。
この試み自体が危険であることを、ネルソンは承知していた。
それでも、新たな聖地で屍族の兵士を増やすというネブカドネザルの行為を止めなくてはならない。
百人程度の巡礼者達は、教皇府内の講堂に通された。
一般人が教皇府の中に入ることなど、基本的には一切許可されていない。
巡礼者として認められた者だけが、今は入れるのだ。
大理石で造られた巨大な建築物の内部は、意外なほど質素だった。
『教皇様は贅沢がお嫌いでして、先代までの教皇が集めておられた贅沢品は全て売り払って国庫に入れてしまったのですよ。』
一行を案内している者がそう言うと、巡礼者達の中には感動のあまり涙を流す者まで居た。
講堂にはすぐ入れた。
装飾は施されていないが、分厚い絨毯が敷かれた空間であり、前方に大きな扉があるだけである。
巡礼者達が部屋に入り終えると、教皇は僅かな供回りと共に、その扉からすぐに入ってきた。
皆が口々に教皇様と声を上げる中、ネルソンだけはその教皇が偽物であると既に見抜いていた。
偽教皇からは、確かに魔力を感じるが、並の魔術師程度の魔力しか持っていない。
『貴様だけは、ついてきてもらおう。』
巡礼者達に紛れてネルソンの隣に居た初老の男が、そう耳打ちした。
さほど強い魔力は感じないが、剣を帯びている。
しくじった、ネルソンは臍を噛んだ。
忍び達の監視の外である。
まさか一瞬で見抜かれるとは思わなかった。
巡礼者達が偽教皇に癒しを与えられているのを背に、ネルソンは初老の男によって部屋の外に連れ出された。
教皇府の一階は質素だったが、二階と三階はもはや宮殿であった。
この男は手強い、ネルソンは背後にいる初老の男の強さに勘づいていた。
解せないのは、幾ら気配を消していたとはいえ、これほどの猛者の接近を何故自分が簡単に許したことだった。
この初老の、恐らくは剣士か武将は、体格にも優れている。
巡礼者の中に、これほどの体格の持ち主は居なかったはずなのだ。
教皇府三階の大広間に通された。
『殺すにしては、随分豪華な場所だな?絨毯が血で汚れてしまうよ?』
初老の男はまだ背後にいるが、一切答えない。
背後にひとつ気配が増えた。
『ピトの息子を殺したりはしないよ、兄弟。』
振り向くと、長い黒髪の男が立っていた。
間違いなく教皇ネブカドネザルだとわかった。
この大陸で一、二を争う程の大物に、父の名を出された上に、兄弟とまで呼びかけられたネルソンは、やや混乱しかけた。
『何故、お前がピトの息子だとわかったのか、そもそも私が何故ピトを知っているのか、そして、私がお前を兄弟と呼んだのは何故か。そんなことを考えているのかな?』
この相手に小細工や芝居は通用しない、それならば本音で接した方が結果も早いとネルソンの頭脳は瞬時に答えを出した。
『そのとおり。ついでに言うと、俺はシリウスの魔術研究機関の次席補佐官で、この国には潜入しに来たが、つい先程こちらのナイスミドルに捕まったところだ。』
ネブカドネザルと初老の男が笑った。
『オウケン、ナイスミドルだそうだぞ。』
『おかげさまで若さを保っておりますので、若く見られるのは嬉しいことですな。』
聞き覚えのある名前だった。
オウケン、記憶が正しければシリウス帝国四天王マクベスの師が同じ名前だったはずだ。
『正直者は話しが早くて助かる、ネルソン。客人として遇することを約束しよう。もちろん、生かして返してやる。』
そう言うと、ネブカドネザルはネルソンの肩にそっと手をかけた。
殺意は感じなかったので、そのままその手を肩に乗せるのを許してみた。
体内に回っていた毒物が消えていくのを感じた。
『見たいものは全て見せてやるし、教えても良いと思うことは全て教えてやる。』
『随分と余裕だな。少なくとも味方では無いのだがな。』
ネブカドネザルが再び笑った。
『お前に頼みたいことがあるのだよ、兄弟。』
この圧倒的な余裕は、魔術師としての力量なのか。
ネルソンもピトに継ぐ実力があるが、少なくともネブカドネザルの魔力の強さは、自分より上だということは感じている。
『兄弟と言われてもな、実感がわかないのだが。』
この男に兄弟と呼ばれることに、不思議と不快感が無い。
ネルソンは、その不快感の無さに、むしろ危うさを感じている。
『お前はピトの息子だろう。俺を生み出したのもピトだ。血は繋がらなくても兄弟は兄弟だ。』
その瞬間、ネルソンの脳内に父ピトが犯したという禁忌が過ぎった。
その禁忌こそが、ウェーバーと共有していた極秘情報だった。
『参ったな。こうまで簡単に核心に触れちまうと、俺の面子が立たん。』
『毒まで入れてご苦労だったな。』
ネブカドネザルは、テーブルに置いてあるカップに自分で茶を注ぎ、それをネルソンに渡してきた。
『連れてきた供回り五人もここに呼ぶと良い。一つだけ約束して欲しい。』
全てお見通しだった。
敵を信じるのは危険だが、従っておいた方が得が大きいと計算した。
『なんなりと。』
『破壊工作だけはやめておけ。やりたいのはわかるが、やめることを勧める。』
『おいおい、俺は敵なんだぜ?やったら殺すと言えば良いだろ。』
『いや、これは頼みだ。隠さず見せてやるから、それをオセローと、ピトと、皇帝にしっかり伝えて欲しい。その上で』
教皇ネブカドネザルは、自分で注いだ茶を一口飲んだ。
『その上で、私はお前と共にシリウスに赴く。皇帝に会っておきたいからな。』
事態は急展開を迎えている。
ひょっとしたら、ここ数世紀で一番の出来事が起こるかもしれない。
『納得がいかんよ、やはり。』
『何故?』
『全てを見せられ、目の前で生きた人間を屍族にされるのを見ているのは、さすがに良心が痛む。』
『人が幾ら死のうと構わない。』
まったく罪悪感の欠片も無い顔だった。
ネブカドネザルは、本心から今の一言を、それも無邪気に言い放ったのだ。
『とはいえ、私はネルソンを怒らせたくはないからな。お前がおとなしくしてくれるなら、先程の巡礼者達は生きて帰れるようにしよう。たまには、そういう者も必要だ。』
百人は居た巡礼者達を、見捨てるという選択肢はネルソンには無い。
『皇帝と話しがつけば、人など死ななくて済むかもしれん。もっとも、結局多数の者が命を落とすことになると思うがな。』




